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~第7章~試合~

~第7章~試合~


「うんと、ユニフォームでしょ、シューズにタオルと着替え・・」


優華はカバンの中を指さして確認すると、ゆっくりとファスナーを閉めた。


「よしっ!これで、明日の準備は OK!っと、あっ、そうだ」


相の手を打つと部屋から飛び出して、高倉が使っている部屋の前で立ち止まった。


「健さん、入るよ~ん!じゃ~ん?」


勢いよく部屋のドアを開け部屋の奥の方を覗いた。


「あれ~っ?健さ~ん、居ないの~!」


背後から気配もなく不気味な声が聞こえ振り返ってみると、運転手の吉田がステテコ姿で立っていた。


「のぉ~」

「わっ!よ、吉田のおっ、さん」

「むぅ~ご令嬢、なにか、ご用かね~?」

「あ、あの、健さんは?ちょ、ちょっと、顔が近いって!シッシッ!」


少しずつ近寄ってくる吉田を払い除けながら後退っても、その間が縮まることなく優華に迫ってくる。


「のぉ~高倉なら、居間におるんじゃなかろうかのぉ~」

「イマ?いま?今?・・・?だから、ちょっと、近いってばぁ~」


吉田は腰にぶら下げた手拭いで手を拭きながら、優華の横を通り過ぎ部屋の奥に行ってしまった。


「わっ、臭っ、オエッ、なんなのこの臭い」


奥にいたはずの吉田が再び優華の前に姿を現した。


「げっ、また、来た」

「ほぅ~、ご令嬢、失敬、最近、トイレが近くていかんのぉ~」

「さっき、行ったんじゃねーのかよ」

「むぅ~失敬、そうじゃった、そうじゃった」


再び、部屋の奥に向かって歩き出した吉田に声を張り上げた。


「吉田さん、ここ、健さんの部屋だけど」

「むぅ~、高倉かね?あの~ぉ、居間におらんかったかね~むぅ~」

「もう~!この部屋、健さんの部屋でしょ、って言ってんの!」


そのまま部屋の奥に行ってしまった。


「ムッキーィ!あの野郎、この私を無視しやがった!ってか、もしかして、聞こえてねーのか、ジジイ~!もう、いいや、あんなの、相手にしてたら、私がボケちゃうよ、ったく」


