飛竜の爪とキアの愛
太陽が昇り始めた頃、キアが帝国城に帰還した。
その姿を見て、発着場付近で哨戒に当たっていた羽人の戦士スクは悲鳴を上げた。
「キア姉さんっ!」
キアは大けがを負っていた。両腕は無残に引きちぎれ、右脚も無かった。全身は自身の血で濡れていた。
フラフラと頼りなく飛翔し、キアは発着場に着地した。そして、そのままうつぶせに倒れ込んだ。
スクは急いで駆け寄り、キアの体を抱き起こす。
「しっかりっ! キア姉さんっ!」
キアの口には双剣の突き立った、巨大なかぎ爪が咥えられていた。
「この飛竜のかぎ爪の肉を……、テトに……」
飛竜のかぎ爪を離し、荒い息でキアは言った。
「キア姉さん、飛竜と闘ったの!? 何て無茶をっ!」
うつろな目を浮かべ、キアは力なく笑った。
「何とか……指一本奪ってやった……。飛竜の肉を食った者は、……その身に飛竜の力を……宿すと言う……。これで、テトは……きっと助かる……」
スクは、自身の腰にあるポーチに手を伸ばした。中から、幼き兄妹たちが錬成した高回復薬を取り出す。
羽人の身に活力を与え、どんな傷をもふさぐ秘薬。
スクは高回復薬の入った瓶のふたを、肉切歯でかみ砕くと、高回復薬をキアの傷に流しかけた。右腕、左腕、右脚。ちぎれて無くなった四肢に、惜しみなく高回復薬を塗り付ける。
高回復薬の効果はすさまじく、淡く発光しながら、みるみるとその傷を塞いでいった。とめどなく流れる鮮血が止まる。
かと言って、失った手足が戻るわけではない。
見るからに血の気の引いた姉の顔。たったひとつの高回復薬では、命をつなぎ留められない。
「キア姉さん! 気をしっかり持って! すぐに手当てをするっ!」
「……私のことはいい……。もう助からない……。それよりも、テトの元へ連れて行って……。私も、テトも、……時間がない……」
キアの言葉にスクは頷いた。
高回復薬は傷を塞げても、失った血を戻すことはできない。
スクは残った一滴の高回復薬を、キアの口に含ませた。せめて、数分でも命を永らえさせるために。
スクは、救けを呼んだ。瀕死の鬼姫キアの姿に息を呑む羽人の戦士たちに、飛竜のかぎ爪を託す。
自らはキアを背負い、城を下へ下へと降りていく。
「どいてっ! 急いでいるのっ! 通してっ!」
城内の通路は、起床し始めた兄妹たちでごった返していた。
スクの喧騒と、背に乗る帝国最強の戦士の惨状。尋常ならざぬ事態に、理解が追いつかぬまま、兄妹たちは道を空けた。
スクは兄妹たち間を駆け抜け、育児室に向かった。
「テトッ!」
育児室に飛び込むと、ベッドの上でほとんど蛹化したテトの姿が目に入った。
世話役のサスが振り向き、スクの背負われたキアの姿を見て、驚愕する。
「キア姉さん!」
「サスっ! キア姉さんが飛竜のかぎ爪を獲ってきてくれたっ! すぐに他の兄妹が持ってきてくれるわっ! 手を貸して、キア姉さんがテトに会いたがっているっ!」
サスがスクに駆け寄る。
「なんて、無茶を……!」
キアの体を下ろすと、サスとスクは二人でキアの両側を支えるように立たせる。両腕を失っているため、肩で支えることができずバランスが取りにくい。
キアが倒れないように注意しながら、二人はテトの眠るベッドに連れて行き、ベッド横の椅子にキアを座らせる。
二人はキアが倒れないように両脇に寄り添った。
「テトッ! テトッ! 分かるかっ!? キア姉さんだっ!」
サスはテトの顔が見えるように、繭糸をかき分けた。
テトはうなされながら、眠っていた。
「テトッ! テトッ! 目を開けるんだ! キア姉さんが飛竜の肉を獲ってきてくれた! もうすぐここに届く!」
