23 かーちゃん、世の中は残酷だ
お屋敷に戻って、即座にそれを作りたいと言うと、親戚のおじさんは困惑気味にこう言った。
「その作り方は君じゃなかったらできないのかい」
「あたしじゃなくてもできますけど、あたしが請け負ったから」
「では、台所にほかの人も入れよう。君の作るスープがそんなに効果絶大ならば、他の人も覚えておいて損がない」
「わかりました」
別に作り方を秘密にしているわけじゃないから、素直に頷いて台所に入る。
そして非常に難題な問題に直面した。
「うちと違うかまど……というか台所の仕様が違い過ぎてどうしたらいいかわからない」
そう、このお屋敷には、うちのような万能かまどが存在していなかったのだ。
と言うよりも。お金持ちの家の台所ってこんなに火がいっぱいあるのか。うちみたいに一つのかまどで家を温めるなんて思考がなさそうな台所だ。
「どういうことをしたいの」
「三日かけてこれからあくを抜いて、それから木づちで叩き潰して破片にしたいんです」
「そ、それは料理なのかな!? 明らかに料理じゃない言葉が並べられたような!?」
「え? どんぐりだってそうやって食べますよね?」
あたしの発言に、周囲の料理人なのか医者なのかわからない人たちが、絶句した。
「君はどんぐりを食べる家なのか」
「野性の生き物と奪い合いになっちゃうけど、食べられるって知っているだけでも心に余裕ができるでしょ? じゃがいもの値段が時々空恐ろしいくらいに高くなるから、食べられる物は多い方がいい」
「……君は、魔女の家の娘だよね?」
「ジャガイモの値段が高い年や季節は、薬草の値段もけた違いになるから、どうしたって食べるのに困るんだ」
あたしは言いながら、木の根っこの泥をたわしでこそぎ落とした。
「皮をむいたりは?」
「そんな面倒で、食べるところがなくなっちゃう事しない」
たわしでどろだけ洗い流して、それから適当な、桶に入る大きさに手で折る。
ばきっと大きな音が響く中、いろんな人が真っ青になっていく。
「これを折るのは、私にもやらせてもらえないか」
見ていた中で、手伝ってくれると言ったのはルー・ウルフだけで、他の人たちは常識の違いにめまいがしているみたいだった。
そんなにもあたしの作るものは、ここの家の人たちが考え付かないものなのか。
ばきばきべきべき、としばらくはそんな根っこを折る音が響いて、あたしたちは根っこを木の桶の冷水につけた。
「これで毎日水が濁ったら取り換える。本当を言うと、布袋に入れて川の水に晒し続ける方が楽なんだけど」
「このあたりに川はないからな、無理だな」
「裏山の近い所では、きれいな水が流れてるのにそう言うところ面倒」
「近くに水があるのにどうして、井戸を使うんだ?」
「井戸の方が近い。比較の問題だよ、水がめ持って移動するなら、近い井戸の方が多少味が悪くても我慢する。かーちゃんの薬は、山の水じゃなかったら作れないものがあるから、時々大きい水がめ持って運ばされたけど」
なるほど、とルー・ウルフが納得した声で言って、あたしは何も言えないで見守っている人たちに言った。
「これから三日は水を取り替える作業だけです。そのあとは煮て、冷やして、ぼろぼろになるまで煮る」
「予想をはるかに超えた作り方と言うか……毒抜きだった」
「ちなみにこの後、破片にしてから半日流水に晒す作業があります」
「どうしてそんな手間をかけてまで食べるんだい!」
医者が叫ぶ。あたしは、食べるのに苦労した事のなさそうな彼を見る。
「食べ物がないから」
誰だろう、今の言葉で息をのんだのは。
「冬の一番寒い時に、あたしみたいな家の人間は食べ物に事欠く。だって売り物の薬の材料が山で育たないから。稼ぎはどうしたって少ない。手順を知っていれば絶対に食べられる物があるなら、手間かけたって食べる」
あたしの体がやせぎすなのはそのせいだ。女性らしい丸みにかけているのもそのせいだ。
それを嫌だと思った事はないけれど、あたしはそう言う生き方で人生を送ってきている。
ねーちゃんはそれをとても嫌がったし、あたしはいつもねーちゃんにご飯を横取りされていた。
ねーちゃんはいつも
「私はもっとお金持ちになって素敵な男性と恋に落ちるのよ! あんたみたいなモブより生きてなきゃいけないの!」
と訳の分からない事を言って、じゃがいもを奪った。
「ヴィのための物を奪うんじゃないよ!」
