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ミェツタテリィの影

なんかややこしい事態になってきましたが、メリッサは安定して変態です。



 どっちにしろ、アリスの存在は、各国にとって無視できない。少なくとも放置するという選択肢は、どの勢力にとってもあり得ない。

「……というわけで、財団は商売あがったりにしてくれそうな邪魔者を排除したい。しかし植民地省のエヴァンズは、この子を確保して国際社会における英国の切り札にしたい、と」

 まぁそういうことで、あってるかな?

 ベンジャミンが確認すると、アリスは黙って頷いた。

 賢明なる読者諸氏はお気づきだろう。

 アリスとベンジャミンの説明に、明らかに妙な点があることを。

 だがしかし、悲しいかな、ろくな教育を受けられなかったメリッサには、それを感じることも、内容について深く吟味するだけの思考能力もなかった。

 メリッサの頭は、説明の中の違和感よりも、眼前の美少女が飛行文化に大打撃を与えうる存在であるという話の衝撃だけで、もう容量いっぱいいっぱいだった。

「私は死にたくない」

 アリスは言う。

「軟禁されてもいいから、殺されるなんて死に方はしたくない」

 聞く変態によっては大喜びしそうなことを言う。

 だが、メリッサは、そっちに反応する余裕もなかった。

 ただアリスの、美しい青い双眼を見つめる。

「……だから、メリッサ。私をミスタ・エヴァンズに会わせて」

 彼のところへ、私を配達してください。

「アリス……」

 変な言い回しのことも、別に気にならなかった。

 今、メリッサが気になるのは、たった一つのことだった。

「アリス、もし私がエヴァンズ氏にあなたを渡したら、私の仕事はなくなる? 飛行師スワロウという仕事は、この世からなくなっちゃうの?」

 メリッサが深刻な顔で告げた問いに、アリスは目を瞬かせた。

 それから、安心を与えるような愛らしい笑みを見せた。

「航空産業が消えることはありません」

「でも、ベンジャミンの説明は!」

 咳き込むような訴えに、ベンジャミンとアリス、両方が落ち着けと言った。

「私は空軍の優位性に打撃を与える技術を知っています。その結果、現在の空軍や、スターゲイザー財団の中でも軍需産業に関連する連中にとって、目障りになっているのは事実です」

 しかし、とアリスは微笑んだ。

「だからといって、航空産業のすべてが潰れることはありません。私は戦争と結びつく航空関連産業は嫌いです。空は自由のはずです。だから私は、自由な空に戻したい。私は空を戦争に使わせない。空には夢と喜びがあるべきです」

 メリッサは、はたと気が付いた。

 今のアリスの台詞は、アレクセイ・ミェツタテリィの遺書『魂の翼』の一節だ。

 とすると、アリスは飛行文化の父、ミェツタテリィの関係者だろうか。

「……もう一つ、質問していい?」

「答えられることなら、答えるつもりです」

 頷いた美少女に、しかしメリッサは、思い浮かんだ疑問ではなく、空を飛べる者の一員としての思いを込めた問いを、ぶつけた。

「アリス、あなたは空を飛ぶのが好き?」

 空を飛ぶことを愛しているのなら、航空産業を壊滅させはしないだろう。

 そう思って投じた問いに、アリスははっきりと大きく肯いた。

「大好きです」

 一片の曇りもない、晴れやかな笑顔だった。

 その答えで、メリッサはアリスにつくことを決めた。

 メリッサは空を飛ぶことが好きだ。

 けれども、空が戦争に使われることは、好きではない。

 自分が珍しく年少で飛行師スワロウになれたのは、航空兵マグパイだった兄の戦死があったからだ。空を飛ぶことに憧れていたのは事実だ。早く飛べるようになりたかったのも事実だ。けれどもだからといって、メリッサは兄を失ってまで飛びたかったわけではない。

