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初めまして、さようなら

作者: やまたけのもっさん

初めまして、そして、さようなら。


突然の事で申し訳有りませんが、大変残念な事に僕はゆっくりと語らう時間もなく死んでしまうようです。

まあ、齢八十――いや、九十だった気もしますが、どちらにせよ――長く生きたので、僕自身にとっては突然というわけでもないのですけれど。


足腰は弱るし、甘い物は血糖値が、辛い物は血圧がと言われるのも面倒だし、老眼で読書もし辛い生活とも、とうとうお別れというわけです。

死を目前にした僕の周りには子供だけではなくて、孫だっていますし、なかなかに充実した人生の終幕というところでしょうか。


んん? 心残りは無いですかって?


清潔で柔らかな衣服と寝具に包まれ、子供や孫達に囲まれて迎える最期だなんて理想的ではありませんか。何を不満に思えと仰るのですか?


そりゃあ、出来れば今まで読み続けていたシリーズ小説の完結まで。欲を言えば、孫が結婚して、叶うならひ孫が生まれるまでは頑張って生きていたかったのですけれど……え、違う?


遺書なら、つい先日書きましたとも。法的に認められるように何度も確認しました。

幸い、僕は家族に財産を残せるだけの才格がありましたので、子供だけでなく孫にも平等に行き渡る様に手配してあります。彼らの性質からして、多少差が出ても争うことはまず無いと信じてはいますが、何にせよ不安を残すようなことはありません。


可愛い可愛い子供と孫達ですからね。

誰よりも幸せになって欲しいんですよ。


だって、僕自身はきっと誰よりも幸せでした。


何故か、お聞きになりたいですか?

え? そんなことはない? またまた、ご冗談を!

遠慮なさらなくても、お話し致しますよ。誰よりも幸せだった僕の人生を。


僕は大層裕福な家に生まれました。

十数代掛けて栄えた名門の跡取りとして生まれた僕には、幸せな未来が待っていました。


……それは、まあ、家が没落するまでの話なのですけれど。

ええ、十数代掛けて築いた財産を、たった一代で喰い尽した両親には怒りを通り越して感動しましたよ。


まあ、おかしいとは思っていたんです。


使用人が一人ずつ屋敷から消えて、テーブル一杯に並べられていた料理が日毎減って、服は絹から麻へ変わって、家具が部屋から無くなっていったのですからね。


片っ端から物を売って食い繋ごうとしたのは分かりますが、限度ってものがありますよ。

先祖代々受け継いで来た自慢の屋敷まで売られた日には、流石に泣いてしまいました。


で、そうすると、僕達家族は生活が出来なくなりました。当然ですね、手元にお金も売る物も無いのですから。

じゃあ、どうしようかという煩悶の末に、両親は僕を成金……じゃない。心優しい裕福な家庭に売り……もとい、養子に出すことに決めたのです。


以降、両親とは連絡が取れませんでした。

取る気にもなりませんでしたけれど。


特に芸のある方達ではなかったので、恐らくは僕の逝く先とは別の、煉獄だか炎獄だかははっきりと分かりませんが、住み心地の悪いところに居ることでしょう。僕の逝く先はきっと住み心地の良い素晴らしい場所でしょうから。会う予定は今生以降も御座いません。

 

さて、話を戻しまして。

そんなこんなで僕は違う家の跡取りになってしまったわけです。


自分で言うのも何ですが、教養豊かで見目麗しい僕は理想の跡取りと言っても過言ではありません。


それだけでも十分な価値があるのですが、それ以上の箔を付けたいとおっさんお父様は仰ったので、僕の意見はどうあれ、学院なるものに入って学院を出た。更に付け加えると、出来る限り優秀な結果を出すという目標が問答無用で出来ました。


文武両道で有名だと言いますが、正直、右耳から左耳を通り抜ける価値も無い情報でした。

何故かって? 


