失ったものと守れたもの
テアに支給された高回復薬。その半分をテトの左目の傷にかけたおかげで、傷はふさがった。残り半分はテトに飲ませ、体力の回復に使った。
傷はふさがったが、テトの左目は光を取り戻すことはなかった。
半分になった視界は、窮屈だが慣れれば問題ないとテトは思った。
泣きじゃくるテアの頭を撫でる。テアの命を救えたのだ。左目を失ったくらい安いものだ。
「テア、大丈夫だから、もう泣かないで。さあ、剣牙猪を解体しよう。二人で獲ったごちそうだ」
少しでもテアを安心させようと、テトは率先して剣牙猪の解体作業を始めた。
腰刀を抜き、剣牙猪の首筋に切り込みを入れて血抜きをする。血抜きが終わると、丁寧に胴回りの皮をはいでいく。
しばらくすると、鼻をすすりながらテアが横に降りてきた。
「……テト、ごめんなさい……」
「もう、しつこいな。僕は大丈夫だから、謝らないで。さあ、はやく手伝ってよ。僕一人に解体させる気?」
テアは、もう一度「ごめんなさい」と謝ると、解体作業を手伝った。
通常の狩りであれば、血抜きをした後、頭部と脚を切り落とし、胴体だけを食料として帝国城に運ぶ。工房で武具として活かせるため、牙も切り落として搬送する。本格的な解体、加工作業は帝国城内に残る生産部門の兄妹の役目だ。
しかし、今回はサバイバル遠征だ。一夜野営を行う。
そのため、二人は今夜と明朝の食事分だけ肉を切り出し、獲物を狩った証拠に牙を一本切り落とした。
最後に、尊い命をもらう剣牙猪に黙祷を捧げる。
二人は野営地である洞穴に向けて飛んだ。
野営地に戻る最中、テトは自分の飛行に違和感を持った。いつも以上に、不安定な飛行になってしまう。ぐらぐらと身体が揺れ、うまく飛べない。
すぐに左目の喪失から来るものだと気付いた。遠近の距離感が掴めなくなっている。
その事実を悟られないように、テトはテアに助力を頼んだ。
「テア、悪いけど、手を引いてくれないかな。どうも、疲れちゃってるみたいだ。もともと飛ぶのが苦手だし」
「うん、任せて。テトはゆっくり休んでくれていいわよ」
テアはテトの手を取り飛翔する。
テトは自分の体を浮かせるぐらいの小さな力で羽ばたき、テアの飛翔に身をゆだねる。
自らの飛翔では感じたことのない滑らかな飛翔。
風を見る。風に乗る。風の上を滑る。
テアの言う、テトには見当もつかない感覚が、少しだけ分かったような気がした。
野営地に戻ると、大事をとって安静にしておくことにした。
野営に必要な水は、小川と洞穴を往復してテアが準備してくれた。
「嫌な空気ね。雨が降るかもしれない。早めにご飯作ってくるわ」
湿り気の増した空気を察知し、テアが調理に向かおうとした。
テトも腰を上げ、手伝おうとするが、テアに止められた。
「テトは休んでいて。傷はふさがったといっても、大けがをしたのだから」
「それは、テアも同じだろう?」
「私に外傷はないわ。ちょっと強く体を打っただけ。高回復薬でばっちりよ。でも、テトは多くの血を失ってる。顔が真っ白よ」
「でも、ひとりじゃ危ないよ」
テアは神妙に首を横に振った。
「軽率な行動は取らないわ。安心して。これでもすごく反省しているのよ。すぐに美味しい料理を作ってくるから」
そう言い残し、テアは洞穴を出て行った。
一人洞穴に残ると、テトは言い知れぬ不安感に襲われた。
最期の命を燃やして眼前に迫る剣牙猪の姿が、見えぬ左目の奥に浮かぶ。テトはぶるっと身を震わせた。
世界樹の森は危険で溢れかえっている。少しの油断で簡単に命を落としかねない。
森の恐ろしさを身をもって知ったテトは、祈るような気持ちでテアの戻りを待った。
しばらくして、焼けた肉の臭いが鼻孔に届いた。
「できたわよ。とっても、いい感じに焼けたわ。新鮮だから、きっと美味しいわよ」
続いて、洞穴の入口からテアの顔が覗く。
テアは両手に木の棒に差した剣牙猪の肉を五つ持っている。
「いっぱい食べて、血を作り直さないと」
テアは多めにテトに肉を分け与えてくれた。
強靭な肉切歯を、剣牙猪の肉に食い込ませて、肉をほおばる。
こんがりと焼けた肉のうまみが口内を満たす。自分たちが命を懸けて狩った獲物の味は格別だった。
生きているという実感。
不意に心の緊張が解けて、テトは思わず残った右目から涙を流した。
向かいではテアも肉をほおばりながら、泣いていた。
「テア、美味しい。美味しいよっ」
「うん、美味しいね。テト、美味しいね」
泣きながら、すべての肉を、二人は平らげた。
腹が満たされると、眠気に襲われた。
うとうととするテトに、テアが言う。
「寝ていいよ。私が見張っておくから」
「ごめん。ちょっとだけ。すぐに起きるから……」
テトは眠りについた。