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ツナガル羽  作者: はれのひ
プロローグ
1/35

羽人との出会い

神話の世界が色濃く残る時代。


人里から遠く離れた地に、天高くそびえる樹々が群生する森がある。その樹は、他の樹木と比べ圧倒的に太く、高い。太古よりそびえる樹々を人間たちは世界樹と称した。


世界樹の葉には不老長寿の力がある。


人間たちの間には、まことしやかにその伝説が流れていた。不老長寿を願う時の為政者たちは、世界樹の森を目指し、多くの冒険者を送った。しかし、願いを叶えた者は一人もいない。


過酷極まる世界樹までの道程。千年雪に覆われる大山脈、命あるものを拒む大草原。世界樹の森へたどり着く前に、多くの冒険者は命を落とした。


「世界樹の森に至り、その葉を採取し、帰還せよ」


生物博士であるハレノヒは、ある日、王から勅命を受けた。


伝説を追い求める、命をかけた冒険の旅だ。


世界樹の森には幾多の生物が生息するという。


生物学者として、まだ見ぬ生物と出会う機会に、博士は心を躍らせた。


たとえ命を落とすことになったとしても、悔いはない。


「先達の冒険者たちは、一度に山脈と大草原を踏破しようとしたから失敗したのだ」


博士は、まず五年の月日を費やし、千年雪の山脈を何度も往復した。少しずつ資材を運び、山脈の向こう側、大平原の裾野に前線基地を作り上げた。


前線基地から望む大草原は果てがなく、地平線の彼方にも世界樹の森を見ることができなかった。


伝承では東方にまっすぐ進めば世界樹の森にたどり着くことができるはず。


慎重な博士は、大平原に拠点を作りながら踏破する計画を立て、王に奏上した。


しかし、その計画は棄却された。


拠点作りだけで、加えて五年。


山脈の向こう側に前線基地を作るだけで五年を費やした博士に、王は焦れていた。


人の寿命は有限。


老いに悩む王に長く待つ余裕はありもしなかった。


「今すぐ大平原を越え、世界樹の森に至れ」


仕方なく、博士は手練れの兵士たち三○人を率いて、大平原を横断していく。


命ある者を拒む大草原とはよく言ったものだ。


照りつく太陽を遮る物は何もなく、どれだけ進もうとも川も湖もない。


大いなる自然の猛威の前に人間の力のか弱きこと。行程は困難を極めた。絶え間なく襲う乾きに、ひとり、またひとりと脱落者を出していく。


ようやく肉眼で世界樹の森を捉えたとき、博士は感動に震えた。彼方に見える世界樹の森は、ひとつの大樹のように雲にかからんばかりにその威容を誇っている。


まだ道は遠いが、たどり着ける。そう博士が思った時、もう付き合えないと、多くの兵士たちが脱走した。


それでも、博士は歩を進めた。


そして、博士が世界樹の森の淵にたどり着いたとき、博士はひとりになっていた。


とうに水も食料もそこを尽きた。


体中から水気が失せ、頭が朦朧とする。


とても、復路の旅を越えることはできない。


博士は死を決意した。


見上げてなお、天辺の見えない巨大な世界樹の樹々。その上空を飛竜(ワイバーン)が雄大に飛ぶ。


頑なに来訪者を拒むかのような深淵なる森の中に耳を澄ますと、聞いたこともない生き物の鳴き声が聞こえてくる。


幾多もの生命を育むと言われる世界樹の森。


この命が尽きる前に、まだ見ぬ生物に会うことができるかもしれない。どうせ死ぬならば、最後に自らの探求心を満たしたい。


生物学者としての本能に従い、博士は世界樹の森に足を踏み入れた。


 


 


 


伝承通り、世界樹の森の中は深かった。


世界樹が群生するその森は、茂る葉が太陽の光を遮り、中を照らすのは、か弱くこぼれる木漏れ日だけ。太古よりこの地に鎮座する森の中は日中であっても薄暗い。


森の中はとかく見通しが悪かった。人間の胴回りの何十倍もある幹を有した世界樹たちが視界を埋め尽くす。樹々の陰から遠くを見渡そうにも、その先には、また雄大な世界樹があるのみ。行けども、行けども、景色は変わらない。


