最下位ー2
* *
商業と交易の街ビッヒル
南の森林 夕方
レモンは自分の右側を歩く、額に限界まで溜まり目頭を抜けようとする汗を、左手の袖で鬱陶しそうに拭く男の様子を花も恥じらう乙女のようにチラリと伺う。
名前はタツオさん。
年は35才。
茶色いフード付きのローブを着ている。
暑いなら脱げばいいのにとは思うのだが、女!!が出すぎた事を言うと嫌われるかも知れないので言うに言えない。
今は暑さを感じているからかフードを脱いでいるが、長く被っていた影響で、短く刈り揃えられている髪型は前向きにペシャンとつぶれている。かわいい。
特に特徴の無い顔立ちではあるが、目は普段は開いているのか分からない程に細い。
時おり警戒するように左目だけ薄く開いて視点を固定させる仕草がカッコいいと思う。
体型は165㎝くらいの中肉中背で特に鍛えた感じはしないがお腹も出てないし、どちらかと言うとスラッとしていると言えるだろう。
Gクラスの新米冒険者だと自己紹介の時に言っていた。
Gクラスがどれくらいのレベルなのかは知らないけど、新米と言うくらいだからたぶん最低…いや、下から数えて一番目のクラスなのかな。
素材を剥ぎ取る時に教えてくれたのたけど、ジョブは魔法使いではなくて魔術師だそうだ。
牙と皮を剥ぎ取った後に、遅い昼食として肉を焼くのに魔法で火を起こしていたので魔術師は魔法を使える人だとはわかるけど。
焼けた肉を先ずは自分が毒味をしてから、ぶっきらぼうにホラと渡してくれた時には感動して涙が出そうになった。こんなに女の子扱いされたことが無いので顔が真っ赤になっていたとは思うけど、バレてないかなあ?
ああ。話が逸れちゃったけど、そう。この異世界にはわたしが居た世界とは違って魔法があるのです。
気功や、闘気、妖気というのが一般的だったわたしの世界とはかなり違うみたいで、簡単に火を起こせるのは便利だなあ。と思う。
まあわたしには魔術と魔法の違いが良くは分からない。そもそもジョブと言うのも知らないのだけれど。冒険者という肩書き以外にも職業があるのかな?
今度聞いてみよう。
ただ魔術師だけに体力はあまりないのか、細めのロープで両端を固定して肩に担いでいるソードタイガーとか言うのの二本の牙を、少し歩いては右肩に担ぎ直し、少し歩いては左肩に担ぎ直している。
わたしが全部持ちますと言っても、これは男の仕事だと言って、五本ともを奪うように自分の肩に掛けた時はドキッとした。
あまりに重そうなのを見かねて今は三本をわたしが小脇に抱えているけど、毛皮も五枚ともわたしが背負っているけど、それでも大きな二本(そんなに変わらないのだけど)は絶対に自分が運ぶと言って渡そうとしないのも優しい。
そう。優しいのだ。
初めて会った時に行き倒れていたわたしに、自分の分の食糧を分けてくれたのもそうだし、この異世界に来た経緯と言うか、邪神の始めた罰ゲームのルールを聞いた時にも強く思った。
わたしは頭が悪いので良くは分からなかったけど、少なくとも自分の手と逆の手に数字が書かれている相手は敵なのだという事は分かった。それに一人殺す毎に何かしらのスキルが手に入るということも。
にもかかわらずタツオさんはわたしを助けてくれたのだ。普通なら殺すと思う。
と言うか、わたしが彼なら(アハ!!彼って言っちゃった)介抱をするふりをして頸動脈を潰すか、浸透勁で心臓を止めている。雷勁でショック死でも構わないよね?
