初めての狩り
三時間ほど探索を行ったが、獲物は見つからなかった。
休憩ははさんでいるが、二人に疲労が貯まってきていた。
実際のところ、二人の三時間に及ぶ探索中に、幾度か獲物とニアミスしている。
羽人の目は良い。
高速飛行中でも、獲物が起こす小さな草木の揺らぎも見落とさない。
しかし、それは鍛えられた注意力があってこそだ。
若い羽人二人は、獲物の痕跡をすべて見落としていた。
また、二人の探索飛行は稚拙だった。
角豚を見つけたら風下に回ればよい、と考え、風向きを考えずに探索を行っていた。
その結果、二人の臭いが風に乗り、警戒した角豚は即座に逃亡を行った。
「ちょっと、休憩しましょう」
そう言って、テアが眼下の草むらに降りた。ひとしきり大きく育った草々は、背丈五十センチ以上はあり、葉の上にテアが腰を下ろしても、少したわむ程度で折れはしなかった。
テアの横に、テトも腰を下ろした。
「なかなか見つからないものだね」
「兄さん、姉さんたちって、やっぱりすごいのね。もっと簡単だと思っていたわ」
年長者たちは、ひとりで日に最低一頭は獲物を狩ってくる。
その姿を見ていると、狩りとは簡単なものだと鷹を括っていたが、実際にやってみるとその難しさが身に染みる。
休憩は取っているとはいえ、早朝から今まで飛びっぱなしだ。
テトの腹の虫がぐうと鳴く。
「ご飯にしましょう。お腹が空いていたら、狩りなんてできないわ」
二人は腰ポーチから支給された携帯食を取り出した。
磨り潰した木の実を水でまとめただけの団子。夢中で、胃に流し込んだ。お世辞にも美味しいとは言えないが、とりあえず空腹は癒える。
若い二人は、ここでもまた一つミスを犯した。
不用意に地上に降り、無警戒に休憩をとった。
二人が降りた場所には、羽人の身長を大きく越える草木が茂っている。
上空を飛ぶならまだしも、地に降りては見通しがあまりに悪い。
二人の臭いに気付くのは、獲物だけではない。
羽人を獲物にする者たちも、二人の臭いを嗅ぎ取っていた。
先に気付いたのはテアだった。
かすかに大地を震え、眼前の草木が二つに割れていく。
何者かが、草木をかき分けながら、怒涛の勢いで迫ってきている。
「テト、飛んで!」
二人は即座に、羽を力強く震わせ、草から離陸した。
一瞬後、二人が座っていた草が巨大な影になぎ倒される。
巨大な影は、獲物を捕り逃し、咆哮を上げた。
「剣牙猪だっ!」
テトは叫んだ。
巨大な影は、二本の巨大な牙をもつ剣牙猪だった。
角豚に似ているが、別の生物である。
体長は角豚の倍、一メートルにも及び、性格は獰猛で肉食を好む。動きも俊敏で、強靭な脚力を活かした突進の勢いはすさまじく、身体の軽い羽人が食らえばひとたまりもない。何より恐ろしいのはその牙だ。剣のように鋭く尖った牙は、羽人の身体など容易に切り裂く。
剣牙猪が、上空に浮かぶ二人に向かって再び咆哮をあげた。
その迫力にテトは身をすくませた。
「テア、どうする?」
テトの頭に逃亡の二文字が浮かぶ。しかし、テアは反対の意見だった。
「狩りましょう、テト! 大丈夫。角豚に比べると厄介だけど、そんなに難しい相手じゃないわ。兄さんや姉さんたちは、ひとりで狩ってくるんだもん」
テアが槍の穂先を剣牙猪に向けた。
その姿に、剣牙猪が威嚇の唸り声を上げる。
「前衛は私が! テトは後ろから援護してっ!」
「――わかったっ!」
一切の迷いも見せないテアに、テトは覚悟を決めた。
テアが剣牙猪に向かって飛翔する。
剣牙猪が短い助走から、降下してくるテアに向かって突進する。
「たああああああ!」
テアは迫りくる牙を、身を翻して躱し、剣牙猪の背上に回る。
通り過ぎていく剣牙猪の背に、槍を突き立てた。
剣牙猪が苦痛に悲鳴を上げて、後ろ足で立ち上がり、テアを振り落とそうとする。
テアは即座に槍を引き抜き、飛翔した。
立ち上がり無防備となった脇腹に一撃を見舞う。
首を回し、テアを攻撃しようとする剣牙猪。しかし、テアはすぐさま宙に上がり、その攻撃を避ける。
――すごいっ!
