神聖母たちの旅立ち
誇り高き羽人の国、神聖ヤムリル帝国。
その城が居する世界樹の森の西部、世界樹の若木の中腹の空洞前の上空には、多くのオスの羽人たちが舞っていた。
優に百人は超すだろう。羽人の血筋の違いは髪の色に現れる。帝国の前には、黒、赤、青、様々な色の髪を長く伸ばした羽人たちが浮遊している。
日が昇りはじめたばかりの冷え込む空気の中、彼らは若き神聖母が城から出るのをひたすらに待っていた。
隙あらば帝国城に侵入しようと試みるオスもいるが、それは帝国が誇る神聖母とならなかった姉妹たちが許さない。姉妹たちは帝国城の入口を守る様に飛翔し、槍を構えて他国のオスたちをけん制する。
若き神聖母たちの旅立ちの日。
発着場には、五十人の若き神聖母達が居並んだ。その中には、もちろんミアの姿もある。
ただ一人帝国城に残ったオスであるテトは、彼女たちを前にして言った。戦士長として最後の仕事だ。
「姉妹たちよっ! 聞いてくれっ!」
若き神聖母たちが、真摯な目をテトに向ける。
今日、この日が自分にとって最期の日。すべての命を燃やし尽くし、若き神聖母の旅立たせてみせる。
「君たちは、神聖母となる運命を背負った。君たちの生涯は辛く厳しいものになるだろう。何度も降りかかる試練に打ち勝ち続け、悠久のごとく長い時を生きなければならない。
しかし、負けないでほしい。
君たちには誇り高き神聖ヤムリル帝国の血が流れている。そして、君たちが生むであろう子たちにも、その血は受け継がれていく。強きオスの血を受け入れ、僕たちの血を未来に繋いで行ってくれ」
若き神聖母たちが、テトに向かって頷く。
先に旅立った兄弟と同じく、使命感を帯びたその顔をテトは頼もしいと思った。
「さあ、旅立てっ!」
テトの言葉を合図に、若き神聖母たちが次々と離陸していった。
途端に空が騒がしくなる。
神聖母を求める他国のオス。他国のオスから神聖母を守ろうとする姉妹。弱きオスにはその身をゆだねまいと逃げる若き神聖母。三者が入り乱れ、帝国城前の上空は羽人たちが奏でる低く鈍い羽音で覆いつくされた。
「私も行くわ、テト。きっと守ってね」
別れ際に、ミアがそっとテトに口づけをする。
ミアは、右下だけ小さくかよわい羽を羽ばたかせ、宙に舞った。
その姿を見送ると、テトは腰に差した双剣を一息に抜き放った。その昔、帝国最強と崇められた鬼姫キアが愛用した双剣だ。
テトも羽に力を入れる。飛竜の力が宿るテトの強き羽。
テアの命が宿った左の風読みの眼が、羽人たちが乱舞する宙域の気流を正確に捉える。
頭上で、若い神聖母が他国のオスに取りつかれているのが目に入る。若い神聖母は必死に身をよじり、その手から離れようともがいている。
テトは、その他国のオスに向けて翔んだ。余力など考えず、全力で一直線に。
神聖母に夢中の他国のオスは、テトの接近に気付かない。
テトはオスとのすれ違い様に、双剣を振るう。剣閃が煌めき、オスの羽と頭が胴から離れ、宙に舞う。
「僕は、小竜テトっ! 姉妹たちが欲しいのならば、僕を倒してみせろっ!」
百人の他国の羽人の戦士向けて、テトは吼えた。
神聖ヤムリル帝国城上空の有様は壮絶を究めた。
他国のオスたち、若き神聖母たち、神聖母を守る兄妹たち。すべての者がその命を懸け、宙を翔ける。
鳴りやむことのない羽音、神聖母を求め吼えるオスの声、槍と槍がぶつかる音、苦痛に歪んだ泣き声。命を燃やす音が辺りを満たす。
テトは縦横無尽に飛翔した。
目につく他国のオスに、我武者羅に斬りかかる。使い慣れぬ双剣であったが、対羽人に際して功を奏した。