いや、これは武術家の発想かな。別に見つからないようにナイフで一突きでも同じ事だけど。
とにかく殺してスキルを得るのは間違いないと言いたいの。 わたしだって尋常な立ち合いや、襲われない限りは望んで人殺しはめったにしかしない。
しかし自分が食うや食わざるやの状況で、人助けを、それも明らかに敵を助ける余裕なんてどこにも無いし、死んだら終わりなのだから。
それに助けた相手に寝首をかかれる可能性もある。
タツオさんもその可能性は間違いなく考えたはず。
わたしの世界でも日常的にあった。
情けをかけて助けた相手に後日奇襲で殺された。
拳で勝てないなら刀で。
刀で勝てないなら毒で。
毒殺出来ないなら家族を人質にとってでもという輩が。
この罰ゲームのルールならなおのことだろう。一人でも多くの勇者とやらを殺せば、その分の襲われるリスクは減る上に、スキルが手に入って楽になるのだから。
殺すのが正常で、殺さないのが異常だと言っても言い過ぎではない。
しかしタツオさんはそれでも敵である事を無視して、自分の事も二の次で、目の前の命を助けようとあんなに必死で声をかけたのだ。
あの時に力強く握ってくれた手の温もりをわたしは死ぬまで忘れる事はないだろう。あの声と温もりがなければが間違いなく死んでいたと思う。
山脈を越える時に出会った幻影タイプの魔物を蹴散らすのに力を使いすぎたし、湿地や森林では、わたしの気配を恐れて何も襲ってこなかった。
冗談ではなく餓死寸前だったのを助けられたのだ。
そして決定的だったのはさっきのソードタイガーに襲われた時だ。
わたしにとってはチート能力?を失おうと、空腹でさえなければ子猫くらいの驚異でしか無かったのだけど、たぶんあの剣牙虎はこの異世界ではかなりの強さの魔獣なのだと思う。
数え切れない程の命の最後を見てきた…いや、奪ってきたわたしには分かる。
真横で震える手で杖を握りしめるタツオさんの恐怖は、死を覚悟した人間特有のものだったのだから。
そう、とても新米冒険者には勝てない程の。
タツオさんは同然わたしの強さなんて知らないし、何か倒す手段があるのだろうと思っていたら、なんと、自分の命を囮にしようとしたのだ。
この情報が金になるからと荷物を渡して。
(助かった後に生きれるように)
振り返らずにと。
(魔獣に引き裂かれる屍を見ずにすむように)
時間を稼ぐからと。
(己の命と引き換えに)
逃げろと。
(出会って間もない女のために)
その姿と心にわたしは雷に撃たれたように感動してしまった。
お伽噺の中だけに存在する。
はるか太古の時代に日本を守護したという雷神の血を欠片なりとも受け継ぐわたしが。
あまたの強者、武人、戦士、武術家、同族だけではなく、大国まで敵にまわして近代兵器に敗れ。
いや、転生した異世界では人のみならず、妖怪、妖魔、鬼、魔物、魔獣、巨人、はたまた神に最も近い種族と言われる竜を…
この拳で葬ってきたわたしが。
ああ。
ただ一度の敗北の汚名をそそぐために今までの肉体的強さだけを求めて戦いに明け暮れていた自分のなんと小ささか。
強敵だけを求めて永遠に戦い…
残るのはいつも物言わぬ屍だけだった…
荒野にはいつもわたしが一人だけ…
いったい今まで何をやっていたのだろう?
レモンは今日何回目になるかわからない。
もう一度隣を歩く男の横顔を盗み見た。
……これが恋よね?
初めての体験たけど、タツオさんの横顔を見るだけで胸がドキドキするもの。
初めて男に名前を呼び捨てにされたいって思ったもの。
名前を呼ばれただけで思わず雷神覚醒しそうになったもの。(なんとか抑えたけど)
二回目に呼び捨てにされた時は嬉しすぎて思わず笑っちゃったし。可愛いいって思ってくれたかな?
そしてタツオさんの右手にわたしとお揃いの333の数字を見た時は運命を感じたの。間違いない。わたしとこの人は運命の333で結ばれてるってね。
それに髪を褒められた時は恥ずかしくて嬉しくてフワフワして。それに美人だって。キャー!!もうもう。
もっと名前を呼ばれたい。
わたしの事も好きになってほしい。
ううん。何て言うか愛されたい?
というかタツオさんの子供を産みたい?
ご先祖さまも人と交わった時にはこんな気持ちだったのかな?
一人で生きていくのはもう嫌だ。
殺すだけの生き方はもう嫌だ。
絶対にこの人を守ってみせる。
必ず二人で生き残るんだ。
そのためには
勇者だろうが、邪神だろうが……
……
必ず殺す。
そしてもう一度男の横顔を見た時、男の黒い瞳は深い哀しみと絶望に呑み込まれていた。
* *
タツオは森林の出口に向かって歩きながら、流れる汗を止めることが出来ない。
それほどの緊張と混乱をしていた。
最初に助けたのは気まぐれとも言えるものだった。
食糧を平らげられたのも、もうなんとも思っていない。
実は女だったのもまああるだろう。
邪神に呼ばれて寝てたってのも疲れていたらあるある。
運に恵まれたら、南の山脈を越える事も可能だろう。
しかし…
しかし…
あの強さはいったいなんなんなんなんなんなんなんだ?
