神聖母テトミア
右腕はちぎれ、右目を失った。
地に墜ちたときに、左手の剣も取り落とした。
この命はもう長くない。
地に身体を投げ出し、テトは自分の命の時間が残り短いことを感じた。失くした右腕から大量の血が流れ出していく。
――それでも、僕には羽がある。
空では、執拗に追ってくる他国のオスから逃れようと、ミアが懸命に翔んでいる。
ミアの曲がった羽では速く翔ぶことはできない。次第に他国のオスに追い詰められていく。
この命がある限り、ミアは他のオスに与えない。
――ミアが欲しいのなら、このテトから勝ち取ってみせろ!
テトは残った左手で、高回復薬を取り出すと、蓋をかみ砕き、ぞんざいに傷ついた右目と右腕に中身を振りかけた。
淡い光とともに、血が止まり、すこしだけ命を永らえる。
テトの左目が、オスを捉える。
そして、テトは飛翔する。一直線にミアを狙うオスに向かって。乱戦に狂う気流など気にせず、ただ一直線に。
オスが接近するテトに気付いた。ミアを追うのを止め、テトに向き直り、槍を構えた。 ――僕は帝国一の戦士、小竜テトだ! 僕の牙は龍の牙だ!
テトはただ飛翔する。一直線にミアを狙うオスに向かって。
交錯するテトと他国のオス。
テトの牙がオスの首に食い込む。
オスの槍が深々とテトの下腹に突き刺さる。
テトは残った力を振り絞った。声なき叫びを上げ、顎に力を込める。
テトはオスの首を噛み千切る。
胴体だけ空に残し、他国のオスの頭だけが地に落ちていく。
テトは数度せき込んだ。オスの鮮血で染まる口から、身体の内部からこみ上げる自らの鮮血を吐き出す。
「テトっ! テトォっ!」
涙でくしゃくしゃになったミアを、残った腕で抱きしめる。
「ミア……、僕は君を守る……」
――この命が尽きるまで。
地上では、他国のオスたちが捕まえた妹たちを組み敷き、強引に交尾に及んでいる。
妹たちの屈辱と歓喜が入り混じった叫びが耳をつく。
空には己が血脈を託すべき相手を探すオスたちが、まだ残っている。
ミアを護るテトの命が尽きるのを待つかのように、二人のオスがテトとミアの周りに集まってくる。
下腹に突き刺さった槍。そこからとめどなく流れる血。
もう闘う力は残っていない。
――それでも、僕には羽がある。
テトはただただ飛翔した。一直線に。ミアを狙うオスから逃れるために。
この命がある限り、ミアは他のオスに与えない。
どれくらい翔んだだろうか。
とうに翔ぶ力も尽きた。
テトはミアに抱えられ、世界樹の森を進んでいく。
ミアが羽を懸命に震わせている。
かすんだ視界。一度光を失ってから涙が流れることがなかった左目から涙がこぼれる。頬に触れるミアの乳房の暖かい感触が、自分はまだ生きているんだと実感させてくれる。
追手はいない。けれど、油断はできない。
テトの命は尽きかけている。
もう、自分で翔ぶ力はない。もう、ミアを護る力もない。ミアとの別れの時が近付いている。
ミアと生きる未来は、そもそもテトにはないのだ。
神聖母の運命を背負ったミアは悠久の時を生きる。どんなに願っても、一緒に生きていくことはできない。
「……ミア、降ろして……」
かすれる声でテトは言う。
口の回りの血が乾き、ひどくしゃべり辛い。
「大丈夫。必ずテトを助けるから。私がテトを護るから」
ミアの流す涙が風に舞い、世界樹の森に落ちていく。
「お願い……ミア……。最期だから……。これで最期だから……。ミアの顔を見ながら話しが……したい」
「……テトォ……」
ミアが、ゆっくりと世界樹の葉の上に降りる。そして、そっとテトを横たわらせる。
テトの穴の開いた腹から、ゆったりと確実に血が流れていく。
キアからもらった飛竜の力を宿したテトの血。
