とある冬の日
その日、アリスという名のその少女はとても退屈でした。
ここ連日降り続いている雪のせいでアリスの通っている学校が今日で三日も続いて休校になってしまっているのです。
「そうだ!『店』に行こう!」
ニュースの画面の下のほうで流れている文字を見てもう一度、今日も休校だということを確認すると、アリスは座っていた安楽椅子から立ち上がって言いました。
「何を言っているの、アリス。今日はフリーウェイが閉鎖だからモールには連れて行ってあげられないわ」
隣で一緒にテレビを見ていたお姉さんが言いました。
ニュースではアリスの家からモールへ行く途中のフリーウェイ(高速道路のことです。信号が無い(フリー)からこう呼ばれます)が大規模な事故のせいで閉鎖されていることを報じていました。
「わかってるわよ、姉さん」
アリスは笑いながらリビングを出て、自分の部屋へ行きました。
アリスは部屋に入るとクローゼットの扉を開きました。
「ああ、忘れてた」
そして、ドアを閉めると、ベッドに近づき、サイドテーブルの上から金色の鍵をとりました。
「これがなくちゃ開かないんだったわ」
再びクローゼットの扉を開けて、アリスは中へと入りました。アリスが服と服の間にもぐりこむと、そこには真っ白な扉がありました。
アリスはその扉に鍵を差し込みました。
アリスはそうっと扉を開き、中をうかがいました。扉の向こうは薄暗い廊下でした。左右を見ると、どちらも端が見えないほど長い廊下でした。
「おや、アリスさん。いらっしゃい。今日はそんなに暇なんですか?」
「あたり。学校が雪で休みになってしまったの」
アリスがふり向くと、そこには大きな帽子をかぶった人が立っていました。顔の上半分が陰になって隠れてしまうくらい大きなつばのシルクハットをかぶっていて、首から時計を提げていました。まるで『不思議の国のアリス』に出てくる『帽子屋』のような格好です。
「……」
にっこり。アリスとその大きな帽子をかぶった人物は笑ったまま互いの顔を見ていました。
「…………」
にこにこにっこり。
二人はまだ向き合っています。互いに何も話しません。
にこにこにこにこにこにこ……。
ついにアリスが口を開きました。
「えっと、あなたは誰?」
相手の顔で唯一表情を確認できる口が笑みの形のまま引きつりました。
「一度お会いしたことがあるのですが……」
帽子をかぶった人が言いました。
アリスは一生懸命に記憶を探りました。そして、すぐに思い当たりました。
「ああ、あのお茶のときに居た帽子屋ね?」
アリスが初めてこの『世界の果ての店』というところに来たとき、三時のお茶をした席に居た人でした。
「そうです。でも、私は帽子屋ではありませんよ」
「じゃあ、何?」
アリスは問いました。帽子をかぶった人は右手で自分の首からかけている時計を指しました。
「私は『これ』です。店長には『物語屋』と呼ばれています」
「『これ』って、その時計が?」
「ええ、ローズと同じようなものです」
物語屋は頷きました。
「じゃあ、あなたは時計の精なの?」
ローズというのは幼い白バラの精です。アリスにとてもよく懐いていて、アリスが居ないとさびしくて枯れてしまいそうになるので、アリスは時々彼女のところに遊びに行くのです。
「まあ、そんな可愛らしい名称は抵抗がありますが、そうです。私はこの『店』の物語を全て記憶しているのです」
その言葉にアリスは変な顔をしました。どうやら、物語屋の話していることが半分ほど分からなかったようです。(特に後半部分)
アリスの様子に気付いた物語屋は「例えば」といって、アリスにとって左のほうを指しました。すると廊下の向こうから青い髪の青年が歩いてきていました。彼はアオネコといって、よくアリスの話し相手になってくれるのでした。
「彼が『ここ』に来てからのことなら何でも知っていて、それを物語として人に語ることができるのです」
「へえ」
「ちょ、ちょっと物語屋さん?何を話すつもりですか?」
二人のいる所までやってきたアオネコが慌てたように言いました。
「いえ、ちょっとアオネコ君の初恋の話でもしようかな?と思いまして」
帽子屋の口元はものすごく笑っています。
「え、それはちょっと……」
「え?アオネコの初恋?聞きたいわ」
アリスも恋とかそんな感じのものに引かれるお年頃。ものすごく期待のこもった目で物語屋を見ました。