 アリスがエヴァンズ氏のところへ行けば、空が戦場ではなくなるかもしれない。

 そうしたら、空に憧れるすべての子どもたちは、もう誰も、自分のように誰かを空で失った悲しみを抱えながら飛ばなくて済む、かもしれない。

 スターゲイザー財団の一部が、自分たちの利益のために、戦争を食い物にする気でいるのならば、アレクセイ・ミェツタテリィの遺志に背くだろう。

 空が戦場になる戦争は、あの大戦だけで十分だ。



「了解したわ」

 メリッサはアリスの目を真っ直ぐに見つめ、自分の胸を叩いた。

「私は、あなたを植民地省の官僚、エヴァンズ氏のところへ、きっと届ける」

 その返事を聞いて、アリスは心底ほっとしたようだった。

「ああ……ありがとう、メリッサ!」

 感極まったのか、ソファから飛び上がって、メリッサに抱きついたほどだ。

 ああ、ふわふわだ。お肌すべすべだ。良いニオイがする。

 メリッサはようやく、通常通りの思考に戻った。

 この機会にとばかりに、安心させる風を装って、ぎゅっとアリスを抱きしめる。

 ああ、柔らかい。香水だろうか。本当に良いニオイだ。編んだ時も思ったけれど、髪の毛は本当にサラサラで絹糸みたいだし、艶のある金色で実に素晴らしい。まつ毛も金色だ。しかも長い。こちらを見つめてくれる目は、空よりも透き通る深みのある青。

 ああ、美少女は人類の宝!

 改めて、メリッサはこの至高の美少女を、戦争で肥え太る気の資本家どもや、勢力拡大を目論む空軍の連中などに抹殺させてたまるかと、心に誓った。

 それはそれとして、へへへ、とたっぷり美少女を堪能する。

 ベンジャミンはドン引きしていたが、抱きついてきたのはアリスの方なんだから自分は無罪だ、とメリッサは心に開き直った。

 やっぱり良心が咎めたのか、ベンジャミンが声をかけて、メリッサからアリスを引っぺがそうとしたところで、アリスの方が動いた。とんとん、と背中を叩いてくる。

「ところでメリッサ、私、待ってます」

 いささか唐突なその言葉に、メリッサもベンジャミンもぽかんとする。

「何を?」

 思わずそう聞き返すと、アリスは小さく口を尖らせて、メリッサのウェストポーチを、ちょんちょんと人差し指で叩いた。

「いつになったら、ロクムを食べますか?」

「ターキッシュ・デライトのこと?」

 アリスは肯いた。

「英国ではそう呼びますね。でもトルコではロクムといいます」

「へぇ……」

 そういえば、セント・ジェームズ・パークで、彼女を落ち着かせようとして取り出してみせたのだった。あまりに衝撃的な話だったせいで、すっかり忘れていた。

 ウェストポーチから、ターキッシュ・デライトの包みを取り出す。

「はい。アリスはピスタチオが好きだっけ?」

 その質問に、アリスはふふふ、と意味ありげに笑った。

「覚えていましたね」

「可愛い女の子のことは忘れないのよ」

 えっへんと、メリッサは胸を張る。

 そこは威張るところじゃないだろう、というベンジャミンの声なき声が聞こえたような気もしたが、すぱっと聞かなかったことにする。

 アリスはピスタチオのターキッシュ・デライトをつまむ。

 それから、メリッサの口元に差し出した。

「口を開けてください」

 要するに「あーん」である。

 メリッサは内心で狂喜乱舞しながら、口を開けた。

 ただでさえ美味しかったターキッシュ・デライトが、さらに美味しく思える。

 思わずうへへ、とだらしなく相好を崩し、変態全開となる。

 しかしアリスは気がついた様子もなく、オレンジのターキッシュ・デライトを、その可愛らしい口元へと運んだ。唇についた粉砂糖をなめる様に、メリッサは悶絶を堪える。

「茶を淹れてくる……あと、サンドイッチ、いるか?」

 呆れきったように席を立ったベンジャミンが、くるりとこちらを振り返って問うた。アリスが、お願いします、と返事をした。

 ジャガイモと人参と玉葱のサンドウィッチを食べ、紅茶を飲む。それなりに羽振り良くやっている商人だけあって、なかなか美味しい紅茶だ。少なくとも、先日メリッサがつかまされた、半分出涸らしのコーヒーなどと比較してはいけない良品である。

