2章③
白川女子の生徒なのはたしかだし、放課後校門前で栞の彼女が出てくるのを待つという選択肢もあったが、そこまでするのはどうかな? とも思った。それほど大切なものでもないかもしれないし、見ず知らずの男子高校生が待ち構えていたら、怖いだろうと。この前本を借りているわけだし、図書館にいればそのうち来るだろうと、亮太はできるだけ気張らずに、待つことにした。
だが金曜日の放課後にも彼女は現れず、土曜と日曜は図書館へ行かなかった。月曜は休館日で次に図書館に寄ったのは火曜だった。栞を拾ってからちょうど一週間が経っていた。
返却待ちだった『十津川警部の挑戦』の下巻も金曜に借りられたので、図書館に用はなかったのだが、やっぱり気になったし、ほかに用もなかったので図書館に立ち寄った。ここ数日と同じように、新聞・雑誌コーナーの空いている席で雑誌を読みながら入口の様子を窺っていると、三十分くらいして栞の彼女がやってきた。
亮太の心臓の鼓動が急激に高まる。声をかけてただ栞を渡すだけなのに、かつてないほど緊張しているのが自分でもわかった。
彼女は返却コーナーで本を返すと、文庫コーナーに行き、この前のように背伸びをしたりしゃがんだりしながらあれにしようか、これにしようかという感じで本を選び始めた。
絶好のタイミングだ。亮太はバッグから栞を出して彼女に近づいた。
「あ、あの……」
「へっ?」
背後から話かけたので、彼女は驚いて身を震わせた。
「あ、突然ごめんなさい。これって君の、かな?」
そういって亮太は白い栞を見せた。
「あっ、はいっ、その栞、私のです」
彼女のまるい目が大きく見開き、亮太を見つめる。
亮太は、彼女の曇りない純真な喜び方に心奪われた。
「はい」
亮太は胸の抑えられない高鳴りを感じながらも、静かにゆっくりと呼吸するように、彼女の小さな手に栞をのせた。
「よかったあ。これ、すごく大事なものなんです。ずっと探していたんです。ありがとうございました」
「そうなんだ。一週間前に落ちていたのを見つけて、その前に君がここにいたから、君のものじゃないかなって思ったんだ」
「うれしいです」
「……」
亮太は彼女に再会できたら何を話すか、いくつものパターンを考えていた。だが、彼女に見つめられたときにすっかり失念してしまった。言葉が紡げず、軽い笑みを浮かべたまま黙りこんでしまった。
「本当にありがとうございました」
彼女は深くお辞儀をすると本を一冊本棚から抜き取り、持っていた本と合わせて貸出カウンターへ歩いていった。
「あ……」
言葉にならない。
亮太はその場で立ち尽くしたまま、彼女の後姿を漠然と眺めていた。栞を渡せた安堵感はなく、ただ楽しみが終わってしまったという喪失感だけが残った。
亮太には日常が戻った。
朝起きて学校へ行き、授業を受けて弁当を食べて、午後の授業が終われば帰って、本を読んだりゲームをしたりネットをしたり勉強をしたりして寝る。そんな特筆すべきことのない退屈な日常だ。
図書館もあれ以来行っていなかったが、借りていた本をすべて読み切ったので放課後一週間ぶりに図書館へ寄ることにした。
返却カウンターで本を返し、ノベルスコーナーへ行く途中、うしろから声をかけられた。
「あ、あのっ……」
「あ……」
栞の彼女だった。声が少しうわずっていた。
亮太には気持ちがわかった。この前の自分と同じで緊張しているのだ。
「あの、この前はありがとうございました。これ、お礼です」
彼女ははにかみながらそういうと、赤のリボンで口を結んだ黄色い袋を両手いっぱい伸ばして亮太に差し出した。
「うわっありがとう。そんな、別に、お礼なんてよかったのに」
声をかけられた瞬間は戸惑いのほうが大きかったが、彼女にまた会えたうれしさが急にこみあげてきた。だが一方で、喜んでいる場合ではないとも思った。