「はい、喜んでお話しましょう。では、どうぞこちらへ」
物語屋は至極楽しそうに言って、アリスを案内し始めました。アオネコはその場に残され、何かをあきらめたような虚ろな目をして、また歩き始めました。
物語屋がアリスを連れてきたのは少し暗い、本棚が壁一面にある部屋でした。
物語屋はアリスを猫脚の椅子に座らせると、自分はゆり椅子に腰掛け、話し始めました。
「そうですね、あれは何年前の冬のことでしたか……まあ、それは特に知らなくても大丈夫なので省きます。アオネコ君は『店』の大庭園に居たのです――」
その日は雪が積もっていて、アオネコは魔女のツバキに頼まれて小さな雪だるまを五つ作っていました。自分の中庭には雪が降らないので、せめて雪だるまを飾りたいとツバキが言ったからです。アオネコは何故自分でやらないのだろうなどという不満を何とか押し込めて、せっせと雪だるまを造っていました。
そこに、ユキオンナがやってきました。
ユキオンナというのは雪を降らせることのできる女の人で、『店』が冬に雪に覆われるのは彼女が雪を降らせてくれるからです。
彼女は雪の中ごそごそと動いている青い頭を珍しく思い、近づいてきたのでした。
「あのう、何やってるんですか?」
ユキオンナが声をかけると、アオネコは飛び上るように驚いて後ろを振り向きました。
「うわあ!」
「え、あ、ごめんね」
アオネコの驚き具合に帰ってユキオンナのほうが驚いてしまい、彼女はつい謝ってしまいました。アオネコは慌てて、首を振りました。
「いえ、その、こちらこそすみません。人の気配に気づいていなかったものですから……」
「あ、それなら気にしないで。私、この季節は気配がないも同然なの。『店』全体に私の気配があるから」
アオネコの言葉にユキオンナは笑いながら返しました。
アオネコは少し考え込んで、何かに気づいたように手を打ちました。
「あ、もしかして……あなた、ユキオンナさんじゃないですか?」
アオネコは彼女のことは知っていましたが、この時はじめて顔を合わせたので、彼女がだれかということには気づいていなかったのです。
ユキオンナは頷いて、にっこりと笑いました。
「あなたは、アオネコくんだよね?」
その時、初めてアオネコはユキオンナの顔をじっくりと見ました。
ユキオンナは全体的に青白いです。(病的なわけではなく、むしろ頬などは桃色で、健康的でした)髪の毛や着ている物の色が青白く、瞳の色は青色がかった灰色で、氷を連想させる色合いなのです。しかし、その容姿に少し残る幼さがどこか温かみを感じさせています。
アオネコはじいっと雪女の顔を凝視しました。
それはもう、ユキオンナが居心地悪そうに身じろぎしてしまうほどに。
「あの、アオネコくん?私の顔に何か変なものでも?」
アオネコは、はっとしたように目をそらすと、顔に血液が集まってくるのを感じながら、作った雪だるまに視線を落としました。
「い、いえ、何でもないんです。ほんとに何でもありません。ええ、ありませんとも」
ユキオンナは「そ、そっか」と言って苦笑をしました。
二人の間にとてつもなく気まずい空気が流れて行きました。
お互いに何も話さず、相手と目があってはへらり、と笑いあって目をそらします。
アオネコはひたすら雪だるまを作り続け、ユキオンナはその様子をぼうっと見ていました。
そんな時間がいくらか過ぎたころ、二人(特にアオネコ)にとっての救世主が現れたのです。
アオネコの帰りが遅いことを不思議に思ったツバキが様子を見に来たのでした。
「アオネコ、あんた何をやっているんだい?」
そう言いながらやってきたツバキに、二人はばっ、と一斉に顔を向けました。
「な、なんだい?」
二人の異様にキラキラとした、「ありがとう」オーラ付きの笑顔を向けられて、ツバキはたじろぎました。
二人ともわけのわからないうちに発生してしまった気まずい空気に押し潰されかけていたのでした。
「ユキ、あんたもそろそろ新しく降らせないと。向こうのほうではもう雪がなくなりかけているよ」
「え、うそ。ツバキ、教えてくれてありがとう」
ユキオンナは慌てたように空を見上げて手招きのような動作をしました。すると、それに答えるように空から雪が舞い降りてきました。
その様子を見たツバキは顔を引きつらせました。
「ちょ、ちょいとユキ、そんなに慌ててやったら……」
どさっ。