 サンドウィッチを食べながら、アリスは報酬について話してくれた。

 まず、手付金代わりにダイヤモンドを二つ。両方とも、小指の爪程度の大きさであるが、目の肥えたベンジャミンは、それを見るなり叫び声をあげた。

「いったい何グレインあるんだ? こりゃすごい値打ちモンだぞ!」

「そうなの?」

 いくらダイヤといっても、小さな石ころである。

 実感のわかないメリッサだったが、ベンジャミンは大興奮だった。

「おい、お前さんでも買える硝子玉(ペースト)とは、わけが違うんだぞ。ダイヤだ、ダイヤ! こいつ一つを買うのに数百ポンドでも出す奴がいたら、そいつはうすらトンカチだ! たったそれっぽっちで買えるような代物じゃねぇ!」

 そんな大金が! と思ったが、考えてみれば飛行師スワロウなのに、その一部とはいえ航空文化の基盤を支えている、あのスターゲイザー財団を敵に回すのだ。

 決して多すぎる、ということはないだろう。

 ベンジャミンはさらに、ガードルがまるいぞ、とか、このパビリオンの重厚さが、とか言っていたが、メリッサにはよく解らなかった。ダイヤモンドと、腰帯ガードルあずま屋(パヴィリオン)に、何の関係があるのだろう。質屋の用語だろうか。

「どこで換金すればいいの?」

 見るからにお嬢様であるアリスならともかく、明らかに下層階級ギアーズであるメリッサがこんなものを持ち込んだら、泥棒の疑いをかけられかねない。

「質屋です」

 アリスが、ある意味お決まりになったセリフを言う。

「私みたいなのがダイヤモンド持ってきたら、普通の質屋なら警察ヤードに連絡するわよ」

「この近辺の質屋は知りませんが、グレイズ近くにある『カラス商会(ジャックドー)』という質屋なら、大丈夫ですよ」

 アリスは飄々とそんなことを言う。飛行師(スワロウ)には全然遠くない距離だ。

「……ねぇ、それ、闇の店?」

 カラスだけに、いかにも真っ黒けな感じがする。

 アリスは笑って首を左右に振る。

「商会に行ったら、『ミェツタテリィの遺産』って言ってください。そうしたら大丈夫です。通報されることなく換金してもらえますよ」

 また、アレクセイ・ミェツタテリィの影がちらつく。

 その「カラス商会(ジャックドー)」の人間は、アリスの正体を知っているのだろう。

 だが今は、アリスの正体を知ることより、彼女をエヴァンズ氏に届けることの方が重要だ。成功報酬で追加の宝石がもらえるらしいし、何より空から戦争は駆逐せねばならない。



 店の方へ顔を出していたらしいベンジャミンが戻ってきた。

「おい、モーゼと電話が通じたぞ」

 どうやら、管制灯台守オウルのモーゼス・シュワルツ氏に、電話をしていたらしい。メリッサとアリスは、大急ぎで電話の設置されている三階に行った。

「モーゼス? メリッサよ! ジェミルはどうなった?」

 受話器を引っ掴み、咳き込むように問う。

〔ああ……メリッサ〕

 受話器の向こうから、訛りの強いシュワルツ氏の声が響く。

〔ジェミルは保護したが、今も意識不明だ。病院に搬送したが、自力での回復を待つのみだ〕

 メリッサと頬をくっつけ合わせて、送話器の音を聞き取っていたアリスが、少し涙ぐむ。頬の柔らかさを堪能していたメリッサは、少しだけ後ろめたい気分になった。

「とにかく、生きているのね?」

〔ああ……命に別状があるとは断言しがたいが、現状では死亡はしていない〕

 相変わらず、いかつい口調だ。

〔それより、メリッサ。お前の状況について説明を〕

はーい(ヤー)。お嬢様は無事保護。ただいまベンジャミンの古着屋にいます。あっ、急な依頼が入ったから、明日の新聞配達出来なくなったんだけど、真っ黒クロスケ氏(ミスタ・シュワルツ)から組合ユニオンに連絡お願いできます?」

