10章①
信明は話終えると、タバコに火をつけた。
亮太はしばらく言葉を失っていたが、車内がタバコの煙で満ちてきたころようやく言葉を紡いだ。
「棚橋さんのおかあさんがのぶさんの親友だったなんて――。のぶさんは棚橋さんに会ったことあるの?」
「この前中古車屋に行ったときに会った。そのときがはじめてだよ」
「裕哉さんが憎い?」
「むかしはね。でも、結局は自分に非があったわけだし、いまさら裕哉を恨んだところで何かが変わるわけではないよ」
その後も亮太の質問は続き、車はやがて長野に着いた。
高速道路を降りて、いまは空き家となっている恩田家へ行く。車を停め、隣の加藤家を訪ねた。
「はーい、どちらさま」
初老の女性が顔を出した。信明にも薄っすら見覚えがあった。
「お隣にいた恩田早苗の旧友なのですが、うたちゃんきてないですか?」
「ああ、あなた、おひさしぶりね。お名前なんだっけ?」
「樫木信明です」
「思い出した。のぶくんね」
「どうもごぶさたしています」
「うたちゃんはお墓に行ってるわよ。そこの山の中腹にあるお寺さんね。まあ、少し待ってれば戻ってくるかもしれないし、ちょっと上がっていきなさいよ」
亮太に車で待っているようにいってから、信明は加藤家に上がった。
お茶をひと口飲んだあとで信明が切り出した。
「うたちゃん、なんで周囲に無断できたのかいってました? 家出ですか?」
「家出って、やっぱり無断できたのね。おかしいなとは思ったのよ。今日は公彦さん、うたちゃんのおじいさんの一周忌なの。ひとりで来るなんて、うたちゃんあっちでうまくいってないの?」
信明はうたが裕哉の家族とうまくいっていないこと、ひとりで中古車屋の事務所に住んでいることなどを話した。
「やっぱりね。私ね、公彦さんがガンで入院したとき、もしものときはうたちゃんをうちで引き取るっていったの。うちはもう子どもも独立しているし、ほかに頼れる身寄りもいないみたいだったから。でも公彦さん、その件はもう、うたの父親に頼んであるといってたの。話はつけてあるからって。公彦さんの通夜のときにその父親というのは見たんだけれど、私ね、そのときから、うーん心配だなあとは思ってたのよね。それで昨日突然うたちゃんがひとりでやってきて泊めてくださいっていうから、どうしたの? とは聞いたんだけど、あんまり詳しくは話してくれなかったのよ」
「そっか、おじいさんの一周忌だったのかあ」
「でも、どうして父親の彼ではなく、あなたがきたの? 一緒にきた男の子は誰?」
「裕哉からうたちゃんがいなくなったと聞いたんで、ひょっとしたらここかなと思って彼にはいわずにきてみたんです。一緒にきたのは亮太くんといって、うたちゃんの友だちです」
「へえ、そうなの。ボーイフレンドね」
「亮太くん待たせているんで、お寺へ行ってみます。早苗もそこに眠っているんですよね?」
「うん、そうよ。あなた早苗ちゃんのお墓参りしたことなかったの?」
「はい。恥ずかしながら」
早苗ともう一度再会しようと努力していたのだから、墓参りなどこれまで考えたこともなかった。霊魂は死後肉体から離れるため墓にはないし、行ってしまえば死んだことを認めたことになるような気がしたからだ。
でも、せっかくの機会だし、もういいかなと思った。
信明は加藤さんに寺の場所を聞き、亮太が待っている車に乗り込んだ。
「お待たせ。うたちゃんを迎えにいこうか」
寺は車で五分ほどの小高い山の中腹にあった。寺そのものはそう大きくなかったが、盆地を広く見渡せる高台にある墓地はかなり広かった。車を停めると、亮太が走りだした。
信明が後から歩いていくと、亮太がすでにうたを見つけていた。うたの前には恩田家の墓があった。
「のぶさんだよ」
「あ、このあいだの? のぶさんって、もしかしてのぶくんですか?」
「そう、僕は君のおかあさんの親友、樫木信明だよ」
「あなたが、そうだったんですね。お話はおばあちゃんから聞いていたので、ずっとお会いしたいと思っていました。なぜここにいるのがわかったんですか?」
「まあ勘というか、ちょっとした能力かな。それよりなんでみんなに内緒できたの? 心配してたよ、君のお父さんも。無茶しすぎだよ」
「すみません……。今日おじいちゃんの一周忌で、どうしてもお墓参りしたかったんです。事前にその、棚橋さんに相談したんですけど、ダメだっていわれてしまって、でもどうしてもきたかったので、無断でひとりできてしまいました」
裕哉のこと棚橋さんって呼んでいるんだ。そりゃお父さんとは呼びづらいか。
この前裕哉に心当たりはないのか? と聞いたとき、彼は答えなかった。おそらくそのときから長野へ行ったのかもしれないと思っていたのだろう。
「そっかあ。とりあえず無事でよかった。じゃまあ帰ろうか」
「はい……」
「その前に……。これ、もらっていいかな?」
墓の前にあった線香を手に取った。
「はい」
うたはうなずいた。
信明は線香に自分のライターで火をつけ、目をつむり、手を合わせた。
そして死者供養のため光明真言を唱えた。
「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」
早苗のために経を唱えるのもこれがはじめてだった。
信明は最後にもう一度長い黙祷をした。
「ごめん、お待たせ。行こうか。荷物、加藤さんのところにあるの?」
「はい」
「話しづらいだろうけど、加藤さんのところに着いたら裕哉に電話しなよ。心配してるだろうから」
「……はい」
うたを乗せてもう一度加藤さんの家に寄った。
「あの、のぶさんとお呼びしてもいいですか?」
「もちろんだよ」
「のぶさんにお渡ししたいものがあります」
加藤さんの家に着くと、うたからそういわれ、信明は一通の手紙を受け取った。
「この手紙、おかあさんが亡くなる直前に書いたものです。子どものとき、本棚にあった『はてしない物語』を読もうと思ったら、中にはさんでありました。のぶさんにいつかお会いすることができたら渡そうと思ってずっと持っていました」
懐かしい文字で『のぶくんへ』と書かれていた。
信明の手が震えた。
「ごめん、ちょっとひとりで読んできてもいいかな」
とてもじゃないが、平静を保って読める気はしなかった。
うたと亮太を残し、信明は城跡公園まで歩いた。
むかし早苗と座ったベンチに腰かけ、いまだ震えが止まらない手で手紙を開いた。




