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デンマーク系英国人飛空兵アーサー

スコットランド独立党が、スコットランド議会の与党になった時から、来る来ると思っていたんですが、結局、独立には至りませんでしたね。歴史的瞬間を見るかと思いながら、テレビと新聞にかじりついてたんですが。

ちなみにアイルランドの独立は1922年なので、作中時間(1920年代後半を想定)では独立済みです。




 空警部隊レイヴンズ、ティルベリー・ドックス詰所を取り仕切る、アーサー・スペイバーンは、大戦時には陸軍の同じ部隊にいたこともある、現在はMI5所属の古なじみからの電話を切り、ハァッとため息をついた。

「分隊長?」

「おう、エドか……」

 エドワード・ブラッドノック。分隊の副長である。

「どうかしましたか?」

 アーサーは少し考えて、そして決断した。

「マッカラン、覚えてるか? ジョン・マッカラン。今はMI5にいる」

「ええ。あの、食い意地の張った少佐殿でしょう?」

 容赦ない評価に、しかし、アーサーとて反論する気はない。彼の旺盛な食欲は、平時には構わないが、人類史上初の総力戦を戦う軍人としては、いかがなものかと思うほどだった。

「おう。今は中佐だがな。アレがな……面倒な用件を寄越してきた」

「端的にお願いします」

 味も素っ気もなく、いっそ冷ややかなほどに、エドワードは切り返す。

 そうそう。こういうヤツでしたよ、ウチの副長は……と、内心で嘆息しつつ、アーサーは、この有能だが容赦のない副長の要求通り、なるべく簡潔な説明を心掛けた。ともすると、ついつい長々とした熱弁をふるってしまうのは、アーサー自身も理解している悪癖だ。これへの戒めも兼ねて、敢えてこの冷徹漢を副長にと望んだのは、他ならぬ己である。

「例の『アリス』を誘拐してこいと」

 ちょっと略しすぎたかもしれない。

「却下」

 案の定、すげなくエドワードは切り捨てる。

「何だってMI5の指示で、我々がそんなことをせねばならないのです?」

「うん、そう思うけどね、オレだってさ! けど、フランス政府との交渉はMI5(あっち)持ちにするから、骨をへし折ってでも確保しろって言うんだよ!」

 やけに強硬な言い様に、さすがにエドワードも首を傾げる。

「我が国の空軍戦力については、『英仏海峡ドーヴァーの魔女』アビゲイル・ウィリアムズの損失の方が、よほど大きいと思うのですが? 彼女は捨て置けと?」

 空警兵として、エドワード・ブラッドノックは、アビゲイル・ウィリアムズの能力を、大戦中から高く買っていた。彼女が性別を理由に採用されなかったことを憤りもしたが、それ故に、彼女がその腹立ちから英国を見捨てる行為に走ったのも、ある程度は納得できる。

 だが、そんな「魔女」より「アリス」を優先しろと、MI5は言うのである。

「……道すがら、詳細を、要点のみ、簡潔に、ご説明下さい」

 これは迅速に行動しなければならなさそうだ、と、エドワードの軍人としての勘が告げた。

あんがと(タック)! よし、行くぞ」

 パン、と手を打ち鳴らし、口癖のデンマーク語で礼を言って、アーサーは立ち上がる。

「制服のままで構わないのですか?」

「むしろ、制服着てなきゃ犯罪だろ?」

「……了解です」

 ロートシールト一族と、フランス政府の存在をチラつかせて、こちらを一度は引っ込ませた相手だ。上官が「誘拐」などと言うから、てっきり非合法手段に打って出る気かと思った。だが、どうやら空を視野に入れての「警備活動」の延長としての「身柄確保」ということらしい。

 エドワードは詰所の内線で、部下たちに、不在中の対処に関する通達を速やかに行う。

「行きましょうか。武装は?」

通常武装いつもので問題ないだろう。今回はさすがに、距離が短すぎる。『アレ』の登場にはおったまげたが、二機も三機も横流しできる機体じゃねえ。魔女は当分、動けねえだろ」

 アビゲイルが操っていた最新鋭機からは、やや型落ちとなるが、二人は慣れ親しんだそれぞれの機体に飛び乗って、揚発場ポートからグレイズへと飛んだ。

 飛びながら、アーサーは、簡潔に事情を説明した。

 例の「アリス」は、シオニスト組織の関係者であり、同時に、今後の戦争のあり方をひっくり返すような凄まじい技術知識を秘めた頭脳の持ち主である。彼女は、ユダヤ系英国貴族である、ウォルター・ロスチャイルド男爵と接触し、パレスチナ地域独立に関する協力を仰ぐつもりらしい。

