妖精との出会い
次に目を覚ました時、雨音が耳をついた。
テアが掛けてくれていたのだろう。体には毛皮の外套が掛けられていた。それでも身体は冷え切っていた。テアの言う通り、血を失い過ぎているのだろう。
テアは、洞穴から望む外を見ていた。
暗くなってきた世界樹の森に、弱弱しく雨が降り注いでいた。
「雨、降ってきたんだね」
「あ、テト、おはよう。うん、ちょっと前にパラパラと。強くならなければいいんだけど」
雨は日が暮れていくとともに、強さを増していった。少しずつ、風も強くなっていく。
「テトっ! あそこ、何か光ってるっ!」
暗闇に沈む藪の中を、テアが指さした。
遠近感を失った目では距離を測りかねたが、小さな光る球体が浮かんでいるのが見えた。藪をかいくぐる様にふわふわと飛んでいる。
その光は次第に大きくなっていった。近づいてきているのだ。
二人はとっさに、地面に置いた槍に手をかけた。
光る球体は、洞穴の入口まで迫ると、その光を抑えた。
「あら? 先客がいるのね。同じ妖精かしら? ――んー? ちょっと違うみたいね」
光の中から、メスの羽人に似た者が現れた。
羽人に似ているが、違うと直感で分かった。
羽が違う。
羽人の羽は蜻蛉のように細長いが、彼女の羽は蝶のように丸く広い。体躯は、羽人より一回り以上小さく、体つきもかよわい。
戦士の出で立ちではない。
雨に濡れた金髪を頭のてっぺんで丸くまとめ、緑色のふわふわした服を着ている。
「私は、妖精のルキア。あなたたちは?」
彼女――妖精ルキアは、敵意のない顔で二人に訊ねた。
「羽人のテアとテトよ」
テアが、槍を構えながら答えた。
ルキアは、うんうんと頷く。
「なるほど、羽人ね。会うのは初めてだけど、聞いたことがあるわ。妖精と羽人、私たちはきっと遠い昔に枝別れた親戚ね。ねえ、テアとテト。この雨で困っているの。よかったら一緒に雨宿りさせてもらえないかしら?」
ルキアの申し出に、テトとテアは顔を向き合わせて、逡巡した。
どうしたものか。
目の前にいる初めて見る妖精。害意はなさそうで、見る限り力も強くはなさそうだ。だからと言って、自分たちに牙を剥かないとは限らない。
「妖精を見るのは初めて? そんなに警戒しないで。あなたたち羽人族と違って、私には闘う力なんてないの。ヒラヒラと空を舞うくらいしか能がないのよ」
そう言うと、ルキアは許可を待たずに洞穴の中に入ってきた。ふうと息をつき、羽についた雨を落とす。
「思ったより手狭な穴なのね。悪いけど、ちょっと寄ってくれる?」
ずかずかと洞穴に上がり込むルキアに圧されて、テアが場所を空ける。
テトの向かい、テアの座っていた場所に、ルキアは腰を下ろす。
テアは、仕方なくテトの横に寄り添うように座った。
「きっと、これは台風ね。この後もっと雨足が強くなるわ」
ルキアが外を眺めながら言った。
「台風?」
テトが訊いた。
「あら、台風を知らないの? そうね、見るからにあなたたちは若いもの。気付けば歳を取っちゃたわ。いやになっちゃう」
ルキアは、ペラペラとしゃべりだした。
「台風って言うのはね。すっごく強い嵐のこと。たまーに来るのよ。ママは、神々の怒りって言ってたわ。すさまじく降り注ぐ雨は大地を緩め、荒れ狂う風は樹々をなぎ倒す。誰が神様を怒らせたのかは知らないけど、いい迷惑よね。あ、でもね、心配しなくてもいいのよ? 世界樹を引っこ抜くくらいすごい台風なんて稀なんだから。台風に遭遇するのは、私はもう四回目。大人しくしておけば、次の朝には過ぎ去るわ。あら、ごめんね。私ばっかり喋って。ところで、私の言葉おかしくないかしら?」
こくこくと頷くテトとテア。