噂で聞く所によると、金さえ払えば入学と卒業がセット販売だと聞いておりましたからね。

そんなにお得で素敵なところに通うのだと思うと、僕は動悸。もとい、ときめきが止まりませんでした。


で、肝心の学院の話です。


入学と卒業はセットですが、成績はセットの対象外で、成績次第では今後の進退に大きく影響を及ぼします。

学院を出るのは最低限の話ですので、どうしようもない者がたくさん。

将来的に、国の中心となるだろう優秀な者はそれなりに。


貴族やそれに近しい者達が面識を得る側面も併せ持つ、学院と言えば真っ先に名が挙がるところが僕の母校です。


前後左右、どいつもこいつも趣味と頭の悪そうな……いえいえ? 尊い身分のご子息ばかり。

それも、皆さん、幼き頃より学院にいらっしゃるので、僕はいわゆる新参者のレッテルを貼られる事になってしまったのです。


加えて、あまりにも僕が美し過ぎた為、文字通りに目をつけられてしまったのは、最早、自然の摂理としか言いようがないでしょう。


校舎裏の薄暗闇。


なんてベタな事を考えたものだと、僕は感激のあまりに吐き気がしたのを覚えています。

実際、気に入らないという単語やそれに類する言葉をご存じない先輩方の過剰なスキンシップで消化しかけの朝食を吐いてしまったのは、あらゆる意味で人生の汚点です。


弱い犬はよく吠えると言いますが、吠えるだけでなく噛みつくとは、躾のなっていない駄犬もとい餓鬼です。

手は汚したくありませんでしたけど、屋敷内外でお父様とお母様の親戚達に頼みもしないのに鍛えられていたのが幸いしました。


適度に躾を施し、この世の序列を無料で教授して差し上げると、先輩方は学習され、大人しくお帰りになりました。

と言っても、僕も無傷では済みませんでした。


一対一ならば負ける可能性は万に一つ。

いえ、億に一つも無いところでしたが、多勢に無勢の卑怯で卑小な連中でしたので。


制服は破かれるし、腕に噛みつかれるし、あいつら本当に躾がなっていませんでしたよ。

その日は、授業も終わっておりましたし、先生方に見咎められては面倒です。

僕はどうにか服を調達しようとしました。


そんな時に、僕は出会いました。



「やあ、奇抜な格好をしているね。最近は、そういう服が流行っているのかい?」



とんでもない馬鹿と。



普通に考えれば分かるはずなのですが、ちょっと……いや、大分可哀想な子なのだと同情せざるを得ませんでした。


どう見たって、その時の僕は暴漢に襲われた直後の麗人にしか見えなかったでしょうから、大丈夫かと心配されるのが当然なのです。

それを、まるで僕が好き好んで、こんなファッションセンス0の惨めな格好をしているみたいに!


やんわりと、しかしながら、君は頭が大丈夫でしょうか? という意味合いの事を――細かくは覚えていませんが――懇切丁寧に伝えて差し上げると、



「ごめん、早くて聞き取れなかったよ。申し訳ないんだけど、もう一度最初から言ってくれないかな?」



可哀想に。どうやら、耳も悪かったみたいです。


正直な所、服装が乱れた……いえ、乱されたのですけれど。

そんな恰好で人目に触れるのは、大変な恥辱です。


成金裕福な家や貴族の跡取りばかりの学校なのですから、それぐらいは理解出来て当然と思いましたが、腹が立っていた……のではなく、海より深い慈悲の心を持つ僕は、乱れた服装のままで、彼に何度となく同じ事を話して差し上げました。


その翌日の事でした。

何とか僕の有難い言葉を空洞に近い頭に詰めた彼は、僕に制服の上着を寄越して帰ってしまいました。


が、昨日の苦労を思えば、この上着一枚でチャラになるわけがないのです。

もう一度、彼に会うという選択をするのは断腸の思いでしたが、彼には僕に恩返しをするという義務があるのです。


けれど、物を知らないと見受けましたので、彼を探し出して義務について教えて差し上げるついでに、上着を返却する事にしました。

 

名前も知らない人を、どうやって探したか?