テトは、テアの戦いぶりに感嘆した。
刺しては離れる。
テアはお手本のようなヒットアンドアウェーをテアは繰り返した。
自分の回りを縦横無尽に飛び回るテアを追って、剣牙猪が牙を振るう。
しかし、風読の眼を持つテアは軽々と躱し、剣牙猪を槍で突いていく。
突かず離れずの絶妙な距離を保ち、スピーディーに攻撃を加え、確実に剣牙猪に傷をつけていく。
剣牙猪の注意はテアに集中していた。
――チャンスだっ!
テトは剣牙猪に向けて全力で飛翔した。テアとは違い、直線的な飛行。その分、スピードははるかに速い。自身の飛行が巻き起こす風圧に耐えながら、無我夢中で飛んだ。
一陣の突風と化して、飛行の勢いそのままに、テトは剣牙猪の背骨付近に突撃した。
ゴキリと鈍い感触が槍から伝わってくる。
テトの槍が剣牙猪の背骨を貫き、深々と突き刺さった。
「ゴアアアアアアア!」
剣牙猪が宙を見上げて、大きく叫ぶ。致命的な一撃に、剣牙猪の体躯がぐらりと傾いた。
「すごいわっ、テト! 今、とどめを刺すわ!」
テアが苦痛に苦しむ剣牙猪の顔を狙い飛翔する。駄目押しの一撃。顔面の急所、目を狙う。軽率な行動だった。経験豊かな戦士であれば、絶命間際の獲物を不用意に攻撃し、刺激することはない。
若い羽人の戦士は、初めての狩りに興奮していた。
テアの槍が剣牙猪の瞳を貫く。
そう思った瞬間、剣牙猪が必死に首を振った。
反り上がった剣牙猪の牙の腹がテアの体を横にから強く叩く。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げるテアが、大きく吹き飛ばされる。空中で体勢を整えることもできず、テアの体が草むらの中に消えていった。
「テアっ!」
テアを追って、テトは剣牙猪の背から離れた。
抜いた槍の傷から、ごぼりと血がこぼれだし、剣牙猪の背中を汚す。
テトは地面すれすれを飛翔し、テアの元に翔け付け、墜落するような勢いで着地した。
勢い余って、テトはその身を地面に転がす。すぐに起き上がり、テトはテアの体に飛びついた。
意識はない。
テトはテアの胸に耳をあてた。とくん、とくんと心臓の音が聞こえる。
――よかった。生きてる。
運よく、牙の刃に当らなくて済んだようだ。テアの身体には目立った傷はない。
早くテアを安全な所へ。テトははやる気持ちで、テアを抱きかかえ、羽に力を込めた。
そこに狂ったように荒ぶる剣牙猪が迫ってきていた。
最期の力を振り絞り、二人に覆いかぶさるように突っ込んでくる。
「うああああ!」
剣牙猪の強靭で鋭利な牙がテトに向かって振り下ろされる。
テトは、テアを護る様に身を丸めながら、剣牙猪から逃れるように背面に向けて上昇した。
必死に、羽だけに力を込める。
飛翔するテトと突進する剣牙猪の影が交錯する。
左の牙の切っ先が、テトの顔を掠めた。鋭い痛みとともに、テトの左目の視界が消えた。痛みからテトは左目を閉じながら、上へ上へ飛んだ。
剣牙猪はそのまま頭から地面に突っ込んだ。そして、そのまま動かなくなった。
「……勝ったっ!」
テトは左目の痛みに耐えながら、上空で停まった。
眼下では、剣牙猪の体躯がゆっくりと横倒しに崩れる。
テトは槍を脇に挟み、空いた右手で腰ポーチから高回復薬を取り出した。幼い羽人が錬成した高回復薬。疲れ切った体に活力をみなぎらせ、どんな傷でも立ちどころに塞ぐ万能薬。
テトは、瓶のふたを肉切歯で噛み砕き、中身をあおる。
――お願い! テア、飲んで!
口いっぱいに高回復薬を含むと、口移しで高回復薬をテアの口内に流し込んでいく。
こくん、こくんとテアの喉が鳴った。
淡くテアの身体が発光する。そして、数秒後、テアが目を開けた。
テトは安堵の息を吐いた。
「テア、良かった……」
テトの顔に焦点が合った途端、テアが悲鳴を上げた。
左目から流れる鮮血で汚れるテトの顔。テアは瞬時に自分の失態と、そこからテトが救済してくれたことを悟った。
「テトっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
「大丈夫。平気だよ……」
言ったそばから、テトの身体から力が抜けていった。左目の痛みに意識が遠のいていく。
テトの顔を濡らす鮮血は、止まることなく流れ続けていた。血を失い過ぎた。
ぐらりと傾くテトの体をテアは必死に抱きしめて、支えた。
「テト、しっかりしてっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
左目から血を流すテトの胸で、テアは泣きながら何度も何度も謝った。