8章③
だが、その翌日の昼前、稲苗神社に裕哉から電話がかかってきた。
「うたがいなくなった。どこにいるか知らないか?」
「いなくなったって?」
「昨日事務所に帰ってこなかった。今日学校にも行ってないらしい」
「いや、わからない。心当たりはないのか?」
「おまえ、うたのことどこで知ったんだ?」
「友人に聞いた」
「友人って誰だ?」
「亮太くんという高校生だ」
「この前のあいつか。あいつが関係してるんじゃないのか?」
「亮太くんがそんなことするわけない。けど、まあ聞いてはみるよ」
電話のあと信明は亮太にメッセージを送った。
「昨日からうたちゃん見当たらないらしいんだけど、どこにいるか知らないかい?」
三十分ほどして返信がきた。
「えっ、知らない。どうしたの? 何があったの? なんでそんなことのぶさんが知ってるの?」
そのメッセージを見て裕哉に電話をし、亮太は知らないみたいだと伝えた。
うたちゃん、いったいどうしちゃったんだ?
信明は考えた。
携帯電話は持っているだろうし、連絡がつかないからこそ裕哉はわざわざ電話してきたはずだ。そこから考えられる可能性は二つ。拉致・誘拐等事件に巻き込まれたケース、それと家出というか自分からいなくなったケース。前者はもちろんのこと、後者も、もしも自殺目的ということなら一刻を争う事態だ。
警察や友人知人への連絡は裕哉が当然しているだろうし、自分にいま何ができるかといえばただ一つしか思い浮かばない。
亮太にメッセージを送った。
「お願いがあるんだけど、うたちゃんのもの何か持ってない? もらったものとか借りているものとか。あったら放課後持ってきてもらえないかな? 話はそのときにするよ」
夕方、亮太が息を切らしてやってきた。
「ねえ、棚橋さんに何があったの?」
「昼前にうたちゃんの父親からどこにいるか知らないかと電話があった。昨日から事務所に帰ってないらしく、今日学校にも行ってないみたい。どうしたのかはわからない」
「父親ってあの中古車屋の人?」
「そう」
「そうなんだ……。どうしよう。どうしたらいい?」
「うたちゃんに電話してみた?」
「繋がらないし、返信もない」
亮太に焦りが見える。
「まあ落ち着きなよ」
「そんなこといったって」
「僕らが慌てたところで仕方がないよ。それで何か持ってきてくれた?」
「あ、うん。借りた本ともらった栞」
亮太は栞を挟んだ本を信明に手渡した。
「『あしながおじさん』か……。じゃあ、ちょっと借りるよ。それで亮太くんに一つお願いがあるんだけど、いいかい?」
「うん。なんでもいって」
「あそこの直会殿の奥に地下への階段があって、下りたところに部屋があるんだけれど、明日の朝そこに来てもらえないかな。もし僕が寝ていたらゆすって起こしてほしいんだ。それでも起きない場合は僕の母にいって」
「ああ、うん、わかった。それだけでいいの?」
「それだけでいい。あとはまかせて」
「のぶさん、棚橋さんのこと知ってるの?」
「うん。実はよく知ってる子だったんだ。その辺の話は明日またするよ」
信明は渋る亮太を諭して帰したあと、母親と夕食をとり、自室で簡単な遺書を書いた。そのあとで風呂に入り身体を清め、白装束に着替えてから直会殿の地下の部屋に入った。
儀式の準備を整え、大きな鏡のある祭壇の前に『あしながおじさん』を置いて、深呼吸をし、ゆっくりとひふみの祓詞を読み上げていった。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……(ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、たり)」
この前千香に行ったのは、霊によって束ねられている魂のうちの一つを外に出す、脱魂と呼ばれるものだったが、これから信明がやるのは霊そのものを肉体から切り離す、幽体離脱だった。
自分自身に術を施すのはただでさえ難しい上に、肉体から出たあと霊界へ向かおうとする霊を現界にとどめ、意識を保ったまま人捜しをするというのは信明にとっても至難の技だった。
霊魂を出すと精神がいわば死んだ状態になる。霊魂が無事に肉体に戻ってこられるともかぎらず、最悪意識を失ったまま生涯を終えてしまう可能性もある。
だが。
信明の人生においての心残りは、早苗のために何もできなかったという思いだ。
それを少しであれ晴らす機会があるのだから迷いはなかった。
信明にはすでに人生への未練もなくなっていた。命を賭し、仮に落としたとしても後悔はない。
神社の息子なんて、なんてつまらないところに生まれたんだろう。
信明は子どものころよくそう思った。
でも、いつのころからか神社も悪くないなと思うようになった。
そのきっかけは高校生のときに早苗がいった言葉だ。
「私、神社って好き。人がまっすぐな心で何かを祈る姿って美しいよね。その清らかな祈りをお手伝いする神主さんや巫女さんのお仕事って素敵だと思う」
「たしかに、そうかもなあ」
早苗がそういうと、信明もそんな気がした。
自分のため、他人のため、あるいはこの世界のため、人が祈る姿は美しい。
信明は早苗を偲び、うたを思って祈った。