簡単な事ですよ。


僕に手を出した可愛いおつむをお持ちの先輩方に、外見的な特徴と頭の出来が残念な事などなど。

僕が知り得た情報を伝えれば、すぐに見つけて下さいました。


頭の出来は良くないようでしたが、とっても使い勝手が良……いえいえ? 

後輩思いで優しい先輩達で助かりました。


下手に人目につかない所に行くと、あらぬ疑いを掛けてしまいそうでしたから、僕の教室にご足労頂いたのですが、



「おはよう。風邪とかは引いていない? 心配していたんだ」



彼の頭の中の方が心配すべきだと思いました。

 

頭の悪い連中と同列にされるのが嫌だったので、先輩方には早々にハウスして頂きましたけれど、それでも、この緊張感の無さ。

呆れるしかありませんでしたが、それでも、僕は差別などせずに接してあげられる柔軟な思考を持っていましたから、きちんと挨拶を返しましたよ。


……聞く人によっては、挨拶ではなく喧嘩を売っていると思われたかもしれませんが。


まあ、そのような再会を果たした所で徒労感しか得られなかったので、貴重な自分の時間を節約する為に、手早く上着を返却して差し上げました。


すると、彼は甚く喜んで、「返してくれるとは思わなかったよ」と、誤魔化しようもなく喧嘩を売って下さいました。


僕は乞食ではありませんし、盗人でもありません。

それなりの家で生まれ育った人間が、そのように卑しい真似をするわけがない。

という旨の抗議を申し立てますと、



「ここでは、すぐに買い替えられるっていう人が多いから。貸したつもりでも、貰ったと勘違いされちゃう事があるんだよ」



ここが窃盗犯の温床だという事を教えて下さいました。


流石は近隣の批評酷評を総なめするだけの事はあります。馬鹿ばかりだ。

呆れて物も言えずにいると、彼は笑顔で言いました。



「君とは仲良くなれそうだ」



こんな戯けと仲良くするつもりは欠片も御座いません。

そもそも、どういう思考をしていれば今の会話で、その結論を出せたのかが理解不能でした。


加えて、僕は昨日のお礼をしたかったわけでも、彼と仲良くしたかったわけでもなかった事は、柄が悪いですが後輩思いの頭の中身だけは可愛らしい先輩方に囲まれた時点で気付いて欲しいものです。

しかしながら、否定してみた所で馬耳東風。彼は勝手に僕の友達を名乗り始めてしまったのでした。


それから暫くして、彼は僕たちの住む国の頂点。

王族に縁のある一族の出であるという事実が発覚しました。


動揺しましたし、疑いもしました。

入念に調べて確証を持てた時には、立ち眩みを起こしてしまう程の衝撃的な話でした。


そんなことは一度も話題にならず、彼は僕がその事実を知るまで出自を語ることもありませんでした。

そのような高貴な家柄であるというのに、庶民のように物を勿体無いと大事に使うし、使用人に任せれば済むような些事であっても自分に出来ることはしようとするなど、常識外れな言動ばかり。


はっきり言って、そのような身分であるとは思えなかったですし、その事実を知らなければすぐに縁を切ってしまっていたかもしれません。


話が合わないし、性格も合わない。価値観だって違う僕と彼。


しかしながら、彼は僕ほどではないにせよ、勉強は人一倍出来ましたし、運動も苦手ではありませんし、顔も絶世の美男子というほどではありませんでしたが、僕を輝かせる為の引き立て役としては十分な容姿でした。


朗らかで素直。

身分に関係なく誰に対しても親切な彼は、何処に居ようとも目立ちますし、周りの皆に好かれました。


無論、僕の美貌の方が目立ちますし、誰からも好かれたのは言うまでも御座いません。

対話において齟齬が生じる事と小姑のように物を大事にした方が良い云々と(以下略)を除けば、彼はとても良い引き立て役でした。

 