高速度からの槍での刺突は、同等の旋回能力を持つ羽人には効果が薄かった。よほど虚を突かない限り、直線的な攻撃は躱される。テトと同じく若き神聖母を守るために奮闘する姉妹たちの槍は空しく宙を切った。
それに対して小回りの利く双剣を振るうテトは、他国のオスたちに取りつくように飛翔し、その身を切り裂いていく。
五人ほど屠ると、場に散る他国のオスたちがテトの存在を無視できなくなった。
若き神聖母を手に入れるためには、このオスを先に始末しなければならない。「なぜオスが残っているっ!」「われらの邪魔をするなっ!」殺気立った視線と罵声を遠慮なくテトにぶつけ、オスたちがテトに殺到する。
テトは迫りくる槍を、身を翻しながらなんとか躱す。しかし、躱した瞬間に、また別のオスの槍がテトを狙ってくる。テトはそれを双剣でいなして、掻い潜る。
雷雨のように次々と迫る攻撃を、ぎりぎりで躱し、いなし、身を守るテト。かすった槍の穂先がテトの身体に赤い線を作っていく。
若き神聖母を守ろうとするのは、テトだけではない。神聖母とならなかった姉妹たちも、命を懸けて奮戦する。
しかし、他国のオスに比べて姉妹たちの数は少ない。数で負ける帝国の姉妹たちが、次第に圧され次々と撃墜されていく。
姉妹たちの数が減るにつれて、神聖母に迫るオスの数が増えていった。
テトは混戦の中、無意識にミアの姿を探した。そこで、地表近く、藪の上で若き神聖母に、二人の他国のオスが襲い掛かるのが見えた。
ミアではない。しかし、見過ごせるわけがない。
テトは上空に向けて強く速く飛び、自分に纏わりつくオスたちを振り払うと、若き神聖母を救出するために翔けた。
――二人いっぺんに倒すっ!
テトは高速で降下すると、両手を振るう。双剣が煌めき、二人のオスの胴を同時に斬り裂いた。
「大丈夫か?」
テトは、身を震わせ怯える神聖母を抱えて、地に降りる。その瞬間、背後から迫る羽音を耳が捉えた。
「テト兄さんっ! 後ろっ!」
振り向いた瞬間、テトの眼前に槍が迫る。
のけぞり躱そうとするが、迫る槍のほうが速い。槍の切っ先が右目を掠めた。
一瞬、右の視界が赤く染まり、光が消えた。
見えぬ右の視界に向けて、テトは右手の剣を振るった。槍を振るったオスの脇腹に、深々と剣が食い込み、心臓まで達する。致命傷を受けながら、そのオスは必死の形相でテトに叫んだ。
「俺は、この血を残さねばならないんだっ! 必ず、この血を残すと兄妹たちに誓ったんだっ!」
最後の力を振り絞り、オスが槍を振り上げた。テトを屠ろうと、槍が振り下ろされる。
テトはオスから剣を引き抜くと、オスの首元を狙って跳びかかる様に飛んだ。
振り下ろされる槍より速く、テトの剣がオスの首を貫く。
「……誓ったんだ……」
オスが仰向けに倒れて、絶命する。
「テト兄さんっ! 目がっ!」
テトの右目から鮮血が流れる。
助けた神聖母が、すがりつくようにテトの元により、腰のポーチから自分の高回復薬を取り出す。
「だめだっ。それはお前がこれからの旅で使うものだ」
テトは右手の剣を地に突き刺すと、手の甲で右目をぬぐい、出血具合を確認する。光は失ったが、出血量は大したことはない。
今日のために残した自分用に用意した高回復薬一瓶を、腰のポーチに入れてある。しかし、高回復薬を使うタイミングはまだだ。
――右目を失くしても、僕にはテアが残してくれた左目がある。
左目の風読みの眼さえあれば、まだいくらでも飛ぶことができる。
高回復薬を仕舞うと、テトは剣を取り、再び飛翔した。上空に昇り、狭まった視界で辺りを見回す。
若き神聖母たちを除き、宙には無傷の者はひとりもいなかった。
