9章⑤
早苗は出産予定日の三週間前に体調を崩し地元長野の総合病院に入院した。
数日後面会できるまでに体調が回復したと聞いたので、信明はお守りお札に破魔矢と稲苗神社の授与品をありったけ紙袋に入れて、高速道路を飛ばし、長野まで見舞いに行った。
早苗は六人部屋の窓側のベッドに座って、豪華な装丁の『はてしない物語』を読んでいた。
「やあ」
「あ、のぶくん」
「これ、お守り。いっぱい持ってきた」
「わっ、こんなにありがとう。やっぱりこういうのって、たくさんあったほうがその分ご利益あるの? 交通安全のお守りもあるけど」
「それは神様に聞かないとわからないなあ。交通安全はあれだよ、人生もUターンやはみだし禁止ってことで入れておいた」
「もう。専門の大学行ってるくせに適当なんだから」
「日本の神様なんてだいたいが適当なんだよ」
「そうなんだ」
「いや知らないけど」
「もう」
「で、体調はどう?」
「うん、だいぶよくなった」
「お、それはよかった」
「ねえね、のぶくん」
「うん?」
「赤ちゃんの性別わかったんだ」
「調べたんだ?」
「うん。ね、どっちだと思う?」
「うーん、女の子?」
「正解です」
「おお、おんにゃのこかー」
「名前も決めちゃった」
「へえ」
「あててみて」
「稲苗」
「それ、のぶくんところの神社でしょ」
「苗木」
「女の子の名前じゃないでしょ。早苗の苗から離れてよ」
「千早」
「早もつかない」
「かなちゃん」
「違う」
「わからない。降参だよ」
「うたっていうの」
「うた? 漢字は歌? 唄? おばあちゃんみたいじゃない?」
「ひらがな。そっかな? かわいいと思うんだけど」
「ひらがなかあ。うん、やさしい感じするね」
「でしょー? この前ね、友だちがミュージカルタッチのアニメ映画を貸してくれたから観たの。その作品、主人公が歌で世界を救っちゃうの。すごくない? そのときふと、うたって名前が思い浮かんだんだ」
「そりゃアニメだもん」
「そうかな。実際うたって人を救う力を持っていると思うの。別に全世界じゃなくてもいい、誰か身近な人の世界を救うような、そんな子に育ってくれればいいなって思って」
「うん、そっかあ。そう聞くとすごくいい名前に聞こえるね」
うたちゃんかあ、信明は思いを馳せてみた。
「何考えているの?」
「うん? いや、どんな子に育つのかな―? って」
「いい子だよ、きっと。でも、恋愛運は私に似ないでほしいな」
「いや、早苗の恋愛運はこれから急上昇するよ。この前占ってみたんだ」
「ホント?」
「うん」
占ったというのは嘘だったが、信明は確信していた。未来は明るいと信じて疑わなかった。
「すみません、おからだ拭きますよ」
看護師が入ってきて信明をうながした。
「じゃあ、帰るね」と信明が手を挙げる
「うん。わざわざきてくれてありがとう。うれしかった」
早苗も手を振る。
『もう少し待ってて。産まれて退院したら、またいつかの城跡公園で、今度は僕がいうから』
そう心でつぶやいたあと、信明は病室を出て一度振り返った。
早苗は微笑んでいた。
それが、信明が最後に見た彼女の顔だった。
翌週、早苗は予定日より10日早くうたを出産したが、その際に容体が急変し、神の奉仕者見習いである信明に何の挨拶もなく、神のもとへと帰っていった。