優華はドアノブに手を掛け廊下に出ようした時、再び吉田の声が背後から聞こえ、振り返ると吉田がすぐ後ろに立っていた。


「うわっ!」


優華は吉田とドアに挟まれ身動きが取れなくなっていた。


「のぉ~ご令嬢に見苦しい格好を見せてしまったのぉ~」

「だから、近いんだってばぁ~もう~ってか、着替えてこなくていいからさぁ~」


運転手の制服姿の吉田を両手で押しのけ、その隙にドアを開け廊下に出た。


「むぅ~高倉を・・・」

「あ~もういいです」

「のぉ~ご令嬢・・・」


優華は言いたげな吉田を無視して、素早く静かにドアを閉めた。


「きもっ、触っちまったよ」


ドアに両手を何度も擦り付けると、ゆっくり廊下を歩き始めた。


「あーん、ジジイのせいで手がばっちくなった、そんで、健さんはどこにいるのよ、イマ?ってなによ」


腕を組みながらとぼとぼと廊下を歩いていると、リビングのドアの前に差し掛かった。


「あ~そうか、分かった!リビングかぁ~居間って言ったのか、んだよ、ジジイ、ちゃんと言えよ、そんで、どうして、あの野郎が私のリビングに居るのよ!」


優華は目の前のドアを蹴り開けると、予想通りに暢気にテレビを観ている高倉の姿があった。


「てめぇ~!」

「うわっ、お嬢・・・」


高倉は迫り来る優華を本能的に身を翻してソファーから離れ身体を反転させた。


「な、なんすか、危いすよ、急に・・・」

「くっそー!この野郎、よけやがったな!」


優華の跳び蹴りを間一髪で避けた高倉は手の甲で額を拭いながら床から起き上がった。


「そ、そりゃ、当たり前すよ」

「私の跳び蹴りを避けるなんてね、100万年と2千年、早いのよ」

「それじゃ、避ける前に死んじゃいますよ」

「うるさ~い!私に逆らう気ね、いい度胸してんじゃないの!」

「そんな、逆らうなんて、それで、俺になにか用事すか?」


優華は高倉が手にしているリモコンを取り上げるとテレビを消した。


「あっ、良いところだったのに・・・」

「なにっ!」

「いや、何でもないっす」

「あんたさぁ~私のテレビを勝手に観ないでよね!あんたの部屋ので観なさいよ」

「だって、こっちの方が画面が大きいから」

「だからって、私の許可なく観ないでよね」

「許可をもらえば、観ていいんすか!」

「うん、もち」

「マジっすか」

「絶対に許可しないけど」

「はぁ~期待した俺がバカだった」


仁王立ちする優華はうなだれる高倉を見ながら微笑みを浮かべた。


「それよりさぁ、健さん、三田さんがどこに居るか知らない?」

「三田さんっすか?そういえば、昼過ぎに吉田のおっさんと慌てて出掛けたな」

「吉田のくそじじいだったら、さっき、健さんの部屋に居たけど・・・」

「それじゃ、戻ってきているんじゃない」

「だけど、どこにも居ないんだもん、どこに行っちゃったのかな~」

「三田さんに、何か用事でもあるんすか?」

「明日のお弁当だよ!おかずのリクエストをするの忘れたの!」

「それじゃ、吉田のおっさんに聞いてみれば、何か、知っているんじゃないすか」

「嫌だよ~、あっ、そうだ、健さんの部屋にジジイが居たよ、早く、追い出した方がいいよ」

「いや、別に追い出さなくても」

「なんでよ!」

「なんでって、だから、別に、ほら、ね・・・あっ、そんで、三田さんっすよね、俺、捜して来ますよ」

「あ、うん、でも、どこにも居ないよ、上岡さんも居ないし、どこに消えたんだ?」

「上岡のおっさんも行方不明かよ、ったく、何をやってんだ、明日はお嬢の大切な試合があるっていうのに」

「そう、そう、健さん、明日、ちょっと、早いからね、分かってるよね」

「もちすよ、そんで、何時に出発すればいいすか?」

「10時に試合開始だから8時には会場に着きたいんだけど」

「了解っす、余裕みて・・・そうっすね、朝6時に出れば」

「そう、6時に出発ね、分かった」

「それじゃ、俺、ちょっと、捜してきますよ」

「うん、私、ここにいるから」


高倉がリビングから出て行くと優華はソファーに座り一息つきつぶやいた。


「まさか、三田さん、明日のお弁当、忘れてないよね・・・」


手にしていたリモコンのスイッチを入れると料理番組が画面に映し出された。


「あっ、この番組、面白いんだよね~観よ~と」


ソファーに座り直し頬杖を突きながらテレビを観ていると、リビングのドアが開く気配がした。


「あれっ、健さん・・もう、見付かったの?」

「のぉ~失礼」


吉田が優華のすぐ横に居た。


「ジジイっ!」

「むぅ~高倉はここに居なかったかのぉ~」

「居たけど、そんで!」


吉田は優華に少しずつ近寄り、優華の隣にに座った。


「ちょ、ちょっと、近いってばぁ」


優華はソファーから立ち上がり、吉田から離れて座り直した。


「ふぅ~高倉はどこに行ったんじゃろうなぁ~」

「だから、さっきまでここに居たのっ!」

「むぅ~、落ち着きがない奴じゃのぉ~」

「いいの!今、三田さんを捜してもらってんの!そんで、何か、私に用があるの」

「のぉ~この番組は、ご令嬢くらいの年頃の女の子に人気があるのかね~」

「あんじゃないの、ってか、人の話し聞けよ」

「ほぉ~そうかい、そうかい、この番組はなんというのかね」

「はぁ?これ?メグミとスロスの料理万歳!だけど、ってか、私に用事ないんでしょ」


吉田は胸のポケットからメモと鉛筆を取り出すと、鉛筆の芯をひと舐めしメモを取っていた。


「えぇ~でぶみとクロスの料理・・・?ご令嬢、もう一度、教えてもらえんかのぉ~」

「だからっ!メグミとスロスの料理万歳!」

「むぅ~万歳っと」


吉田は鉛筆の芯をひと舐めしメモに書き加えた。


「あのさぁ、『で・ぶ・み』じゃなくて『メ・グ・ミ』だかんね、それじゃ、見たまんまでしょ、マジ、殺されるからね」

「のぉ~この、ふくよかな、おなごがでぶみさんと言うのかね」

「そう、そう、ふぅ~ん、殺されたいんだ、それとね、クロスじゃなくてスロスだかんね、確かに、敷かれてる感じはあるけどさぁ~」

「ほぉ~この、隣でおなごに叩かれている色男がスロスと言うのかね」

「そう、そう、二人しか出てないんだからさ、聞かなくても分かるでしょ、だから、私に何か用?」


吉田は食い入るようにテレビを観ていると、急に優華の顔を見た。


「むぅ~」

「なによっ!」

「この番組はどこが面白いじゃ、この色男が人気あるのかね~」

「はぁ~?どこがって?、さぁ~ね、知らな~い、私はメグミの顔が段々と丸くなっているのを楽しみにしているけど」

「ほぉ~ご令嬢は・・その・・欲しい物とかあるかね・・その・・・あまり高価なものでなくて・・・」

「えっ?はっ?急になんなの、さっきから、私の話、聞いてないでしょ」

「そのぉ~ご令嬢位の年頃は・・・なにが欲しいのか・・・その・・・教えてもらえんかのぉ~」

「私の年頃?まぁ、学校のみんなは、洋服とかバッグが欲しいって言うけど・・ってか、私は要らないかんね、ねぇ、聞いてる?」


吉田は再びメモを取り出し書き始めた。


「ほぉ~洋服とバッグ・・どんなのが人気あるのかね、人気のあるメーカーとか」

「メーカーって、ブランドの事?私は全部オーダーだけど、ク・レモとか好きかも、でも、好みがあるから、一概に言えないのよ、セレ・レビッチッチとかも意外と人気あるし」


吉田は必死に鉛筆の芯を舐めながら優華が言うブランドを書き留めている。


「くれーもん・・・せれれれれっちち」

「てかさぁ~、こんなん聞いてどうすんの?誰かにプレゼントするの?ちなみに、そのメモ、間違ってるけど・・・くれーもんって、なんか欲しいみたいじゃん、せれれれれっちち?あー、舌、咬みそう」

