夏だし怖い話でも
実話です
殆どの夢は朝起きた頃には既におぼろげ、昼過ぎには忘れてしまいます。そんな夢の中に時折、妙に鮮明に記憶に残る夢があります。皆さんはストーリーの連続した夢を見たことがあるでしょうか?
これからお話するのは、私が小学校低学年の頃に見たとある夢についてです。
いつものように布団に潜り、眠りについた幼い私が夢の中で見たのは、先が見えないほど長く伸びる廊下でした。廊下の両側には等間隔で、装飾のないシンプルな作りの扉が並んでおり、私はその廊下を延々と、奥へ奥へと歩いていきます。何もしなければ私の体はただ前へと歩みを進めるのですが、時折気になった扉の前で立ち止まり、自分の意志でそれを開くことが出来ました。
「気になる扉」と表現しましたが、別段直感が働くだとか、扉が少し派手だとか、そんなことがあるわけではなく、ただなんとなく歩き続けるのも退屈なので戯れに開けてみる、という程度の事なのです。退屈潰しに時折扉を開くのですが、扉の先は決まって暗闇です。どの扉を開いても同じ暗闇が広がっているだけで特に面白いものなどありません。そうして歩いては扉を開き、また歩いては、と繰り返す内に気がつけば夢が終わり朝を迎える、そんな日が数日続きました。
ある日の私はいつもと同じようにその長い廊下を歩き続けていました。代わり映えのしないつまらない扉を開いては閉じ開いては閉じ…と、ある扉を開いた時のことでした。その扉そのものは他のものと何ら変わりなかったのですが、扉の先が暗闇ではなかったのです。扉の先は一歩目から花で敷き詰められており、そこはそう一面の花畑でした。道端でよく見る野草から見たこともない様な白く可憐な花までありとあらゆる色とりどりの花々が無差別に咲き誇っていました。その咲き方には何ら法則性は見て取れず、どう見ても無秩序そのものであるというのに不思議と整然さを感じさせ、幼いながらに私は、こんな景色をきっと幻想的、等と言うのだろうなと感じました。
今までの暗闇だけのつまらない扉と打って変わって美しい景色に出会った私は、直感的にきっとここが私の探していた場所なのだと考えたのですが、この花畑の先に進めば、もうこの廊下には戻ってこれない様な気がしたので、念の為すぐ隣りの扉も調べて見ることにしました。当時の私はゲームが好きだったのですが、イベントを進める前に、エリアのアイテムはできるだけ回収しておきたい、というタイプだったのです。そうして隣の扉を開いた私ですが、その先は予想に反して先ほどと同じ幻想的な花畑でした。てっきり暗闇が浮かんでいるものだと考えていた私は、念には念を入れてと、その付近の扉をいくつか調べて回ったのですがすべて同じ花畑に通じていたのでした。
「つまり、これは一度条件を満たすと以降すべての道が同じエリアにつながるタイプの奴だな!」と一人納得した幼い私は、ならばここで踏みとどまる意味もないだろうと、花畑へとふみ出そうとします。と、そこで偶然足元を見つめた私はあることに気が付きました。
ゆ か が な い
扉の先をほとんど隙間なく敷き詰めていた色とりどりの花々は、地面に植わってなどいなかったのです。先ほどまでの扉の先と何ら変わりない暗闇の中に、宙に、まるで暗闇を覆い隠すかのようにびっしりと浮いていただけだったのです。慌てて廊下側に下がり尻もちをついた私は、そこで初めて感情を取り戻したかのようにゾッとしました。もし躊躇なくあの先に足を進めていたなら、私はバランスを崩しあの暗闇の中へと落ちていったことでしょう。途中で落ちまいとしがみつこうにも周りには頼りない細さの花があるのみ。掴んだ茎は容易に手折られ、私を数瞬留めることすら出来ようはずもありません。
恐ろしさに気の遠くなった私が目覚めると、そこはいつもの木目の天井ではなく病院のベッドの上でした。私は夜の内に引きつけを起こし救急車で病院へと搬送されたそうで、医者によると、おそらく小児喘息の薬として飲んでいた薬を別のものに変えた際に、それが体質に合わなかったのが原因ではないか、ということでした。特に重篤な状態ではなかった、という話だったのですが、もし、あの時夢の中で足を踏み外し闇の中に落ちてしまっていたならば、どうなっていたのだろう、と考えると今でも少し背筋が震えるのです。