〔馬鹿者! 己の職務については自己責任だと、何度説明させる気だ〕

 案の定、受話器の向こう側からカミナリがやってきた。

「あ、やっぱダメ?」

 軽い調子でそう返す。きっと今頃、真っ黒クロスケ氏(ミスタ・シュワルツ)は眉間に寄せた皺を、指でもみほぐしているのだろう。

〔貴様、未成年なのも今年で終わりだぞ。社会人の自覚が足りん!〕

 英国では十八歳が成人年齢だ。十七歳のメリッサにとって、今年は法律的に「子ども」でいられる最後の年である。だが、裏を返せば、もうほとんど大人なのだ。

 メリッサは、ふふっ、と笑った。

「ありがと。モーゼス」

 こんな風にきっちり叱ってくれるのは、もう彼しかいない。

〔何なんだ唐突に?〕

 困惑しているであろう声がこちらに届く。

「うーん? とりあえず、組合ユニオンには、ちゃんとこちらから連絡するよ。本当にありがとうね。お嬢様の方はちゃんと送り届けるよ」

〔そうか……ところで、そのお嬢様とやらの身元を教えてもらえるか? スコットランドヤードへの報告書を書かねばならんのだが、ジェミル君とやらがあの状態だ。いささか不安があるが、お前からの情報しか頼れん〕

 メリッサとアリスは同時に顔を見合わせ、そして眉をひそめた。

「……その書類、悪いけど後に回してもらえる?」

 どういう意味だ、というシュワルツ氏の疑問はもっともだ。

 だが、アリスは身元を明かしたくないようだし、そもそもメリッサとしても、別に知りたくない。というか、知るのは間違いなくまずい。これ以上依頼主の個人情報を得てしまえば、彼女が巻き込まれているトラブルから、抜けたくても抜け出せなくなるだろう。

 メリッサとしては、アリスを無事にエヴァンズ氏のところへ送り届けて、成功報酬を受け取って、そしてさっさと件の「カラス商会(ジャックドー)」で換金してしまいたいのだ。

 ダイヤモンドは魅惑の輝きを持つが、ダイヤを一万個も後生大事に持っていても、現金がなければ今日を生き抜くためのパンさえ買えないのである。そういう意味では、ただの石ころだ。

 残念ながらメリッサは神の子ではないので、石ころに向かって「パンになれ」と命じても無駄である。何の奇跡も起こせない以上、より有用な貨幣を求めるのは至極当然だろう。

 そんなわけだから、今ここで込み入った話はしたくない。

 どうしたものか、と悩んでいると、アリスが送話器を寄越すように手で示す。

〔おい、メリッサ?〕

「アリスに代わるわ……もっとも彼女、英語はうまくないわよ」

〔やはり外国人か〕

「そういう話は本人と直接してよ」

 メリッサは電話をアリスに明け渡す。

「メリッサ、たぶん難しい話になります。聞きますか?」

 アリスが恐る恐る、といった調子で問うてきた。

 多分、彼女も聞かれたくないのだろう。

 メリッサは軽く肩をすくめた。

「知らないでおくわ。そういうのはエヴァンズ氏のところへ到着した後で聞く」

「わかりました……じゃあ、ベンヤミンのところで食事でもしてて下さい。支払いは全部、私が持ちますから」

 こんな美味しい話、逃すわけにはいかないだろう。そして一番小粒のダイヤモンドでも、支払いには多すぎるぐらいに違いないのだから、ベンジャミンだって大喜びで、一番高いメニューを頼んだとしても、あっさりと注文を通してくれるだろう。ここで食い逃げに成功した者はいない。それどころか、ツケを利かせることができた者すらいない。彼はやり手の商人である。

「じゃ、そうさせてもらうわ」

 メリッサは、しめしめと思いながら、ベンジャミンに声をかけに行った。

 アリスは電話に向かって、しばし拙い英語を話していたが、途中からはシュワルツ氏よろしくの、ゴツゴツした喉音交じりの言語に切り替わった。きっとドイツ語だろう。





 Jackdawジャックドーは、より正確に訳すと「コクマルガラス」です。さらに精確に訳すと、舞台がヨーロッパなのでニシコクマルガラスです。しかし、コクマルガラスなんて書いても「ははぁ、あの鳥か」なんて読者はあんまりおられない気がするので、涙ながらに「カラス」と表記。

 コクマルガラスの愛嬌あるぼってりボディ(全長30センチ強)と、ハシブトガラスの逞しいどっしりボディ(全長57~8センチ)。全然違うんだよ……違うんだよ……!!

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