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パディントン駅発プリマス行き

久々の連日投稿だけど、これからまた忙しくなるので間が空くかも。のんびり、まったり、お付き合い下されば幸いです。

とりあえず、1930年のグレート・ウェスタン線の路線図を、デジタルデータを拡大してちまちま見ていたら、目が痛かったです。




 教授の発明品は、なんとも微妙だった。

 まず取り出されたのが、腕時計型トウガラシ発射装置。

「護身用に良いと思うんじゃ」

 そんな距離まで接近を許した時点で、アリスの身体能力では、時計をいじる前に捕獲されてしまう。そして、それを発射したが最後、きっとアリス自身にも被害が及ぶだろう。間違いない。賭けたっていい。ただし1ペニーだ。

「それから……」

 しばらく評価に困る発明の数々を並べた後、おお、と教授は手を打った。

「このノートを、お前さんに預けておこう」

 判読困難なほど汚い字で書き散らされたノートだったが、一目見るなり、アリスは内容と価値を把握したようだ。

「……ヴァイスシュタインの研究ノートではないですか」

 メリッサは、そろそろ頭が痛くなってきた。

 囮としてアリスの「複製コピー」であるジュディスを送り込んだのが、グレイズの宝石商エーデルシュタイン。

 アリスの本名が、アリックス・リヴァイ・エイゼンステイン、こと、アレクサンドラ・レヴィ・アイゼンシュタイン。

 眼前にいる胡散臭い教授は、シュタイン。

 そして、今度は「ヴァイスシュタイン」の研究ノートときた。

 脳内に積み上がった石ころ(シュタイン)が崩落していきそうである。

 うんうん唸るメリッサを無視して、教授はノートをアリスに差し出す。

「当局の監視下では迂闊に発表できぬし、価値を完全に理解して託せる同胞となると、不安定ながら、やはりお前さんしかおらんのじゃよ、アリックス」

「わかりました。受け取ります」

 少なくとも、ガラクタのような発明品を見ている時よりは、よほど真剣な面持ちになって、アリスは汚いノートを、恭しく受け取った。

 そして、ミリアムから渡されたトランクの中にしまおうとする。

「おお!」

 教授が喜色をあらわにした。

「そのトランクは、気に入ってくれたようじゃの」

 どうやら、この妙にゴテゴテしたトランクも、彼の発明品らしい。

 メリッサは一気に不安になったが、アリスは素知らぬ顔で解錠する。無造作にノートを入れると、音を立てて踏みつけるように、トランクを閉じる。

 危ない、と思ったメリッサの心配は、杞憂だった。

「素晴らしく頑丈ですから」

 トランクを踏みながら、再びアリスは鍵を掛けつつ、そう言う。

 たしかに、ミシリとも言わず平然と荷重に耐えるところは、胡散臭い発明品とはいえど、なかなか高性能だと評価せざるを得ない。

「そうじゃろう! 銃弾も防げる優れものじゃ!」

 そんな想定はしたくもないのだが、実際、メリッサとアリスの運命がかみ合ったのは、アリスの護衛であるジェミルが、謎の暴漢どもに狙撃されたことがきっかけである。

 従って、そう考えると、防弾性能は、むしろかなりの確率で必要そうだ。

 常に最悪の想定をしておいて、その対策を準備するのは、ユダヤ人の生存のための基本の手引き(マニュアル)だそうだ。カラス商会(ジャックドー)のジェレミー・ゴールドマンも言っていた。

 だが、そんなものが必要な生活は、できればオサラバしたいだろう。そして、オサラバできる可能性を、アリスは握っている。

 隣国フランスでのドレフュス事件といい、全部とは言わないまでも、おそらく少なくない数のユダヤ人が、このアリスの提唱する可能性に賭けているだろうわけで。

 そう考えると、たしかに教授の言葉にも、一理はあるわけだ。

 自分たちユダヤ人の、そんな大切なプロジェクトに、なんだってそこらへんで拾った、身元も怪しげな英国人の小娘を噛ませるのか、と。

 自分で自分をそう形容すると切なくなるが、下層階級ギアーズの無学な小娘であることは、言われたくはないものの、自覚はしている。

 まして、この胡散臭い「教授」が、あだ名通りの本当の「教授プロフェッサー」だったとしたら、それこそ知識区分において、彼と自分との間には、文字通り天と地の開きがあるわけで。