流石にどう考えてもあり得ないだろう。
Dクラス指定の、レベル20以上のソードタイガー五匹なら、推定クラスはC前後はあるはずだ。
それを一瞬のうちに葬るってどうなんだ?あるのか?そんなことが?あり得るのか?可能なのか?
確かにこの目で見た。素材も剥ぎ取った。肩にかかる剣牙の重みも本物だ。
心も現実だし何の問題もないと言っている。
でも理性が認めるのを拒否するんだよお!!
あの攻撃前の邪悪としか言い様のない笑いは忘れようにも目に焼き付いてしまった。あれは悪魔が生け贄の魂を奪う時にする笑い方だった。
それにあのあとレモンに対する恐怖を抑えて素材を剥ぎ取りながら談笑してたのは、ただあまりに理解が追い付かなさすぎて、思考が麻痺していただけだと今なら分かる。
「いったいなんだその強さは?」
「たまたまですよ♪」
「なんだたまたまか」
あの会話はおかしい!!
たまたまでソードタイガー五匹に素手で勝てるか!!
「俺のジョブは魔術師だ」
「?。なるほど、魔法で火も起こせるんですね。さすがタツオさんです」
「それほどでもないけどな」
いやいやいやいや、だって俺は薪に火を着けただけだもん。その辺のおばちゃんでも出来るし。全然さすがじゃないし!!
「肉が焼けるのを待つ間、そこの湧き水で血と顔の泥を落としたらいい」
「強いだけじゃなくて優しいんですね」
「そうでもないさ。水筒には補給したし、タオルもあるから髪も洗うといい。綺麗な髪が台無しだ」
「!!!!!! わたしの髪、綺麗ですか?」
「ああ綺麗だとも」
「!!!!!!」
だよね?そうでもないよね?だって俺は杖を構えて震えてただけだもん。強いところあったか?
それになんだか雰囲気と血の臭いに酔って、髪を褒めただけだし!!
「なんだか恥ずかしいです」
「恥ずかしいもんか。俺もレモンがここまで美人とは知らなかったよ」
「!!!!!!」
ホストか!!俺はホストか!!恥ずかしいのは俺だ!!
確かに美人だ。それは認める。
透き通るような白い肌に、ハッキリとした顔立ちの西洋風の美人。それに日本人離れした長い手足。髪も泥を落としたら少し縮れた軽い感じの茶色でまるでモデルのようだ。
そして。
そして胸が大きい。
なんだろう。例えるならメロン?それも形の良いメロン?
さっきから左目だけそっと開いて警戒するふりをしながら、胸で視線が固定されてしまう。
ふー、ふー。落ち着こう。完全に変なおじさんだ。
一日の使用回数制限はあった。しかしあらゆる病と怪我を一瞬で治す、神の奇跡のごとき完全回復のチートスキルは失ったが、これでも俺は元の異世界では3万人を救った生命の大聖者と呼ばれた男だ。
これでは性の大性者と呼ばれてしまう。
煩悩退散、煩悩退散。
ふうもう大丈夫だ。
あんな最凶最悪みたいになるわけにはいかん。
まあしかしなんだ、前の異世界では、あまりに命を救い過ぎて、全くモテなかったよなあ。
過ぎたるはなんとか言うけど、良い事をし過ぎると男として見てくれなくて、神様扱いになる。
そして神様にアプローチをかける女もいない。
寄って来るのは病人と、利用しようとする権力者ばかり。
貧しい人から金は取れんし、清貧じゃないと叩かれる。
あ~あ、いったい俺は何をやってたんだろ。
それに助けるのは助けまくったが一人も殺してないのに罰ゲームに参加ってのも納得がいかん。
なんで聖者と呼ばれた俺がこんな殺し合いなんかを…
そう考えたところで、普段は心の奥に頑丈な鍵をかけている扉が、ギイイという鈍い音をたてながら開く予感がする。
ヤバイ。考えるな。
「おい、タツオ。お前はその理由を知ってるはずだぞ」
味方だったはずの「心」が、裏切りの声をあげる。
やめろ!!言うんじゃない!!
「何を言うなって?あの世界と聖印からは逃げられても、過去からは逃げられんのだぞ?」
煩い!!煩い!!言うんじゃない!!
