9章⑧
自宅に戻ったあと、信明は部屋から出なくなった。
早苗の死で生きていく理由を失ってしまった。早苗のいない日々を過ごす気にはならなかった。かといって自殺する気力もわかなかった。
部屋にこもってから二週間後、鴻上が信明の部屋にずかずか入ってきた。
「おい、立てよ」
「なんすか……」
「おまえ、うちのじいのところで修行してこいよ」
「いや……」
信明は気のない返事をした。
「話したことあると思うが、うちのじいは仙人だ」
「……神社の人は仙人とは呼ばないですよ。道教の言葉ですから」
「こんなときでも細かい男だな、おまえは。とにかくうちのじいは霊魂を操ることができる。さすがに肉体を失った早苗ちゃんを生き返らせることは無理だが、彼女の霊となら話せるかもしれないぞ。まだ早苗ちゃんと話したいことあるんだろ? 別れのあいさつとか、いえなかった言葉とかさ」
「鴻上さんの話は信用ならない」
「おまえなあ、つべこべいってないでいけよ。このままひきこもるつもりか」
「……わかりましたよ。行きますよ」
まあどうせ無理だろうけど、話に乗ってやろう。ここにいても仕方ないし。
信明はそう思い、翌日車に乗って熊野に向かった。鴻上はすでに就職していたため同行しなかったが、話はもうつけてあるといっていた。
単位は取り終えていたので大学の卒業はすでに決めていたが、修業先の神社には、自己鍛錬のため山で修行することにしたので、春からは行けないと詫びを入れた。修業先や話をつけてくれた父親には勝手ですまないと思ったが、早苗のいないごく普通の日常を送る気にはどうしてもならなかった。
早苗以外のものなんて本当は何もいらなかったんだ。
失ったあとわかったってなんにもならない。
このまま山で神の使いになろうか。
車での道中そんなことを考えた。
紀伊半島をくだったあと、山に入り、国道沿いにある集落の神社で車を停めた。この神社には鴻上の両親と祖母が住んでいた。
「うちの父は厳しいよ。大丈夫かい?」
この神社の宮司である鴻上の父親がいった。
「あ、はい」
もうどうにでもなれという気分だった。失うものは何もないのだから。
翌朝、届けてほしいと頼まれた着替えや食べものなどを背に、山へと入った。想像以上に過酷な道だった。2時間ほど歩いたところで急にまわりが開け、意外にも大きな神社が忽然と姿を現した。
「参拝か?」
境内には険しい顔をした老人がいた。
「いえ」
信明は首を振った。
「じゃなんじゃ?」
「鴻上さん、岳臣さんの後輩です。話聞いてませんか?」
「知らん」
だよねえ。
そんな気はしていたが、話がついていたのは父親までだった。
信明は修業させてほしいという事の次第を話した。
「岳臣もおまえさんも勘違いをしておる。生霊と話すことはできるが、死霊と話すことはできん。死霊はただ神のもとへと帰るだけじゃ」
「やっぱり無理ですか」
「いや」
老人はここで少し間を置いた。
「それは、わしには、ということじゃがな。わしをも超えるほどの修練を積めばできるのかもしれん。それはわしにもわからん。それでもよいのなら、ここに置いてやってもええが、どうする?」
「はい、お願いします」
むかしはそんなこと微塵もなかったようだが、師匠は何十年もひとりでこの神社に住み、退屈を持て余していた。こんな修業したいなんて物好き、後にも先にもいなかったわけで、わしをも超えるほどの修練を積めば、というのは退屈しのぎと雑用係にするためのただの口実だった。そのことに信明も薄々気づいていたが、いまさら下界に戻る気もしなかった。戻ってもすることはないのだから。




