ミアへの想い
「あら? テト、どうしたの?」
自室に訪れたテトに、ミアは驚きつつ、嬉しそうな表情を浮かべた。
腹痛は収まったようだ。顔色も良い。
「なに? まぁた、甘えに来たのかなあ?」
悪戯っぽい笑顔を向けてくるミア。
ミアの部屋にはかすかに甘い香りが漂っていた。母と同じ匂いだ。ミアは神聖母になった。テトはその事実を実感した。
胸が締め付けられるように痛む。
「違うよ。体の調子はどうかなって思って」
心中を悟られぬように注意しながら、テトは言った。
「大分いいわ。簡単な仕事なら手伝えると思うわ」
「仕事と言っても……、もうほとんどないけどね」
「あ、そっか……」
二人は揃って、小さく笑った。互いに滅びゆく帝国を想う。
「ねえ、ミア。ちょっと外に出ようか。星を見よう」
「星を?」
ミアがきょとんと首を傾げる。しかし、すぐに顔をほころばせた。
「いいわね。ゆっくり星を見たことなんてないもの」
テトはミアの身体が冷えないように、外套を羽織らせた。ミアの身体を気遣いながら、発着場まで登る。
帝国城が居する世界樹の周辺は、テトたちが制空権を確保している。危険な外敵はいない。かと言って、丸腰で城の外を出るのはさすがに憚られる。
テトの腰には、二振りの剣が差してあった。キアの形見の双剣だ。
「護身用。僕の槍はテロにあげちゃったからね」
見慣れぬ双剣を不思議そうに見つめるミアに、テトはそう説明した。
テトは、ミアの手を握り、一緒に空に昇って行った。
ひたすら上に、上に。月明かりを遮る世界樹の葉々を抜けていく。
ほどなくして世界樹の天辺を越えると、遮る物のない星空が二人を迎えた。
夜空を埋め尽くす星。眩しいくらいに輝く月。空はおどろくほど明るかった。
初めて見る視界に入りきれないほどの広大な夜空を望み、テトは感動の息を吐いた。
「……すごく、綺麗ね。帝国城の上にこんなにきれいな空があったなんて知らなかったわ」
隣でミアも大きく息を吐く。
毎日毎日忙しなく働く羽人は、危険な世界樹の高枝を越えて、夜空を望むことなどしない。空を遮る世界樹の葉々の隙間から覗く星の灯りをたまに見るだけだ。
眼下には世界樹の葉が、海のように広がる。二人は寄り添って、そのひとつの葉の上に腰を下ろした。
しばらく、二人は呆けた表情で夜空を眺めつづけた。
「あっ! 流れ星っ!」
ミアが歓声を上げ、夜空を指さす。
「えっ? どこ?」
ミアが指さす方を見やるが、すでに星は燃え尽きた後だった。
「あー、見逃しちゃったよ」
テトが残念がると、ミアがクスクスと笑う。
「一瞬だから、言われてから探しても間に合わないのかも。――あっ! また流れ星だっ! ほら、あそこっ!」
今度こそと、テトは夜空に視線を走らせるが、流れ星を見つけることはできなかった。
ミアが腹を抱えながら、笑う。
「テト、今のは嘘だよ」
「えっ? こらっ! 兄をからかうなっ!」
叱る口調で言いながら、テトは破顔した。
「ごめーん」
謝るミアは笑いながら、舌を出した。
「だって、こんなに簡単に騙されるなんて――。あははっ。おっかしい」
けらけらと笑うミアに釣られて、テトも声を出して笑った。
静かな星空に、二人の笑い声がこだまする。
ひとしきり笑って落ち着くと、ミアが再び星空に目を馳せた。そっと自分のお腹をさする。
「もう、だいぶ大きくなったみたい。ねえテト、触ってみて」
ミアが服をたくし上げ、お腹を露わにする。透き通る様に白い肌が、月光によく映えた。
促されるまま、ミアのお腹の右下あたりに触れる。拳大のしこりがあるのを感じる。ミアの肚の中に、神聖母の象徴たる精子嚢がしっかりと成長しているのが分かる。
テトは慈しむ様に、ミアのお腹を何度も撫でた。
「もう少ししたら、私たちも旅立つ時が来るのね……。正直、ちょっと怖いわ」
つぶやくようにミアが心情を吐露した。
若き神聖母の宿命。他国のオスと交尾し、腹に子を宿し、新たな帝国を作る。
「翔ぶのが下手で、世間知らずな私が、世界樹の森でひとりで生きていけるのか。考えたら不安しかないわ。森には兄さんも、姉さんも、弟も、妹もいない。とっても寂しいでしょうね」
「すぐに、子どもたちに囲まれるさ。きっと、強くて頼もしい子が生まれる。大丈夫」
「そこが、一番実感が沸かなくて、怖いところなんだけどね」
不安を振り払うように、ミアは笑った。その笑顔は力なくかよわい。
「どうせなら、私はテトの子が欲しいな……」
「それはダメだよ……」
「うん……、分かってる」
テトは、ぽんぽんとミアの頭を叩く。ミアが他のオスと交尾をし、帝国を旅立つ。そのことに胸が引き裂かれそうなほど心をかき乱される。
必死にその心情を隠しながら、テトは自分の覚悟をミアに伝えた。
「僕は帝国に残る。旅立たない。ミアたちが旅立つのを見届ける」
ミアが驚いた表情を浮かべる。
なぜ? ミアの美しい目がそう問いかけてくる。
テトはミアを抱きしめた。
「弱いオスに、ミアたちを、いや、ミアを渡さない。僕の命は、最後にそのために使うんだ」
「――っ! だめ! だめよっ、テトっ! 間違っているわ。そんなことをしたら、テトの血がここで途切れてしまう。オスのあなたには、他国を目指す使命があるのよ」
胸の中で呻くようにミアが言う。
「ミアの言う通り他国を目指せば、新たな帝国に僕の血を残すことができるかもしれない。でも、その帝国は僕が愛した神聖ヤムリル帝国じゃない」
「そうかもしれないけど、きっとテトは間違っているわ」
「分かってる」
テトは、ミアの顔を両手で挟むと、その口を自分の口で塞いだ。もう何も言わせない。
二人の重なった影が、月明かりに光る世界樹の葉々の上に落ちる。
恋慕の情。
恋をしない羽人の世界には、恋という言葉はない。
そのため、テトは自分の中にある心情を表す言葉を知らない。
しかし、羽人の世界には、愛という言葉はある。羽人の世界は、兄妹たちの愛で支えられ、繁栄してきた。
――ミアを他のオスに渡したくない。
心の奥底で、紅い瞳をしたシズクが艶美な表情で笑う。
『避けがたい激情っていうものがあるんだろうね。私の父と母は禁忌を破って、ワタシを産んだ』
テトはその身に宿る激情を抑え、テトは最後まで兄妹たちのために生き抜くことを心に決めた。




