質屋ジェレミー・ゴールドマン
お久しぶりです! 久しぶり過ぎてすみません! 新キャラがどばっと出てくる話となりました。交通網の整備の突き合わせが、すごく難しかったので、とりあえず「もう架空世界なんだからそこまで考証ツメなくても良いか」って、投げました。すいません。飛空艇が飛び回ってる時点で超フィクションやん……ってことで、1920年代にここの区間は開通してねぇ! とかいうツッコミはなしで。なしで! おねがいします!!(平伏)
「カラス商会」で現金報酬を受け取った後、アリスとメリッサ、それから質屋の主人である、ジェレミー・ゴールドマンの三人は、額を付き合わせて、今後の行動を話し合う。
合間合間に、ミリアムと呼ばれた、例のなかなか可愛らしい女中が顔を見せてくれるので、それがメリッサにとっては、ちょっとした安らぎの瞬間だった。予想以上に計算高く、油断ならない子猫ちゃんだったアリスや、なかなか良いイメージのないユダヤ人の質屋、という面々に囲まれて、メリッサは結構緊張の連続だったのだ。
ちなみに、ユダヤ人の質屋なんて、キリスト教圏のどこにおいてもろくなイメージがないが、英国においては16~17世紀を代表する国民的文豪、ウィリアム・シェークスピアの喜劇『ヴェニスの商人』に由来する部分が、案外大きい。
誓ってメリッサから言い出したのではなく、ジェレミー本人が雑談として言い出した話だと断っておくが、ユダヤ教徒的には、シャイロックの「心臓の肉一ポンド」というのは、まず普通はありえない質草の取り方だそうである。ジェレミーの言い分はこうだ。
「だって、心臓の肉一ポンドなんて、何の価値もないじゃないですか? 恨みだとか何だとかをちょっとばかし晴らすのには、あんまりにも釣り合いが取れません。本当のユダヤ人の質屋は、そんな割に合わない嫌がらせをするぐらいなら、貸し付けた金の元本を回収しようとしますよ」
金融業界に中世から根を張る彼らの強かさを、まさに垣間見た気がした。
「……高利貸しってとこは否定しないのね」
メリッサの感想に、フン、と鼻を鳴らしたのはアリスだった。
「実際に、年利174%がありました。ただし、1244年に、ウィーン議会が公認した利率です」
行政側公認の利率という事実に、ウワァ、とメリッサは顔をしかめた。
「……何考えてんのよ議会」
「古今東西、議会というのは、いかに政府に金を集めるかを議論するところですよ」
ジェレミーの、辛辣だが的を射た表現に、メリッサは舌を巻いた。
十二歳とは思えぬアリスの頭脳から、さらに話が続く。
「一般的には20%が最低限です。そこからさらに上がるケースもありました」
「なんでまた、そんな高利率で……」
馬鹿なことを聞くのねぇ、とばかりにアリスが肩をすくめた。
「儲けられる時に儲けておかないと、いざ殺されかかった時に逃亡資金がありません」
「待って、逃亡前提なの?!」
「「当たり前です」」
アリスの返事と、ジェレミーの言葉が、見事に調和した。
「稼がなければ生きていけない。しかし稼げば弾圧される……私たちは、権力と暴力の境目を生き続けているのです。ポーランドが、同胞にした仕打ちを見なさい!」
アリスの言葉に、だがしかし、メリッサは頷けない。知らないのだ。
反応のないメリッサを見て、そういえばこの英国人は、中等以上の教育とは縁のない下層階級だった、と、アリスは思い出してくれたらしい。
「……ポーランドは、我々を徴税請負人にしたのです」
「どういうこと?」
申し訳ないが、メリッサの理解力では、その一言でもまだ分からない。
アリスは、ウワァ、とばかりに顔をしかめて、額に手をやった。
「税の取り立てを、我々ユダヤ人がします。当局の意向に従っての取り立てをする。しかし、重税であると民衆が反発する。すると、我々が当局に背いて不当に蓄財したことにされる。つまり身代わりの生贄ってわけです」
「何それ! なんで徴税を引き受けたの?!」