テトは、うっすらと目を開けた。
蒼い瞳が、力のなく動き、キアの顔を捉える。
「キ……キア姉さん……」
か細い声がキアの名を呼んだ。
「……テト……」
返すキアの声もか細い。
キアは涙を流した。
「テト……、私の可愛い弟……。ちいさくて、いつも熱ばっかり出して……いっぱい心配させる弟……」
「……ごめん……なさい……」
テトも涙を流した。
キアはかぶりを振ると、大きくせき込んだ。口から飛んだ鮮血が、テトの繭と顔を紅く染める。
「飛竜の肉だっ!」
飛竜のかぎ爪の解体を終えた兄妹が、育児室に駆け込んできた。
飛竜の肉をのせた皿を、サスが受け取る。
「さあ、テト! キア姉さんが獲ってきてくれた飛竜の肉だっ! これを食べるんだっ! そうすればきっとお前は助かるっ!」
飛竜の肉をフォークに差して、サスはテトの口元に持っていった。
テトの歯が肉を咥える。しかし、力ない咀嚼は飛竜の肉を噛み切れなかった。
「テト! がんばれ! 食べるんだ!」
サスの言葉に、テトは再度、飛竜の肉に歯を立てる。しかし、歯は肉に埋まるだけで、噛み切れはしなかった。
「……まったく……、最期の最期まで……、手のかかる弟だ……。サス、……その肉を寄越して……」
キアは、サスに向かって大きく口を開けた。
サスは頷くと、手に持った飛竜の肉をキアの口に入れる。
キアは飛竜の肉を咀嚼した。その強靭な肉切歯で分断し、奥歯で丁寧に潰す。
キアは飛竜の肉を丹念にペースト状にすりつぶすと、サスの持つ皿に吐き出した。
サスはスプーンですりつぶした肉を掬い、テトの口に押し込んだ。
テトの舌が肉をすくい取り、なんとか喉を通す。
「いいぞ、テト! その調子だ」
サスは何度も何度も、肉をテトの口に運んだ。
テトは懸命に、その肉を腹に流し込んだ。ひと呑みするたびに、力強い何かが腹に収まる様に感じた。すべてを平らげると、テトの呼吸が少し落ち着いた。
「テト、大丈夫……。あなたはきっと大人になれる……。心配せずにお眠り……」
慈愛に満ちた声で、キアが言う。
その声に、テトは暖かい安心感に包まれる。
「テト、あなたは覚えてるかしら……。あなたを卵から取り上げたのは私だよ……。初めてお乳を上げたのも私。テトはとても小さくて……可愛くて……。あなたのためだったら何でもしてあげたいって思ったわ……。幼い頃から身体が弱くて……、甘えん坊で……、抱っこしてあげたら子犬のように喜んでくれて……」
キアはゆっくりと目を閉じた。キアはその体から命の力が抜けていくのを感じた。
最期の時が来た。
不思議と恐怖は無かった。幸福感でいっぱいだった。
「きっと、私の命はあなたの命を繋ぐためにあったんだわ……。……ありがとう、テト」
テトはゆっくりと目を閉じた。
ゆっくりと、深い眠りに落ちていく。
――ありがとう、キア姉さん。
声にならない声で、心からの感謝の気持ちを伝えた。
長い、長い眠りの中、何度も何度もキアの夢を見た。強く、逞しい姉の夢を。優しく、暖かい姉の夢を。何度も何度も。
快活に笑いながら、キアは育児室に飛び込んでくる。
熱にうなされながら、ベッドの上でその姿に心を躍らせる自分。
キアは迷うことなくベッドに近づき、小さな自分の体を抱き上げ、膝に置く。
そして、まだ見ぬ広い世界の話をしてくれるのだ。
キアの語ってくれる一言一言。長い眠りの中、自分の命に、キアの言葉が溶け込んでいくような感覚。言葉とともに、キアの命の欠片が自分の命に溶け込んでいく。卵の中に還ったように心地よい繭の中で、テトは眠る。