「その・・娘が・・」

「えっ、娘って?ジジイじゃなくて、吉田さんの?」

「いや、いや、そうじゃ・・なくて、その・・あっ、そうじゃった」


メモを胸のポケットに入れると、立ちだしソロソロとリビングのドアに向かい歩き始めた。


「むぅ~ご令嬢、おくつろぎのところ、失敬を・・・なんでもないんじゃ、お気に留めぬよう、むぅ~」

「別に気にしないけど・・」


吉田がリビングのドアノブに手を掛けると急にドアが開いた。


「お嬢っ!」

「ぬぅ、ほっ!」


勢いよく開いたドアに吉田は後ろに倒れ込んだ。


「お、おやじ、大丈夫かっ!」

「おいっ!高倉!ドアは静かに開けんかいっ!」

「すまん、すまん、人の気配が無かったからよ」


高倉は吉田を抱えながら立たせた。


「健さん、そんで三田さん見つかったの?」

「いや、それがどこにも居ないんすよ、弁当の買い物してるのかと思って、近所のスーパーまで行ったんすけどね」

「えーっ、なにそれ」

「おい、おやじ、昼頃よ、三田さんと一緒だったよな」

「はぁ~そうじゃが」

「どこに行ったんだよ」

「のぉ~漬け物屋を3件ほど、廻っただけじゃ」

「漬け物屋?なんで、そんな所に行ったんだよ」

「むぅ~知らん」

「ったく、役に立たないジジイだな、そんで、三田さんはどこに居るか知らないか?」

「ほぉ~知らん」

「知らんじゃねぇーよ、車で戻って来たんじゃねぇーのか」

「のぉ~駅で降ろして・・・その後・・・上岡様を本社に送って差し上げて・・・帰ってきたんじゃ」

「はぁー、駅で降ろした、そんで、どこに行くって言ってんだよ」

「ほぉ~知らん」


高倉は呆れたように両手を挙げた。


「お嬢、ダメだ、吉田のおっさんに聞いた俺が悪かった」

「三田さん、電車でどこに行ったんだろう、今日中に帰って来るのかな?」

「そりゃ、お嬢のお弁当を作るんだから、今日中には戻ってくるんじゃないすか」

「本当に?絶対?」

「い、いや、だって・・よ、さすがに、お嬢のお弁当を忘れて、急に旅行に行ったりしないだろ」

「だから、絶対なの?」

「お、お嬢、だから、俺だって、その、分からないすよ」

「だってさ、この時間に居ないんだよ、なにかあったのかな」


優華と高倉の間に吉田がのそのそと割って入ってきた。


「のぅ~ご令嬢」

「なによっ!もう、寝たら」

「むぅ~家政婦さんの事じゃろ」

「そうだけど、なんか、知ってるの!」

「むぅ~今、思い出したじゃがの~そのぉ~ご令嬢のお弁当が・・・・・・・・・?」


沈黙が続き優華が痺れを切らして吉田に迫った。


「もぉ~だから、なに!」

「むぅ~おにぎりじゃったかな~おむすびじゃったかな~にぎりめし・・じゃなかったような」

「キィー、それ全部、一緒でしょ!だから、おにぎりがどうしたの!」

「さぁ~」


優華は吉田の首元に手を掛け鋭い眼光を向けた。


「ねぇ~私に殺されたいの」

「ぬぅほっ」

「お嬢、まぁ~まぁ~抑えて、抑えて」


高倉は優華の顔色を見ながら、そっと吉田の首元から手を外した。


「おやじ、マジで殺されないうちに寝た方がいいぞ」

「そう、そう、明日、朝が早いんじゃった」

「おやじ、明日、なんか、あるのか?」

「ぬぅ~上岡様が早めに来てくれと・・・」

「ほぉーそう、あいつ、明日、俺の車に乗りたくないってか、はぁーいい根性してんな」

「むぅ~ご令嬢、明日、早いもんで、先に失礼させてもらいますんで」

「はい、はい、ゆっくり休んでくださいね、しっ、しっ」

「おやじ、布団、敷いておいたからよ」

「ほぉ~高倉、すまんの~ぉ」

「いや、いや、おやじ、風邪を引かないようにな」

「むぅ~心配ご無用じゃ」


吉田がソロソロとリビングから出て行くのを見送ると、高倉は神妙な顔で優華の顔を見た。


「お嬢」

「なに、健さん」

「最近、吉田のおっさんに冷たくないすか」

「そうかな?だって、気持ち悪いんだもん」

「いや、お嬢、ここだけの話しすよ、あれで、結構、悩んでいるんすよ」

「悩む?なにを」

「お嬢がその・・最近、なんか、お嬢に避けられているような・・気がするって」

「私が?避けてる?だってさぁ、ちょー近寄ってくるんだもん、こうだよ」


高倉の顔にグッと顔を近づけた。


「お、お嬢、そ、その、近いっすよ」

「なに、嫌な顔をしてんのよっ!」

「いや、そんな、嫌じゃないすけど・・・ちょっと、その・・」

「ボケェ~なに、考えてんのよっ!変な事をしたらぶっ殺すからねっ!」


優華は頬を赤らめて高倉を押しのけた。


「わ、分かってますよ、あの、それで、少しで良いんで、吉田のおっさんの事を・・・」

「だって、気持ち悪いもんは気持ち悪いんだから、なんで、私がさぁー気を遣わないといけないのよ!」

「その、気を遣うとかじゃなくてですよ、その、ちょっとだけ、優しく接してもらえないかな~なんて思ったりして」

「ふぅ~ん、あんた、私に・・・あーそう、ちょっとだけ優しくね、分かった、努力するわ」


優華の鋭い眼光が向けられると、高倉は後退りながらソファーに沈み込んだ。


「あ、あの・・お年寄りは大切にした方が良いかな~なんて・・そ、その、俺の意見じゃなくて・・世間的に、そう言うじゃないですか」

「うん、だから、分かったって、優しくすればいいんでしょ、優しくす・れ・ば」

「そのぉ~無理なら」

「健さんが言ったんでしょ、なによ、無理ならって、どっちなの!」

「はい、優しくしてあげてください、よろしくお願いします」

「健さん」

「は、はい」

「なに、ビクビクしてんの?」

「いや、別に、そんなことはありません、です」

「ねぇー」

「は、はい、なんでしょうか、お嬢様」

「三田さん、おにぎりがどうしたのかな?」

「お、おにぎりですか、それは、あの、ちょっと、お、おれ、あの、私にも、分かりかねますが・・」

「もうーちょっと、ふざけないでよぉ!私が真剣に話しているんだから」

「駅におにぎりを買いに行ったって事はないすよね」

「当たり前でしょ、そんなんだったら、もう、とっくに帰って来てるでしょ、それにね、私がさぁ、駅に売ってるおにぎりを食べると思ってるのっ!」

「ですよね」

「まったく、バカな事を言わないでよね、本当にどこに行っちゃたのかな?」

「お嬢、大丈夫っすよ、三田さんの事ですから、何か考えているんすよ、それより、お嬢、明日・・・」

「明日がどうしたの、時間はさっき決めたでしょ」


高倉はソファーから立ち上がるとポーズを取った。


「応援っすよ、応援!」

「なに、応援って、別にいいよ、健さんは試合中、車で寝てなよ、お昼になったらさ、お弁当を持って来てくれればいいからさ」

「お嬢~なにを言っているんすか、そんな、この俺が、お嬢が頑張っているのに、車で寝てるなんて、俺、そんな冷たい男じゃないすよ、むしろ、燃えているんすよ、明日の応援」