かーちゃんは日常的に怒っていた。でもねーちゃんは言い返した。
「うるさい! 私は生きなきゃいけないの! あんたと違って!」
と言って。ねーちゃんがそう言う言動を止めないから、かーちゃんはいつも怒っていたっけ。
「あなたがたとあたしじゃあ、生きてる世界が違うんだ」
蔑んでるわけじゃない、たった一つの単なる事実。あたしの世界はあなたたちの想像を超えた世界だという事。
そのあたしの世界の食べ物が、命をつなぐ食べ物が、いまそんな物本当はいらない世界に必要なんてなんていう喜劇なんだろう。
ちらっと根っこを見て、あたしは肩をすくめた。
「皮肉としか言いようがない事だけどね」
見ていた人たちは何も言わなかった。……言えなかったんだろうと思う。あたしの言ってることは理解できないだろうから。
腕のいい薬師でも、かーちゃんは借金まみれだった。借金を増やさないように、そして食べていくだけで精いっぱいの稼ぎで生きていたから、物価が上がると途端に影響を受けた。
無論、あたしも。
「……ヴィ、どうしてそこで笑うんだ」
「笑いたいから。笑っちゃうよ、あなたたちがどんな作り方を期待してたのか、全然わからないから」
「私もそこは、わからない。料理をした事が無いから」
ルー・ウルフが素直に言って、その日は終わった。
想定外の事が起きたのは翌朝で、あたしは朝一番に桶を見に行って絶句した。
「ない」
あたしと元王子様が二人で一生懸命に砕いた、木の根っこ。あたしが山で一生懸命に掘ってきた木の根っこ。
それが全部、盗まれていた。
「おいおいおいおい……やめてよ、また取りに行かなきゃいけないとかいうの、誰だよ盗んだ奴、ぬかるみに足突っ込んで盛大に転べ」
予想としては、作り方を聞いた誰かが、取って行ったんだろうとは思う。
生えている場所が分からないから、盗んだんだろうな、とも思う。
その理由はきっと簡単で、お貴族様とのつながりが欲しいからじゃないか。解毒できそうな物がそこにあったら取っていっちゃうんだろう。
自分の名誉だか名声のためだかに、必要だったんだろう。
「さすがに盗まれるとは思わなかった……ここの家でもさすがに、あれを盗むとか思わないから、見張ってたりしなかっただろうし」
半日かけて掘ったんだけど、結構掘ったからまた見つかるかわからないんだけど。
あたしは苦い気持ちで舌打ちして、この事実をルー・ウルフに伝えるべく、踵を返した。
彼の仕事場は紙の山で、そこで一生懸命にそろばんをはじいている彼。
うん、仕事している彼はとても格好良かった。
その作業を止めるのは酌だったけど、声をかけておく。ダニエルにも伝えてほしいから。
謝らなきゃいけないから。
「ルー・ウルフ」
「ヴィ?」
「ごめん、ダニエルに謝っておいて。木の根っこ盗まれた」
「えっ……? 作っている途中だったのに?」
手が止まった王子様と、同じように動きが固まる周囲。
あたしは周囲の人たちの事を見て、告げた。
「昨日作り方教えた誰かじゃない? 盗んだの。もしくは聞き耳立ててた誰かとか。誰が盗んだとかどうでもいいけど。材料盗まれました、だから解毒できそうなスープは作れません! ダニエルに謝っておいて。あたしじゃ門前払いになる気がするから」
「ヴィが作り方を見つけたものだろう、どうしてそんなことが」
「知らない。事実盗られた。そんだけ。あれまた山から掘って来るの大変なんだけど」
一冬分掘ってきたから。あれ以上掘ると、次の年新しく生えないと思う。
「どうしようもないね」
あたしはもはや笑うしかなくて、笑っている間に頬に涙が滑って行った。
手柄は欲しくなかった、助けたかっただけなのに、どうしてお金の匂いがするとほかの誰かに盗まれるんだろう。
悔しかった。作り方を秘密にすればよかったんだろうか。でもそれじゃあ、助けられる人を助けられないかもしれない、と思ったお人よしが悪かったのか。
椅子から立ち上がって、ルー・ウルフが抱きしめて来る。
「……ありがとう」
「何でお礼言うの。何もしてない」
「ヴィは必死になってくれた、ダニエルだって事実を知れば君に危害なんて加えない」
許せないのは盗んだ誰かだ、と彼は言って、先輩たちを見た。
「情報の下方修正をしなければいけないですね、色々と」
「ああ、ボスに報告してくる」
誰かが足早に走り去っていく。誰かが何かを調べて、何人もの部下を呼び寄せ始める。
大きなことになる予感がした。