苦悩と痛み
「……許嫁?」
ルミナの口から放たれた衝撃的な事実よりも、俺の頭には1人の女の姿が浮かんだ。誰よりも幸せそうに笑う、儚い彼女―――――。
『あなたに会えて、私本当に幸せ―――』
そんな、彼女の優しい笑顔と嬉しい言葉は覚えているのに、俺は彼女の名前を、思い出せない――――。
そんな事を考えていると、ルミナは意地悪い笑顔を貼り付けて、わざとらしく月夜の肩を抱き寄せる。
「そんなマジマジと見て、羨ましんですか?羨ましんでしょ!自分には彼女さえいない、悲しい悲しいナルシルトだから〜」
「ちょっ、ルミナっ////」
月夜は顔を赤らめながらも抱き寄せられたことが嬉しいのか、顔が幸せそうだ。一方ルミナは、完全に俺をからかう事を楽しんでいた。いつもなら、ルミナにむかついている所だが、頭に彼女の顔がチラついて、全然きにならなかった。あろう事か、ルミナにらしくも無く忠告していた。
「大事にしろよ」
「……え?」
ルミナは聞き間違えたと思ったのか、素っ頓狂な声を零す。
「失った物は、もう二度と、戻らないんだからな」
「失った……?罪兎さんは、誰かを亡くしたの……?」
ルミナは眉根を寄せながら、聞き返した。隣の月夜も心配そうに俺を見ている。
―――少し、喋りすぎたか…―――
「さあな……。もう、忘れたよ」
「……」
忘れるわけない。そのはずなのに、俺はもうお前の名前を、思い出せない―。百合の花がよく似合う、お前が、分からない――。
『私を愛してくれて……、ありっ、がと……』
あいつの声が頭に木霊する。あいつの最後の言葉が、声が、頭から離れない。
『罪を、犯したわね―――』
「うあっ……!?」
いきなり、激痛が体中を駆け巡る。頭が一瞬で真っ白になった。上半身が焼けるように痛い。苦しくて、呼吸が荒くなり、胸を締め付けるような痛みに耐えられず、その場に倒れ込む。
「罪兎さん!?どうしたの!!」
「っい、痛いんですか!?」
突然苦しみ出し、倒れた俺に驚きながら、状況を確かめようと、必死に声をかけてくる。だが、そんなふたりの声も、周りの音も、全て心臓の音と頭の中に流れ込んでくる声とでかき消された。
「……っぁあ、っぅああ!!!!!!!!!」
痛みは徐々に増していき、視界は霞み、やがて意識はまどろみに落ちていった。
「罪兎さん!!」
呼びかけても返事は帰ってこない。どうやら、あまりの激痛に意識を失ったらしい。
「あ、天音さん、しっかりして下さい……!!」
月夜ちゃんも震えながら、必死に声をかける。だけど、罪兎さんは胸部を抑え、苦しそうに眉間にシワを寄せている。顔色も真っ青だ。
「月夜ちゃん、‘あの人’読んでくれる――?」
僕の言葉に月夜ちゃんは肩を震わせる。
「――いいの?彼はあの都市伝説に、深く関わってる」
「……多分、罪兎さんもそっち側の人間だよ」
その言葉に月夜ちゃんは目を見開く。そして、意を決したように静かに呟く。
「承知しました、すぐ召喚いたします」
「宜しく」
月夜ちゃんが準備をしている間に、僕は倒れた罪兎さんをくまなく調べる。
―――痛みを感じてるのは、恐らく胸部。服は汚れてないから打撲か、それによる内出血が原因か―――
傷の具合を見るために、ポロシャツを無理やり脱がす。
「……!?何だよ、これ……!?」
罪兎さんの胸部には刺青のような模様が浮き上がっていた。試しに触ってみると、それは恐ろしいほど熱を持っていて、少し触れるだけで焼けるような激痛がはしった。
「こんな痛みが、罪兎さんを蝕んでるの!?」
とても耐えられるような痛みではない。それに、初めて罪兎さんにあった時、こんな刺青は無かったはずなのに……。
「我が血に、お応えください」
そうこうしているうちに、月夜ちゃんが詠唱を始めた。
「闇に瞬く淡い輝、我が名は月夜――。神の名のもとに、召喚に応じよ」
「ジェフ・ロナウ・アルバート」
名をつぶやくと、月夜ちゃんの目の前に円形の陣が現れ、そこから1人の男性が姿を見せる。
「あら、珍しいねぇ~、君から招待されるとは」