メリッサの叫びに、アリスはまさに、多数派の無知と暴力性を感じた。これに「何故?」などと問える神経こそが、アリスたち少数派を、何よりも苦しめるものであるのだ。だが、言っても分からないだろう。分かれないからこそ、まさに彼らは多数派なのだから。
「徴税請負をする限りは、国家権力による弾圧からは免れます。民衆による私刑が先か、国家権力による処刑が先か……だから、私たちは常に『逃亡』を前提に行動するのです」
遅かれ早かれ、待つのは「死」なのだ。
「我々はどこにでもいる。なぜなら、どこにもいられないからです。だから、居場所が欲しい」
ジェレミーの言葉に、うんうんと頷いて、アリスはメリッサの目をぐいと覗き込んだ。
「そんな歴史に終止符を打つために、今、私はここにいます」
そうでしょう? と確認するように付け足され、そうだった、とメリッサは再認識する。
「……で、そのために必要なのが、ロスチャイルド男爵との面会、と」
先ほどミリアムがもってきた、配達されたばかりという電報には、これからの行動の指針となる情報が書き込まれていた。なお、電報など使っては、英国の機関などに情報が漏れるのではなかろうか、というメリッサの心配は、あっさり否定された。暗号化されていたのである。
「この暗号は、ユダヤ教徒にしか解けませんよ」
ジェレミーが胸を張って言いながら、アリスに電報を見せる。
「何コレ……」
アリスの肩越しに覗き込んだメリッサは、思わずそう呟かずにはいられなかった。
そこにはびっちりと、ただ、子音だけが並んでいたのだ。
だが、アリスは解読のキーも必要ないとばかりに、その子音の連続を見る。
「……まずいわね」
アリスが、厳しい表情になって、ジェレミーを見上げた。
「ジュディスを呼んでちょうだい」
「……ジュディスを?」
ジェレミーは、少し顔を青ざめさせた。
アリスは、早急に立ち上がり、ベルを鳴らしてミリアムを呼ぶ。
「MI5が本気になった。罪状をでっち上げてでも私を確保する気だわ。エーデルシュタイン商会には、私の代わりにジュディスを派遣して、時間を稼がせて」
「いいんですか?」
まるで出し惜しみをするようなジェレミーに、女王のようにアリスは命ずる。
「やりなさい!」
「はっ!」
カンッ、と足音高く踵を打ち合わせ、ジェレミーは敬礼した。
ミリアムがノックする。もうその次の瞬間に、アリスは「入りなさい!」と言っていた。
「今後の指示を出しながら着替えます。衝立を」
「はい」
てきぱきと、ミリアムは衝立を引っ張り出し、アリスはその裏側に引っ込む。
「メリッサ! あなたも!」
衝立の向こう側から、イライラしたようにアリスが叫んだ。
「え?!」
「その同じ格好のままじゃ、逃げられないでしょう!」
「ちょっ、私、ユダヤ人じゃないんだけど!」
逃亡前提の生活なんて、まっぴらごめんだ。
「MI5の確保対象リストに、メリッサ、あなたも入りました。報酬を受け取って手が切れる、という状況ではなくなったのです。私が傍にいなくとも、あなたは確保の対象です。MI5が、その後、あなたをすぐさま放免すると思います? それに今後も、私にはあなたが必要です」
ようするに、メリッサは、本国政府に目をつけられたのだ。
「もう! どーしろってのよ!」
苛立ち紛れに叫びながら、メリッサは衝立の裏に回る。
衝立の裏側では、まさに、アリスがドロワーズを脱ぐところだった。
「男爵に面会を取り付けられれば、英国人であるあなたの安全は保証させてみせます。少なくともそれまでは行動を……」
アリスの立て続けの話が、ぷつりと途絶えた。
メリッサが、鼻を押さえて俯いたのだ。
「……メリッサ?」
「何でもない。気にしないで。急ぐのよね?」
メリッサは早口でまくし立て、なんとかこぼれかけそうになっていた鼻血を誤魔化した。こんな状況でも、美少女の着替えにきっちり興奮していたのである。変態だ。紛う方なき変態だ。
「ミス・ベル、私の服で申し訳ないのですが……」
ミリアムがおずおずと、用意してくれた服を手渡してくれた。
「いえ。全く問題ないわ」
