戦士としての生活
それから二年の歳月が過ぎ、十四歳になったテトは、一人前の戦士に成長した。
羽化して二年。テトたちの世代も次第に帝国の戦力に数えられるようになってきた。
テトの四枚の羽は、より大きく、より逞しくなった。成人した羽人としては体躯は一回り小さいながら、今では帝国の誰よりも速く、力強く飛翔することができる。
左目のおかげだ。
テアが死の間際に残した命、それが奇跡を起こした。
一度光を失ったテトの左目は、光を取り戻した。それだけではなく、テトの左目は姿なく吹く風を視た。テトの左目は目には見えない風の流れを正確に読み取ってみせた。
テアの持っていた風読の眼、その力がテトの左目に宿ったのだ。
テアの命が起こした奇跡を無駄にしないよう、テトは毎日狩りに出る。
年長者の数は年々減っている。羽人の戦士が、寿命を迎えて死ぬことは少ない。羽人たちが行う世界樹の森での狩りには、常に危険がつきまとう。ベテランの戦士であっても少しの油断が死に直結する。帝国では、週に一人、二人の未帰還者を出していた。
世界樹の若木の中腹、ぽっかり大きく空いた空洞の中に建てられた帝国城。その発着場から、テトは狩りに向かうために離陸した。
まだ太陽は登りきっておらず、世界樹の森は薄暗い。
葉の間から漏れる朝日が、まだ幼さが残るテトの顔を照らす。その手には、テトの命を救った飛竜の指、そこから削り出した爪で拵えた特製の槍が握られている。
天を衝く世界樹の樹々の中を縫うように、テトは飛翔した。
太陽が昇るにつれ、気温が徐々に上がっていく。身体が暖まり、筋肉に力がみなぎってくる。テトは羽の回転を上げ、飛行速度をあげた。
西に向かい、川に出る。水場には獲物が集まりやすい。
川は木漏れ日に照らされ、きらきらと光っている。その川の様子に、以前テアと見た小川を思い出し、少しだけ心がざわつく。しかし、テトは気を取り直して、獲物を探した。
テトは高度を下げた。川辺は、少しだけ森が開ける。上空の敵から身を隠してくれる世界樹の葉は少ない。あまり高く飛びすぎると、飛竜や人面鳥の的になる。
かと言って、低く飛び過ぎてはいけない。とくに水面近くは駄目だ。水中には獲物を狙う魚人がいる。
帝国の誇り高き兄、姉たちから受け継いだ知識だ。テトは川辺では上下油断なく気を配りながら、飛翔する。
しばらく下流に向けて飛んでいると、一角馬の仔馬を見つけた。
輝かしいばかりのその体躯に、テトは感嘆の息を吐いた。白い体躯に、金色の鬣。一角馬たる象徴の角は、強靭な槍のごとく螺旋を描きながら天を突いている。
一人立ちするには、その一角馬は若すぎるように思える。はぐれたのか親馬は見当たらない。辺りを警戒することもなく、夢中で水を飲んでいる。
なんにせよ、大物だ。
仔馬といえど、その体躯のテトの五倍はある。角の長さは、優に八○センチ以上あるだろう。串刺しにされれば、命はない。
一角馬に気取られないよう、細心の注意を払いながら、上空から近づく。
勝負は一瞬。
一角馬の動きは、羽人に比べれば緩慢そのものだが、その疾走の最高速度は目を瞠るものがある。羽人の飛行速度をもってしても、一角馬に全力で逃げられれば追いつけない。一角馬が襲撃されたことを認識し、逃げの一手をとるまでの短い時間で仕留めなければならない。
羽音が届かないギリギリの距離まで近づくと、テトは槍を構えた。一角馬に向けて、全速力で降下する。風読の眼で、急降下に荒れ狂う風を読み切り、最短距離を最速で一角馬に向かう。
羽音に気付いた一角馬が頭上を見上げた。まぬけにも、テトに顔を晒す形になる。
「おおおお!」
雄たけび上げ、テトは槍を一角馬の右目に突き立てた。
苦痛にいななき、一角馬が二本足で立ち上がり、上体を反らす。
テトは槍を引き抜くと、下に向かって旋回するように飛翔し、槍で一角馬の長い首を斬りつける。
テトを振り払うように、一角馬が首を振り回し、前へ後ろへ蹄を蹴り上げる。
たまらず一旦距離を置くと、一角馬は茂みに向けて、駆け出した。
「逃がさないっ!」
スピードに乗られては、追いつけない。羽の回転を上げて、急加速する。
テトは逃げる一角馬の頭上に一気に取りつくと、槍を構えて脳天に向かって急降下する。
「たああああ!」
飛竜の爪で拵えたテトの槍は、易々と一角馬の頭蓋骨を貫いた。
絶命の叫びをあげ、一角馬の体躯が地に倒れる。
空中で荒くなった息を整えると、テトは一角馬の傍らに降り立った。
帝国の血となる一角馬に黙祷を捧げ、腰刀を抜き、解体作業に入った。