「植民地独立協力……英国臣民の行為とは思えませんね」

 エドワードの呟きに、ふむ、とアーサーは少し考えてみる。

「じゃ、お前さん、スコットランド独立に置き換えて考えてみろよ?」

 我が身で考えさせてみようという、アーサーの目論見は、あっさりと潰された。

「独立派の家系が『エドワード』なんて名前をつけると?」

「うん……そうだな」

 エドワード。それは13世紀にスコットランドを征服したイングランド王の名前(※1世)である。スコットランドの王位継承の儀式において、重要な役割を果たす「スクーンの石」を奪い取り、イングランド王の玉座の下に置いた、スコットランド独立派にとっては、憎たらしい王の名前である。ちなみに、逆にステュアート朝君主である、ジェームズやチャールズの名前の人気は高い。特にジェームズは、スコットランド系に多いファーストネームである。

「私は『連合王国』の臣民として、国王陛下に忠誠を誓っています」

 シャーロック・ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイルは、故ヴィクトリア女王陛下に忠誠を誓っていたが、生まれはスコットランドのエディンバラで、家系はアイルランド系カトリックである。つまり、そういうことだろう、とアーサー・スペイバーンは理解した。



 連合王国の忠良なる臣民、エドワード・ブラッドノックは語る。

「もしもウォルター・ロスチャイルド男爵が、英国臣民として陛下の統治に反逆するような企てに加わるというのであれば、私は陛下の剣たる兵士として、それを断固阻止します。亡国の民の悲哀は察するに余りありますが、それはそれ、これはこれです」

 ああ。本当に、まったく、コイツは理屈の男だなぁと、アーサー・スペイバーンは内心にごちる。ドレフュス事件その他を鑑みれば、ユダヤ人たちの独立願望も、アーサーは心情的には理解できる。しかし、この理性的すぎる副官は、それをブッツリ割り切れるのだ。

(うん。グスタフ2世アドルフのアレは名言だな。スウェーデンとドイツは苦手だけど)

 17世紀の三十年戦争にその名を刻むスウェーデン王、「北方の獅子」の二つ名でも知られる、グスタフ2世アドルフ。その宰相、アクセル・オクセンシェルナは、非常に冷静な男であった。そのあまりの冷静さに、グスタフ2世は「人間が皆お前のようであったなら、世界は凍りつくだろう」と言ったという。これに対するオクセンシェルナの返事は「人間が皆陛下のようであったなら、世界は燃え尽きることでしょう」であった。まぁ、良いコンビである。

 エドワード・ブラッドノックは、空警部隊のアクセル・オクセンシェルナだろう。

(何なのかねぇ……オレの中のデンマークの血が、スウェーデンに「コンプレックス」とやらを抱いている、とでも言うのかねぇ)

 アーサーの祖父母は、デンマークからイギリスへの移民である。商人であり、まだ当時は世界の覇権国家であったイギリスに移ることで、商売を円滑に進めようと考えたらしい。

(「世界帝国」の栄光も、大戦で傾きつつある……「アリス」で取り返す?)

 もはやアメリカ人たちは、信じて疑っていないだろう。自分たちが大英帝国を蹴り落とし、世界の盟主の座に着くということを。

(エドぐらい、はっきり言い切れッかなぁ、オレ……愛国心? 忠誠心?)

 大戦で、ドイツと衝突することが明白になった時、アーサーは、己が立ち上がらなければならない、という思いを、強く抱いた。それは、歴史的にドイツ人の圧迫を受けてきたデンマーク系、として、何かが心に疼いたからであって、国王への忠誠心から、ではなかった気がする。

(っつーか、今の英国王って、ぶっちゃけドイツ系だしな……)

 現国王、ジョージ6世陛下は、ヴィクトリア女王の曾孫であり、ドイツはハノーファー選帝候家の血を引く。もっと言うと、女王の夫であったアルバート公から、ザクセン公国のザクセン=コールブルク=ゴータ家の血まで引いている。ばっちりドイツ系だ。

