20 かーちゃん、そりゃそれは作れない!
そうして生まれて初めて、あたしは貴族階級が暮らす区域に足を踏み入れた。
貴族階級の区域は、つねに門が閉められていて、用のある人間が手形を使わなければ、入れないようになっているのだ。
そこの住人であることを証明するものを、住人たちは持っているから出入り自由らしいけれど、詳しい事は知らない。
大急ぎで朝一番に出たというダニエルは、その手形を持っているようだった。
それを片手で簡単に見せると、門番は一礼してあたしたちも含めて通した。
通す際に、あたしを見て胡乱な顔をして、そしてルー・ウルフを見てぎょっとした。
そりゃぎょっとするかもしれない。だって追い出された王子様が、こんな所で現れるなんて普通想定しないだろう。
それだけのことを、このルー・ウルフはやらかしてしまったんだから。
そして一つだけ意外だったのは、あたしの顔がねーちゃんとほぼ同じなのに、特に何も言われなかった事だ。
あたしとしては、散々この顔のせいでひどい目に遭って来たから、何かしら起きるんじゃないかと思っていた。
もしかしたら、お前を入れるわけにはいかないとか、言われるんじゃないかとも想定していたのだ。
しかし、驚いた事に、門番は何も言わない。
どこかであたしが別の人間だという事が、知られたのだろうか。
考えても答えが出ないまま、踏み入れた貴族階級の区域は、そりゃあもう、下町とは比べ物にならない位の豪華さだった。
道路からして、特権階級ですって言わんばかりのものなのだ。
下町にこんなきれいな石畳の道はない。綺麗と言うのは造りではなくて、手入れの方。
まさか貴族階級の道は、毎日磨いているようにぴかぴかに光っているなんて思いもしなかった。
ちらっと見ると、本当に道路を磨いている人がいて、あれがお仕事なのだろう。
この区域って結構広そうなんだけど、人手は足りているのだろうか。
妙にその磨いている人の動きがぎくしゃくしていて、怪我しているんだろうか。
「あそこの人は怪我をしているのに、道路を掃除しているの?」
「あれは魔法で動く自動人形なんだ」
「……は?」
あたしがその人を示して聞くと、ルー・ウルフがさらりと答えた。
「ヴィは初めて見たのかもしれないな。ヴィの生活するところで、自動人形なんて一体も見た事が無い。仕事場でだって見た事が無い」
「そりゃそうだろうよ、自動人形は目玉が飛び出るくらいに高額なんだぜ? 動かす方の技術も相当なものじゃなければならない。下町にホイホイ出て来るものじゃないさ」
ダニエルがあっさりと言う。貴族しか使えない魔法で動く、自動人形。なるほど、珍しいし、魔法の能力が低い一般市民では、動かせないものなんだろう。
「幾つもあれは動いていて、そのあたりの住人の誰かが所有者なんだ。道を掃除する事でお手当をもらっている役人だっているからな」
「まあ、お手当だって貰いたくなるとは思うけど、下町とこんなに違うなんて思わなかった」
あたしは一軒一軒の家を見ながら言う。建物が立派だ、ド派手だ、そして悪趣味だ、うちと比べたら巨大と言ってもいい。
自分の家の権威を誇っている、とかーちゃんとかなら言うんだろう、これは……。
「さっき牢の管理をしている人に、連絡しておいたから、直ぐに君の母君に面会できるはずだ。牢の管理人の従弟が、やはりおかしくなっているはずだからな」
そう聞くと、ねーちゃんに夢中になった人間の、数の多さにぞっとする。
ますます魔法めいているのに、魔法じゃないのだ。そして薬でもない。
ねーちゃんは何に手を出したんだろう。下町では誰もねーちゃんの相手をしなかったのに。
そうだ、うちにいた頃は、ねーちゃんの性格の悪さから、よそ者以外ねーちゃんに声をかけたりしなかった。
そしてそのよそ者だって、ねーちゃんの性格の問題で、直ぐに逃げ出したんだけど。
貴族はどうして、ねーちゃんに夢中に……