小さな雪がひらひらと落ちてくるのを口を開けて見ていたアオネコの上に、大きな雪の塊が降ってきました。
当然アオネコは埋まってしまいます。
「ああ!またやっちゃった!」
ユキオンナは慌てたように山となった雪(アオネコ入り)に近寄り、ツバキはほっとしたように息を吐き出しました。
「ごめんなさい。私、慌てると雪の加減がうまくできなくて……このごろは落ち着いてできるようになってきてはいたのだけど、今日は失敗しちゃった」
「いえ、僕は全然大丈夫ですから、気を落とさないでください」
「アオネコくん……」
ユキオンナは無事掘り出したアオネコの前に正座をして、頭を下げていました。
あの、アオネコが埋まってしまった後、ユキオンナは一度雪を止めて雪の山(アオネコ入り)を掘って、アオネコを外に出しました。(因みにその間ツバキは笑いながらその様子を見ていました)
アオネコを掘り出せたところで、ユキオンナは土下座をせんばかりの勢いで謝りだしたのでした。
その横でやっと笑いの収まったらしいツバキが話し始めました。
「昔は普通に降らせても雪の塊が落ちてきてたもんだ。それも、決まって人の上にね」
「狙っているわけじゃないよ!」
どうやらツバキとユキオンナは元からの知り合いであったようです。アオネコはそれを聞きながら、いつもえらそうな魔女のツバキや、金色の瞳の大きな白兎である店長、そしてとても美しい青年の副店長シランも雪に埋まったのだろうかと考え、自分で想像した光景に少し笑ってしまいました。
そんなことをアオネコが考えていると、どうやら二人の話も終わったようで、ツバキはアオネコが作っていた雪だるまのうち、無事な姿のものを選ぶとさっさと帰っていきました。
「ツバキさん帰ってしまいましたね」
「うん。あの人寒いの駄目なんだって」
ぽつり、とアオネコが呟くと、ユキオンナは返事をしました。
「じゃあ、私もそろそろ帰るね。今日は本当にごめんね」
「いえ。本当に気にしてませんよ」
「ありがとう。じゃあね」
ユキオンナは空に向かってゆっくりと二、三回ほど手招きすると、雪が降る中を去ってゆきました。
「僕も帰ろうかな」
アオネコも呟くと、ユキオンナの去っていった方向を何度か振り返りながら、彼女の去っていった反対の方向であり、ツバキの去っていた方向でもある方へ歩いていきました。
「おや、お帰り」
アオネコが建物の中に入るとそこにはツバキが居ました。
「ただいま帰りました」
アオネコがツバキに答えると、ツバキはにやにやと冷やかすように、しかし上品っぽく、笑いました。
「何であんなところで二人でいたんだい?」
「ツバキさんが雪だるまを作ってこいって言ったんじゃないですか」
アオネコが不思議そうにそう言うと、ツバキはそういうことではない、と首を振りました。
「いや、何だか二人とも気まずそうにしていたからねぇ。二人の間に恋でも芽生えてたんじゃないかとね」
「そ、そんなことあるはずが無いでしょう?」
アオネコは一生懸命否定しようとしましたが、声がひっくり返り、顔が真っ赤になっていては、肯定しているも同然でした。
その日から当分の間はアオネコはツバキにからかわれ、雪を見るたびにユキオンナのことを思い出していたのでした。ずっと一人の人が頭から離れないというのは、アオネコにとって初めてのことでした。
つまり、これがアオネコの初恋なのでした。
その年の冬も終わりに近づいたころ、アオネコがツバキの手伝いで中庭の手入れをしていると、ユキオンナが訪ねてきました。
「どうも、元気?」
ユキオンナが中庭に入ってくると、一気に中庭の気温が下がりました。中庭の植物たちが寒さのあまり震えます。
「アタシは元気だけどねぇ、とりあえず外に行こう。ここに居たらアタシの花たちの元気がなくなってしまうよ」
建物の外に出ると、気温がガクっと下がりました。アオネコは少し震えながらも、二度目のユキオンナとの対面に顔が熱くなっていっているのが分かっていました。
「ええっと、ユキオンナさん?どうしたんですか?」
アオネコが口火を切りました。すると、ユキオンナがしゃべり始めました。
「ほら、そろそろ冬も終わりが近づいてきてるでしょ?だから、九ヶ月くらい会えなくなるし、お別れくらい言っておこうかな?っておもったの。あと、この前アオネコくんが私のことを『ユキオンナさん』なんていう風に呼んでたから気になって。だってなんか『ユキオンナ』って冷たそうだし、妖怪みたいだしでいやなの。だから、『ユキ』って呼んでほしいな、って。これ、おみやげね。それじゃ」