アリスほどではないが、ミリアムだって美少女。美少女の使用済みドレス! 申し訳ないなんて、そんなことはない。むしろ、有り難う御座いますと言いたいほどである。
真っ黒の厚手のタイツ。飛行師用の装備だ。ドロワーズの丈も短い。防寒用のシャツも、ミニ丈のペチコートも、問題ない。しかし、キノコの傘のようなクリノリンと、その上に被せて着るらしいドレスは丈長で、どう見たって飛空艇を操れるものではない。
「……変な服ね」
着方が分からないので、ミリアムが着せてくれる。うん。広い視点で見るなら、メリッサの置かれた現状は最悪なわけだが、今現在この部屋でという限定をつければ、最高である。美少女の生着替えを見物しつつ、美少女に着付けされるだなんて、もう一生ないだろう。
ちなみにアリスは、勝手知ったるとばかりに流れるような手つきで着替えながら、イディッシュ語で、衝立の向こうに待機中のジェレミーに、次々と命令を下している。あれは指示なんてもんじゃない。完全に、命令だ。
「一応、中流階級……あぁ、えっと、中層階級の服です。ただ、このクリノリンの、ここ……」
説明のために、ミリアムがちょっと腰を抱き寄せるような体勢になって、あーいいニオイ、とメリッサは少しばかり、本国政府に目をつけられたという現実から逃避した。
「ここに留め金があるんです。これを外すと、すぐ落とせます。上の服も、パッと見る限りでは重ね着してあるように見えますが、ボタン裏のファスナーで、一気に脱げます」
「実際、こんな服を着てるの?」
「重ね着に見える服を作るのは事実ですけれど、この服は緊急時用の特別製です。ペチコートの裾の二重フリルは、間にナイフや小銭等を仕込んであります。必要時には役立てて下さい」
……役立てたくない。
しかし、役立てなければならない、かもしれないのだろうなぁ、と、メリッサは半ば諦めの境地に達しつつ、頷いた。
ミリアムは、手早く二人の髪も整え、中層階級らしく、お洒落な帽子も被せた。靴は、少し踵の高い編み上げのブーツを履かされた。編み上げ靴は、紐が機器に絡まると危険なため、メリッサたち飛行師は、基本的に使わない。変な気分である。
編み上げ靴を見下ろしている間に、ミリアムはさらなる支度を整える。
「お二人のブーツとゴーグル、その他必要な物は、こちらに入れておきました」
真鍮の装飾がついた、妙に洒落たデザインのトランクを、ミリアムはメリッサに渡す。見た目の割に、やけに重い気がしたのは、飾りのせいだけではないような気がする。しかし、とりあえずメリッサは黙ることにした。そのトランクを見たアリスが、ニヤァ、とチェシャ猫のように笑ったからだ。
「ありがとう。良い判断ね」
手袋をはめ、日傘を受け取りながら、アリスは答えた。
「車の用意は?」
衝立の向こうから、ジェレミーとは違う男の声が聞こえてきた。
「出来ました」
衝立が取りのけられる。
ジェレミーの隣には、四十がらみと思しき、樫色の髪をした、逞しい男が立っていた。
「ダニエル」
男を見て、アリスはそう名を呼んだ。
「参りましょう」
「ええ……メリッサ、行くわよ」
当然のように促され、半ば以上自棄な気分で、ええ、ええ、とメリッサは答えた。
「こうなりゃ、ついていくしかないじゃない!」
ぐっ、と拳を固め、一歩を踏み出そうとする。
そのメリッサの視界の横で、ミリアムが静かに頭を下げた。
「お嬢様を、どうか、お願いします」
その声があまりにも真剣で、必死だったので。
メリッサは、思わず彼女の方を振り返って、それから、神妙に頷いてしまった。
アリスも、肩越しに女中を振り返り、言った。
「あなたと、ジュディスもね」
その「ジュディス」のことを知る由もないまま、ダニエルの先導で、地下へと下りる。
視界の先には、点々と裸電球がぶら下がるだけの、いかにも怪しげなトンネル。
「何コレ?」
「隠し通路の一つです。念のため、我々が出た後には潰します」
ダニエルが、何ということもないような顔で言う。
「……これぐらいも、ユダヤ人にとっては基本装備なの?」