いま何かしないと彼女と話す機会がもう二度と来ないかもしれない。とりあえず話だ、話をしないと。あ、でもここは図書館だ。
「あ、そう、あの、その、そうだ、外にちょっと出ませんか。ここじゃ話できないし」
「あ、はい」
市立図書館には中庭があって、亮太は彼女と噴水脇にある木のテーブルをはさんで座った。
「あらためまして高木亮太です。東高の二年です」
座りながら頭を下げた。
「あっ、私はうたです。……棚橋、うたです」
「うたってどんな字書くの?」
「ひらがなです」
「へえ、ひらがななんだ。やわらかい名前だね。その制服って白川女子だよね?」
「はい、そうです。私も二年です。同じですね」
「何組?」
「えーと、二年B組です」
千香とクラス同じかなと思って聞いてはみたが、千香が何組なのか知らなかった。
亮太は話しながら考えている。
タメ口にしてみたけれど、失礼に思われないだろうか。外に誘ってしまったけど、迷惑じゃないだろうか。プライベートなことってどこまで聞いていいのだろうか。外は寒くないだろうか、などなど。
それよりなにより何を話せばいいのか。
何を話せばいいかなんてこと、必死に考えるのはこれがはじめてかもしれない。とりあえず無言になってはいけない。
「これ、開けてみてもいいかな」
亮太はうたからもらった黄色い袋を取り出した。
「あ、はい。でも、その、つまらないものなんですけれど」
亮太は結んであった赤いリボンをほどき、中の小箱を取り出した。紺色の革製の栞が入っていた。
「わっ、ありがとう! こういういい栞持ってないから、とてもうれしいよ」
「よかったあ。私のほうも喜んでもらえてうれしいです」
「そういえば、棚橋さんの栞の絵ってミント?」
「はい、ペパーミントです。あの栞、おかあさんがずっと大事に使っていたものらしいです」
「へえ、そうなんだ。だから大事だったんだ?」
「はい」
「棚橋さん、この図書館ってよく来るの?」
「そうですね、週に一度くらいです」
「そうなんだ。本好きなんだね」
「はい、大好きです」
「どんな本が好きなの?」
「『赤毛のアン』とか『不思議の国のアリス』とかそういう外国の児童文学が好きです」
「へえ」
亮太もタイトルは知っているが、どちらも読んだことがないので話が続けられない。
棚橋さんのほうからも「高木さんも図書館によく来るんですか?」「どんな本が好きなんですか?」とか聞いてくれたら話が弾むんだけど、おれには興味ないのかな。
亮太は黙ってしまった。
今日はもうこれ以上話すのは難しい。
とりあえずまた会うにはどうしたらいいだろうか。週一で来ているらしいし、頻繁に図書館に来れば、また会えるだろうか。
そのようなことを延々考えていると、名案がひらめいた。
来週の白女の文化祭に行ってみよう。棚橋さんにも会えるだろうし。
その思いつきをいま話そうか考えたが、まだ決めたわけでもないし、突然行って驚かすほうが楽しいだろうと思って亮太はいわなかった。
「じゃあ、そろそろ図書館に戻ろうか。棚橋さんも本借りるでしょ?」
うたが文庫本を借りるというので、亮太も同じく文庫コーナーで三毛猫ホームズシリーズを二冊借りた。
「日、暮れるの早くなったよね」
「はい、すっかり秋です。あの、私の家こっちなので」
「あ、そうなんだ。栞ありがとう。大切にする。では、またね」
「いえ、そんなこと全然ないです。こちらこそ栞を見つけていただいて本当にありがとうございました。はい、ではまた」
そういうと、うたはペコっと頭を下げて礼をし、別方向へ歩いていった。
亮太は彼女の後姿が見えなくなるまでその場に立っていた。
うたが最後に「また」といってくれたことがうれしかった。




