6章⑦
千香はそのまま帰らずに、直会殿の地下へと戻った。
「ただいま……のぶさん終わったよ」
千香は眠りの邪魔にならないように、ささやくようにいった。
信明は横になっていたが、千香のその声に反応した。
「う……」
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
「ああ……千香ちゃん、帰ってよかったのに」
「ううん、まだのぶさんにお礼いってなかったから」
「そんなの、いつでもいいのに」
「ねえ、のぶさん」
「ん?」
「……わたし、いまね、牧人くんと会ってたんだ。自分の気持ち伝えてきた」
「そっかあ」
信明はそれだけで悟ったようだ。
「うん……」
「ねえ千香ちゃん、ラーメン食べに行こうか」
「えっ、ラーメン?」
「そっラーメン。千香ちゃんも好きでしょ?」
「好きだけど」
「じゃあ、行こうよ。なんか起きたら腹減ったあ。最近『さなだ』の激辛味噌ラーメンにハマってるんだよね」
「……あ、うん」
千香は気乗りしなかったが、断るのも悪いかなと思って誘いに応じた。
「さなだ」というラーメン屋は公園を抜けて、駅前へと続く商店街にあった。二年くらい前にできた、お酒も飲めるきれいで落ち着いた店だ。
「いらっしゃいませ。あ、こんばんは。毎度」
「どうも」
信明はこの店によく来るらしく、バンダナをした精悍な若手店主とも親しそうだった。千香と信明はカウンターの端に座った。
「今日は素敵な女性とご一緒なんですね」
「そう。いいでしょう?」
「うらやましいですね。姪っ子さんか何かですか?」
「僕、兄弟いないよ。友だちだよ、友だち」
「樫木さん……うっかりしてると通報されますよ」
「あ、お願いだから通報はしないでもらえるかなあ。千香ちゃん何食う? 好きなの頼んでいいよ。僕は、激辛味噌に味玉、あとは餃子と瓶ビール」
「じゃあ、わたしは……塩チャーシュー麺」
「塩チャーシューですね」
「味玉はつけないの? ここのおいしいよ」
「じゃあ、味玉も」
「味玉ですね。麺は普通でいいですか?」
「じゃあ、大盛で」
「食うねえ」
「す、好きなの頼んでいいっていうし、せっかくだから」
「うんうん」
「瓶ビールです」
「あ、わたし入れてあげる」
千香がコップを持ってビールをついだが、つぎすぎて泡があふれ出そうになった。
「っと」信明が慌てて口をつける。「うーん、うまい。とりあえず千香ちゃん頑張ったね。それで中村くんは、なんていってたの?」
「うん、その……待つって」
「千香ちゃんが振り向いてくれるのを?」
「うん、そういう意味だと思う」
「で、千香ちゃんはどうするの?」
「どうもしないよ。わたしも待つ」
「亮太くんが振り向いてくれるのを?」
「どっちかというと、わたし自身が諦めるのを」
「諦められるの?」
「そんなの、わたしにもわからないよ……」
「なんで自分の想いを伝えようとしないの?」
「それは……恥ずかしいし、きっとダメだし、いまの関係も壊れちゃうし……」
「中村くんだってきっとそう思ってたんじゃないかな? でも想いを伝えようと踏み切った。そんな中村くんを見てどう思った?」
「すごいな。カッコいいなって思った」
「そっか」
「塩チャーシュー大盛です」
「はい」
千香の前にどんぶりが置かれる。
「まずは食べよう」
「激辛味噌です」
「待ってました」
「のぶさんは、なんでその、そんなにわたしにいわせたいの?」
「さなだ」を出てから千香は聞いた。
「いや、自分でもおせっかいだとは思うんだけどね。でも、やっぱり自分自身がいえないまま終わってしまって後悔してるからついつい、ね。ごめんね」
「この前いってた親友のこと?」
「そう。まだいいやと思っているうちに取り返しがつかないことになって、ならばこうしようと名案を思いついたのに帰らぬ人になってしまった。だから彼女に伝えたかった言葉はいまも行き場を失ったままなんだ。千香ちゃんも、いますぐにどうこうしろとはいわないけれど、いつまでも同じ状況が続くわけではということは覚えておいたほうがいいよ。亮太くんや中村くんが高校卒業したあともこの街にいるとは限らないし、千香ちゃんだってどうなるかわからないでしょ?」
「うん、それはわかってる」
「よし、それならよし」