数回に渡って、川辺と帝国城を往復し、テトは一角馬の肉を搬送した。
最後に八○センチ以上を誇る一角馬の角を運び終える。
「おかえり、テト」
ちょうど帝国城の入口でサチとかち合う。
「あ、サチ姉さん! ただいま!」
「こんなに朝早く、しかもこんな大物を狩ってくるなんて、大したものだ」
よくやったと、サチがテトの頭をなでる。
嬉しくてテトの顔が自然とほころんだ。
サチは、十歳年上の姉だ。幼いテトたちを世話してくれた兄、サスと同い年。二十四歳を迎えたサチは気力体力ともに成熟しきり、帝国の戦士団の一翼を担う優秀な戦士だ。
歴戦の傷が刻まれたしなやかな体躯に、ウェーブのかかった美しい銀髪。帝国の英雄、鬼姫キアの跡を継ぐ者として、兄妹たちから期待されている。
「立派な一角馬の角だ。これは良い武器ができるぞ。はやく持って行って、工房の連中を喜ばせてやれ」
そう言って、サチが狩りに出て行く。
サチを見送ると、テトは帝国場内に入り、城内を第三階層まで降りた。
第三階層は、帝国に住まう多くの命を支える生産施設だ。獲物の肉の解体や調理を行う厨房。保存食を作成、保管する保管庫、帝国城の増築、修繕のための資材加工や、獲物の爪や角を加工する武具生成などを行う工房がある。
テトは一角馬の角を工房に持っていった。
「おはよう、テト」
テトたち兄妹を世話してくれたサスが迎えてくれた。
サスは一年前に狩りで左側の後ろ羽を傷つけて以来、狩りを引退し、工房での仕事に従事している。
テトは狩った一角馬の角をサスに手渡した。
「見事な角だ。これだけで、良質な槍が五本は拵えることができるぞ」
すっかり、工房の主となったサスが喜んだ。
「サス兄さん、ぜひとも強い武器を拵えておくれ。最近、外では獲物が凶暴化してきているように思う。未帰還者の数も増えているようだし」
テトの言葉に、サスは神妙に頷いた。
「任せておけ。俺はもう飛べないが工房で働いて、戦士たちを支えることはできる。俺が造った槍で、すこしでも多くの戦士たちを守れるように命を込めて造るよ」
「ありがとう。よろしく頼むよ、サス兄さん」
頼もしい兄の言葉に、テトは礼を言った。
サスはその姿に感慨深そうに言葉を投げた。
「あんなに小さくて、泣き虫だったテトが、こんなに一人前の戦士になるとは。自分のことのように嬉しいよ」
「兄さんたち、姉さんたちのおかげさ」
テトは、サスとその後二、三、言葉を交わすと工房を後にした。
そして、再び第一階層である発着場に登り、狩りに出た。
この日、テトはこの後、夕暮れまで狩りをし、角豚を二頭狩った。一日に狩った獲物は三頭。素晴らしい成果だ。
くたくたになって、帝国城に戻ったテトは、第四階層の大浴場で体を洗うと、第五階層に降りた。
十歳の幼い弟、妹たちが住む育児室に入る。
「あっ! テト兄さんだっ!」
テトの登場に、幼い兄妹たちは歓声を上げた。
食事中にも関わらず、我先にと席を立ち、テトの元に駆け寄ってくる。
「ご飯を食べてる最中に来て、ごめんね」
「ううんっ、全然かまわないよっ!」
テトの訪問に嬉しそうに笑顔を浮かべる兄妹たちに、疲れが吹っ飛ぶ。
テトはひとりひとり、分け隔てなく頭を撫でてやった。
兄妹たちの数は十人と、ずいぶん少ない。テトの年代と比べると、半数以下だ。十歳の兄妹たちより、年代が下がるとその数はより少なくなる。
帝国の母である神聖母ヤムリルの老いは、年々顕著になっている。すでに弱い九十を超えている。寿命三十年程度の羽人の戦士にとって、悠久と思えるほど長い時間を生きる神聖母ヤムリルは、年々産卵数を減らし、ついに産卵を止めた。
この事実が、帝国に何をもたらすのか、テトは分からなかった。以前に比べて少なくなってきたとはいえ、守り育てるべき弟、妹たちがいる。年長の兄、姉が、キアが、テアが、自分にしてくれたように、自分の命をただただ若い命のために使う。テトにできることはそれだけだ。
「テト兄さん、食事はまだかしら? よかったら、ここに持ってくるけど」
幼い兄妹たちの世話をしていた妹のネネが言った。
ネネは二つ下の妹のひとりだ。羽化したばかりで、もうすぐ初飛行に挑む。
「ネネ、ありがとう。せっかくだから、この子たちと一緒に食べようと思う」
テトの言葉に、幼い兄妹たちが歓声をあげた。
「了解。しばらくの間、この子たちを頼むわね」
ネネがテトの分の食事を手配しに行った。
しばらくすると、ネネがテトの分の食事を持って帰ってきた。
テトは幼い兄妹たちと一緒に、食卓を囲んだ。
