魔王
異世界アールグロンに四大大陸あり。
四大大陸の中で最も小さく、最も南に位置するコクーシン大陸は人間達から恐怖と畏怖を込めて魔界と呼ばれている。
その東部には魔王が住む魔王城とその城下町がある。
異世界アールグロン
コクーシン大陸東部
魔王城城下町イストーチ
その裏通りにある酒場
~monster bar bless ~ モンスターバーブレス
店内は蓄音結晶から奏でられる、軽やかに緩やかなメロディーに包まれている。
魔物に魅入られ孤独にならざるを得なかった一人の少女と、命を賭けてその少女を救い出した少年の悲哀と冒険を綴った物語だ
季節は夏。日没にはまだ少し時間があるので、外気の温度はまだ高いはずだが、室内はそれより10度ほど低く、ひんやりとしていて不快感は無い。
それほど広くない店内には入り口右の壁際に、天井にまで届く程の本棚が置かれており、ぎりっしりとだが作者ごとに本が几帳面に並べられている。
15席程並ぶカウンターの奥で、かすかにメロディーに乗せるように口笛を吹きながら1人座ってグラスを磨いている男がいる。
短髪と言うには長く
長髪と言うには短い、この世界の人間では珍しい黒髪である。
年は40過ぎ。顔立ちには特徴がないが、髪と同じく黒色の瞳であり、禍々しい光は欠片もない。
体つきは長身ではないが、引き締まった体であろう事は、捲った袖口から覗く腕から伺える。
この男はバーブ。現在の魔王にして元勇者である。
10年前に操魔の魔術を極めた前魔王を倒し、紆余曲折を経て魔王になったのである。
つまり人間でありながら魔族を束ね。
人間でありながら魔界を掌握している。
しかし自らはイストーチ周辺の魔王領のみ統治して、それ以外を88箇所に分割して、八十八天魔と呼ばれる高位魔族に分割統治してもらっている。
例外はあるが、バーブを中心に八十八天魔は団結しており、更に互いを監視しているのでバーブが魔王になってから大きな内乱は起きていない。
魔界は人間界と違い平和なのである。
開店までまだ30分はある。
「そうだ。」
グラスを磨き終えた男は、昨日漬けたイワシの油漬けの味見をしようと思い立って腰を浮かす。
カランカラン
「ハアハア、大変ッス。魔王様。」
スタイリッシュな黒のスーツに身を包み、白い絹の手袋をした男が店内に入るなりそう叫ぶ。
首から下を見ると普通の青年にしか見えないが、男の頭部は甲殻虫を思わせる真紅の兜で覆われていた。
「チュロスさん、そんなに息を切らせてどうかしたのですか?」
魔王と呼ばれた男はそう声をかけながら手を動かす。
大きめのタンブラーと完熟トマトを永久氷壁を敷き詰めた冷蔵庫から取りだし、素早くトマトを魔力でジュースにして注ぐ。
チュロスの好みは把握しているが、外の暑さを考えて氷をいつもより1個増やして、多めにエールを注いで軽く混ぜる。
レッドアイだ。
「一大事ッス。今朝…」
ドン!!
「何があったか知らないですけど、飲んで飲んで。」
「スイマセン。いただくッス。」
チュロスはそう言うとおもむろに兜を脱いで一息に飲み干す。
「プハ~ッス。最高ッス。おかわりいいッスか?
次はトマト多めのレモン入れてくださいッス。」
「あいよ。ところで何かあったんじゃないですか?」
男は注文通り作ったあとに左手に魔力を集中して何かを炙っている。
ドン!
「アザッス。
そうッス。忘れるところ…でし…た。魔王様、なんか香ばしい香りがするんスけど?」
トンッ!チュロスの目の前に置く。
自家製オイルサーディーンのスパイス焼きだ。
「味見を一緒にしてもらおうと思いましてね。
昨日作ったイワシの油漬け。玉葱タップリ、黒胡椒タップリ、そしてカリッカリッと炙りました。イワシは今からが旬ですよ。」
「うんまそ~~!!
アザッス。いただくッス!!ムシャムシャ、ゴクゴク。
うまッ!旨いッス!!唐辛子と胡椒がピリッと最高ッス!!