アオネコに向かって早口で自分の呼び方についての注文を一息で言うと、ユキオンナは着物の袖から小さめの雪ウサギを二つ取り出して、二人に渡すと足早に去ろうとしました。
アオネコは慌てて引きとめようとして、一瞬言葉を詰まらせたかと思うと、ユキオンナの背に向かって名前を呼びかけました。
「ユキ、さん!」
この辺で性格が出ました。さすがに呼び捨てることはできませんでした。でも、十分に効果はありました。ユキオンナは驚きと喜びの入り混じった表情で振り向きました。
「また、次の冬もお会いしましょうね!」
アオネコが面白いくらいに顔を真っ赤にして言うと、ユキオンナは満面の笑みで答えました。
「うん!次は一緒に雪だるまでも作ろうね」
ユキオンナはそのまま去って行きました。
「やるねぇ。来年の約束をこぎつけるなんてさ」
途中からほぼ無視されていたツバキがぼそり、と言いました。少し面白くなかったので、アオネコで遊んでやろうと思ったのです。
「ツバキさん、からかわないでくさいよ〜」
案の定、アオネコは茹でたえびのように真っ赤になって、情けない声を出しました。
「おや、本当のことじゃないかい?」
「ツバキさん〜」
それから当分の間、アオネコはツバキにからかわれ続けたのでした。
「――まあ、ツバキさんだけじゃなく、私や店長やシランさんもからかい倒しましたけどね。アオネコくんはいまどき珍しい、実に純情な青年だ、ということです」
物語屋が語り終えると、アリスは目をきらきらさせて言いました。
「ねえ、今って冬よね?ってことは、今頃アオネコはそのユキオンナっていう人とデートしているのかしら?」
「どうでしょう?遊んでいるかもしれませんね」
物語屋の微妙な答えに、アリスは首を傾げました。
「遊んでるって、デートとは違うの?さっきの物語は何年か前の話なのでしょう?ならその後にも何度か冬があったのだから、そろそろ恋人同士になっているころじゃない」
「それについては、実際に見てみたほうが早いですね」
物語屋はゆり椅子から立ち上がると部屋の扉まで歩いていきました。
「どこかへ行くの?」
アリスが聞くと、物語屋は手招きをして、部屋から出て行きました。アリスは物語屋の後を追いました。
「ほら、あそこ。アオネコくんの青い頭が見えるでしょう?」
物語屋とアリスは外に居ました。雪が降っていました。
アリスが物語屋の指すほうを見ると、確かにアオネコらしき青い頭が見えます。そして彼の向かい側にもう一人誰かが居るのも見えました。
「あの向かいの人がユキオンナ?」
「そうですよ。では近づいてみましょう」
二人は雪の中で何か作業をしているらしいアオネコとユキオンナに近づいていきました。
近づくにつれ、二人の手元も見えてきました。
「雪だるま?」
アリスは二人の作っているものを見て、怪訝そうな顔をしました。
「本当に雪だるまを作っているの?あの二人。愛を語らう、とかではなくて、雪だるま作り?ロマンスのかけらも無いわ」
アリスがそう言うと、物語屋が苦笑している気配が隣から伝わってきました。
「彼らはまだ、お友達なんですよ」
「え?でも、さっきの話を聞いていたら、両思いに思えたのだけど……」
「アオネコくんは恋には臆病なようです。ユキオンナさんは鈍感で自分の気持ちに気付いていないのですよ」
「……」
アリスは言葉も無く、あきれた顔をしました。
つまり彼らは何年も、冬が来る度に顔をあわせていて、どうも想い合っているようなのに、毎年毎年雪だるまを作っていたということです。
アリスと物語屋が二人を眺めていると、それに気付いたアオネコが手を振り、ユキオンナも気付き、二人で近づいてきました。
その様子はすでに、長年連れ添った夫婦、とまではいきませんが、付き合いの長いカップルそのものでした。
アリスは思いました。
(この二人、これ以上シンテンすることはあるのかしら?)
その晩、アリスは自分のベッドの中で今日聞いた物語を思い起こしていました。
とある冬の日の約束通り、雪だるまを作っていた二人はとても幸せそうでした。
きっと、来年も、再来年も、その次の年も、二人は幸せそうに雪だるまを作っていることでしょう。
作者:清水柳陰