しかし一度開いた扉は死神の鎌がつっかえたようにびくともしない。
誰かといるときに開いたことはないのに…
濁流のごとき負の考えが流れ込んでくる。
こうなったらもう流れきるまで止められない。
あーあ、もう好きにしろ。俺は諦めて扉を全て開けた。
言われなくても……俺は本当は分かってる。
神にあらざるただの人が、死の運命をねじ曲げて命を助ける事がどれ程自然の摂理に反しているのかを。
死ぬはずの人が生きると言うことは、その死ぬはずだった人は更に多くの命を糧に生き続けると言うことだ。
つまり死ぬはずのない別の命を俺は殺した事になる。
具体例はいくらでも思いつく。なんたって三万例もあるからな。
俺が助けたあの傭兵志望の青年が、将来立派な傭兵になって人殺しをしてるのかも知れない。一人助けてその何十倍も殺す人間を作っただけかも知れない。
あの時に脅されて助けた領主がいたな。あの領主はあのあと更なる重税で領民に餓死者が出たと聞いた。それはもう俺が殺したのと同じだ。
師の研究を引き継いだ魔女の娘さんも助けた。あのあと開発に成功した茨状極小分煙魔法は戦争に利用され敵味方数千人を殺したらしい。その後に魔女の娘さんも自害したとか。ふん。そらみろ。
人に限らず言うなら、
あの幼い兄弟を養っていた羊飼いの少年は?
漁師のあの豪快なおっさんは?
あの虫食い族の養蜂をやっていたハチミツ婆さんは?
弓の名人のあのお孫さんもやはり狩人になるだろう。
そういえばレモンも助けてしまったか、そのせいでソードタイガーは死んだ訳だが。
俺が助けた命が、どれ程の命を奪うことになるのかもう考えるだけで狂いそうになる。
この罰ゲームに参加させられているのもそういった理由なのだろうな。あの邪神もそのあたりを考えてか。
ハハハ、助けた事に後悔はないがなんてピエロだ。
笑うしかない。
「タツオさん!!」
レモンのその声が遠くで聞こえる。
どうも遠くを見ていたようだが、邪魔をするな人外!!
「タツオさん!!」
煩い!!煩い!!
「タツオさん!!」
聞こえてる!!
立ち止まって少しだけ自分より背の高いレモンを見上げる。
こいつはなんでそんなに必死な顔をしているんだ?
「あなたはわたしの命の恩人です。そしてわたしはあなたの味方です。だから、その、そんなに悲しい顔をしないでください」
レモンはそう言いながら、俺の左手をギュっと握り締めた。
何を言ってるんだこいつは?
聖者を騙り不幸を振り撒く死神に味方がいるわけがないだろうが。
……そもそも俺なんか…
「何故そんな悲しい顔をしてるのか、わたしには分かりません。わたしの手を握ってください。わたしの温もりを感じますか?」
悲しいもんか。俺は笑ってるんだぞ?
それに何が温もりだ。死神が化け物じみた強さの人外を助けただけだろうが!!
……死んだほうが
「泣かないでください。
わたしにはタツオさんしかいないんです。タツオさんには……わたしがいます……
……二人で……生きませんか?」
レモンは何か奥底から絞り出すようにそう言うと、握り絞めていた手を自分の心臓に深く、深く、押し当てた。
この子も人には言えない何かがあるのか?
……俺は一人じゃないのか?
……生きていいのか?
「心」は裏切りの声を止め、レモンと同じく「いいのだろうよ」と言っている。
でも今度は理性がそれを認める訳にはいかないと言っている。
しかし……
手にレモンの鼓動を感じる。
……温かい。
これが俺の助けた命の温もりか?
今度は素直にそう思う。
その左手には今はもうないが、ほんの十一日前まではチート能力の源である。回復の聖印が刻まれていたのだ。
この温かさを忘れないでおこう。
俺はそう思った。
森林の出口が目の端に見え、扉はもう閉まったようだ。
333の最下位の二人のエピソードです。
レモンは雷神という神を、はるか先祖にもつ武道家の女。
タツオは完全回復のチート能力が、逆に多くの命を奪ったのではないか?と、葛藤する冴えない男。
というお話です。
なんとも凸凹なコンビですが、僕はお似合いなのではないかと思います。
強さを求めるという事は、自分を弱いと意識してか無意識なのか認めているのだと思います。
逆に人を助けるという事は、対象を自分より弱いものと認識しているからとも言えます。
肉体的には最強のレモンと、
肉体的には最弱のタツオ。
愛する事を知ったレモンと、
愛される資格がないと考えるタツオ。
殺し過ぎたレモンと、
助け過ぎたタツオ。
どうでしょう?
グッときませんか?
書きながら少し泣いてしまいました。
年をとると涙腺がアレなもので。
自分の作品で涙するって……
もしくはただのナルシストか?