「申し訳ございません、Mr.ジェフ。とても急用なのです。あちらの殿方を見ていただきたいのです」
「あ〜、どうせお前のボーイフレンドだろ。ほっとけほっとけ、多少のことじゃ死なんのだから……」
「僕じゃないんだよ、アルバート!!いいから早くこっち来い!!」
未だ疑わしく感じるのか、そろーっとこっちの様子を伺う。するとその瞬間、血相を変えてこっちにコンマ1秒ほどの速さで向って来た。そして、罪兎さんを上から下までしっかり見るとため息をつく。
「やべえな、こりゃ……」
「そうだよ、だから呼んだんでしょ……」
アルバートの言葉に少し罪兎さんの容態が心配になった。しかし、それはいらない心配だった。
「……超美形じゃねぇか、タイプだ――」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!ふざけんなよ、それどころじゃないんだよ、見ればわかるだろうがあああああ!!!!!!!!!」
怒りが爆発した。こんな時に何言ってんだ、呼んだ意味が分からなくなってきた。
頭がガンガンしてきたとき、呟く声が聞こえた。
「ルミ、ナっ……」
「罪兎さん!!大丈夫なの!?」
何とか振り絞ったような罪兎さんの声は弱々しくて、今にも死んでしまいそうなくらい握った手は冷たく感じた。
「罪兎さん、しっかりして!!」
「邪魔だ、どいてろ」
いきなりアルバートに肩を掴まれ、罪兎さんと引き剥がされた。それに驚いてる間にアルバートは右手を罪兎さんの胸部に押し当て呟く。
「GRACE」
その瞬間、胸の刺青は消え、罪兎さんの顔色も回復した。
「何したの、アルバート!!」
「企業秘密だ。それで、どうですか調子は?見目麗しき殿方様――――」
「やめい!!!!!!!!!」
僕にはタメで罪兎さんには敬語って、なんかむかつくので、1発チョップをいれてやった。続けて腹部を膝うちすると、運良く溝うちに入ったようで、その場に倒れ伏して悶絶している。その様子に満足したので、罪兎さんの方に目をやるとポカーンと口を開けたままアルバートを凝視している。
「どうしたの、アルバートになんかされた!?」
「……ジェフ・ロナウ・アルバート」
「……え、何でアルバートの名前……」
すると罪兎さんは悶絶しているアルバートに近づき、胸ぐらをつかんでアルバートの顔を凝視している。その視線に耐えられなかったアルバートは顔を真っ赤にして顔を勢いよくそらす。
当然だ。あんな美男子に数十秒も見つめられたら僕だって顔を背ける。
「……やっぱり、生きてたんだ」
「……は?」
「いつ、狩りから帰ってきた、アル?」
「……!!」
罪兎さんの言葉にアルバートは勢いよく振り向き、罪兎さんの顔を凝視する。
「生き残ったのは、アルだけなのか?」
「……何で、アンタは俺を、‘狩り’を知ってるんだ?」
「……お願いだ、それだけ教えてくれないか……!!」
罪兎さんは苦しそうに顔を歪めて、アルバートの答えを待っている。‘狩り’―――、それに何か深い事情が隠されているのかもしれない。
「……あれの生存者は2人。俺と、幼なじみの女だ」
「……!!……良かったっ、あいつも生きてたんだっ……」
罪兎さんはその女の人が生きていたことが嬉しいのか、ボロボロと泣き出してしまった。
「……な、泣くなよ!!」
いきなり泣き出した罪兎さんにオロオロするアルバート。まあ、そりゃあね。あんな美形さんに泣かれたらどうしていいか迷うよね、うん。そんな事を考えていると、急に罪兎さんはその場に倒れる。
「お、おい!!」
「……ZZZ」
「なんだよ、寝てるだけかよ……」
アルバートはホッとしながら、罪兎さんを真後ろのベッドへ寝かせる。そして、真顔で僕に話しかけてきた。
「おい、ルミナ……」
「なんだよ、アルバート。もしかして罪兎さんが美形すぎて困るとか言わないよね?言われても困るんだけど」
半分冗談で愛想なく言い返した。でもそんな僕の冗談を無視して、彼は信じられない言葉を吐く。
「天音罪兎って言ったな。この美形は恐らく、何らかの形で“罪斬り”に接触している―――」