ルキアは饒舌に語りを続けた。
「それは良かった。巣立ってから、もう何年もお話ししてなかったらから、言葉がおかしくなってないか心配になっちゃって。ほら、家族と離れると、一気に話す機会ってなくなるでしょう? 言葉を忘れないように、ひとりで森を彷徨いながら、毎日毎日歌ってきたけど、不安になるじゃない? あ、体が冷えたんだけど、どちらかの外套ちょっと貸してもらえないかしら?」
ペラペラとしゃべるルキア。
その迫力に飲まれ、テトは身に巻いた外套をルキアに差し出した。
にっこり微笑み、ルキアはそれを受け取り、すっぽりと身にかぶせる。
「ちょっと臭うけど、暖かいわね。汗臭いけど、ちょっとだけ甘い匂いがするわ。そうそう、何の話だったかしら? ああ、私の旅の話ね。もう巣立って何年になるかしら? ひとりで生きていくのって、結構つらいのよ」
「あなたは、たった一人で生きているの? 家族と一緒じゃないの?」
テアが質問に、深々とルキアが頷いた。
「家族とはとうの昔に別れたわ。私は大人になったんだもの。いつまでもパパやママの元にはいられない。自分の家族を持たなきゃ」
「自分の家族?」
「そうよ。逞しいオスに出会って、交尾をして、子供を産んで、一緒に育てる。それが私の使命だわ。命を懸けるべき使命よね。生きとし生けるものがみんな持つ使命。でも、なかなか運命の人には出会えない。気付けば、結構なおばちゃんになっちゃったわ」
テトとテアは顔を見合わせた。
ルキアの語ることが理解できない。
なんとか意味が理解できた言葉を拾い、テアはルキアに問いかけた。
「子どもを産む? もしかして、あなたは神聖母なの?」
「神聖母? 何それ?」
ルキアは訊き返した。
「女王にして、偉大なる母よ。子を産めるのは神聖母だけよ。あなたは、妖精の女王になるべき人なのね?」
見抜いたといわんばかりに、テアはルキアを見つめた。
そんなテアを見て、ルキアは腹を抱えて笑った。
「私が、妖精の女王? あーはっはっはっ! 随分、面白いことを言うのね」
ルキアは地面に転がって笑う。
「どうしたら、そんな思い違いをするのか分からないけれども、私はごくごく普通の妖精よ。妖精の女王なんて幻想だわ。自由気ままな妖精は群れたりしないもの。大人になったら自分の家族を作るためにすぐに独り立ちするわ」
テトとテアは驚いた。
「独り立ちってひとりで生きていくってこと?」
テトが訊いた。
「そうよ。ひとりで食料を確保して、ひとりで生きていくの。それが独り立ちよ。そして、気の遠くなるくらいの旅をして、運命の人を探すの」
「運命の人?」
テアが訊く。
恍惚とした表情で、ルキアが言葉を紡ぐ。
「そう、運命の人。私の血と混ざりあい、次の命をつむいでくれるオス。生きとし生けるもの全てが、生涯をかけて探し求める伴侶よ」
ルキアは言った。
しかし、二人は意味が分からなかった。
そんな二人を気にもせず、ルキアは言葉を続ける。
「私は、ひとりで世界樹の森を彷徨うか弱きメス。それでも、運命が自分を見放さないことは感じているの。ここまで歳をとって独り身でいる気持ちなんて、若くして番になった二人には分からないでしょうけどね」
「ツガイ?」
要領を得ず、訊き返す二人にルキアは苛立った。
「もう! 私がいい歳して独り身だからってバカにしてるの? 番は番よ。夫婦! 交尾する相手よ!」
「コービ?」
「あーもー! やめてったら! あなた達もしてるでしょう? 子を産むための行為よ!」
「そんなことしないわ。私たちは、子を産まないもの。子を産むのは神聖母の役割よ」
テアが言った。
ルキアが、怪訝そうに顔を歪めた。