「はぁ~まっ、勝手にすれば」

「マジ!いいんすか!俺の魂が燃えてきましたよ、気合だぁ!」


高倉は両腕を激しく動かしながら雄叫びをあげた。


「そうと決まれば、まずは横断幕、横断幕を作らねぇ~と応援にならねぇ!それと、ダチに電話しねぇと、おぉ~!今日は徹夜だ!気合いだぁ!」

「はぁ~、あんたさぁ~」

「お嬢、明日は安心してください、俺の魂が籠もった応援で勝利は間違いないっす」


優華の言葉も耳に入らず紙やマジックを探し始めていた。


「ねぇ、ねぇ、ちょっと、マジでなにやってんの」

「えっ、だから、お嬢が勝手にやって良いって・・・やっぱり、応援と言ったら横断幕じゃないすか!」


高倉はソファーのテーブルでデザインを考えていた。


「目指せ!優勝!的な感じで・・色は派手な方がいいな!よしっ!もっと、でかい紙ねぇかな?あっ、倉庫にでかい紙があったよな」


ソファーから立ちだした高倉の襟足を掴み引き戻した。


「ボケ~っ!なに考えてんのよ、横断幕なんて恥ずかしいから絶対に止めてよね、そんなの持って来たら、速攻、叩き出すからね!」


優華の思いも寄らない剣幕に高倉は目を丸くした。


「お嬢、どうしたんすか?明日の応援・・・」

「あ・の・ね・横断幕なんていらないの!」

「えっ、なんで?」

「なんで?じゃなくて、必要ないでしょ」

「だけど・・応援っていったら、横断幕は付きものでしょ」

「ただの地区予選なの、大人しく観てればいいの」

「それじゃ、寂しいじゃないすか、横断幕くらいはあってもね」

「ねぇ、健さん・・・何回、同じ事を私に言わせるつもりなの」


優華の鋭い眼光が高倉の覇気を奪っていった。


「はい、お嬢様、分かりました」


そのままソファーにへたり込み、力なく床までずり落ちていった。


「ねぇ、ねぇ、今、思い出しだんだけどさぁ、どうして、吉田のじじいが健さんの部屋を使ってるのよ」

「あー、吉田のおっさん・・・ねぇ」

「あー、じゃなくてさ、なんで、じじいがあんたの部屋を使ってるのか、聞いてんの!」

「はぁ~」

「はぁ~じゃなくて、質問に答えなさいよ!って、言ってんの!」


高倉の頭上に高く振りかざされた優華の拳が高倉の頭に直撃した。


「ぃ、痛っってぇ~!」

「どう?目が覚めた?」

「お嬢、なにするんすかぁ~、痛ててっ」


鉄拳を食らった頭を何度も撫でながら優華の顔を見た。


「私の話をちゃんと聞かないからでしょ、もう、一発欲しい?」

「ちゃ、ちゃんと聞いてますよ、吉田のおっさんが、どうして俺の部屋に居るかですよね」

「そう、どうしてよ、じじいには控え室だってあるし、それに、もう、帰る時間でしょ」

「その・・あの・・ですね・・色々と事情っていうものがあって・・・」

「なにっ!事情って!早く教えなさいよ」

「内輪の話しっすから・・・」

「だって、ほらっ、優しくしてあげるのにさぁーそういう事も知らないと、優しく出来ないかもなぁ~」


優華は腕を組みながらグルグルと高倉の周りを歩いた。


「ねっ、健さん、そう、思わない?」

「お、お嬢、それは、ずるいすよ」

「なんでよ~ずるくないじゃん」

「わ、分かりましたよ」


手招きすると優華の耳元で声を潜めた。


「マジ、本当に、ここだけの話しっすよ」

「うん、うん」


優華は高倉の口元に耳をさらに寄せた。


「吉田のおっさん、最近、奥さんとヤバイらしくて、さらに、娘にも前から嫌われてて、家に帰っても居場所が無いみたいなんすよ」

「へぇ~やっぱり、娘さん、居るんだ、そんで、いくつなの?」

「高校生だと思うけど」

「なるほどね、娘さんの気持ちは分かるなぁ~さっきも、ちょー気持ち悪かったし、あーん、それで、プレゼントを・・なるほど、謎が解けた」

「そ、そんな、お嬢まで、いくらなんでも、それは可哀想、過ぎますよ・・・思春期の女子って、そんなもんなんですか」

「知らないけどさぁ~きもいもんはきもいじゃん」


悪びれる様子もなく平然とした顔で話している優華に高倉は顔を曇らせ押し黙った。


「ねぇ、ねぇ、だってさぁ、話す前に、ほぉ~とか、のぉ~ってキモい吐息を漏らすんだもん」

「・・・・」

「ねーねー、聞いてんの、あれって、なんなの」

「それは確かに・・・なんなのって、それは、癖っていうか・・・慣れれば別に気にならないっすよ」

「いや~ん、無理、無理、気持ち悪い、なんで、むぅ~とか言うの、絶対に嫌だ、お~キモ」


優華は身を縮め、両腕の鳥肌を擦った。


「お嬢、吉田のおっさん、凄くいい人なんすよ」

「分かるけどさぁ、そりゃ、小さい頃はよく遊んでもらったし、でもさぁ、なんか、生理的に受け付けないんだよねー」

「生理的に受け付けないって・・・」

「健さん、浮かない顔して、どうしたの?」

「いや、やっぱり、お嬢くらいの歳頃ってみんなそうなんですかね」

「う~ん、分かんない、それでさ、どうして、じじいが健さんの部屋を使っているの?」

「だから、家に帰りたくないって言うから、俺の部屋に泊まらせてあげているんすけど・・・・」

「へぇ~健さん、優しいね~、私なら、部屋が臭くなるから、絶対に部屋に入れないな、なんなの、あれ、整髪料?、すげ~くっせいの、吐き気してくる」

「ポマードっすか」

「マジでくっせーの、思い出しただけで吐き気がする、オエーッ」

「そ、そんなに臭いっすか」

「うん、うん、なんで、あんなくっせーの頭に付けてるの?」

「さぁ~なんでですかね、俺はグリスしか付けないけど」


優華はグリスで固められた髪を指先で弄びながら毛先を逆立ていった。


「これっ、グリスって言うの、いつも、髪がカッチカチだから、糊でも付けてるのかと思った、そうじゃなかったらボンド、まっ、それはないかぁ」


優華の指先を軽く払い除け、弄ばれた髪をコームで撫で付け毛先を整えた。


「糊って、そんなの付けないっすよ、まして、ボンドなんて、禿げちゃいますよ」

「ふ~ん、どうでもいいけど」


高倉の顔つきは優華の話を聞く程に憂鬱さを増していき、優華の暴走は留まること無く続いた。


「それでさ、娘さんが吉田のじじいを嫌うのはよく分かるんだけど、奥さんはどうして?」

「そんな理由まで、知らないっすよ」

「浮気がばれた?」

「ち、違いますよ」

「それじゃ、なに、きもいから、禿げてるから、臭いから、むぅ~とか変な吐息をはくから、どれ?」

「お嬢、もう、それ、ただの悪口っすよ」


優華は地団駄を踏んで高倉に迫り寄った。


「だから、どれなのよ~イライラする~」

「だから、理由は知らないっすよ」

「それじゃ、今、聞いてきて」


平然と無理難題を言い放たれた高倉は後ろに仰け反りながら後ずさりし両手を左右に振った。


「そ、お嬢、そんな事、聞けないっすよ、無理っすよ」

「そう、それじゃ、私、聞いてくる」


平気な顔をしてドアの方に歩き出す優華に高倉は慌てふためき手を伸ばした。


「ちょ、ちょっと、お嬢」


慌てた高倉はソファーの角に躓いた。


「あっぶね、ちょ、ちょっと、お嬢、ま、待って!」

「なによ、健さんが聞けないなら、私が聞くまでよ、うん」

「お嬢、ちょ、ちょっと待って下さいよ、マジで聞くんすか」

「うん、聞いちゃダメなの?」

「もちろん、ダメっすよ」

「なんでよ、別にいいじゃん」

「それは、男にしか分からない・・その・・訳があるんすよ」

「なに?その訳って?」


高倉はため息をつき、ソファーに座ると優華はその隣に座った。


「マジでここだけの話しっすよ、絶対に誰にも言わないでくださいよ」

「うん、うん、言わない、言わない」

「実は・・いや、でも、これはなぁ」


高倉は言葉を詰まらせ黙り込んだ。


「ねぇ、ねぇ、なんなのよ」

「本当に誰にも言わないでくださいよ」

「うん、うん、早く!」

「その・・キャバクラに夢中になっちゃったみたいで・・・それが運悪く奥さんにバレちゃったらしいんすよ」

「ふぅ~ん、きゃばくら、って?奥さんにバレたらダメなの?」

「お嬢、キャバクラ、知らないんすか・・・そう、ですか・・・それじゃ、知らないままの方が良いですよ」

「えーっ、嫌だ!」


その場でバタバタと地団駄を踏みながら高倉に激しく迫った。


「ねぇー、教えて、教えて、きゃばくらってなに!きゃばくらって」

「お、お嬢、声が大きいっすよ」

「きゃばくら、ちゃばくら、ばばくら・・・」


高倉は急いで優華の口を手で封じると小声で言った。


「ちょ、ちょっと、本当に、マジで、上岡のおっさんに聞こえたら、俺、ヤバイっすよ」

「むぅっ」


優華は高倉の手を掴んではね除けると睨み付けた。


「ちょっと、汚い手で顔を触らないでよね!もう、ばっち、ぺっ、ぺっ」

「す、すんません」

「そんで、きゃばくら、ってなんなの」

「キャバクラっすか、だから、若くて可愛い女の子とお酒が飲める、男の楽園っすよ」

「げっ、なにそれっ、男のパラダイスって、完全にエロじゃん、キモっ、まさか、健さんも行ってるんじゃないでしょうね」


優華は目を細めて高倉を見た。


「お、俺は、行かないっすよ、そんな金、無いっすから」

「ホントに?」

「マジっすよ、俺は、こう見えて真面目なんすよ」

「もし行ってたら、もう、健さんと口利かないからね、あのエロじじいとはもう口利かないんだ」

「そ、そんな、キャバクラはエッチな所じゃないすよ」

「あっ、ってことは、やっぱり、行った事あるんだ~」

「お、お嬢、だから、違いますって、行ってないっすよ、その、人から聞いた話しっすよ」

「ちょっと、触んないでよ~」

「お嬢、マジで行ってないっすよ、お嬢、信じてくださいよ~ぉ」


高倉が話し終えた後、優華は頭を手で抱え込み急に黙り込んだ。


「お、お嬢、どうしたんすか?」

「うぅ~」


頭を左右に振るり唸り声を上げながらうずくまった。


「お嬢、だから、俺、その・・・キャバクラには、行ってないっすけど・・・」

「うん、そうね、もう、分かったから」

「お嬢、なんか、どうしたんすか?」

「なんでもないから、もう、寝ないと、明日、早いし」

「いや、急にそんな、どこか、具合が悪いんすか」

「だから、なんでもないって、言ってるでしょ」


優華は立ち上がり、覚束ない足取りで歩き出した。


「おっと、お嬢、どうしたんすか急に」

「うん、平気、ちょっとね、ありがとう、健さん」


高倉に抱えられながらリビングを出た優華は階段を上がり部屋のドアを開けると表情を強ばらせた。


「そんな・・・明日まで保たないなんて・・・ウソでしょ」


後ろ手でゆっくりとドアを閉めると鍵を掛けた、そのままドアにもたれかかり体を預けた。


「健さんに変な所を見られちゃった」


視線の先にある机の引き出しを見つめ、ゆっくりと机に歩み寄ると引き出しを開けた。


「これで、今日、3錠目・・・」


増成から処方された薬を手にした、その手が微かに震えている。


「なんで、効き目がどんどん短くなってる」


テーブルに置いてあるカバンにふと視線を移すと、身体全体が震え出した。


「明日の試合、大丈夫かな・・私のせいで負けたら・・どうしよう、みんなに嫌われるかも」


全身が小刻みに震え、呼吸が浅くなり乱れていった。


「どうしよう、もう、嫌だ、明日、試合なのに」


震えと共に不安がこみ上げ、胸が締め付けられていった。

手にしたコップの水が床に零れる中で、錠剤を口に入れコップの水を一気に飲み干した。


「た、助けて、怖い」


机から椅子を引き出すと、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、机に覆い被るように寝そべりながら呟いた。