他国のオスたちの気概はすさまじい。自らの身体に受け継がれた血を残すために、とうに命を捨てる覚悟を固めている。腹を斬られようが、腕を斬られようが、脚を斬られようが、その命が続く限り、神聖母を追って飛翔する。
一人のオスが、姉妹たちを振り切り、若き神聖母に取りついた。姉妹の槍に腹を大きく割かれ、致命傷を負っている。しかし、そのオスは若き神聖母を強く、強く、抱きしめた。
「俺はライと言うっ! 若き神聖母よっ! 頼むっ! 俺の血をつないでくれっ!」
そのオス――ライが嘆願する。
しかし、若き神聖母は悲鳴を上げ、抵抗した。
テトは思わず、救けに飛ぼうとした。
「頼むっ!」
ライが再度、強く抱きしめると、若き神聖母は抵抗を止めた。
「――分かりました。私の名前はユイ。勇敢なライ、私はあなたの血を受け入れるわ」
「ユイっ、ユイっ! ありがとうっ! 君の名前は死んでも忘れないっ!」
「私もよ、ライっ!」
ライがユイの服を乱暴に破り、交尾を始めた。消えゆく自分の命のすべてをユイに託すように、必死に交尾を行う。ユイが愛おしそうにライの身体を抱きしめ、鳴く。
幸せそうなユイの顔を見て、テトは心から二人を祝福し、その場を離れた。
空中を飛び回り、ミアの姿を必死に探す。
そして、乱戦の中、他国のオスに腕を掴まれながらも、必死に抵抗しながら飛翔するミアの姿を見つける。
「ミアっ!」
救けに飛ぼうとした瞬間、また、別の若い神聖母の悲鳴が聞こえる。
眼下で、他国のオス三人に組み敷かれ、交尾を強要されようとしている若い妹の姿があった。
ユイとは違う。彼女はオスを受け入れていない。
妹を助けろ、と本能が叫ぶ。
しかし、テトは本能の叫びに逆らった。その妹を見捨て、ミアに向かって飛んだ。
「ミアっ! ミアっ! ミアっ!」
テトは繰り返し叫び、誰よりも速く、テトは翔けた。
宙を切り裂き飛翔するテト。尋常ならざる速度での飛行が気流を乱し、すれ違う他国のオスや姉妹たちの身体を煽る。
ミアを襲う他国のオスが気付く暇もなく、テトは背後に取りつくと、双剣を振るった。剣閃が他国のオスの胴に走り、真っ二つに両断する。
「ミアっ!」
「テトっ!」
テトは宙返りをしてスピードを殺すと、ミアの前に向かって降りる。
ミアの美しく輝く長い銀髪。ミアの日に焼けていない白い肌。ミアの細いままの柔らかい肢体。ミアの涙にぬれた大きな瞳。
たまらなく愛おしくなる。
ただ抱きしめたい。
両手を開くミアに向かって、テトは飛び込んでいく。
何度も自分を抱きしめてくれたミアの体温を思い出す。
――誰にも渡したくない。二度と離したくない。離すもんか。今、ここでミアを捕まえたら、二度と離さない。
テトは右手を伸ばして、ミアの左手を強く握った。ミアがしっかりと握り返してくれるのを感じる。
感極まり、テトが叫ぶ。
「ミアっ! もう、離さないっ!」
そして、その瞬間、テトの右腕に激痛が走る。
見えぬ右側から迫った槍が、テトの右腕に深々と刺さった。その勢いに圧され、テトの身体が宙を横に流れていく。力が抜けていくテトの右手が、ミアの手を離してしまう。
視界から消えていくテトを追い、ミアが顔を横に向ける。
テトに槍を突き立てた他国のオスが、興奮を隠さず叫ぶ。
「このメスは俺がいただくっ! お前はここで死んでいろっ!」
テトの右腕を貫いた槍が力任せに振るわれる。
ぶちぶちと、自分の腕が引きちぎれていく音が、冗談のように身体を通してテトの耳に届く。そして、テトの右腕がちぎれ、宙に舞った。
右腕を追うように、テトの身体が地に墜ちていく。
「テトっーーーーー! いやあああーーー!」
ミアが声の限り、悲鳴を上げた。




