羽人の秘密
「ふうん。髪の毛の色は違うけど、瞳の色は同じなんだね」
と、感想を口にする。
その感想にテトは首を傾げた。テトの瞳は蒼い。目の前のシズクの瞳は紅い。間違いようがなく、違う色だ。
テトの疑問を察し、シズクが言う。
「ワタシが生まれた帝国の連中と同じ色なんだよ。ワタシは禁忌の子だからね、お前たちとは瞳の色が違って当然さ」
――禁忌の子?
初めて聞く言葉だ。
「何も知らないんだな」と、メスは呟くと「ワタシの母は神聖母じゃないんだ」と言った。
テトは耳を疑った。
羽人の子は、すべて神聖母から生まれる。もちろん他国のことは知らないが、同じ羽人であれば変わりがあるはずがない。
「そんなわけがないっ。すべての羽人は等しく神聖母から生まれるはずだよ。神聖母の子ではないというなら、あなたは誰から生まれたんだっ!」
思わず、テトは叫んだ。
「ワタシは戦士から生まれた。神聖母ヨンメイの子、戦士カカとテンの間に生まれた」
「それは嘘だ。戦士は卵を産めない。卵を産めるのは神聖母だけだ」
「本当に何も知らないんだな」
呆れるように、シズクはため息をついた。
「神聖母でなくても、オスと交尾さえすればメスの戦士は卵を産める。神聖母のように精子嚢は持っていないから、一度の交尾で産める卵は一つだけだけどね」
にわかには信じられなかった。
シズクは自分の紅い瞳を指さした。
「この下品に赤い瞳が証拠さ。近親交配は血を濃くしすぎる。だから、血のように真っ赤な瞳になるのさ。本来、羽人の戦士たちは子を産むことを本能的に避ける。それでも、避けがたい激情っていうものがあるんだろうね。私の父と母は禁忌を破って、ワタシを産んだ」
テトはまじまじとシズクの瞳を見つめた。燃えるように紅い瞳。
テトの視線から逃れるように、シズクが獲物のほうを振り返った。
「残りはやるよ」
シズクは獲物をテトに譲った。
この行動にも、テトは驚いた。
羽人に限らず、世界樹の森に生息するものたちは、命の危険が迫らない限り、自らの獲物を他者に譲ることなどない。自らの命、守るべき者の命、獲物はそれらを支える大切な礎だ。
「どうせ、ひとりじゃ食べきれないからね。アンタと違って、ワタシには食わせたい家族なんていないからね」
「どういうこと? あなたにも帰るべき帝国があるだろう?」
「とっくに滅びたさ。神聖母が早世してね。禁忌の子は忌み嫌われるから、糞みたいな仕打ちを受ける日々だったけど、今振り返ると多少は懐かしいよ」
テトは絶句した。
羽人にとって神に等しい神聖母が亡くなる。信じられないことだが、最近の老いた神聖母の姿を思うと、嘘だと断じることが出来なかった。
「残った戦士たちは、……どうしたの?」
恐る恐る、テトは訊いた。
帝国の象徴たる神聖母が亡くなったとしても、帝国には多くの戦士たちが残っていたはずだ。
「幼い子たちを育てようとする者もいたけど、多くの者が帝国を旅立った。オスも、メスもね。自らの血をつなぐための旅さ。神聖母が死ぬとどうなるか、教えてあげるよ。きっと、アンタの帝国にもそう遠くない未来に起こる話さ」
シズクは、その場に腰を下ろした。横に座れと、テトを促す。
シズクの話を聞かねばならないという気持ちと聞いてはいけないという気持ち。反目する想いを抱えながら、シズクの横に座った。
シズクは、厳かに語った。
「ワタシみたいな禁忌を破る例を外せば、羽人は等しく神聖母から生まれる。神聖母が亡くなれば、帝国は滅びる。当然のことさ。もう子は産まれないからね。既に生まれた子たちが寿命を迎えれば、終わりさ」
ごくりと、テトは唾を飲み込んだ。
帝国が滅びる様を、脳裏に描く。他人事ではない。既に神聖母ヤムリルは産卵を止め、床に臥せっている。
「しかし、ただ滅びを待つわけじゃない。神聖母が死ぬと、残された羽人のメスの中から新たな神聖母になる者が出てくる」
「羽人の戦士が、神聖母になるって言うの?」
「ああ、そうだ。母なる神聖母の魂が分かれ、娘たちに宿ると言われている。ワタシの生まれた帝国では、五十人くらいのメスが神聖母になった。神聖母になるとお腹の中に、オスの精子を蓄えておく精子嚢ができるのさ。ほらっ、ここだよ。触ってみな」
シズクが上着をたくし上げて、締まった腹を出した。
言われるまま、下腹の右辺りにテトは触れた。拳大のしこりのようなものを感じる。
「もしかして、シズクは神聖母なの?」
「忌み嫌われる禁忌の子のワタシが、神聖母になるなんて皮肉なことだけどね」
シズクは自虐的に笑った。
「神聖母になって、精子嚢ができたからって、オスと交尾をしなきゃ卵は産めない。精子嚢ってのは、交尾を介してオスがメスの身体の中に放つおびただしい数の精子を蓄えておくための器官さ。さっき言ったように、同じ親を持つ羽人同士での交尾は禁忌だからね。新たな神聖母たちは帝国を出て、他国のオスと交尾をするのさ。本来なら、他国のオスのほうから、うようよと寄ってくるらしいんだけど、私の帝国の神聖母は早世しすぎたんだね。帝国を出て、何年もひとりで生きてきて、他国の羽人に会ったのは今日が初めてだよ」