「もう、嫌だ・・・」


不安な気持ちを抑えきれずに薬に頼ってしまう自分自身に嫌気をさしていたが、薬の効果が発揮されると共にその気持は薄れていき高揚感に満ちあふれていく、それを繰り返していた。


「あっ、薬・・足りないかもしれない、試合中に切れたらどうしよう」


椅子から立ち上がると、震える手でカバンのファスナーを開け、薬の入ったケースを取り出して薬を追加し、そのケースを手でぐっと握り締め、胸に当て目を閉じ深呼吸をすると、身体の震えが治まり呼吸もらくになっていった。

目を開けゆっくりと手を開き、ケースに入れられた水色の錠剤を見つめた。


「お嬢様、すみません、三田です」

「あっ、三田さん、ちょ、ちょっと、待ってて」


ケースをカバンに入れファスナーを閉めると、鏡を見ながら乱れた髪を整え、部屋のドアを開けた。


「お嬢様、遅い時間に申し訳ありません」

「別に時間はいいけど、三田さん、どこに行ってたの、捜したよ」


三田は廊下で一礼すると、身体を縮めながら部屋の中へ入ってきた。


「誠に申し訳ありません」


深々と頭を下げると、そのまま、床に膝と頭をつけて、謝罪をする三田の姿に優華は呆気にとられた。


「あっ、あの、三田さん、なに?どうしたの、ちょっと・・」


三田は床に膝をついたまま優華を見上げた。


「お嬢様、明日のお弁当に入れる、おにぎりの具材が・・・」

「えっ、お弁当がどうしたの?」

「あの・・・梅干しが・・・お嬢様のお気に召している・・・紀州南高梅の蜂蜜漬け・・その特大粒・・・わたくしの手違いで・・・別の物を発注してしまい・・・それを今日の今日まで、気がつかず・・・」


三田は声を震わせ言葉を詰まらせた。


「そうなの・・・」

「先程まで、方々を、探しのですが・・・産地でも入手困難な逸品で御座います故・・・やはり、そう容易く手に入る物では御座いませんでした、お嬢様がご昼食の時間を大切にされている事は重々承知の上での失態・・・代々家政婦としてお仕えしてきた三田家も・・」

「いや、いや、ちょっと、三田さん、まず、頭を上げてよ」


立ち出した三田は、突如、優華に迫り寄ってきた。


「わたくし、覚悟は出来ております」

「覚悟って、そんな、梅干しくらいでさぁ~ちょっと、大げさでしょ」

「わたくし一人の身一つでは足りません、末代までお詫び申し上げてく事になりましょう」

「だから、梅干しくらいで、そんなに謝れても困るし」

「しかし、まず、わたくしがここで」


懐に入れた三田の手を優華は押さえつけた。


「お嬢様、お手をお離しください」

「ちょ、ちょっとさ、なにをするんだか知らないけど・・・なんかとっても嫌な予感がするのよ、とにかく、梅干しの件は分かったから」

「お、お嬢様・・なんて、ご寛大な」


三田は懐に入れた手をゆっくりと出した。


「それで、もしかし、お昼からずっと、探してくれてたとか?」

「ええ、産地まで出向き・・現地の家政婦仲間、約500名で探しましたが、先程申し上げた結果でございました、しかし、わたくし、できる限りの事はしたつもりです」


三田は顔を両手で覆うとその場で立ち崩れた、その傍らで優華はため息をついた。


「あのさぁ~梅干しで、そんな、500名って、その前に、私に相談してくれればいいのに、なんか、その人達が気の毒に思えるよ、あの梅干しは美味しいけど、ただ、おにぎりには合わないと思って」

「はぁ、そのように思われて」

「ねぇ、三田さんがにぎりに合いそうな梅干し、チョイスしてくれればいいからさ」


三田は後ずさりして床に手をつき頭を下げた。


「お嬢様、その様なご寛大なお言葉をわたくしめに・・・身に余るお言葉で御座います・・・調理スタッフ総動員して最高の梅干しをご用意します、それで、何卒、何卒、お許しを」


優華は再びため息をついた。


「まぁ、三田さんのチョイス、楽しみにしているから」

「お嬢様、その様な、お優しいお言葉を・・・わたくし・・・感無量で御座います」


三田は目頭を手で押さえ、深々と頭を下げると部屋から出ていくと、優華は肩を撫で下ろした。


「はぁ~疲れた、なんなの、江戸時代?三田さん、時代劇の見過ぎじゃないの、まったく、マジで切腹とかしそうで怖いよ、はぁ~、さ~てと、三田さんは見つかったし、明日のお弁当の心配はしなくて良さそうね、そんで、今、何時?」