逃亡前提の流浪の民の知恵か、と思って問えば、いいえ、とダニエルはすげなく返す。
「こんな通路を造るのは稀ですね。そんなことするより、交通網で逃げる方が早いし、安全です。ただし今回は、そこへ出るまでが一苦労ですから」
「尾行はついていなかったと思います。だけど、用心に越したことはない」
アリスの補足説明に、なるほど、と納得した。
用心ならば、してくれればしてくれるほど、メリッサとしても有り難い。
ロスチャイルド男爵と取引をして、何とか身柄の安全を保証してもらうまでは、このアリスたち一味の安全対策に頼るほかないのだから。
階段を上がると、どこか別の家と繋がっていたらしい。勝手口から、まったくもって何の変哲もない、アメリカ製の大衆車に乗る。
「私、フォード嫌いなんだけどな」
アリスが、座席をつつきながら、ピンク色の唇を尖らせる。
「何故?」
自動車は、だいぶ普及してきたとはいえ、それでも下層階級にとっては、まだまだ高嶺の花の憧れである。それを、アリスは嫌いだという。
が、次に言われたセリフで、全てを納得した。
「だって、ヘンリー・フォードって、反ユダヤ主義者なんですもの」
あ、そりゃ嫌いだわな。
「一番目立たない車がコレなんですから、今は仕方ありません」
ダニエルが、操縦環を握りながら、そうなだめる。
「ええ……我慢するわ。今はね」
独立したら、もっと高性能の自動車を大量生産して、産業界から駆逐してやるわ。
ぼそっ、と不穏なことを呟くアリスに、MI5やらMI6やら、他国の組織やらが、必死になって彼女を追い回す理由の一端を、ようやくはっきりと、垣間見たような気がした。
今や自動車王として、米国経済界にその名を轟かせる男に、英国の片隅でとはいえ、宣戦布告してしまえるだけの技術が、アリスの頭脳には隠されているのだろう。
航空技術の真の開発者は、亡命ロシア貴族の「アレクセイ・ミェツタテリィ」ではなかった。まともな関連産業基盤を持たないであろうソヴィエト連邦にとって、真の開発者の娘であるアリスは、喉から手が出るほど欲しい存在だろう。
だが、先の大戦から台頭する米国に対し、斜陽の帝国と揶揄される英国にとっても、アリスは逆転の切り札になり得る存在であるのだ。おそらく。いや、ほぼ間違いなく。
「ロー・ウェル・ウッド付近から主幹道路に入り、なるべく西進します……ロンドン中心部を抜けられるように尽力しますが、最悪、ヴィクトリア・パーク付近から、地下鉄での移動になる可能性もあります。ただ、べイカー・ストリートでの『教授』との合流は、連絡済みです」
ベイカー・ストリート。
言うまでもない、英国で最も人気の名探偵、シャーロック・ホームズの下宿があった場所だ。
そこで「教授」と出会うだなんて、なんともブラックなジョークである。
メリッサの考えたことを、まるで見透かしたかのように、ニヤリとアリスが笑った。
「『教授』は、モリアーティじゃありませんよ?」
1893年発表の『最後の事件』で、スイスはライヘンバッハの滝に、名探偵もろともに落ちたとされる「悪の親玉」である。1903年発表の『空き家の冒険』で、ホームズは実は生存していたということになったが、「千本もの糸を張り出したくもの巣の真ん中に動かないで坐っているよう」と形容されたかの教授を思えば、MI5やMI6の目をかいくぐる、アリスたちの組織を連想せずにはいられない。
移りゆく景色を眺め、ふう、とメリッサはため息をついた。
(私、英国にとっての反逆者になっちゃったのかしら?)
書けば書くほど陰謀論くさくなっていく……違う、違うんだ……いや、書いている本人にそのつもりはないんです……っていうか、真面目な独立運動前の根回しなんて、どこでもそれなりに組織は作りますよね、ええ。
そして、やっぱり安定して変態のメリッサは、警察ではなく情報部のお尋ね者になったのでした。国家反逆罪のつもりは、メリッサ本人にはないのですが……うん、頑張れ、アリス! 君を助けられるのは、その変態だけだから!