博士は感嘆した。この森の広大さ、ひとつひとつの世界樹の巨大さに比べれば、人の身のなんと矮小なことか。


不老不死の効能があると言われる世界樹の葉は、天高くそびえた樹の高枝にのみ生い茂っていた。人の背丈ではもちろん、攻城用の梯子を持ってしても、届きそうにない。


この森に至るまでの準備に加え、葉の採取の準備もぬかりなく行う必要がある。博士は、森に辿り着いたからこそ知れる課題を得られたことに、満足した。


せめて落ち葉でもないかと、歩きながら地上を探るが、膝近くまで茂った草むらに覆われるのみで、世界樹の葉は一枚も落ちてはいなかった。草むらには、何かしらの動物が踏み荒らした形跡が、ところどころ見られたが、肝心の動物の姿はとんと見られない。


ときどき森の奥から、鳥や獣と思われる鳴き声が響いてくる。間違いなく世界樹の森に住まう動物がいる。鳴き声が博士にそう伝えてくる。


博士は鳴き声を頼りに、森の奥へ、奥へと進んでいく。


どれくらい道なき道を歩いただろうか。


博士は力尽き、世界樹の幹を背に座り込んだ。


汗も枯れ果て、乾ききった体躯を世界樹に預ける。ひやりと冷えた樹の感触が、熱が籠った身体に心地よい。


うつろな目で森を見渡す。苔を生した樹々ばかりが目に入る。


――ここで最期か。


新生物の発見は叶わなった。


森に入って以来、新生物どころか森に住まう動物一匹すら見つけられなかった。


無理もない。元来、動物とは臆病なものだ。それは愛玩化した犬でも、空を翔ける飛竜でも変わりはない。


何の準備もなく、ただ歩くだけでは鼠ひとつ見つけられないのは、仕方がないことだ。


王都一の生物学者を自称する自分が、何の備えもなく、希望的観測だけを胸に宝の山を歩き回っていたのだ。


呆れてしまう。


来世にて、再びこの森に足を運ぶことができるのであれば、ぜひ万全の準備をしたいものだ。


博士は苦笑した。


ふと、耳にぶうんという耳障りな音が聞こえてきた。


――虫、か?


蜂の羽音のような、低く鋭い音。


昆虫は専門外だが、生物学者として最期に世界樹の森の生物をこの目で見られるのはありがたい。


博士は眼球だけを動かして、羽音のするほうを向く。


目に映ったのは、予想と反して虫ではなかった。


四枚の薄羽で飛翔するそれは、人間の男の体を持っていた。


輝く銀髪をなびかせ、博士の様子を伺うように飛翔する。燃えるような紅い瞳が、射抜くように博士を捉えていた。


「……妖精(フェアリー)か」


博士は目を見開いた。


十センチ程度の体躯に、蝶のような美しく広い羽を持つ妖精。たまに人里に現れる害獣だ。人間の羽から舞う鱗粉で人々を惑わし、精気を吸う。可愛らしい娘のような外見をしていることが多いが、オスも存在すると伝え聞いていた。