優華は部屋の時計を見て慌てた。


「あ~ん、もう、こんな時間じゃん、謝るのが長いんだよ、梅干し忘れちゃった!ゴメチ!なら3秒も掛からないのにさぁ~ちゃちゃっとお風呂に入って寝ないと」


ヘアバンドで髪を束ねると部屋にある浴室のドアを開けた。


「あ~ん、もぉー、ビショビショじゃん、梅干し探している暇があったら、お風呂、洗っておいてよ~ぉ!ボケ~っ!」


浴室に怒号が響いた。


「浴室が汚いの嫌なのにぃ~!あ~バッチィ~な~」


怒りを抑えつつ入浴を済ませ、就寝の準備を整えるとベッドに入り翌朝を迎えた。



「おっはよ~!えっ!」

「押忍!お嬢!」


高倉はリビングのソファーに座って新聞を読んでいた。


「あんた、本当のバカ」

「なんすか?」

「その格好、応援団のつもり?」

「そうっす!昨日、ダチに借りてきたっす!気合い十分っす!押忍!」

「あんたの友達もバカ?」

「バカじゃないっす、マジっす!」


優華は呆れたとばかりに手のひらを上に向けて頭を傾げた、その様子を見ていた三田がクスクスと笑いを堪えていた。


「お嬢様、おはようございます、今日のお召し物もとてもお似合いで」

「そう、そう、、このジャージ、いいでしょ、てかさぁ~、三田さん、昨日、お風呂洗ってなかったでしょ!」

「あらっ、そうね、そうよ、あら~ん、私とした事が、もう梅干しの事で頭がいっぱいで、何か忘れてると思ったら、お風呂ね~」


三田は舌を少し出し、指で輪を作り頬に当てた。


「ゴメチ、お嬢様、こうでしたっけ?」

「あ~まぁ~ね、おばさんがやるとなんか違うものになっちゃうんだ」

「あらっ、違います?こうかな?こうだったかな?」


ポーズを変える度に違うものになっていくのを見ながら優華は呟いた。


「梅干しとは謝り方が違うんだね」

「ほんと、ごめんなさいね~今日は、ちゃんと洗っていきますからね」

「マジでよろしくね、汚いの嫌だから」

「はい、承知しました、ピカピカに仕上げておきます」


その傍らで高倉が優華のジャージ姿をしげしげと眺めていた。


「押忍!そのジャージ、格好いいっすね」

「まぁね、私がデザインしたの!そんで、あんたの格好は、それ、マジなの」

「押忍!もちろん」

「なんか、頭が痛くなってきた」


優華が頭を抱え込むと、高倉は傍に駆け寄った。


「お嬢、大丈夫っすか!」

「もう、あんたが原因だって事が分からないかな~」

「昨日もっすか?」

「そう、そうね、そう、あんたのせいよ、下らない話をするから」

「い、いや、それは、お嬢が・・」

「私がなんなのよっ!人のせいにしないでよねっ!」


テーブルに朝食を並べながら、三田が笑いを堪えている。


「高倉さんったら、昨日の夜から、その格好でいるから、ビックリしたわよ」

「俺、なにか、可笑しいですかね」

「やっと、気がついたの、ボケ!」

「そ、そんなぁ~俺なりに考えたんすけどね~」


高倉はフラフラしながら、ソファーにへたり込んだ。


「ふふっ、それに、高倉さんったら、一晩中、応援の練習してたのよ」

「えっ、もしかして、昨日、寝てないとか」


高倉は立ち上がると、応援のポーズを構えた。


「押忍!」

「おっす!じゃないわよ、運転中に居眠りしないでよね」

「押忍!余裕っす!」

「あ~また、頭が・・・クラクラしてきた」


優華はテーブルの椅子を引くと、額に手を当てたまま椅子に座り頭を抱えた。


「お嬢、また、俺のせいすか?」

「そうよ、あんたはさぁ、運転手なんだから、ちゃんと、寝ておきなさいよね」

「寝れなかったんす」

「なんで」

「ドキドキしちゃって」

「ボケ、あんたが試合に出る訳じゃないのに、どうして、ドキドキするの」

「いやぁ~そうなんですけどね~なんか」


高倉は首を捻りながら頭を掻いた。


「まぁ、いいわ、絶対、運転中に寝ないでよね、まだ、死にたくないから」

「あ、当たり前っすよ、ね、寝ないっすよ、俺も、死にたくないっす」


高倉は目を擦り口に手を当てあくびを隠した。


「本当に大丈夫かなぁ~」


優華は再び頭を抱え、三田に話し掛けた。


「上岡さんは?」

「あら、そう言われれば、昨日からお見かけしませんね」

「やっぱり・・」


高倉は拳を手で受けながら優華の傍に歩み寄り、椅子を引いて優華の隣に座った。


「あの野郎、お嬢の晴れ舞台だっていうのに、どこに雲隠れしやがったんだ」

「はっ?」

「三田さん、俺にも、朝メシ、大盛りで」

「ちょ、ちょっと、どうして、ここで食べるのよ」

「だってよ、俺の部屋さ、吉田のおっさんに占拠されてるから」

「占拠されたって、あんたが勝手に占拠させたんでしょ」

「まぁ、いいじゃないっすか、たまには、こうして、俺と一緒に朝メシっていうのも」

「ったく、なんで私が健さんの隣でご飯を食べないといけないのよ」

「嫌っすか?」

「べ、別にいいけどさ、てか、最近、私に近寄り過ぎじゃない」

「そうっすかね」

「そうよ、最近、買い物に行きましょうとかさ、呼んでないのに来るじゃん」


優華は横目で高倉を見た。


「いや、それは、お嬢もたまには息抜きした方がいいかな~とか、気遣いっすよ」

「なにが、気遣いよ・・・ふんだ」


高倉はどんぶりのご飯を掻き込むと、咬まずに飲み込むと、チラッと優華を見た。


「どこ、見てるのよ」

「別に」

「もう!悪かったわね、小さくて!もう~、むっかつく!きぃ~」

「お、俺、何も言ってませんよ、お嬢の胸については」

「スケベ、変態、バカ、ハゲ、ボケ~!」


優華は顔を真っ赤にしながら足をバタバタさせ高倉を睨み付けていると、突然、上岡が慌ただしい形相で入ってくるなり怒声を上げた。


「高倉!いるかっ!」

「なんだよ、朝っぱらから、うるせーな」


上岡は高倉を見るなり迫り寄った。


「おいっ、高倉、吉田くん、まだ、来てないのか!」

「はぁー吉田のおっさんすか?」

「吉田くんはまだ来ていないのかと聞いているんだ!」

「うるさいな~聞こえてるよ、今、朝メシ、食っているんだから、吉田のおっさんなら、俺の部屋に居るはずだけど」

「なんで、吉田くんがお前の部屋に居るんだよ!」

「別にいいじゃねえかよ」

「それに、なんで、お前がここで食事をしているんだ」

「うるせーな、たまにはいいじゃねーかよ」

「お前が居たらお嬢様がゆっくり食事が出来ないだろう」

「ったく、分かったよ、俺が邪魔なんだろ」


高倉がテーブルから立ち上がろうとすると、先に優華がテーブルを叩き立ち上がった。


「うるさーい!今、食事中!」


リビング全員の動きが固まった。


「もう、喧嘩は私が居ない所でやってよね、うるさいな~」


上岡はすぐに優華の傍に寄ると、深々と頭を下げた。


「お嬢様、おはよう御座います、朝から、お騒がせしてしまって、申し訳ありません」


上岡は頭を上げると話を続けた。


「実は、昨晩なのですが・・お父様の件で・・・お嬢様にも」


優華の表情が一瞬で硬くなり、その場の空気が凍り付いた。


「おい、上岡、会社の話なら、今、お嬢にするなよ!今日は大事な試合なんだからな!」

「うるさい、おまえは黙ってろ!」

「てめ~なんだか知らないけど、止めろよ」


高倉は立ちだし上岡の背後に周ると羽交い締めにして優華から引き離した。


「おい、上岡、今、言わなくてもいいだろう、今日は試合なんだ、明日でもいいだろう」

「健さん、ありがとう、平気よ、いつもの事なんだから」

「お嬢・・・」