彼と共にいれば人脈も広がりましたし、彼は僕に対して好意的に接してきましたから、彼と居て不快になる事はありませんでした。


しかしながら、彼の周りに居る人間の大半。正確には彼の出自を知って近付いて来る者達は不快としか言いようがありません。

彼を何らかの形で利用出来ないかと画策する輩は、塵のように纏わりついてきました。


彼を利用する権利があるのは僕だけであるというのに、何とも面の皮が厚い方々です。


とにもかくにも、目障りなのでそういう輩が彼に近付けないように気を配りました。

彼の為ではありません。あくまでも、僕の為に、です。


彼自身は、まあ、良い人間……と思っても差支えない気がしなくもない人物でしたし、彼の友人――一部の、ですが――は気持ちの良い者達ばかりでした。


そんな級友達に囲まれ、彼に振り回されるのは、楽しかった。

こればかりは偽りようがありません。当時は気恥ずかしさもあって認め辛かったのですけれど、今は楽しかったのだと断言出来ます。


学校に入る前までは、もっとドロドロとした、ある意味それらしいと言えば、らしい生活を覚悟していたのに、拍子抜けするような平和な生活。


ぬるま湯に浸かる様な学校生活は穏やかに過ぎ、卒業まで数か月までは同じような事しかなかったので、その辺りは割愛させて頂きますね。


そんなこんなで、入学当初の僕が原石だとすれば、その頃の僕は光り輝く宝石でした。


先生方からの信頼は厚く、勉学等においては彼と僕のどちらかが首位を取るのが常。

友人も多く出来ましたし、家の仕事も殆ど僕一人でこなすように求められ、それに応えられるだけの力を得ました。


輝かしい日々。

恐らくは、これが僕の中での黄金期と言っても良いように思います。


しかしながら、学院は入ったからには出ていく事が必要です。


入学以降、余程調子が悪い場合を除いて満点のみを取り続けた僕が留年するなどという事は、鶏が大空を飛び回るようになるくらいに不可能でした。


彼はどうしたかって?

勿論、彼も卒業を目前にして、跡を継ぐか大学院に入るかを悩んでおりました。


数年、側近くにいたので彼の事情は承知していました。大学院に入る事は難しくはないのですが、早めに世に出ておいた方が有利に働く事も少なくありません。

彼自身、世間慣れしていない自覚もあったようです。


彼は悩みに悩んでおりましたので、家を継ぐ事を第一と、考えるまでもなく養父達によって決められていた僕まで、どうにか養父達を黙らせて大学院を将来の枠に組み込んでしまったぐらいです。


出会った当初はいけすかなかったものの、彼は良い人でした。


善良という概念が形を持ったような僕には遠く及びませんが、なかなかに良い人です。

きっと、彼の一族と同じように王族の側で立派に役目を果たし、気に入られるでしょう。


が、そうなれば、僕と言葉を交わすことも今よりうんと減るのは間違いありませんでした。

僕と彼は生きる世界が違ったのです。


元を辿れば没落した家の末裔であり、親に売り飛ばされ金だけはある家の養子になり、地位も権力もない僕と、由緒正しい家に生まれ、彼とよく似た優しい家族の元で何不自由なく育った彼とは、出発点からして天と地ほど違います。


生まれが恵まれているからといって、彼が努力をしていなかったとは決して思いません。


周りの人間は、笑顔を振りまく彼が何の努力もなく生まれ持った能力で良い成績を取るという人間もいましたが、彼は元から出来が良い頭だったわけではありませんでした。

人一倍の成績を残すには、人の何倍も努力しなければならなかったのを、僕だけは知っています。


それでも、僕は卒業を間近にして、不意に彼を狡いと思いました。


彼が人の何倍もの努力をしているというのなら、僕はその倍以上の努力をしました。

気位ばかり高い人間の集まる学院で、養子とばれぬように言葉や作法にも気を使い、将来の為にと寝る間を惜しんで人脈を広げ、教養を深め、没落した後に唯一残った武器である容姿を磨きました。


