テアの覚悟
夜が更けるにつれ、風も雨も強くなっていった。藪の中であることが幸いした。藪が風を遮り、洞穴の中が風雨に荒らされることを防いでくれていた。
そして、深夜になると、テトの体調が急変した。血を失くしたことと、ルキアに精気を分け与えたせいだろう。雨で冷え込んだ空気に体温を奪われ、がちがちと歯を鳴らし始めた。
心配そうに気遣うテアに、テトは強がりの笑顔を向ける。
「どうしたの?」
テトの外套に包まり横になっていたルキアが、おっくうそうに顔を上げた。
テアは自分の外套をテトにかぶせた。
「テトは昼間怪我をしたの。傷はふさがったけど、多くの血を失ったから、冷えに耐えられないようになったのかも」
歯を鳴らすテトにかわり、テアが答える。
「しょうがないわね」
精気をもらった上に、外套まで借りている。その相手が凍えていては、外套を借り続けるのも忍びない。ルキアはテトの外套を脱ぎ、テトに掛けてやった。
震えるテトのおでこと首筋を掌で触れる。
「ずいぶん、体温が下がってる。無理して、私なんかに外套を渡さなきゃいいのに……。テア、暖めてあげなよ」
テアは頷くと、テトの体を抱きしめた。
「違う、違う。テア、服を脱いで。肌で直接温めたほうがいい。服を着たままだと体温がうまく伝わらないわ。抱き合った上から熱が逃げないよう外套をかけるの」
「なるほど、分かったわ」
テアは、震えるテトの服のボタンを外していった。上着を脱がすと、テトの腰を浮かせ、ズボンも脱がしていく。
裸になったテトが凍えないように、テアは自分も手早く服を脱いだ。
「ルキア、悪いけど上から外套を掛けて」
「分かってる」
裸になったテアは、テトの体を折りたたみ、その胸に抱きかかえた。氷を抱くように冷たい。テアはテトを抱く手の力を強めた。
ルキアがテトを覆い隠すように、外套を掛けた。そして、もうひとつの外套をテアの肩に羽織らせる。
「ゆっくり眠らせてあげたほうがいい。テトの顔をこっちに向けて」
言われるまま、テアはテトの顔を抱きかかえた。
ルキアは背を向けると、丸く大きな羽を細かく羽ばたかせた。
光り輝く鱗粉が、テトの顔に降り注ぐ。
「何をしているの?」
「妖精の鱗粉にはいろいろな効果があるの。吸った者に幻覚を見せたり、眠りを誘ったりね。力の弱い妖精が獲物の精気を吸うための力だけど、少しだけなら害はないわ。深く眠れるはず。まあ、副作用で半日は何をしても起きなくなるんだけど」
歯を鳴らしていたテトが、次第に寝息を立て始める。
「ありがとう」
テアはルキアに礼を言った。
「どういたしまして。じゃあ、私も寝るから」
ルキアは洞穴の隅で横たわった。体温を逃がさないように丸く身をすぼめるように横になる。
――テト、頑張って。
テアはぎゅっと、テトの頭を胸に抱いた。冷えた頭に、自身の熱を分け与えてく。
「テア……。テア……」
眠りながら、テトがうなされるようにテアの名前を呼ぶ。
「大丈夫。ここにいるよ、テト」
テアがテトの頬に口づけをする。
その姿を盗み見ながら、ルキアはぼやいた。
「これで番じゃないだって? まったく、見せつけてくれるわね……」
ルキアはぼやき、二人に背を向けた。
氷のように冷えたテトの体を、テアは抱きしめた。足が冷えないように、外套の中でテトの身体を丸く折りたたむ。
「痛っ……」
乳首に痛みを感じ、テアは呻いた。外套の隙間から覗くと、胸に抱くテトが、テアの乳首を吸っていた。懸命に命をつなごうとする乳飲み子のように、まだ幼さの残るテアの乳房に顔をうずめ、乳首を口いっぱいに含むテト。
「やっぱり、テトは甘えん坊だ……」
テアは微笑んで、テトの銀髪を撫でた。
テトが愛おしくてたまらない。
テアはテトを強く抱きしめた。
『ケケケケケケ』
けたたましい鳴き声でテアは目を覚ました。
続いて鋭い何かが天井の岩を削る音。
「なにっ?」
裸のまま、外套から飛び出ると、テアは洞穴から外を覗く。
夜は明け、風雨は嘘のように収まっている。
そこに、うなりを上げて、巨大な爪が目の前に迫ってきた。
「きゃあ!」
テアは転がる様に洞穴の中に戻った。
バサバサッと翼を羽ばたかせる音。茶色の羽毛に覆われた巨大な翼をはためかせ、人間の顔を持った怪鳥が洞穴を覗き、獰猛な牙を剥いた。
「人面鳥っ!」口惜しそうにルキアが言う。「昨日の嵐で狩りができなくて飢えているんだわっ。ここを嗅ぎ付けられたのね……。雨が臭いを消してくれたとはいえ、ここには妖精と羽人、三人もいるんだもの」
初めて見る人面鳥は、巨大だった。
体長は優に二メートルを超えるだろう。翼を広げた長さは五メートル近い。
鋭い爪を持った脚に捕まれば、かよわい羽人などひとたまりもなく握りつぶされるだろう。
そんな化け物に、洞穴の入口を抑えられた。
広い空中であれば、羽人の旋回能力を駆使できるが、離陸の頭を抑えられてはそうもいかない。
テアは、テトを振り返った。
深く深く眠っている。
ルキアは、半日は眠り続けると言った。試しに頬を叩いてみるが、起きる気配は無い。まだ目覚めるには時間がかかるだろう。
『ケケケケケケ』
洞穴の外で人面鳥が威嚇するように鳴いた。鋭く巨大な爪で中に潜む獲物を掻きだそうと、人面鳥の爪が洞穴の入口を掻く。人面鳥の膂力はすさまじく、天井の大岩がこすれる音ともにずれ、少し穴が大きくなった。長くは持ちそうにない。
テアは覚悟を決めた。
「私が追い払ってくる。ルキア、テトのこと頼めるかしら」
テアは衣服を着ると、皮胸当を身に着けた。
「冗談でしょう? すぐそこで待ち構えているのよ? 飛んだ瞬間に狩られてしまうわ」
「このまま食べられるのを待つわけにはいかないわ。槍でつけば怯むはず。その隙に外に出れば戦えるわ」
「闘うなんて無謀よ。隙をついてみんなで別々に逃げたほうがまだ可能性があるわ」
「それは駄目。寝ているテトは逃げられないわ。起きるのを待ってたら、洞穴が壊されてしまう。テトを抱えてはとても逃げられない。追い払うしかないわ」
「そんなことしたら、あなたが無事に済むはずがないわ」
「百も承知よ」
「あなた死ぬ気? なんでそこまで……」
微笑むテア。
「ルキア、あなたなら分かるんじゃない?」
人面鳥が洞穴を爪で探るタイミングに合わせて、テアは槍を突き出した。
指の付け根を斬り割かれ、人面鳥が悲鳴を上げて洞穴から離れた。
その瞬間に、テアは洞穴から這い出た。
頭上で羽ばたく人面鳥と目が合う。
「あなたの相手は私よ」
テアは、人面鳥を見据えながら上昇した。