2 ねーちゃんそれ窃盗だから
朝起きた時から、嫌な予感はしていた。というかねーちゃんが単純に一晩休ませてほしいだけで済むなんて、思っていなかったんだから。
でも、これはない。
いつまでたっても起きてこないねーちゃんと、その旦那? を起こしてこいと言われたあたしは、客間の中の光景に頭を抱えたくなった。
そこでねーちゃんとその旦那? がいちゃついていたなら怒鳴ればいいけども、そうじゃなかったんだから。
男性は寝台に座り込んでいた。
でもねーちゃんはいない。ねーちゃんどこいった? 客間は二階にあって、一階の居間を通らなければ外に出られない。ねーちゃんが出てきたならどこかですれ違ったはずなのに、それはなかった。
本当にねーちゃんどこ行った?
「ねえ、あなた」
あたしは男性に呼び掛けた。男性はうつむいたままだったけれども、耳くらい聞えているだろう。
「ねーちゃん知らない?」
「……」
この沈黙は何か知っているな、と察しの悪いあたしだって勘づく。改めて問いかけた。
「答えてくれないと、あなたもすぐにここから追い出さなきゃいけなくなるんだけど。ねえ聞いていい、ねーちゃんどこ行った?」
「君の姉は……」
男性があたしの方を見た。透き通るような赤色の瞳をしている。赤色の瞳なんて珍しくって、焔の力を宿していなければ出てこない。下町でこんなにも純度の高い赤色の瞳の人は、一回も見た事が無い。
その目が少し揺れて、心底苦しそうにこう言ってきた。
「起きたらいなかった」
それだけじゃないな、と思ったら、ねーちゃんはとんでもない事をしていた。非常に言いにくそうに彼は言った。
「私が持っていた持参金と、換金できる宝石類も、全部持って行ったらしいんだ」
ねーちゃんさっそくやらかしてる、それって窃盗だから。婿でも嫁でも、持参金は本人の所有物だから。宝石とか確実に窃盗だから。なにしてんだよねーちゃん!
「そ、それは……あなたに大変……申し訳ない事を……」
これって結構な問題だ、つまりこの男性をねーちゃんが我が家に押し付けたという事なのだ。
かーちゃんは、ねーちゃんがそんなことをしたと聞けば、まず間違いなくこの男性に申し訳ないと思う。
そしてお詫びとして、出て行く場所が見つかるまで、家に滞在していいと言うに違いないのだ。
つまりねーちゃんは、常識的で責任感のあるかーちゃんの性格を利用したって事になる。ふざけるな。
お前の尻ぬぐいのためになんでかーちゃんが、苦労しなきゃならないのだ。
あたしは心の中で三回くらいねーちゃんの頭をひっぱたきながら、彼に言った。
「とりあえず、朝ごはんが出来ているから、下に降りてくれませんか」
「……食事は部屋に運ぶ物なんじゃないのか?」
「……」
きょとんとした顔の男性は、相当なお金持ちの家の男性だったようだ。伝え聞くところによれば、お貴族様は部屋にわざわざ食事を持ってこさせるそうだから。
この人ここに置いていくのは大変だな、色々……と思いながらも、あたしは穏便に伝えた。
「普通は部屋に持ってこさせたりしないの。だって持ってくる人いないもの」
彼はしばし考えたらしい。でも、うちのぼろっちさとかをよくよく見て察したようだ。
「わかった、ありがとう、ご馳走になります」
育ちはいいらしい、とあたしはちょっとだけ彼の評価をあげることにした。礼儀を知らないわけじゃなさそうって辺りでだ。
そして一階に降りていけば、かーちゃんが何もかも分かったという顔でこっちを見ていた。
「あんたはこの家に置いて行かれたんだね」
顔を見るや否やの言葉、かーちゃん言ってること厳しいよ!
しかし男性は図星だと思ったようだ。何も言えない。
あたしは残念な事実をかーちゃんに教えた。
「ねーちゃん、この人の持参金と換金できる宝石類を皆持っていった」
この言葉で、かーちゃんが色々下品な言葉を口にした。かーちゃんは下町の中の下町で育って、さらに親戚がやばい組織だった事もあり、ちょっと口が悪くなる時は、いい子の耳には入れたくない言葉を発するのだ。
散々罵って落ち着いたらしい。かーちゃんは男の人を見る。
「つまり、あんたを押し付けられたってわけだね。まったく」
「それはあなた方に申し訳ないから、今日中にここを出て行こうと思っている」
男の人はまともな感性の持ち主だったようだ。
そんな男の人を、かーちゃんはじっと見定めるような視線で見ている。値踏みしているといっても過言じゃないだろう。
この男の人に、かーちゃんが何か利益になるものを見出すとは思えないんだけど、どうだろう。
取りあえず、今日の朝ごはんであるふかしたジャガイモを大皿に入れながら、かーちゃんの次の言葉を待っていたあたしは、意外な言葉を聞く事になった。
「あんた、少しは数字ができるかい」
「上級数学までできるが、それが?」
「ちょうどいいんだ、あたしの知り合いの知り合いが、数字の出来る男を探していてね。ちょうどこの前の抗争で数人ケガで使えなくなってね、仕事できるやつを探してるんだ、あんたそこで働きな」
「……そういった仕事をした事が無いんだが」
「誰だって最初は初心者さ、段々慣れていくわけだ。うちにあんたの働くものはないし、あんたに手伝ってもらう事もない。持参金がないって事はあんたを食べさせるためのお金をだれが払うんだい、いないだろう、だったら自分で稼いで手に入れるしかないんだよ」
かーちゃんは厳しいような、でも現実の話をする。それは痛感していたんだろう。男の人が頷いた後に、問いかけてきた。
「そこはどういう風に行く場所なんだ?」
「この家の裏口側から伸びる道をずっと行けばいい。ほら、これを持って話をしに行けば、あたしの紹介だってのは伝わるだろうよ」
かーちゃんのポケットから出てくる紹介状。いつ書いたんだろう。
こうなるのも予測したのか、かーちゃん。
ただ、仕事先がこの家の裏口側、ときいてあたしは止めた方がいいかな、と思った。
だってかーちゃんの言う仕事先っていうのは、かーちゃんの親戚の家の事だからだ。詳しく知らないけどやばい組織。
なんだか世間から浮いていそうなこの男の人に、いきなりそんな所勤め先に紹介してどうするんだ……と思ったのもつかの間。
「では、今から行きます」
彼は立ち上がり、そのまま出て行こうとしたのだ。
そこでかーちゃんが呼び止める。
「お待ち」
「はい?」
「朝ごはんを食べていないだろう。食べてから家を出な」
かーちゃんの優しい言葉に、彼は目を大きくして……頭を下げた。
「ありがとう、じゃあ、いただきます」
意外な事に、ジャガイモだけの朝ごはんも、彼は文句ひとつ言わないで食べて出て行った。