僕には選べるものが殆どないのに、彼は悩めるほどに選び取れるものがたくさんある。

そうして、彼は僕を置いて違う世界で生きていく。


そのように考えると、何故だか非常に自分が醜く感じて、それを機に僕は彼と距離を置き始めました。

兄弟のように仲が良い。そう評されてきた僕と彼でしたから、周りは不審がり、何があったのかと尋ねてくる者も多くいました。


ですが、僕も彼も答えられません。

明確な理由がない僕も、何も知らず僕から距離を置かれた彼も、他人に口に出来る答えを持っていませんでした。


彼との距離が遠くなり、環境が徐々に変化し、楽しかった日々が思い出に変わっていく。


こうなってくると、日頃、僕に恨みのあった連中が僕を蹴落とそうとしたのも頷けます。

完璧で隙のない僕に仕返しをするならば、この時をおいて他になかったのですから。


そうして暫くすると、連中は学生の本分である勉学は出来ない癖に、驚くべき熱意で僕の素性を調べ上げ、公開しました。


自分達も成金の癖に、ただ僕が養子であるというだけで、自分達の方が格が上と勘違いする輩は悲しいかな、大勢いました。


弱い者は群れます。

そして、群れると人は気が強くなるものです。


卒業間近で、やや自暴自棄な僕は連中に対して対策を敷く気も報復をする気もありませんでした。

頭が弱い連中のする事など、蚊に噛まれる程の痛みも残しませんから。


そうして、僕は孤立しました。


よくよく考えてみれば、僕の周りにいる友人というのは彼を通しての友でしたし、他の連中は利害さえ一致すれば助力もしてくれたでしょうが、この事態は害しか生みません。


僕は一人で黙々と日々を浪費しました。


過ぎる時間は淡々と味気なくも感じましたが、どうせ、人生は生まれる時も死ぬ時も一人。

それに慣れておくには、良い環境でした。


寂しくなかったか、ですか?

そんな事はありませんよ? 


僕は元々一人でしたからね。

生みの親は僕ではなく数枚の金貨を選び、養父達は僕を跡取りという道具としか見ていませんでしたから。


そういう余分な事は考える必要が無かったんです……と言い切ることが出来れば、良かったのですけどね。


彼と共にある時は、そんな事を微塵も考えてもみませんでした。

前言を撤回しましょう。僕は彼と離れて初めて、自分が寂しいと感じているのに気付いてしまったのです。


両親に売られても、誰に愛されなくても、寂しいと思わなかった僕が。


別に喧嘩をしたわけでもなく、彼は何も悪くなくて。

でも、当時の僕は理不尽にも彼のせいだと思っていたのです。


だから、謝る事も出来ず、仲直りをする事もそのきっかけを作る事も出来ずに卒業式を迎えるのを覚悟していました。


卒業式。

ようやく訪れた解放の日。


無味無臭無色無駄な学院生活終了の時、僕は情けないとは思いつつ、彼を探しました。


進路はどうしたのだろうか?

今までは遠ざかっても近付いて来たのに、今はどうして僕に近寄って来ないのだろうか?


