キアの昔話
多くの幼い兄妹たちの中で、世話役の兄たち、姉たちの手を焼かせたのはテトだった。
テトは体が弱く、よく熱を出した。ベッドの上に寝かされて過ごす日々も多い。優しく看護をしてくれる兄、姉たちの愛情を一身に受けられることは幼心に嬉しかった。
しかし、兄妹たちがはしゃぎ回る様を、ひとりベッドの上で眺めるのは寂しかった。
羽人の子たちは、弾むように駆けまわる。大空を舞うために、生来身軽なのだ。
ただ大人の羽人と違い、子どもたちには羽は生えていない。背中には未発達の四つの羽核があるだけ。個体差はあるが、大体十二歳になると羽人の子どもは成体となり羽が生える。そうなって、初めて飛翔することができるようになる。
それまでは、兄、姉たちに守られながら、この堅城の中で生きていくのだ。
城の外の世界のことは、兄、姉たちが教えてくれた。
話をしてくれる兄、姉に食いつかんばかりに、近寄り、まだ見ぬ世界に目を輝かせる兄妹たち。
ひとり離れたベッド上で、耳を澄まして話を聞くテト。
――僕にも外の世界を見れる日がくるのかな?
テトは、熱にうなされながら、外の世界の夢見る。
ある日、キアが育児室に遊びに来てくれた。
キアは十五歳年上の姉で、帝国最強の戦士であり、戦士たちを統括する戦士長だ。
鬼姫キアと呼ばれ、帝国の兄弟たち全員の尊敬を集める。
そんな英雄の訪問に、歓声をあげる兄弟たちと同じように、テトはベッドの上で喜んだ。
キアは帝国最強の名にふさわしい立派な体躯をしている。身長は成人の羽人の中でも頭ひとつ大きい。肉体は無駄な脂肪は一切なく、鍛え抜かれている。それでいて、メスらしさも兼ね揃えていた。豊かな乳房に大きな尻。長くウェーブのかかった銀髪は、よく手入れが行き届いていて、絹のように美しい。長いまつ毛の下の大きな青色の目が、自らを出迎えてくれる弟、妹たちを捉えて、優しく細くなる。
「愛する弟たち、妹たち、良い子にしていたかい?」
キアは軽々と、幼い兄弟たちを四人ほど抱きかかえる。僕も、私も、とせがむ兄弟たちを、分け隔てなく順番にだっこしていく。
――いいなぁ。
ベッドの上でテトが羨ましがっていると、テトのベッドにキアが近づいてきた。
「また、熱を出してるのか、テト」
キアの固くて大きな手が、テトのおでこに触れる。
「うーん……。まあ、大丈夫かな? きっと、そんなに熱は高くない」
キアは、ひょいっとテトを抱き上げた。そのまま、育児室の中央に行き、床に胡坐をかく。
「さあ、今日はどんな話を聞かせてやろうか」
そして、キアはテトを膝の上に乗せた。
特等席だ。
見上げると、キアの大きな顎が目に入った。
「あー、ずるいー! テトだけ、ずるーい」
「ベッドで寝ながらじゃつまらないだろう? 身体を冷やしちゃ悪いから、ここが一番いいんだよ」
「もー、僕も熱がでればいいのにー」
兄弟の一言に、みんながワッと笑った。
キアも笑った。
テトも笑った。
キアには大きな古傷が三つある。右肩と右足と左腹部。
「飛竜の爪に掴まった時の傷だよ」キアが言った。「全身を鷲掴みにされた。この三つの傷は飛竜のかぎ爪に肉をえぐられたときの傷さ」
幼い子どもたちは、キアの古傷を見て、身をすくめる。
もちろん幼い子どもたちは飛竜を見たことがない。しかし他の兄、姉たちから何度も飛竜の恐ろしさは伝え聞いていた。
飛竜――世界樹の森に生息する竜種である。全長二メートル程度と竜種としては小柄ながら、飛行能力に優れ、高上空からその獰猛なかぎ爪で獲物を捕らえる。羽人の天敵のひとつである。
飛翔時の敏捷性と小回りの良さこそ羽人が勝るが、飛行速度、高度ともに圧倒的に飛竜が上回る。
その巨大な翼の羽ばたきは、気流を乱し、体重の軽い羽人は簡単に煽られ、飛ぶのもままならなくなる。
膂力の差など言うに及ばす、飛竜のかぎ爪に捕らえられることは死を意味する。
キアの膝の上から、テトはキアを見上げた。
「キアは飛竜に掴まったのに、助かったの?」
「テトにはこのキア姉さんが幽霊にでも見えるのかね?」
キアが大きな声で笑った。
「若かったから油断があったんだね。角豚を狙うのに夢中で、飛竜の接近を察知できなかった。角豚に向かって降下しようとした瞬間、がしっと掴まれたよ。すごい力で握られて、潰れてしまうかと思った。肩と脚と腹に爪が食い込んで、痛いのなんのって」
兄弟たちが、ごくりとつばを飲み込む。
テトも怖くなって、身をすくめた。
「死んじゃうって思ったけどさ。誇り高き帝国の戦士として、ただで死ぬわけにはいかない。剣を抜いて、私を掴む腕をめっちゃくちゃに斬りつけてやったのさ。飛竜のやつもまさか抵抗されるとは思ってなかったんだろうね。雄たけびをあげて苦しんで、腕の力が弱まった。その隙に脱出して、無我夢中で逃げたんだよ」
キアは胡坐をかき、膝にテトを載せたまま、器用に腰の双剣を抜いた。一角馬の角を削って製造した、逸品だ。
双剣は羽人の武具としては珍しい。通常、羽人の戦士は槍を使う。その飛翔能力を生かし、つかず離れずの距離からの高速度での突進が、羽人の主たる攻撃方法だ。それを生かすには刺突に適した長大な槍が一番だ。獲物との間合いも詰める必要があり、斬撃を主体とする剣は、よほどの物好きしか使用しない。
キアは物好きの部類だった。
「今思うと、武器が良かったんだろうね。大振りの槍だと、掴まれた状態では振るえなかっただろうね。小回りが利くこの双剣のおかげで、私は助かったんだ」
「すげえ……」
兄弟のひとりが感嘆の声を漏らす。
テトたちは、ヒカリゴケの灯りに煌めく双剣に羨望の眼差しを向ける。
大きくなったら、キアみたいに双剣で闘いたい。分かりやすく顔に書いてある。
キアは、しまったと思い、双肩を鞘に戻した。
ぎゅっとテトを抱きしめ、子どもたちに向かって身を乗り出す。
テトの頭の上に、キアの豊かな胸が圧し掛かる。暖かくて重い。
キアは幼い子どもたちに向けて、ニッと笑いかけた。発達した肉切歯がむき出しになる。
「お前たちは、ぜーったい双剣なんて使っちゃだめだからね。こんな武器は物好きの命知らずが使うもんさ。私が飛竜から逃げおおせたのは単に運が良かっただけさ。賢い戦士は飛竜に接近される前に気付いて逃げるもんだよ」
「えー?」
「僕も双剣がいいー!」
「うん、かっこいいもんねー!」
「だめっ!」
言うことを聞かない幼い子どもたちに、キアは笑顔のまま帝国最強の戦士の迫力を込めて、制止の言葉を投げる。
思わず、子どもたちは黙った。
「分かったね?」
キアの念押しに、テトも含め幼い兄弟たちは了承の返事を返した。