 当局が危険視して監視下に置くほどの人物なのだとしたら、おそらく、アリスと対等とまではいかずとも、優れた発想を数多くその頭脳に宿しているのだろう。

 使い道はともかくとして。

 メリッサは本日、才能の無駄遣いというものを、正しく理解した。

 きっと教授は、アリスの身を心配して発明してくれたのだろうが……きっとそうなのだろうが、説明される発明品の数々は、だいたい何かが間違っている。

 被弾前提のトランクは、まだ真っ当な方なのだなぁ、としみじみ思う。

「振ると五倍に伸びる棒、じゃ」

「へえ」

「手元のスイッチを押すと、任意の作用が起こせる」

「たとえば」

「トウガラシ液を噴射する。マスタード液を噴射する……あるいは」

「はいはい、分かりました」

 どれだけトウガラシが好きなんだ、このじいさん。

 だが、ある意味で危険物ではあるが、決定的な毒物などではないあたり、良心というやつが作用しているのではないか、とも思う。

 アリスの綺麗な綺麗な白いお肌が、トウガラシで炎症を起こした暁には、このベイカー街の教授とやらの家に、愛機で突撃をブチかましてやろう、とメリッサは心に誓う。

 そこで、思い出した。

(そういえば……)



 しまった。

 逃げることに精一杯で、今の今まで忘れていた。

 自分の愛機、兄の形見である小型飛空艇エアロボート「SC-D-ES21」は、グレイズの4番の揚発場ポートに、置きっぱなしにしてきたのだ。

 きっと警察ヤードか、さもなくば空警隊レイヴンズに接収されるのだろうなぁ、と思うと、やりきれない気持ちになる。

 そりゃあ、アリスのダイヤモンドと、それを換金した、あのスターリング銀貨を使えば、あれより高性能な新型飛空艇は、いくらでも買えるだろう。

 だが、あの飛空艇には、お金で買えない価値が詰まっている。

(ちょっと泣きそう、かも……)

 時々、前線から届けられる兄の手紙は、とても優しかった。

 兄の戦死の報を聞いた時には、胸に穴が開いたような気分になった。

 自分はきっと、兄の分まで飛ばなければならないと思ったものだ。ただし、戦場の空ではない、平和で、自由な空を。

 俯いているうちに、自動車フォードはどんどん西へ進み、特徴的な、鉄骨に前面ガラス張りの大アーチが見えてきた。オールド・スタイルの旧駅舎に、近代的な鉄製アーチを組み合わせたデザインは、少し、あの愛機を置き去りにしてきた、グレイズの揚発場ポートに似ている。

 だが、こちらは陸路のターミナル。

 グレート・ウェスタン鉄道、パディントン駅である。

「ではの。老兵は速やかに去るぞい」

 陽気な笑顔で、茶目っ気たっぷりにそう言うと、教授はダニエルを運転席から追い出して、自分がその位置におさまった。

 ダニエルは手早く荷物……無論、発明品の分が有無を言わさず増やされている……を取り、アリスの下車をエスコートした。目で促され、メリッサもエスコートされて降りる。人生初体験である。下層階級ギアーズの生活の中に、こんな丁寧な振る舞いをしてくれる男はいない。

 ちょっと感動しているうちに、アリスはちょこちょこと歩きはじめる。

「置いていかないでよ」

 思わずそう言うと、そっとダニエルがメリッサの手を取った。

「行きますか」

 びっくりして返事も出来ずにいると、ダニエルはそのまま、メリッサを半ば引っ張るようにしながら、アリスの後を追いかける。

 パディントン駅は、1838年に開通した古い駅だ。もとは金融街シティへの通勤用に作られたものなのだが、その行き先との間に、約3マイルもの距離があり、少々不便だった。なので、ビショップス・ロードの方へ少し延伸して、現在の位置に移り、そして現在の駅舎が造られた。

 小さなアーチを連ねて二列に並べて回廊を形作り、それをガラス張りの大アーチで覆ったデザインは、古い時代の建築物の良さと、新しい時代の息吹とが、絶妙な具合で混じっている。