「安心して、テト。今、治してあげるから……。テトが私たちにいっぱい、お薬を持たせてくれたでしょお……?」
「……ミア、それは君のためのもの……だ。僕に……使っちゃいけない……」
「使わないと……、テトが……テトが死んでしまうわ……」
「もう……助からない……。高回復薬を使っても……無駄だ……よ」
テアから受け継いだ風読の目が、うつろにミアの顔を捉える。
涙でくしゃくしゃになったミアの顔。
なにより守りたい愛する妹。
「……泣かないで……」
残った左腕をなんとか動かし、ミアの涙をぬぐう。
ぬぐったそばからミアの目から涙がこぼれる。
「……そんなに泣き虫でどうするんだよ……。これからはミアひとりで……、生きて行かなきゃいけない……のに」
言って、テトは胸が締め付けられる想いに襲われた。
この厳しく残酷な世界に、ミアをひとりで残していく。
たったひとりのミア。
その苦難を想い、テトの風読の眼から涙が溢れる。
「……ごめん……。ごめんよぉ……」
テトの言葉に、ミアがかぶりを振る。
「一緒に……いてあげたいのに……。一緒に……」
――生きていたいのに。
死の縁に立って、ここまで後悔の念に囚われるとは思いもしなかった。
自分の命は、自分だけのものじゃない。
偉大なる神聖母からもらい、愛する二人の姉、キア、テアがつないでくれた命だ。
帝国のため、神聖母のため、弟たちのため、妹たちのため、つながっていく未来のために使う命だ。
その命が、何よりも守りたいミアという未来をほったらかして、尽きようとしている。
「……テトォ……」
ミアがテトの唇に口づけをする。
そして、その舌で丁寧にテトの口にこびりついた血をぬぐっていく。
暖かく柔らかなミアの舌の感触に、胸が締め付けられる。
テトは嗚咽を上げながら、泣いた。
目からこぼれる涙を、ミアがそっと舐めとる。
ミアが母性を讃えた顔で、テトを見下ろす。
きれいになったテトの唇を、ミアはもう一度吸った。
「ミア……、僕はまだ……生きていたいよ……」
涙を流したまま、ミアが頷く。
「私も、テトと生きていきたい……」
――生きたい
狂おしいほどの熱い想いが灯る。
「……テトの命、私にちょうだい……。たとえ死んでも、ずっと一緒に……いよう」
死に掛けた嗅覚に、甘いような苦いような香りが届いた。
途端に、股間が熱くうねる。まるで、忍び寄る死に歯向かうように。テトを求めるミアの願いに応えるように。生きたいと願うテトの本能が、テトの血が、テトを奮い立たせた。
テトはミアの意図を悟る。シズクの紅い瞳が脳裏に浮かぶ。禁忌を破り、生まれた紅い瞳の子。
「駄目だっ。駄目だよっ……」
制止を聞かずミアは立ち上がると下着を脱いだ。そして、テトの傷ついた身体をいたわる様に、ミアはそっとテトに跨る。
痛みに耐えながら、ゆっくりとテトを自分の中に沈めていく。
テトは初めて味わう交尾の快感に、身を震わせた。
ミアは深くテトを受け入れると、ぎこちなく腰を動かし、射精を促す。
背徳と歓喜。
悲哀と希望。
激しい感情が織り交ざり、テトは吼えるように嗚咽をこぼした。
「テトォ……、泣かないで……」
ミアは消えかけたテトの命を掬いとるかのように、懸命に腰を動かす。
「あなたの命は……。んっ……。私がつなげる……からぁっ」
そして、テトはミアの中に自らの命の片割れは放った。自らの最期の命の火をすべてミアに預けるように、何度も何度も。
ミアはそれを、全霊を賭して受け止めた。テトの命の片割れを一粒たりとも逃さぬよう。
そして、テトとミア、二人の命が羽人の母となるミアの肚の中で一つになった。
この瞬間、ミアは神聖母テトミアとなった。