幼い兄妹たちには、テトが狩った一角馬の肉が振る舞われていた。対して、大人であるテトとネネの食事は角豚の肉だ。
角豚に比べ、一角馬の肉は栄養価が高い。帝国では、未来を支える子どもたちに優先的に良い食材が回される。特に、食卓を一緒に囲む十歳の兄妹たちは、ほどなく蛹化を迎えるため、優先的に栄養価の高い食材を摂る必要がある。
「よく噛んで、いっぱい食べて、力をつけるんだぞ。そうしないと、大人になれないからな」
「「「はーいっ!」」」
テトに幼い兄妹たちが元気よく返事をし、もくもくと食事をほおばる。
「ねえねえ、テト兄さん、見て見てー」
テトの隣に陣取った妹のミアが、口に両手の人差し指を突っ込み、イーっと口を広げる。上下の乳歯の肉切歯が抜けていた。
自分の成長を見せびらかしたいのだろう。テトはその姿をほほえましく思った。
「キレイに抜けてるね。蛹になるのも近いんじゃないかな」
テトの言葉にミアは満足そうに頷いた。
「テト兄さんもそう思う? 最近、羽核もすごく腫れてきたの。見せてあげる」
ミアが席から立ち上がり、上着を脱ごうとする。
それをネネが止めた。
「こらっ、ミア! 食事にお行儀が悪いわよっ!」
「えーっ……。テト兄さんに見てもらいたいんだもん」
「駄目ですっ!」
ミアはふくれっ面をして、席についた。
その姿を、テトは微笑みながら眺めた。
すると、ミアがちょいちょいっとテトに手招きする。
「ん? なに?」
顔を近づけると、ミアはテトの耳元に顔を近づけた。今から内緒話をします、と宣言するように、口元を両手で覆った。
「後で、こっそり見せてあげるね。約束よ」
言い終え、顔を離すとミアがウインクをする。
可愛らしい妹の姿に、ますますテトは顔をほころばせた。
自分たちがそうであったように、幼い兄妹たちは現役の戦士たちが育児室を訪れるのをとても喜ぶ。生まれて一度も見たことのない外の世界。戦士たちの話に、幼い兄妹たちは目を輝かせ想像を膨らませる。
戦士たちの多くは、仕事の合間を縫って幼い兄妹たちの元を訪れる。喜ぶ兄妹たちの顔を見たいという気持ちもあるが、それだけではない。自分たちの経験を伝えていくのは重要な仕事のひとつだからだ。
別の日、ミアたち蛹化を控えた兄妹の部屋を訪れると先客がいた。
同い年の弟、テロだ。
帝国一の巨躯を誇るテロは、その体躯を存分に活かして狩りに励む。その戦い振りは激しく、帝国に住まう戦士の中、五指に入る強さと讃えられている。
大物狩りに拘る性格のため、狩猟数こそテトに及ばないが、大物の奪取率の高さはすさまじい。
帝国の英雄のひとりであるテロの語る話に夢中で、幼い兄妹たちはテトの訪問に気付かなかった。
「あ、テト兄さんっ!」
その中で、幼い妹のミアだけが、テトに気付き駆け寄ってくる。
走りながら上着を脱ぎ、幼い肌をあらわにする。
「ねえ、約束でしょー。見せてあげるー」
テトの目の前で、背中を向ける。
「どお? もうすぐ、大人になれるかな?」
テトは膝を着いて、ミアの背中にある四つの羽核を確認する。赤く隆起した羽核三つの羽核。右下の羽核だけは成長が遅れているようで、まだ肌色のままだった。
そっと、未発達の羽核に触れる。
くすぐったいのか、ミアが体をよじった。
触れた羽核は少し熱を持っているようだ。この調子なら、すぐに成長すると、テトは思った。
「そうだね、もう少しだと思うよ」
「わあい! よかったぁっ!」
ミアが飛び跳ね、喜ぶ。
くしゃくしゃっと頭をなでてやると、ミアがくるりと回転し、テトに向き合った。悪戯っぽい笑顔をテトに向け、平たい胸に両手を添える。
「おっぱいも、少し膨らんできたの。ミアが大人になって、もっとおっぱいが大きくなったら、テト兄さんを甘えさせてあげるからね」
思わず、テトは吹き出した。
「テロ兄さんから聞いたわ。テトはおっぱいが好きだって。おっぱいの大きな姉さんにばかり甘えてたんでしょう?」
幼き日の暴露話をテロはしたようだ。
戦士の面目もくそもない。恥ずかしさで顔が熱くなるのをテトは感じた。
「おっぱいが好きなんて、子どもっぽいのね、テトは」
いきなりテトを呼び捨てにしながら、ミアがからかうように言った。
「こっ、子どものときの話だよっ。それよりっ、風邪を引くといけないから、早く服を着なさいっ」
必死に威厳を保とうと、テトは言う。
「あー、ホント話なんだー。へえー」
鬼の首を獲ったかのように、ミアは嬉しそうにピョンピョンと跳ね回る。
後で、テロとしっかり話をしなければならない、とテトは思った。