出会いは一度きり
私は一度神様に助けてもらったことがある。交通事故に遭った時に奇跡的な生還を果たしただとか、不治の病を患っていた状態から奇跡的な完治をしただとかいうことではない。ただ、困っていた時に救いの手を差し伸べてくれた。神様にその気があったのかは実のところ分からないけれど、結果として私は救われたのだ。
あれは…
キャラメル色のダッフルコートを着込んで無意識に手を軽く体の前で交差する季節。人々は足早に歩き去っていく中、私はただ行くあてもなく街を彷徨う。徘徊癖があるなんて、認知症の老人じゃ無いんだからと思われるかもしれないけれど、私は散歩のつもり。もう2年半以上続けている。
別に信心深い訳ではないのだけれど、神社の長い参道を歩くと何となく落ち着くので、散歩をする日は気がつくと神社に辿り着いている。そして、そこにあるベンチで一休みするのが日課だ。そのあとは気が向いたらお詣りをして帰る。何度も言うけれど私はピチピチの女子高生で、決して徘徊している訳ではない。
ふと隣を見ると、いつのまにか40代後半くらいに見えるオジさんが座っている。何でわざわざ私の隣に座るのだろう。空いてるベンチはいくらでもあるのに。こうして散歩するようになってから気付いたことだけれど公共の場のベンチは、ショッピングモールの買い物に付き合わされて死んだ目をした夫が寄り集まったベンチと違って本当に色々な人が座る。宗教勧誘の人、犬の散歩途中の人、スーツを着た営業途中なのかよく分からない人、恐らく家がない人。
私はこうした人々をぼんやり眺めるのは好きなのだけれど関わりたいとは思えない。どうして思えないのかは上手く説明出来ないけれど、習慣づけて散歩する割にその中に刹那的なものを求めているというのが一番しっくりくる。
「あ、見知らぬオジさんが話しかけてくる。大体ここのベンチにくる人まともな人がいないし、どうしよう。こんなところかね。」
いきなり話しかけられた。40代後半くらいで、日焼けした肌に長めの髪の毛を後ろで束ねている男の人。取り敢えず変に騒いでも周りに人もいないし、交番も社務所も遠い。適当に相手しよう。
「お嬢ちゃんの名前は。」
「高良由香。」
「ほーん。良い名前じゃねぇか。最近の子はやれ きらり やら ありす やら奇抜な名前が多いからな。おいちゃんは素朴な名前の方が好きだ。今まで俺が惚れて来た女はみんな素朴な名前だった。」
「地味な名前で悪かったですね。」
いきなり失礼な人だ。
「俺が惚れた女にはお前も入ってるよ、由香。っとおっかねぇ顔でおいちゃんのこと睨まないでおくれや。お前にプレゼントがある。」
失礼な人だけれど、下の名前で呼び捨てられるのは不思議と不快感を覚えなかった。
「プレゼント?」
「お前、コンタクト使ってるだろ。おいちゃん特製のコンタクトやるよ。」
「怪しい人からのコンタクトなんて受け取れません。だいたいカラコンじゃなくて私がしてるのは度が入ったやつ。」
「おいちゃんが怪しいだって?お前、この3年通いつめてくれたじゃないか。おいちゃんは、ここの神社の祭神様だぞ。しかも、これはおいちゃんの特製。お前の人生を変えることだってできちゃう優れものさ。」
前言撤回。不審者だ。完全な。お巡りさんこっちです。
「おい、こら。頭おかしい人に話しかけられちゃった、逃げよう。って感じで曖昧に微笑んでるんじゃない。」
「明らかに不審なオジさんですよ……」
「だああ。取り敢えず受け取っておくれよ。怪しいおクスリでも武器でもないから持っているだけで捕まるってことはないぜ。」
「そこまで言うなら受け取っておきます…」
「最寄駅のゴミ箱に捨てそうなノリで受け取らないでおくれよ…」
なんて、ブツブツ聞こえた気がするけれど気のせい。
受け取った箱は赤い◯キュビューみたいな箱で案外しっかりした品だ。箱を眺めていると、いきなり目の前のオジさんは
「じゃあ、達者でな。由香。」
と言うなりパチンと音を立てて消えてしまった。
全くあの人は何だったのだろう。目の前から消えたところで、ちょっとあのオジさんの言うところを信じたくなってしまうから私は単純だ。このコンタクトは結局何なのだ。家に帰ったら落ち着いて見てみるか。
家に帰り、改めて渡されたコンタクトを見てみる。
パッと先程見たとおり、大手メーカーのコンタクトの箱をそのまま赤くしたようなデザインで、側面に書かれた度数は確かに私の度数だ。コンタクトの度数がお見通しというのは何だか神がかっている能力に思えるけど、あの人は自称神様だった。2週間タイプが6ヶ月分ある訳だけどこれ、使って大丈夫なのかな、なんて思いながら裏面を見ると
『あなたが間違ったことをしそうになったら、視界が赤くなります。』
と書いてある。
どういうことだろう。最近ディスカウントショップのカラコンで失明の恐れなんていうニュースもあったし、見知らぬカラコンは怖いと思いつつも、あのオジさんが気になるのも事実。取り敢えず一度怖いもの見たさで着けてみることにした。
着けてみるといつもしているコンタクトと同じく着けているかどうか鏡を見て確かめるような使用感。まるで視力が回復したかのような視界。コンタクト使い始めたばかりの頃は自分の視界に自信が持てなかった。眼鏡に頼ることに慣れきった目は正しく見えていてもそれが正しいと言い切れなくなってしまっていたのだ。なんて、昔のことを思い出しながらも正しくないことをしようとしているのは、どうやって認識するのだろうと考え込んだ。




