成体への兆し
羽人は生まれてから十余年、羽のない幼体で過ごす。
その間は、年長者の兄、姉たちに守られながら、堅牢な城の中で育っていく。
個体差はあるが、ほとんどの羽人の子は、十歳、十一歳になると背中の四つの羽核が赤く隆起し、口の肉切歯が抜ける。
幼体から成体へ変態する準備が整ったことを示す変化だ。
その時期になると、羽人の子は口から白い糸――繭糸を吐き出すようになる。
そして、四六時中、絶え間ない眠気に襲われ、一日のほとんどを寝て過ごすようになり、吐き出す糸で、自身の体を覆っていく。
繭糸で自身の体を覆いつくすと、そのまま一年間の眠りにつく。
つぎに目覚めたとき、その身体は成体のそれに変態している。
四枚の薄羽を持ち、逞しい肉切歯をそなえた戦士の姿に変わるのだ。
テトの年代は蛹化ラッシュに差し掛かった。テロを皮切りに、次々と兄妹たちが繭糸を吐き出し、成長の眠りについていく。二十四人の兄弟たちの半分が、すでに繭の中で眠りについた。
「ほらっ! まだ寝ちゃいけないわっ! しっかりご飯食べないと大人の体にはなれないわよっ!」
年長者の兄、姉たちは、繭糸を吐き出しながら、うつろうつろとする弟、妹たちにせっせと食事を給仕した。
一年もの長き眠りに耐えられるように、栄養を蓄えさせる。
中には自分の体の変化に怯え、泣き出す兄妹もいる。
「大丈夫。あなたも大人の体になるのよ。なんにも怖くない」
そんな子どもたちを年長者たちが励ます。
子どもたちは、兄、姉の声に安心し、眠りながら繭糸に包まれていく。
完全に蛹化した子供たちを、兄、姉たちは協力して城内の羽化室に運んでいく。
傷つけないように細心の注意を払い、六角形の筒状の部屋にひとつひとつ丁寧に寝かせる。
テトは、蛹化していく兄妹たちを見送りながら、育児室で過ごした。
とくに仲の良いテアも、繭となり眠りについた。
下の年代の子たちと、高回復薬の錬成の仕事をしながら、自身の変態の時期をひたすら待った。
そして、すべての同い年の兄妹が蛹化した後、ようやくテトにも変態の兆しが出た。
まず、乳歯の肉切歯が抜けた。
その後、背中の羽核が腫れあがり、触感が鋭敏となる。
衣服が触れるだけでもひどく痛み、テトは半裸でうつぶせで寝ころぶ毎日を過ごした。
しばらくすると、口から繭糸が出るようになり、羽核が強く熱を持つようになった。
焼けるような羽核の熱にテトは呻いた。羽核の熱は背中につたわり、そして全身に回っていった。テトを覆う高熱は、テトの体をむしばんでいった。
「テトっ! しっかりするんだっ!」
世話役の兄、サスの声が、朦朧とする頭に響く。
「さあ、これを食えっ! 力をつけるんだっ!」
テトを覆う繭糸をかき分け、サスがテトの口に翼鬼の肉を入れる。
テトはそれを懸命に咀嚼し、胃に流し込む。高熱にうなされながら、テトは荒い呼吸を繰り返した。
テトの様子は、健やかに眠っていた他の兄妹たちとは明らかに違う。
「テトの様子はどう?」
テトの容態を心配し、年長者の兄、姉たちが集まってきた。その中には、帝国最強の戦士、鬼姫キアの姿もあった。
世話役のサスは、沈痛な表情で首を振る。
「体の変化に、体力がついていっていない。ひときわ小さい子だ。このまま蛹化しても目覚めないかもしれない」
兄、姉たちが息を呑む。
幼体から成体への変態には、いつもリスクがつきまとう。一年もの長き眠りの中、羽人の子どもたちは、命をかけて大人の体に変わっていく。その過程で、力尽き、二度と目を覚まさない兄妹は少なくない。
「力のつくものを食べさせてあげてっ! 少しでも変態に耐えられるようにっ!」
「もうあげているよっ! 今、帝国城内には翼鬼の肉以上に良い食材はないんだっ! 狩りに出ようにも、もう日が暮れているっ! 日が昇ってすぐに狩りにでても、この様子じゃ間に合わないっ!」
サスが叫ぶ。その目には涙が浮かんでいた。
それを見て、周りの兄、姉たちは口をつぐんだ。
テトは、うっすらと目を開けた。
「ねえ……、サス兄さん……。僕は、大人に……なれないの……?」
潤み、揺れるテトの蒼い瞳をサスは見返すことができない。
サスの姿から、テトは自分の運命を悟る。
――僕は大人になれないのかあ……。
短い人生を、朦朧とする頭で振り返る。一緒に育った兄妹たち、世話をしてくれた兄、姉たち。自分を産んでくれた神聖母。テトは微笑んだ。
「兄さん、姉さん、今まで……ありがとう……。偉大なる……神聖母、ごめんなさい……大人に……なれなくて……」
テトの口から零れる感謝と謝罪の言葉に、ベッドに横になるテトを囲み、兄たち、姉たちは泣いた。可愛い弟の命が、消えようとしている。その残酷な運命に、ただただ涙を流した。
「サス、テトが完全に蛹化するのはいつぐらい?」
キアが涙をぬぐい、サスに訊いた。
「おそらく夜明け頃だと思う……」
「分かった」
キアは頷くと、踵を返した。
「――っ、キア姉さん、まさかっ!?」
「狩りに行ってくる。必ず大物を仕留めてくるから、それまでテトをお願い」
「だめだっ! キア姉さん! 夜の狩りは危険だっ!」
颯爽と育児室を出て行こうとするキアを、兄、姉たちが慌てて止めようとした。
「今狩りにいかなければ、テトは死んでしまう。しかし、狩りに行けば救うことができるかもしれない。それならば、戦士として取りうる選択は一つだろう?」
「見通しの利かない夜に、大物を狙うなんて無謀だっ! たとえ鬼姫キアといえど無事に済むわけがない!」
「そうよ! キア姉さんにもしものことがあったら、帝国にとって大きな損失よ! キア姉さんの命は、神聖母の次に大切なものなのよっ!」
「私たちは何のために生きているっ!」
兄妹たちの制止の声に、キアは声を荒らげた。
鬼姫と畏れられるキアの迫力に、兄妹たちは押し黙る。
「私たちの命は、神聖母の御前で等しく同じだ。私たちの命はこの神聖ヤムリル帝国のためにある。テトたち若い兄妹の命は帝国の未来だ。それを守るために私たちは生きているんだろう? どんなに弱く、小さい命であっても、それを守るため行動しなくちゃいけない」
「……確かにその通りだけど、しかし――」
反論しようとするサスを、キアは手で制した。
「それに私は、もう二十六歳。そう永くは生きられない。それなら、最期まで戦死の誇りを胸に生き抜きたいんだ。テトは私が必ず救ってみせる」
言って、キアは育児室を駆け出した。背中越しに掛かるサス達の制止の声に振り向かず、急ぎ城を登って行った。
第一階層にある発着場に出ると、キアは腰の双剣の据わりを直し、キアは背の羽を震わせた。
夜のとばりが降りた、真っ暗な世界樹の森が眼前に広がる。
ぶうんと低く重い羽音を立て、キアは世界樹の森の中に翔け出していった。