「……オスは? 神聖母が亡くなった帝国のオスはどうなるの?」
「多くが、帝国を出て交尾相手の若い神聖母を探す。もうほとんど生きていないだろうね。時期が悪すぎる。他国はまだ母たる神聖母が健在だろうから、若い神聖母は生まれていない。全員、若い神聖母を見つけずに死んだんじゃないかな。なあ、テト。ワタシを何歳だと思う?」
年上だとは思うが、シズクに老いたところは見られない。
「二十四、五じゃないかな?」
「不正解。もう、三十八になる。生まれた国を出て、もう二十年近く経ったよ」
テトは驚いた。羽人の寿命は長くて三十年。シズクの年齢は、その寿命を大きく越えていた。
「神聖母になって、寿命が延びたんだよ」
なるほど、とテトは納得する。子を産む神聖母は、他の羽人と違い百年という悠久の時を生きる。
シズクが目を細め遠くを見た。
「けれど、ただただどこにいるとも分からないオスを探してひとりで生きる日々は、きつすぎる。たった一人で生きるには百年の寿命は長すぎる……」
つぶやくシズクの横顔が寂しそうにテトには見えた。テトは帝国のために働き、生きている。きついが、充実した日々。たったひとりで生きていくには、この森は過酷すぎる。
「でも、生きてみるもんだ。今日ようやく、ワタシは他国のオスに出会った。ちょっと頼りないけどな」
シズクがカラッとした笑みを浮かべる。
「なあ、テト。アンタの精子をワタシにくれないか?」
テトの鼻孔を甘いような苦いような臭いがくすぐる。
「アンタの命の片割れを、ワタシにちょうだいよ」
途端にテトは、言い知れぬ強い衝動に駆られた。
股間が熱くなり、ズボンの中で痛いくらいに膨張する。初めて味わう現象に、テトは戸惑った。
テアから受け継いだ風読の眼が、シズクの身体から放たれる霧のような粒子を捉える。
「何、これ?」
テトは怯えた。
「良い匂いだろう? オスの発情を促すのさ。頭が痺れて、普段抑えられてる本能が自由になる。神聖母は、未来を紡ぐためにこんなことができるようになるのさ」
シズクが身を乗り出し、テトに近づく。
テトは恐ろしくなって、身体を引いて後ずさった。
「アンタの子を産んでやるよ」
シズクは、テトの手を取り、後退を止める。そして、テトに覆いかぶさるように、テトの上に跨った。
シズクの顔を見上げながら、テトは恐怖に身をすくめる。
シズクがテトの上に腰を落ち着かせる。その豊かな尻がテトの股間を圧迫する。
「あああっ」
電撃のような快感がテトを貫き、テトは思わず声を上げた。
それを見て、シズクは満足そうに笑むと、テトの耳元に口を近づけて言う。
「ワタシはこのままだと、槍が折れるまで獲物を狩って、腹を満たすだけの命を過ごすだけなのさ。護るべき母も、兄妹もいない。死ぬ時までひとりで生きるだけさ」
耳にかかる吐息に、テトは身もだえる。
「何の因果か、禁忌の子のワタシが、未来を紡ぐ力を得た。精子さえあれば、自分の子どもたちを生み、国を作ることができる。ひとりぼっちのワタシが女王になれるかもしれないのさ」
――だから、アンタの精子をちょうだい。
妖艶な声色の中に込められた悲痛な想いが、テトの心に響く。
シズクから香る匂いから、千の言葉でも言い尽くせない孤独、悲しみを、テトは感じた。
シズクが身体を起こすと、皮鎧を外した。肌着も脱ぎ、乳房をあらわにする。
どくんとテトの股間が脈打つ。乳房なんて、姉たちのをしょっちゅう見ているので見飽きている。そのはずなのに、シズクの乳房を見ると、胸が高鳴る。
――触りたい。吸いつきたい。
なんでこんなことを思うのか、テトには理解できなかった。
シズクが腰を後ろにずらした。テトのベルトを外して、ズボンの中からテトの股間をむき出しにする。
「怖かったら目を瞑っていな、テト。すべて、ワタシに任せてくれてればいいから」
強い背徳感に襲われる。テトは、シズクの妖艶な顔が怖くなって、目を反らし、空を見上げた。
多い茂った世界樹の葉に覆われた空が見える。
そして、雄大に飛ぶ巨大な何かが目に映った。
コウモリを思わす一対の巨大な翼。長く伸びた首から生える巨大な頭に、大きく割けた咢。二対の脚には太く鋭いかぎ爪がある。
二度、三度と羽ばたくと、こちらに向かって降下してくる。
「――っ飛竜だ!」
テトは、シズクを突き飛ばすと、自らもその場から大きく飛び去る。
一瞬後、二人のいた空間を飛竜のかぎ爪が薙いでいく。
飛竜の飛翔が巻き起こす乱気流に、テトとシズクは吹き飛ばされ、互いに離れた地面に転がった。
飛竜は上昇すると、上空から獲物であるテトとシズクを見据える。
「なんって、間の悪い!」
シズクが舌打ちをする。半裸の状態で飛翔し、自分の槍を拾う。
テトもズボンを直すと、飛竜爪の槍を拾いに飛翔する。
「シズク! 闘って勝てる相手じゃないっ!」
「そんなことわかってるよっ! 固まって的を絞らせたら助かるものも助からない! 別々の方向に逃げるよっ!」
シズクはテトの了承を待たずに、飛翔した。
「わかったっ! きっと二人とも助かろうっ!」
テトはシズクとは反対方向に向けて飛翔した。
『ゴアアアアアアア!』
飛竜が雄たけびを上げ、再び急降下を開始した。