妖精の住処が、世界樹の森にあったとは。


大変な発見に、博士は感動した。


「お前は人間だな? 死ぬのか?」


――なんと。


博士は耳を疑った。


目の前の妖精が人語を解したのだ。


「……何という大発見だ……」


惜しむらくは、この発見を王都に伝える術がないことだ。


しかし、この大発見を独り占めにして死ぬのも悪くないのかもしれない。


「妖精よ……、教えてくれ……。君たちは、君の仲間は……、君と同じように話すことができるのか……?」


妖精は、その美しい顔を不快そうに歪めた。


「こちらの問いに答えず、こちらに訊いてくるとは、人間とは伝承にある通り、礼を弁えない生物のようだな。それに僕を見て妖精と間違うとは、無知も甚だしい」


妖精が、妖精であることを否定した。


「き、君は……、妖精では、ないのか……?」


妖精ではない者が、鼻を鳴らした。


「妖精のような享楽者と一緒にするな。僕は誇り高き戦士だ」


そう言って、妖精ではない者が、身の丈以上ある長大な槍の刃先を博士に向けた。


確かに言われてみると、博士が知る妖精とは少し形状が異なるようだ。


妖精ではない者が言った通り、戦士という形容がふさわしい姿だ。


背の羽は、蝶というよりは蜻蛉の羽に近く細長い。目の前で飛翔する姿に、妖精のようなか弱さはない。ぶうんと低く羽音を唸らせ博士の眼前で浮揚する姿は、外敵を威嚇する蜂を思わせる。


体躯も優に三○センチはあるだろう。妖精に比べると、はるかに大きい。皮胸当に身を包んだ胴体も、むき出しの腕も脚も逞しい。


なにより博士の知る妖精と違うのが、その小さい手に持たれた槍だ。大きな動物の角から削り出したものだろうか。鋭利に尖った穂先は、明らかに殺傷することを目的とした武具だ。妖精が人を害する事例は数多くあるが、そのすべてが鱗粉により幻覚を見せられ、その隙に精気を少し吸われるといった可愛いもので、妖精が武具を構えて斬りつけてくるという話は聞いたことがない。


しかし、目の前の妖精ではない者は、下手に刺激すれば迷うことなく攻撃してくるだろう。そう思わせる迫力が彼には備わっている。


「君は……何者なんだ?」


博士は、妖精ではない者に問う。


妖精ではない者は、かわいらしさとはほど遠い獰猛な笑みを浮かべた。開けた口から発達した犬歯が覗く。


「僕は羽人(ハネビト)だ。帝国を支える戦士のひとり。偉大なる神聖母(しんせいぼ)テトミアの息子」


誇らしげに、妖精ではない者――羽人の戦士が空中で胸を張った。


羽人?


帝国を支える戦士?


神聖母テトミア?


生物学者としての探求心に火がつき、頭の中に疑問が溢れる。


「……君たちのことを、教えてくれないか……」


――どうかこの残りすくない命が尽きる瞬間まで――


博士の懇願を、羽人の戦士は冷たくあしらう。


「お前に僕たちのことを語って、何の得がある? まったく、傲慢な種族なのだな、人間とは。これでは、人間の肉を食うと悪しき心が宿るという伝承も正しいのだろう。せっかく大物を見つけたと思ったが、仕方がない。僕は狩りで忙しいのだ」


踵を返し、飛び去ろうとする羽人の戦士を、博士は力を振り絞り呼び止める。


「まっ、……待ってくれっ!」


乾ききった喉を酷使したため、思わずむせかえる。何度もせき込みながら、博士は右手の中指にはめられた指輪を取り外した。羽人の戦士に見えるように、指輪を差し出す。


神鋼(オリハルコン)で拵えた指輪だ……。話してくれれば、これを君にやろう……」


興味を引かれたのか、羽人の戦士が戻ってきた。油断なく、博士から距離を空けた位置でホバリングし、その紅い瞳で、指輪を物色する。


神々の力を宿すと言われる神鋼。この指輪は王より賜った希少品だ。人間界では、この指輪ひとつで城ひとつ建てられるほどの価値を持つ。もちろん、羽人の戦士に、人間界の貨幣価値など意味をなさないだろうが。


「そこまで見事な槍を拵えることができるのであれば……きっと君たちの役に立つだろう……」


博士は、死後、指輪だけを剥ぎ取られることを懸念したが、羽人の戦士はそうはしなかった。


「いいだろう。その指輪と引き換えに、誇り高き羽人について語ってやろう」


羽人の戦士は、その燃えるような紅い瞳を細め、再び獰猛な笑みを浮かべた。


「偉大なる父の話を聞かせてやろう。心して聞くが良い。飛竜の力を宿し、目に見えぬ風を見た伝説の戦士の話を」


そして、羽人の戦士はとうとうと語り始めた。


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