 ちなみに現在のウィンザー朝は、ハノーヴァー朝の後身と見なされることもあるが、両者は厳密には異なっている。ハノーヴァー朝は1714年から1901年まで、イギリスと、ドイツはハノーファーの同君連合国家として成立していた王家である。ハノーファー選帝候家は、かの神聖ローマ帝国の皇帝選出に関わっていた名家だ。したがって同家では、フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)にも遡る「サリカ法典」に従い、女子の継承権を認めていない。そのため、1901年にヴィクトリアがイギリス女王となった際に、ハノーファーとの同君連合は解消された。だが、その時から今に至るまでも、脈々とドイツ系イギリス人の王が続いているのだ。

「分隊長」

 物思いに耽るうちに、もうあっという間に目的地は眼下だ。

「グレイズ・アーケードの揚発場ポートに、着陸申請を行います」

「おう。出来れば4番がいい」

「了解しました」

 ティルベリー詰所の「オクセンシェルナ」は、疑問も差し挟まず、要請を行う。頼もしい副官だが、万が一、己が英国臣民にあるまじき行動を取れば、躊躇なく銃口を向けてくるだろう。実に、まったくもって正しい「国家の走狗」である。

(さて、と……とにかく、エーデルシュタイン商会に行かにゃあ、な)

 エーデルシュタイン。ドイツ語で「宝石」という名の、宝石商。そのまんますぎて笑える。笑えるが、だが、笑えない。

 一説ではあるが、ハプスブルク家の政策によって、出自の区別を兼ねて、ユダヤ系の姓には一部、共通の特徴がある。「~ベルク(berg/山)」や「~タール(thal/谷)」などの地形系の姓は、ユダヤ系以外のケースもなくはないが、「~シュタイン(stein/石)」という鉱物系の姓は、ほぼ間違いなくユダヤ系である。

 行き先を告げた瞬間、アーサーの有能なる副官殿は、案の定、銃の確認をした。彼もまた一発で、かの商会がユダヤ系であることを察したのだ。

「敵の懐じゃありませんか」

「巨視的に見ろ。連中は大英帝国の懐だ」

 なだめるように言うが、エドワードの目つきは険しい。

警察ヤードのメンバーは?」

「空はオレたちの管轄だ。オレたちが取り調べをするのが、筋ってモンだ」

「いいえ。支援の意味でです」

 実に慎重な副官に、うん、オレたちは良いコンビだ、と、アーサーは内心で頷いた。



 エーデルシュタイン商会は、オーストリア・ドイツ・フランス・ベルギー・オランダに支社を持ち、ダイヤモンドの取引をメインに行う、いかにもユダヤ系の商会である。何が「いかにも」かと言うと、つまり、ダイヤモンドを扱っている、という点だ。

 アントウェルペンを中心とするダイヤモンド取引では、交渉成立の際に「マズール」と言って握手を交わす、という慣わしがあるが、この言葉はユダヤ人たちの古の母語たる、ヘブライ語である。意味は「おめでとう」だ。また、取引が行われる通りを歩けば、黒ずくめの「いかにもユダヤ人」という服装の人々を、何人も見かけることだろう。

 ユダヤ人がダイヤモンドを扱うのには諸事情あるが、何よりもその価値の高さと、小ささとが大きな理由である。金銀よりも持ち運びが容易で、隠して持ち出しやすい。金塊を抱えて逃げるのは難しくとも、同じ価値のダイヤならば、子どもにだって持っていける。

 アリスは下着に「ミェツタテリィの遺産」と称されるダイヤモンドを隠していたが、あれは実に伝統的な、ユダヤ人の「逃亡を前提とした備え」の一つである。まぁ、質屋のジェレミー・ゴールドマンは「扱いがぞんざいだ」と言って顔をしかめていたが、そんな彼とて、常日頃から逃亡用の仕掛けを、使用人にさえ与えているのだから、まさに同類だ。

 だが、そんなユダヤ人たちにとって、ダイヤモンドよりも尊ぶべき財産がある。

 それはすなわち、知識である。

 ユダヤ教の聖典の一つ、口伝律法タルムードには、説話アガダーとよばれる「おはなし」がいくつも入っている。そのうちの一つに「最も豊かな者は誰か」という話がある。船に乗り合わせた人々が各々の富を自慢し合うが、難破によって全財産を失う。彼らは、自分たちが見下した貧しい男が、実は学者であり、そして漂着先で教師として尊敬を集めるのを見て、「本当の財産」とは何か、ということを知る……とまぁ、こういう話だ。