高倉が力を緩めると、上岡は手を振りほどき、高倉を睨み付けた。


「なんだよ、やるのか」

「その、お前の格好はなんだ、お嬢様に恥じをかかせるなよ」


高倉は顔をしかめ拳を握り締め、上着を脱ぐと床に叩きつけた。

上岡はそのまま優華の耳元で話し始めた。


「・・・・そう・・・パパが・・・分かった」


優華の表情が言葉とは裏腹に曇っていくのを高倉は唇を噛み締めながら見ていた。


「いつもの事でしょ・・・うん・・・平気よ」


話を終えると上岡は優華の正面に跪いて話を始めた。


「もちろん、顧問弁護士と共に私が全力でお父様をサポートしますので、お嬢様はご心配なく」

「うん、別に心配なんてしないし、適当に懲らしめてあげて」

「いやいや、そんな懲らしめるなんて、お父様は何も悪い事など・・ちょっとトラブルに巻き込まれただけですから・・・」

「まったく、迷惑な人よね、困ると全部、上岡さん任せだもんね、自分一人で解決出来ないの」

「いやいや、それでは、私の仕事がなくなってしまいますよ、お父様を支えるのが私の仕事ですから」

「そう、でも、上岡さんも大変ね」

「お嬢様、お気遣いの言葉、有り難う御座います、それで、本日の・・・」


上岡は言いにくそうに言葉を切った。


「今日、試合に来れないんでしょ、分かってる、仕方ないわよ、パパのせいなんだから」

「申し訳ありません、事が大きくならないうちに収束させたいので・・・」


上岡は深々と頭を下げた。


「上岡さんが謝ることないよ、謝って欲しいのは、パパの方よ」

「それでは、お父様の代わりに、私が謝ったと言う事で」


再び、深々と頭を下げた。


「はぁ、何でも面倒な事は上岡さんなのね」


上岡は白い歯を少し見せ優華に微笑みかけた。


「それが私の仕事ですから」

「仕事じゃなかったら、やっていられないものね」

「いやいや、そういう意味ではありませんよ」

「ふふっ、嫌みに聞こえちゃったかな」


表情を緩ませた優華を見て、上岡も微笑み返しながら頭を下げた。


「申し訳ありません、これで、失礼します」

「うん、よろしくね」

「はい、今日の試合、ご健闘を祈ってますよ」

「任せておいて、勝つに決まっているじゃん」


優華がガッツポーズをすると、上岡は少し頬を上げ笑みをこぼし、すっと向きを変えるとドアに向かって歩き出した。


「高倉、俺の分も応援しろよ、お前は声がでかいのが唯一の取り得だからな、ははっ」


床の上着をさっと拾い上げ、立ち尽くす高倉に渡し肩をポンと叩いた。


「おまえが着ると様になるな、応援団長!」

「うるせ、なんだよ!」


高倉は顔をしかめながら上岡が部屋から出て行くのを見送った。


「上岡の野郎、ひと言、多いんだよ、嫌みな奴だ」


高倉は独り言のように言うと、上着を羽織って部屋から出て行った。

一部始終を見届けた三田はテーブルのカップに手を伸ばした。


「お嬢様、スープが冷めてしまいましたね、入れ直してきますね」

「うん、ありがとう」


三田は優華のスープカップを手にすると、スープを入れ直してテーブルに置いた。


「あの二人はどうしていつも喧嘩ばかりしているのでしょうね、男って嫌ね」


優華は三田の顔を見てにこりと笑った。


「喧嘩するほど仲が良いって言うけどね」

「さて・・高倉さんと上岡さん・・そう、かしらね」

「まぁ、不良と優等生だからね、合わないに決まってるけどさ」


顔を見合わせ微笑み合った。


「さぁ~てと、これでゆっくり食べられる」


小さくちぎったパンを口に運び、スープを口にし食事をしていると、再びドアが開きブツブツと独り言を言いながらダイニングをうろついている気配がした。


「ったく、あの野郎、こんなの勝手に作りやがってよ・・・」

「ねぇ、健さんでしょ、さっきから、後ろでブツブツうるさいよ、どうしたの?」

「いや、お嬢、これ、見て下さいよ」


振り返った優華は高倉が手にしている物を見て唖然とした。


「あんた、それマジで作ったの?昨日、嫌だって言ったでしょ」

「ち、違いますよ、あいつ、上岡が作ったんすよ」

「え~っ上岡さんが」


高倉は髪を七三分けにすると、上岡の口調を真似ねながら言った。


「すまん、俺、応援に行けないから、これ、お嬢様に・・・だってよ、あの野郎、気取りやがって」


金色や色とりどりの刺繍を施された横断幕に応援のメッセージが書かれている。


「えっ、本当に?あの顔で?ぷっ、はははっ、はははっ、ちょっと、お腹痛いよ、ひぃ~、はははっ、うわっ!痛たたっ」


笑い転げ椅子から落ちても笑いが止まらない優華は息が途切れ途切れになっていた。


「はぁ、はぁ、く、苦しい、そ、そんで、そ、それ、健さん、持って行くつもりなの、しかも、健さん、上岡さんの真似、全然、似てないし」

「まぁ、お嬢が良いなら・・・」

「上岡さんが、そ、そんなの密かに作ってたかと思うと・・ぷっ、ぷははっ」


優華は笑いを堪えながら椅子をよじ登って座った。


「お嬢、そんなに可笑しいすか?俺、イマイチ、笑いの壺が分からないっすけど・・・」

「えっ、だって、上岡さんってスポーツに全く興味なさそうなのに、そんなに熱い人とは思わなかった」

「まぁ、頭は良いけど・・運動は出来なそうですね」

「でしょ、でしょ、それなのに、それって、アリエンティ~だよ」

「ありえんてい、なんすか?、あの、それで、どうします?」

「そ、そんなの恥ずかしくて、友達に見せられないよ」

「やっぱり、そうですよね」


高倉は横断幕を折りたたみ、ソファーの前のテーブルに置いた。


「あー、面白い、上岡さん、今日、持って来るつもりだったのかな」


優華が切り分けられたメロンを口に頬張っていると、三田が優しい声で優華に話し掛けた。


「上岡さんは、それだけ、お嬢様の事を思っていらっしゃるんですよ」


優華は軽く口にナプキンを当てると、机の上に置いてある横断幕を指さした。


「そんな、私の事を思っているなら、あれは、ないでしょ、もう、笑い過ぎて、お腹が痛いよ」

「お嬢、後で上岡に言っておきますから(あいつ、それなりにショックを受けるだろうな・・・)」


高倉は上着を肩に引っかけると、トボトボとドアに向かった。


「健さん、持って行っていいよ」

「えっ!」


高倉は身体を素早く360度回転させテーブルに駆け寄った。


「お嬢、マジっすか、これ、持って行っていいんすかっ!」

「まぁ~恥ずかしいけどさぁ~でも、せっかく作ったんでしょ、上岡さんに悪いし」

「そっ、そうっすよね、いや、上岡のやつも、お嬢が気に入らなかったって聞いたら、いや、良かったっすよ、これ、結構、金、掛かってますし」


高倉はテーブルに置いてある横断幕を手にすると拡げて見せた。


「やっぱ、横断幕、いいすね~応援に気合いが入りますよ」


高倉は横断幕を見ながら一人で感心していた。


「高倉さん、あと、これ、大事な物、忘れないようにね」


三田は奥から持ってきた風呂敷包みを高倉に渡した。


「おっ、そう、そう、お嬢のお弁当、忘れたら、殺されますからね」


優華は高倉をキッと睨みつけた。


「ちょっと、健さん、人聞きの悪い事、言わないでよね」

「い、いや」

「でも、半殺しにするけど」

「そっちの方がリアルで怖いすよ」


高倉は片手で額を拭った。


「ほら、高倉さん、重いわよ」

「おっと」


高倉は渡された風呂敷を両手で持ち直した。


「これ、重いすね、これ、お嬢一人で食べるんすか」

「ボケ、私がそんなに食べるわけないでしょ、友達も見に来るから、余分に作ってもらったの」

