10 ねーちゃんっぽい人また何かしたらしいんだけど
そんな風に毎日が平穏に過ぎて数週間。ルー・ウルフはすっかり今の環境に慣れたらしくて、毎日が楽しそうだ。
どうも仕事先で結構可愛がられているらしい。
まあ、あれだけ気のいい奴だし、仕事に関する能力は高そうな男だから、母ちゃんの親戚たちも可愛がるかもしれない。
あたしは毎日店番だったり買い物だったり洗濯だったりと、日々の仕事をこなしていくだけの日々だ。
最近変わった事と言えば、ルー・ウルフが毎日かーちゃんに渡している家賃のおかげで、少しばかり食生活がよくなったというところだろうか。
だって、我が家で一番安いベイコンが食べられるのだ。
うちはそう言った肉を仕入れる事が出来なくて、毎日ジャガイモと安い野菜と言うメニューだったため、このベイコンはとてもうれしいし美味しい。
かーちゃんも食事がよくなった事に機嫌がいいし、ルー・ウルフもあつあつのシチュウが食べられる事がうれしいみたいだし、作っているあたしは何よりと思う限りだ。
たまには香辛料だって買えるんだから。これって超がつく高級品だから、あたしたちみたいな貧乏人には手が届かない物で。お祭りのときや一年で一番大事な行事の時にふるまわれるものしか口にできなかった。
胡椒の入ったジャガイモの焼いたのが、もう、おいしくておいしくって。
「やっぱり多少は香辛料があるほうが、物はおいしく食べられるね」
かーちゃんもしみじみと言ったほどであるから、どれだけ食べ物が変わったか理解できるだろう。
今日もあたしは店番をしていて、でも、最近はちょっとだけ周りに対する警戒心が強くなった。
「やっぱり感じるかい」
店の売れ行きを見にきたかーちゃんが、周りに聞えない声で問いかけて来る。あたしは黙ってうなずいた。
そう、妙な視線を感じるようになったのだ。それも何処かから隠れて見ているような、視線を。
最初はルー・ウルフの監視の誰かかと思った。ルー・ウルフは最初数日は、監視がついていたのだ。てっきりそれが継続しているのだと思ったんだけど、それならここじゃなくて彼の仕事場の方に向かうはずで、このおんぼろな家を見るわけがない。
そしてその視線は、あたしをねちっこく見ているわけだ。
何かあるといくらなんでも気付く。
そのためあたしは、その視線に気づかないようにいつも通りのことをする。
洗濯ものの時間をずらすとか、そう言う事はしない。
多分、なのだが。その視線の相手は、あたしの毎日の仕事を見張っている。毎日何時くらいに何をするのかを、見ている、そんな気がしたのだ。
だったらこっちだって、毎日飽きるような繰り返しを見せて、いざという時追いかけられない道を確保する方がいいと思ったのだ。
かーちゃんはあたしの方を見ないで、薬の確認をしながら小さな声で言う。
「やっぱりあんたを見ているね」
「あたしに何の用事なんだろう」
「そこまではわからないね、でもあんただけをじっと見ているよ、不気味ったらありゃしない」
薬を並べ直したかーちゃんが、いつもの調子で家の中に入っていく。
「危なくなったら大声をあげるんだよ」
「わかってるよそんな事」
「だといいんだけれどね」
何が言いたいのか、かーちゃんは家の中に入っていく。また視線がこっちに、刺さるほど向かってくる。
目的が何なのか、あたしはいまだにつかめないでいた。
夕方になると、ルー・ウルフが帰ってくる。それを見計らったように、夜の蝶たちが庇に来るから、一気に忙しくなるのがこの頃の感じだ。
「やっぱりいい男だわ!」
ひょろすけなルー・ウルフみたいな体形が好みだと言うお姉さんが言う。がっちりと手を握って。本人は困った顔で彼女を見ていて、対処法が分からないのだろう。
振り払うのもひどいと思っているのかもしれない。
「話は聞いてくれるし、蔑まないし、見下さないし!」
練香を選んでいたお姉さんが、一つを渡してきて、お会計しながら言う。
「困った時にどこを頼ると一番効率的なのかも、教えてくれるし!」
そう言ったのは、お客さんの付きまといに困っていたお姉さんだ。彼女はこの前、ルー・ウルフが助言した通りに、お店のいかついお兄さんに事情を離し、付きまといをしていた男を追い払えたそうなのだ。
その時の会話がこれである。
「お客さんの一人が、本当に恋しちゃったみたいで、家の近くまでついてきているみたいなの」
「それだったら、お店の……強い男性に一度相談した方がいいんじゃないだろうか。お店と信頼関係が築けていたら、誰か若い男を貸してくれるんじゃないだろうか」
「でも、その分お金がかかっちゃわないかしら」
「その付きまといがいかに不気味か言えば、店員の安全のために動くと思う。あなたの店はここだろう? この前仕事先で、ここは店員の身の安全を優先して、金持ちの客を一人袋叩き一歩手前にしたという」