あたしは残念な事に、魔法にも詳しくないし、薬に関しても一人前じゃない。
だから判断のしようがないけど、ねーちゃんが見限った相手は夢から覚めたみたいに正気に戻るんだから、きっと鍵はそこにある。
でも、正直、人様の家に土足で上がり込んで暴力振るって、泥棒した貴族令嬢たちにはいい気持がしない。
それでも薬を飲まされて、一層おかしくなった人達は、そうじゃない。無関係だ。
だから令嬢たちは脇に置いて、助けられるかかーちゃんに聞くと決めたのだ。
しばらく歩いていけば、物々しい警備の場所に到着する。
おそらくここのあたりが、牢獄なんだろう。
「このあたりは、逃げ出されては特に困るものたちを入れておく牢獄がある。……君の母君もここだ」
ダニエルが言って、一つの建物の中に入る。建物の前には厳重な格好をした男の人たちがいて、あたしを見て武器を構えた。
「彼女は問題の娘の妹で、薬師の娘だ。薬師に会いたいという事で連れてきた。連絡をしただろう」
「確かに、薬師の娘が来ると言う連絡はありましたが……信用できるんですか」
「できないと思うなら、面会に何人か立ち会えばいい。いいだろう、ヴィル嬢」
「仕方がないよ、それだけねーちゃんが、とんでもない事やらかしまくったって事なんだから」
それだけ言って、あたしは顔をあげて、牢獄の中に足を踏み入れた。
正気を失うような暗闇の中は、確かに罰を受ける人にとってふさわしいんだろう。
でもかーちゃんは何も悪くない!
「無実のかーちゃんをこんな所に閉じ込めやがって……」
「口が悪いな」
「当たり前でしょ! 悪い事何一つしてないかーちゃんを、こんな真っ暗闇の中に閉じ込めておくんだから!」
ランプの灯りがあまり明るくないのをいい事に、怒鳴り散らす。狭い通路ではあたしの声が、わんわんと反響していた。
そしてその声が、聞こえてたんだろう。
一つの鉄格子の前で、一週間前と同じ格好をしたかーちゃんが、立っていた。
「さすが私の娘だけあって、行動力があるわ。さて、何を聞きに来たんだい」
「大変な事になったの、実は持ち出し禁止の薬がとられて」
そこまで言った瞬間に、かーちゃんが笑いだした。
「そりゃあ大変な事になったね、あれは本物の惚れ薬なんだよ」
「え、ええっ!?」
「本物の惚れ薬!?」
「どういう事だ!?」
かーちゃんの言葉に色々な叫び声が響く。
そりゃそうだ、普通思わない。
婚約者がいないときに、生き人形状態になる薬が、ほ、惚れ薬!?
「あれは、本当に正しい手順で制作した惚れ薬だったんだよ、材料とかも全部正しい物、劣化品を使わないで、代替品を使わないで。そりゃあ、化け物級の効果を発揮する危険な薬だっただろうね」
「何でそんな物作ったの」
若い時の好奇心で作ったんだよ、とかーちゃんはあっさり言った。何でも作ってみたい年頃だったのさ、と。
「簡単に棄てるにはちょっと厄介だし、売り払うのはもっと危険、隠しておいて、完璧な解毒薬を作るようになったら、ちゃんと捨てようと思っていたんだよ」
だから解毒って書いておいたんだよ、忘れないように、と笑ったかーちゃんが身を乗り出した。
「使われてないだろうね?」
「それが、盗んだ人たちが使って、貴族が大騒ぎで」
「なるほど、だからお前がここにきたわけか」
かーちゃんが腕を組んだ。そして言う。
「解毒薬は、ある」
「本当ですか! 兄がこれですくわれる!」
興奮して近付いてきたダニエルに、かーちゃんが言った。
「ただし材料がとても難易度の高い物だ」
「どんな高額なものでも、数多の貴族がお金を集めれば」
「不死鳥の系譜の涙と、種なしで増える木の若い根っこ」
かーちゃんの言葉に、ダニエルどころか皆舌が動かなくなった。
「それさえ集めれば、後の材料は簡単に手に入るよ。この二つがどうしても見つからなくて、私はあれを棄てられなかったんだからね」