「じゃあ、あなたたちの関係は何よ? 番じゃないって言うなら、オスとメスが何で仲良く二人で居るのよ」
「仲が良いのは当然だよ。僕らは姉弟だ」
ルキアが目を見開いて、驚いた。
「なんで、姉弟ふたりが仲良く洞穴にいるのよ?」
「試験なんだ。一人前の戦士となるための」
テトは、最終試験、サバイバル遠征の内容について説明した。
しかし、ルキアは合点がいかないらしい。
「年頃のオスとメスを一緒にしたら、姉弟でも子作りをしてしまうものでしょう?」
「だーかーらっ! 子を産めるのは神聖母だけよっ!」
テアが叫ぶ。
テトとテア、ルキアはその後しばらく言葉を交わすが、平行線のまま両者合点がいかない。そのせいでお互いに、イライラを募らせていった。
「落ち着きましょう。少し種族間の違いがあるらしいわ」
ルキアが言った。
子を産む。
その一点に関して、テトとテアの羽人族とルキアの妖精族に、大きな隔たりがあるらしかった。
「話をまとめると、あなた達にとって子を産むとは神聖母と言われるメスにだけ許された行為なのね?」
神聖母への敬意を感じない言い草が気になったが、間違っていないためテトとテアは頷いた。
それを受けて、ルキアが言った。
「それはとてもおかしいことよ。生きとし生けるものすべては、自分の子を産むために生きているわ。妖精がそうだから言うんじゃない。他の生き物もそうなのよ。角豚も、一角馬も、飛竜も。野に這う虫だって同じだわ。子を産み育てない種族なんていない」
「私たちは、子は産まないけど、兄妹たちを育てるわ」
「それがおかしいのよ」
ルキアは言った。
「ふつうは自分の子を産み育てるものよ。自分の子でもない弟や妹を育てるなんて、意味が分からない。兄妹とは大人になったら、早々に離れるわ。間違って近親婚なんてしたら大事だもん」
「キンシンコン?」
「あー、もー! めんどくさい子たちね!」
イライラを隠さず、ルキアが言う。
「何度も言ってるでしょう? 交尾よ、交尾! オスとメスが子を作る行為よ! オスがメスの股の割れ目におちんちん突っ込むの! そうしたら、メスの肚の中で子どもができるわ!」
テトとテアは、驚いて思わず自分の股間に目をやった。
排泄のためだけにある器官にそんな機能があるとは、にわかに信じられなかった。
「まあいいわ。妖精と羽人が近しいとはいえ別の種族だもの。それぞれの生態があるんでしょうね。あー、いっぱい喋ってお腹が空いたわ。ちょっと分けてもらってもいいかしら?」
テトとテアは顔を見合わせた。
明日の朝食用に剣牙猪の肉を残している。
少しくらい分けてあげてもいいだろう。
しかし、ルキアは勧められた剣牙猪の肉を断った。
「妖精は、肉なんて食べないわ。生き物の精気を食べて生きるの」
「精気?」
「命の欠片よ。ちょっと手を出してみて」
テトが手を差しだす。
ルキアはその手にそっと触れる。ルキアの身体が淡く発光し、掌伝えにテトの手に光が移る。
陽炎のような光がテトから立ちのぼり、頭上に光の玉を作り出す。
途端に、テトは強い疲労感に襲われた。
ルキアは浮遊する光の玉を、両手で抱える。
「この光の玉が、テトの精気、命の欠片よ」
そう言って、ルキアは光の玉に口をつけて吸った。
ルキアが喉を鳴らすたびに、徐々に光の玉が小さくなる。
「さすがに、全部いただくのは忍びないわね」
ルキアは半分くらいの大きさになった光の玉を、そっとテトの胸に当てた。
光の玉は、ゆっくりとテトの身体の中に埋まって消えた。
体を覆う疲労感がすこし和らいだ。
「ごちそうさま、テト。あなた見かけによらず強い力を持っているのね。美味しかったわ」