これはパンに乗せて食べたいッス。
それと次は塩でスノースタイルにしてくださいッス。」
「あいよ。では薄切りの長パンをどうぞ。」
ドン!トンッ。
タンブラーの縁に塩をまぶしたレッドアイと長パンを出す。
先程からチュロスの口元は揺るみっぱなしだ。
肩越しまである波打つように癖のある濃紺の髪
磁器を思わせる白い肌、整った眉目、その下の口元から2本の鋭い牙が見える。
魔王の側近にして、八十八天魔の一人。
夜の世界を統べる高位魔族、吸血鬼族の若き当主である。生まれながらの貴族にして育ちが良いのに気さくで、他の魔族にも人気があり、何より彼の舌は信用出来る。
「ムシャムシャ、ゴクゴク。ウマッ!もう一杯っ……
いやいやいやいや、一大事。一大事スっよ。
今朝、三大陸に次元振動が感知され…」
カランカラン
「魔王様~今日は私達の誕生日なんです~彼氏も居ないし魔王様に祝ってもらおうと思って~。
あれ?チュロス様、こんな明るい内から飲んじゃって~ご一緒してもいいですか~」
双子のサキュバスが入って来た。
二人とも普段は黒のボンテージだが、今日はいつもよりきわどい青のビキニと白のビキニをお揃いで着ている。
赤と黒の髪に良く似合っている。
「いいッスよ。こんな美女二人に寂しい思いをさせるなんて、最近の男たちはだらしないッスねえ。
今日は俺のオゴリッスから好きなだけ飲んでいいッスよ。
あっ、それはそうと魔王様、次元振動が…」
「チュロス様最高~チュ!」「ありがとうございます。チュ。」
「美女二人にキスされて俺の方こそありがとうッス。でもなんか肩がこったような…気のせいッスね。
次元振動の話は…まあ、後でいいッスか。」
今日が二人の誕生日だと聞いて、手を動かしながら念話のスキルを発動させる。
<ヒーロさん。僕です、バーブです。>
<おう、バーブか。どうした?>
<至急ケーキを用意してもらいたいのですが?>
<ン?出来るけどどうした?客の要望か?>
<今来てるサキュバス姉妹にバースデープレゼントをと思いまして。>
<サキュバス姉妹って、天魔のか?たまにうちにも来るぜ。デコレーションの参考にしたいんで聞くが、あの双子は何歳ぐらいだ?>
<たぶん100歳は軽く越えてるとは思うのですが、女性に年齢は聞けません。見た目通り20歳前後だと考えてください。>
<ハハハ、違えねえ。分かった。30分以内に持って行く。>
<助かります。>
<おう、気にするな。じゃあ後でな>
ヒーロは、前魔王を倒した時の勇者パーティーの一人で、この大陸に永住する数少ない人間だ。
35歳の元戦士で二メートルを越える濃茶髪で坊主頭の巨漢だが、パティシエになるのが夢だったらしく、バーブが魔王になるのと同時期に移住してきた。
今は魔界屈指の人気ケーキ店のオーナーパティシエだ。
本人曰く、「オレみたいなデカイのがケーキを作っても誰も笑わねえ。ここは最高だよ。」だそうだ。
念話を終えてシェイカーを振る。
カランカラン
「おはようございます魔王様。もうお客様が来られてますね。すぐに準備しますから。チュロス様。ミウ様、シア様、いらっしゃいませ。」
アルバイトのダークエルフのアーユである。
褐色の肌に、腰まで伸びた艶やかな銀髪を後ろで結わえている。
十代後半にしか見えないが、年は聞いてないので分からない。
趣味はオリジナルカクテルを考えること。
前魔王討伐パーティの一人で回復魔法のエキスパートだ。
普段は酔いつぶれた客を介抱しているが、お尻を触ってきた客を一撃でノックアウトした事から、一部で姉御と呼ばれているのを本人は気にしている。
エルフの森に帰ってもつまらないからと移住してきた。
三人に挨拶して着替えに奥へ消えていく。
トトンッ。双子の前に青と白のカクテルを出す。
「ミウさんには情熱的な女性に似合うブルーレディを。
シアさんには知的な女性に似合うホワイトレディを。
お誕生日おめでとうございます。これは僕からのささやかな気持ちです。」
「魔王様~~カッコ良すぎる~~チュ!!」
「素敵です。チュッ」
二人はカウンターに身を乗り出して左右からキスして来た。
ごっそり体力が奪われた。
抗吸精を発動しているのにこれだ。同じ吸精使いのチュロスだから肩こりくらいで済んでるが、普通の人間なら良くて意識不明の重体だろう。
「魔王様~勇者だった時の話をして欲しいなあ~」
「私も聞きたいです。」
「そうですねえ。では僕が駆け出し勇者だった時に、たった一匹のスライムに殺されかけた時の話をしましょうか。」
カランカラン
「ここは涼しいのう。魔王様、テーブル席いいか?
とりあえず大エール3つ頼む。」
「これは獅子王さん、ご無沙汰してます。三年熟成の金貨ハムがあるのですがいかがですか?」
こうしてバーブレスの平和な1日は過ぎて行く。
* * * *
二日後 とある森の中
オレは興奮していた。
興奮と言ってもいやらしい意味じゃないよ。
この異世界に不本意ながらスライムとして来て三日が経つが、とうとう初めて勝てそうな獲物を見つけた。
どうやら本気で勝負するときが来たようだ。
今回出てきたバーブレスというバーは、僕の住む町に実在します。
当然モンスターは来ません。客層も穏やかなので、飲み過ぎてモンスターになる人もいません。
マスターと飲みながら小説の話をしていたらお店の名前の使用と、魔王にする許可をもらえました。
マスター、大きな心に感謝します。アザっす!!
お酒の席では準主役とか言ってしまいましたが、後々、酷い扱いになってしまったらすいません。
え?別にOK?ありがとうございます。
次回は初めての異世界というタイトルで、主人公の出番です。
スライム生活を丁寧に描いていけたらなと思います。