 実を言うと、メリッサがパディントン駅に、汽車に乗るためにやってきたのは、これが初めてだ。

 飛空艇エアロボートという移動手段を個人で所有しているので、燃料ガソリンの補給が間に合う範囲では、常にこちらを使用しているのが、理由の一つ。

 そしてもう一つは、長距離移動を必要とするような、泊まりがけの旅行などが出来る身分ではない、ということである。月に一回の休暇で、メリッサの生活はぎりぎりなのだ。

 中産階級エンジンの人間には当たり前の娯楽になりつつある旅行も、まだまだ下層階級ギアーズには縁遠いものなのである。

 アリスは、以前に来たことでもあるのか、迷いのない足取りだ。

 小走りに追いつくと、失敬、といって、ダニエルがメリッサの手を離した。

 なんだか変な気分になって、思わず手をスカートで拭いてしまうと、ダニエルがいたく傷ついたような顔をしたので、あわてて、そういう意味じゃないんだ、と首を振った。

「違うの! 別にあなたが汚いとか、そういう意味は、全然ないから!」

「無理しなくていいですよ」

「ああ、違うのよ……私、男の人がそもそも、ちょっと苦手なのよ!」

 酒浸りで暴力を振るう実の父親に、平然と下品な猥談をする同僚と、メリッサが男が嫌いに育つ要因は十分だ。シュワルツ氏は、むしろ貴重な例外である。まぁシュワルツ氏は、半ば主治医のような状態なので、苦手であっては問題なのだが。

 メリッサは、ええい、と今度は自分から手を差し出した。

「ちょっとびっくりしただけだから!」

 それでも戸惑うようなダニエルの手を、今度はひったくるような勢いで握る。

「行きましょう!」

 そう言うと、幾分か彼の表情も晴れたようだった。

 迂闊な振る舞いは、繰り返された迫害で、散々に傷ついた彼らの心の傷を、えぐってしまうのだな、とメリッサは正しく理解した。こちらにそのつもりがなくても、悪いようにとらえてしまう。そういう風に育ってしまったのが、彼らユダヤ人なのだ。

 アーチの間をくぐり抜け、お目当てのプラットフォームへ出る。

 駅の雑踏の中で、アリスは不思議に目立っていた。

 切符は、パディントン発、エクセター経由、プリマス行き。



 リーディングを経てニューベリーを抜け、ウェストベリーからトートンへ一直線。エクスター行きの南側の路線に入り、さらに南下してドーリッシュ、ニュートン・アボットと、ダートムーアの南側を回ってデヴォン州へ入る。デヴォンポート駅の手前がプリマス駅である。

 パディントン駅から、直線距離でも軽く220マイルを超しており、飛空艇エアロボートなら、間違いなく燃料ガソリン切れで墜落の遠距離だ。

 ちなみに、メリッサの愛機の場合、最小荷重で、なおかつ風を読んだ丁寧な操縦を心掛けて、もって約170マイルである。もちろん、片道で燃料を使い尽くすし、そもそもこんな限界一杯まで操縦し続けるような事態を、全く想定していない。

 高級飛空艇エアロシップとなれば、交代要員がいるので、燃料が示す限界めいっぱいまでの運行も可能だ。

 しかし、メリッサの使うような「空飛ぶイルカ(スカイドルフィン)型」では、そもそも一人乗りであるために、こんな長時間操縦し続けることなど、不可能である。なので、メリッサは基本的に、ロンドンと、せいぜいがその近郊ぐらいまでしか、飛んだことはない。

 むろん、イングランドの西の果て、コーンウォールまであと一息ばかり、という、こんな遠隔地など、生まれて初めてである。

 道路と違って、線路は渋滞しないだろうが、それでも飛空艇よりも遅い速度である。これもまた、長く退屈な旅になりそうだ。そうすると、教授のばかばかしい発明の数々も、冷やかして遊ぶ道具だと思えば受け入れられる気がする。