疑問符ばかり浮かび上がりましたが、直に会えなくなる人間なのだと諦め、式を終えました。

名残惜しげに別れる級友達の群れを眺めてから、僕は何となく体育館裏へと足を伸ばしていました。


彼と最初に出会った場所を、この学校で最後に見る景色にしたかったのかもしれません。

情緒不安定な過去の自分を殴ってやりたいぐらいの腑抜けぶりですが、そうしなかったならば、現在の僕は無いのでしょう。


何故なら、そこには彼がいました。


奇しくも、あの日、血濡れで立っていた僕の様に、肌蹴た服と笑顔しか見せない彼とは別人かと思しき憤怒の表情で、



「あいつに謝れ!」



善事しか出来ないと。

虫の命すら奪うことが出来ないと思っていた手を、僕の素性を暴き、辱めた連中の血で染めながら、彼は何度となく同じ事を叫んでいました。


後に、僕は聞く事になります。

彼が僕と自分が不仲になった理由として実しやかに流れる噂について弁明し、僕が嫌がるかもしれないと僕に近付くのを意図的に控えていた事。


孤立し始めてからは、被害を最小限に収めようと動いていてくれた事。

そして、僕を貶めた連中の謝罪を得る為に、卒業まで毎日連中を説得し、最終的には堪忍袋の緒を切った事。


それらを聞いて、僕は嬉しかった。

思わず、血濡れた彼の背に取りすがって泣き喚く程に。


お話しは、ここまでです。


本当は、それからの彼と僕のこと。

家族のことなど、お話したいことはまだまだたくさんあるのですけれど、残念なことに僕に残された時間はもう殆どないようなので、キリの良いところで終わりにしておきましょう。


何故、僕が幸せだったか。

あえて、言い表すのも野暮でしょうから、あとは皆さまの想像にお任せします。

 

さてさて、そろそろ、僕の人生は終幕です。


呼吸も辛くなってきましたし……ん? あ、ああ!

忘れていました、忘れていましたよ!


皆さまにお話して思い出しましたが、心残りがありました!

僕、まだ彼にあの時のお礼を言っていません!


慌てても仕方ありませんね。

とにかく、誰か彼を呼んできて下さい。


こら、息子! 泣いてないで、彼を……って、あ、声が出ていない?


メモ、何か書くものは・・・・・・ああ、一番幼い孫がお絵かきがしたいというので、手元にある物をあげてしまったのでした。

こんな事態になるとは想定もせず迂闊でしたが、孫が一生懸命僕の似顔絵を描いてくれたのは、とても嬉しかったし、あの似顔絵を遺影代わりにして欲しいくらいですが・・・・・・困った。非常に困りましたよ。


これじゃあ、彼に貸し一つのままに逝かなければならないじゃないですか!


嫌ですよ。あの世で彼に笑われたら、羞恥のあまり来世は人以外になることを希望しそうです。

何とか口を開こうとした時、思い出の中と変わりない。見慣れた澄んだ瞳が僕を映しました。






「おやおや、もう寝てしまうのかい?」

「当たり前でしょう。馬鹿な事を言う暇があったら、僕を労わりなさい」

「ははは、相変わらず元気だなー」

「元気じゃないですよ。僕、もう死ぬんですからね。分かっているんですか?」

「分かっているよ。こんなに美しい人が世界から消えるなんて、大損害だと思っている」

「……分かっているなら良いですけど。大損害とかではなく………」

「寂しくなるね。だから、なるべく早く側に」

「来なくて結構です。余計な事を考えずに、長生きなさい」

「それは、君に言いたいよ」

「ふん・・・・・・とりあえず、あの時の礼を言い忘れていました」

「あの時って、どの時?」

「該当件数は1つです。思い出しなさい、お馬鹿」

「うん? 頑張るよ」

「じゃあ、ありがとうございました」

「どういたしまして」

「大好きですよ」

「俺の方が大好きだよ」

「……………」

「…………………………」






ことり。

君の手が俺の手から落ちて、君の家族は皆泣いた。


絢爛豪華な屋敷の主は、最後まで意地っ張りで、最後まで綺麗で、最後まで俺の好きな人のままだった。

家族を慰めようと立ち上がると、君の孫娘が俺の手を取った。



「おじいちゃん、おばあちゃんと何かお話していたの?」

「そうだよ。おばあちゃんはとても頑張り屋さんで優しいからね」

「おじいちゃん、おばあちゃんは寝ちゃったの?」

「そうだよ。だから、ゆっくり眠らせておいてあげようね」

「おじいちゃん、今日は一緒に眠ってあげないの?」

「そうだよ。おばあちゃんに、もうちょっと起きてなさいって言われたからね」

「おじいちゃん、おばあちゃんに弱いよね」

「そうだよ。一目惚れした時から、ずっとね」



初めまして、さようなら。


そうして、俺は君を愛しています。

また出会った時は、それらを何度も言えるようにと切に願った。

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