「本当? じゃあ相談してみようかしら……あなた何処に勤めているの?」
「この通りの裏を一本いった所で、計算をしているんだ」
「そこの情報ならあてになりそうだわ、ありがとう!」
と言う会話だ。これの後本当に助けてもらえたそうだから、お姉さんの信用は上がっている。
付きまといの気持ち悪さが無くなって、他のお客さんへの接客が良くなって、彼女の給金は上がったそうだから、ルー・ウルフに感謝しても当たり前だろう。
そんな風に仕事への活力を新たに、彼女たちがいろんなものを買い求めて去っていく。それを見送ったらあたしたちは夕飯の用意をするんだけど……
「ヴィ、今日こんなものがおいしいと聞いてもらったんだ」
元王子様が笑って袋を差し出してくる。そこに入っているのは、揚げたてのじゃがいもの揚げたのだ。どうしてこれをもらったんだろう、と顔を見れば彼が笑って答える。
「今日、仕事の途中でおやつだと言って、買い出しから戻ってきた先輩が皆の分を買ってくれていたんだ、でも一口食べて、あんまりおいしいから、君やヴィザンチーヌさんにも食べさせたくて、店を聞いたら、余ってるからあげてやれって言って」
確かに揚げ物をうちでは行えない。だって割とたくさんの油と薪をつかうから。揚げ物は揚げ物の店で買うしかないんだ、一般庶民は。
そして薪は薬を作るためにけちる我が家で揚げ芋は作られない。
美味しいから食べさせたいと思った、そんな言葉がうれしくて笑ってしまう。
「ありがとう、今日はこれとじゃがいもの茹でたのになるよ、じゃがいもだらけだけど」
「毎日のご飯は豪勢じゃなくていいんだと、最近思うようになったんだ」
「ふうん。どうしてまた? 結構お金持ちの家で育ってたのに」
「だって、毎日豪華な物だったら、本当においしい物のありがたみが分からないだろう? 私はここへ来て、それがどれだけおいしいものなのか知ったんだ」
だから、毎日のご飯は普通でいい、時々うんとおいしい物を食べれれば、と歌うように言った元王子様と一緒に家の中に入ると、強烈な薬草の匂いで一回扉の前まで下がってしまった。
「これはまた……ヴィザンチーヌさんはどの薬を作っているのだろう」
「かーちゃん、この家の周りの家がかーちゃんに優しくて本当に良かったと思う……これ心の狭い人間の近くだったら怒鳴り込まれてる」
「ああ、あんたも帰ってきてたんだね。ヴィ、ごはんの支度をしておくれ、私は少しばかりこの薬から目が離せない、何と言っても一瞬で出来が変わっちまうからね」
鍋を睨みながら言うかーちゃん。あたしはそれを聞きながら、かまどの傍に置いていた水の入った鍋にじゃがいもを入れ、かまどの中に突っ込んだ。後は時間をかけていればじゃがいもと、キャベツのシチュウが出来上がる。
「何か面白い話題はあったかい二人とも」
「あたしはなかったな、まだねーちゃんの噂が街中で言われているみたいだけど」
「あの馬鹿の事噂だからね、面白い物に飢えている奴らは話すに決まっている。しばらく無視していれば下火になるだろうさ。それでルー・ウルフはどうだい」
「面白いかはわからないんだが、最近貴族の買い物の傾向が変わったらしいんだ。贅を凝らした女性ものの装身具や衣装に、一層お金がかかるようになったという話と、どこかの貴族が天から下りてきた美女を屋敷に迎え入れたという話を聞いた」
「そうかい、天から、ねえ……どうせ詐欺に似たものだろうよ、あんたの仕事場が介入する事じゃなさそうだね、でもへんなのに引っかからないように気をつけな」
「それと……色々な貴族男性が、一人の女性を巡って争っているという話を聞いた、この女性は何でも城で使用人として働いていて、その美貌から貴族男性がたちまちとりこになるらしい」
あたしは嫌な予感がした。なんだかその情景に聞き覚えがあったせいだ。
ねーちゃんに似てないか、その女性の立場……
「あの子に似ている状態だね、何か他に聞いていないかい」
「仕事場はそこまで情報を重く見ていないらしく、また何かあったら仕入れ先から情報をもらうと言っていた。私も実は、彼女との共通点を感じている」
難しい顔をしたルー・ウルフだけど、彼は捨てられた身の上だ、そこまで心配する意味がないと判断できる。
話している間に出来上がったシチュウを取り分けて、あたしたちはふうふう息をかけながら食べた。
もしも、ねーちゃんがその使用人だった場合、顔を覚えている学生貴族がいるんじゃないだろうか。
その誰かも夢中にさせて、口封じしてるんだろうかねーちゃん。
こっちにとばっちりが来ないといいなあ……と思っていたあたしは数日後。
「なんで縛られなくちゃいけないんだ」
ちょっと薪を拾うために家を出て数分後に、縄でがんじがらめに縛られて、知らない家に運び込まれた。