 列車に乗り、コンパートメントを一つ占領する。

「どうぞ」

 手際よく、ダニエルがバスケットから軽食を取り出す。携帯用のポットに、紅茶まで入っているものだから、まるでピクニックの気分である。

「本当に、ミリアムは、準備が良いわね」

 アリスも同感だったようだ。

 つまりこれもまた、先ほどの美味なるチーズケーキと同じく、あの美少女の手作りというわけで、メリッサは不審者のように、ニヤニヤとやに下がった顔になる。

雑役女中オールワークスにしておくのが惜しいほどの腕ですよ。料理人コックになったって驚きゃしません。台所は彼女に任せるに限ります」

 ダニエルの言葉に、おや、とメリッサは首を傾げた。

「前に雇っていたところで、台所女中キッチンメイドだったりしたの?」

「いえいえ。最初から雑役女中です。ただ、我々は食事規定カシュルートのために、キリスト教徒などが料理したものを食べることが出来ません。なので、ユダヤ系の女中は、雇ってもらえる場所が少ないことを差し引いても、料理も出来ることが多いのですよ。雇い主もユダヤ系ということが多いので」

「ややこしいのね」

「まぁ、我々の目から見れば、あなた方の方が奇妙なんですがな。私はバルカン半島の出身ですが、イスラームの食事規定の厳しさも見慣れておりますし、キリスト教徒だって、ギリシャ正教徒は丸々ひと月も肉類を口にしないなど、食事に関しての細かい決まりがある集団の方が多かったもので」

 メリッサは、ははは、と笑って、肩をすくめた。

「このイギリスでは、普段の食事がすでに修行だと思うわ」

 そう言った瞬間、コンパートメントにいる三人、全員が、声を上げて笑った。

「なるほど、たしかにこれ以上厳しい食事では、人間は死んでしまいそうだ」

 ダニエルが笑って言った。アリスは笑いすぎてお腹が痛いらしい。ヒィヒィと言いながら、きつね色に焼けたフィナンシェを手に取った。

「ミリアムはイギリス系だけど、美味しいものもたくさん作れるのです。彼女の親戚は、アメリカの他に、イタリアとフランスにもいるのです」

 そう言いながら、ぱくりとアリスはフィナンシェをかじる。

 それはまた、たしかに料理の美味しそうな国である。

 カップに紅茶を注いで差し出しながら、ちなみに、とダニエルが補足した。

「商会主人のジェレミーは、ドイツ語を使うチェコ系です。移住したのが親の世代なので、彼自身は英語が母語ですが、料理はシュニッツェルなどの、ドイツ系のものを作ることがあります」

白身魚の揚げ団子ゲフィルテ・フィッシュも!」

「ああ、あれも美味しいですね」

 世界に冠たる大英帝国とか言っているけれど、この敗北感は何だろう。

 そうか、多分、自分が下層階級ギアーズだからだ。

 職場の整備士ヘロンが言っていたように、この国では、一握りの資本家ブルジョアジーが富を独占している。残る僅かな分を、大多数の労働者階級プロレタリアートが分け合って、貧しく生活している。だから、イギリス帝国がどれほど世界の富を持っていようと、結局のところ、それは資本家ブルジョアジーの富であって、労働者プロレタリアートの豊かさとは、結びつかないのだ。

 そんなことを話したらMI5に目をつけられるぞ、と言ってやったが、今現在、MI5のお尋ね者になっているのは、そのメリッサの方なのだから、世の中不思議なものだ。

 とりあえず、あの左寄りの整備士ヘロンは、今、どうしているのだろう。

 東欧系ユダヤ人の、ショレム・ダヴィドヴィチ・レヴィンは。






感づいていた人は、薄々感じていただろうと思いますが。

ええ。メリッサの職場で、左寄りの演説をぶちかましていた整備士ヘロンとは、まさに暗号名ミールナな、ソ連のスパイのあの人です。


ちなみに、二人がご対面する予感な、ロンドン・ロスチャイルド家のヴィクター様にも、実はソ連のスパイ疑惑があったりした。女王陛下に公式に否定してもらっているのですがね。

この話で、ヴィクター様がソ連のスパイだったら、とんでもないカオスだな。


アガサ・クリスティの小説に、パディントン発プリマス行きの列車で事件が起きるのがあるんですよね。ホームズ作品にも、パディントン発の列車ってのが、いくつか出てきます。

つまり何が言いたいのかというと、列車で事件を起こしたい。


あとダートムーアぐらいまで離れると、航空戦をやりやすくなるというのもあります。ハートフォードじゃ市街すぎる。

スカイアクションをがんがんにぶち込みたかったら、やっぱね、多少は市街地から離れないとね。墜落したら下にいる人たちとのあれこれも起きるし。


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