 アビゲイル・ウィリアムズは、アリスの受け取った「ミェツタテリィの遺産」を報酬条件に、ソヴィエト連邦のスパイたちと手を組んだ。だが、その他のほぼ全員は、アリスの「本当の財産」の方を狙っている。彼女を殺せば永遠に失われる、まだ誰も知らない技術。

 それこそが、本当の「宝石」なのだ。

 アーサー・スペイバーンは、その詳細を知らされていないし、エドワード・ブラッドノックは、もっと知らない。だが、航空機が戦争のあり方を変えていく瞬間を体感してきた二人は、一人の人間がもたらす技術が、時として凄まじい変化を世界に与えることを、しっかりと認識している。

 MI5が、あれだけ過激な要求をしてきた。

 それだけの価値が、この先に待っているのだと思うと、通算番号200番台の猛者である、アーサーもエドワードも、さすがに少し、緊張する。

 それを制服の内側に押し隠して、二人は「エーデルシュタイン商会」の前に立った。

 防犯を重視した重厚な造りのドアの傍に、鷹のように鋭い目つきをした厳つい男が一人、さながら門番のように立っている。

「空警部隊、ティルベリー・ドックス詰所の、アーサー・スペイバーンだ。先ほどのテムズ川上空での騒ぎについて、『アリス』から聴き取りを行うように、こちらを指定された」

 身分証を示してそう伝えると、門番は黙って頷き、ドアを開ける操作を行った。黒地に金文字で数字が書かれたボタンを、タイプライターのようにガチガチと叩くと、歯車がかみ合う独特の振動音と共に、ドアのロックが開けられる。

 どうぞ、の一言もなかったが、軽く頭を下げられたことで、二人は入る許可を得たということを理解した。無論、正式な捜査令状があれば、押し通ることだってできるのだが、今回は「任意聴取」の範囲を、どうやったって出られない。マッカラン氏は、最終的には「骨をへし折ってでも」身柄を確保するように要求してきたが、最初から強硬手段に打って出るのは愚策であろう。

 ずっしりと重厚な内装が施された店内には、いくつものガラスケースが並べられ、シャンデリアのクリスタルなど霞むほどの眩い輝きを放つ、素晴らしい宝飾品が、濃色のビロードの上に陳列されていた。それらを軽く見回して、金はあるところにはあるものだな、と、アーサーは内心にごちる。手広く稼いでいるのだろう。きっと。

 二人を出迎えた、副支店長だという初老の男は、ピーター・スミスと名乗った。いかにもそこら辺に転がっている石ころ(ピーター)のような、出自不明のありふれた名前である。鍛冶師スミスという姓は、イギリス人でもよくあるものだ。これが本名なのか偽名なのか、二人には判別がつきかねた。せめて金細工師ゴールドスミスなら、ユダヤ系の可能性が上がるのだが。

 スミス氏は、一等顧客を相手にするためらしい、奥の部屋へと、二人を案内する。

 厳重に警護されたその部屋の奥。深紅のカウチに、金髪の少女が座っていた。

「わざわざお越しいただき、感謝しますわ」

 高圧的なフランス訛りの言い回しで、にっこりと微笑んだ少女は、薄汚れた古着を身にまとっているにも関わらず、まるで支配者のようなオーラを漂わせていた。

 一瞬、その雰囲気に呑まれかけて、アーサーは再度己を奮い立たせた。茶を持ってきた女中メイドに促されて、向かい側の席に腰を下ろす。

「私が『アリス』……いえ、正式に名乗りましょうか」

 貴婦人のように優雅に一礼して、少女は名乗った。

「アレクサンドラ・レヴィ・アイゼンシュタイン……この国風に名乗れば、アリックス・リヴァイ・エイゼンステイン(Alix Levy Eisenstein)ですわね」






ユダヤ系の姓の特徴については、大澤武男先生の著作を参照。

なお「マズール」の習慣は、現在でも続いています。ユダヤ系の商人じゃなくても、ダイヤモンド取引成立の際には使う言葉なので、これを言ったからって、別にユダヤ系とは限りません。

現在、世界で流通しているダイヤモンドの約半分が、イスラエルで研磨されているのですが、その背景にはこんな面もあったのです。

ちなみに、下着に宝石を隠す方法は、ロマノフ家の面々も、ロシア革命の時にやっております。彼らが処刑された後、ダイヤはどこへ消えたのか……。


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