「三田さん、俺のは?」

「あるわけないでしょ、いつも食べてる、のり弁でも食べてれば、290円だっけ」

「お嬢、マジっすか、へこむな~」


悄気ている高倉に三田が弁当箱を差し出した。


「はいよ、高倉さんの分、車で食べるかもしれないと思って、お嬢様のとは別にしておきましたよ」

「えっ、マジ、俺の?三田さん、マジで嬉しいっす、感謝っす、中味は?」

「ほとんど一緒よ」

「うっひょ~テンション上がるな~」


高倉は飛び上がって喜んだ。


「三田さん、こいつを甘やかせると、図に乗るよ」

「まぁ、今日は特別よ、その分、応援を頑張ってもらいましょ」

「押忍!気合い入れて、応援させてもらいやす!」


高倉は弁当箱に重箱、横断幕を器用に持ち、そそくさと部屋から出て行った。


「こりゃ、負けられないわ」

「大丈夫ですよ」

「もう~あんなのまで作ってさ、負けたら恥ずかしくて学校に行けないよ」

「あらっ、お嬢様らしくない、いつものように自信を持って」

「だってさぁ」

三田は空になったお皿を下げた。


「あらっ、もうそろそろ、時間じゃないの」

「あっ、ほんとだ、もう、朝から色々あるから、全然、落ち着けなかったよ、それじゃ、行ってくる」


優華はメロンを一口頬張ってから席を立った。


「お嬢様、ちょっと、お待ちになって」

「なに?三田さん」


三田がポケットから金属と岩石のような物を取り出しすと、優華に向けて擦り合わせた。


「わっ、なんか火が出た」

「ふふっ、勝利のお呪いよ、切り火って言うの」

「ふ~ん、なんか、自信が出てきた!」

「ほんと、良かったわ、それじゃ、行ってらっしゃい、頑張ってね!」

「うん、行ってきます!」


三田に大きく手を振られながら部屋を出ると、長ラン姿の高倉が廊下を行ったり来たりしていた。


「なに、ウロウロしてんの?」

「あっ、お嬢、俺、なんか緊張してきた」

「どうして、あんたが緊張するわけ!試合に出るのは、わ・た・し・なの」

「それは分かってますよ」

「だったら、なんで、緊張するの」

「分からないっす」

「そんな格好しているくせにヘタレなんだから!はい!カバン持って!」

「はい」

「押忍!じゃないの」

「あっ、お、押忍!」

「お弁当、忘れてないよね」

「ええ、車に・・お、押忍」

「もう、行くよ、車」

「はい・・あ、押忍!」


優華は車に乗り込むと、薬の入ったケースをカバンから取り出し小物入れの中に入れた。


「お嬢、出発しますよ」

「うん、いいよ、レッツゴー!」


車は外門に向かって走り出した。


「あれっ、何をやってんだ」


バックモニターを見た高倉はブレーキを踏んだ。


「健さん、どうしたの?」

「あっ、いや、吉田のおっさんが・・・」

「キモいのがどうしたの?」

「あっ、いや、お嬢、すみません、ちょっと、待ってってください」


高倉はドアを開け車の外に出ると、車の後ろの方へ走っていった。


「おい、じいさん、なにをやってんだよ」

「む~いや、エンジンが掛からなくてのぉ~」

「なんだよ、エンジンが掛からないって、おい、じいさん、暢気やってる場合じゃねぇぞ、上岡のおっさんがイライラしるぞ」

「の~急ぎかいなぁ~」

「まぁ、朝の調子じゃ、そうだろうよ、ったく、もう、とっくに出てると思ったよ、なんで、俺を呼ばないんだよ」

「ほぉ~お前さんなら、治せるんかいのぉ~」

「俺が治せない車があったら、持って来いよ、ちょっと、退け」


高倉は吉田を押し退けエンジンを見ると、運転席のボックスを開けた。


「なんだよ、ヒューズが飛んでるじゃねえかよ、ったく、これくらい気がつけよ」


高倉はガレージに走るとヒューズを持って戻り差し替え、エンジンキーを廻すとセルモーターが動いた。


「ほら、掛かっただろ」


エンジンのアイドリングの音が響いた。


「のぉ~ヒューズじゃったのか、ワシもそう思ったところじゃったんだのぉ~」

「じいさんよ、キャバクラに行っている暇があったら、ちゃんと、車の整備くらいしておけよ」

「ほぉ~チャバクラは楽しいぞ、お前さんも一緒にどうじゃ~そうそう、朝からやっとる所をめっけたんじゃ、朝チャバじゃよ」

「おいおい、じいさんよ、まだ、懲りてねぇのかよ、俺は、そんな所に行く金はないよ、そんな事より、さっさと、上岡のおっさんを迎えに行って来いよ」

「ほぉ~なんじゃ、若いのに真面目じゃのぉ~」


高倉は吉田の腰からぶら下がっている手拭いで手に付いた油を擦り拭った。


「のぉっ」

「お嬢を待たせてるからよ」


高倉は走って優華が乗っている車に戻り運転席に就くと車を走らせた。


「健さん、なに、やってたの?」

「あっ、ちょっと、吉田のおっさんが困ってたから」

「あのじじい、また、なにかやったの?」

「いや、ちょっと、エンジンが掛からなかったみたいなんすよ」

「なにそれっ!運転手なのに、エンジンが壊れてたの?」

「いや、ヒューズっていう部品を交換するだけだったんす」

「でもさぁ~健さんが気がつかなかったらどうするつもりだったの」

「あーでも、上岡のおっさんの車もあるから、なんとかなっただろうと思いますよ」

「まったく、あのじじい、使えない奴だな~」

「お嬢、まぁ、いいじゃないっすか」

「健さんって、吉田のジジイに甘いよね」

「いや、そうっすかね、甘いとかじゃなくて、目上の先輩だから、敬わないと」

「先輩ねぇ~私には関係ないから、そんで、この車は大丈夫でしょうね」

「この車っすか、それは、バッチリっすよ、毎日点検してますし、部品も定期的に交換してるし」

「そういうとろこはマメなのね」

「一応、プロっすから、それに、途中で故障したら、お嬢に殺されるかもしれないし」

「ふ~ん、よ~く分かってんじゃん、それじゃ、私、ちょっと、寝るから、着いたら起こして」


優華は仕切りのシャッターを閉めた。


「寝るって、すぐに着きますよ、お嬢・・・・」

「・・・・」

「マジっすか・・・マジで寝てるんすか?」

「・・・・」

「俺も・・・眠い」


高倉は目を擦りながら缶コーヒーを片手に試合会場まで車を走らせ、試合会場の駐車場に車を入れた。


「お嬢、着きましたよ」

「・・・・」


高倉は車から降り、座席のドアを開けた。


「マジ寝っすか」


優華は座席で横になって寝息を立てていた。


「お嬢、お嬢、着きましたよ」


高倉に身体を揺さぶられると、うっすらと目を開けた。


「うぅ~ん、なーに、もう、着いちゃったの?」

「お嬢、凄い人ですよ」

「はぁん?、ねぇ、喉、渇いた、水、ちょうだい」


高倉は車内のウォーターサーバーから水を注ぐと優華に渡した。


「お嬢、とにかく凄い人なんですよ」

「はぁ~」

「まだ、寝ぼけてるんすか?」

「まぁ~ね、むにゅ~もうちょっと、寝ようかな」


優華はコップをテーブルに置くと目を閉じて横になった。


「ちょ、ちょっと!お嬢、寝ている場合じゃないっすよ、試合に出るんでしょ、試合!」

「うるさいなぁ~眠いんだから、触らないでよ、ムニャ、ムニャ」

「マジで・・・寝ちゃった・・・この余裕・・さすが、朝香フィナンシャルのご令嬢」


高倉は腕時計を見た。


「まだ、試合開始まで時間あるけど・・・よく、こんな時に・・・俺なんて・・・」


ドアを閉めカギを掛けると、高倉は股間を押さえてキョロキョロと周囲を見渡した。


「便所、便所、あった!お~漏れちゃう、漏れちゃう」


トイレへ一目散に駆け込み用を済ませた。


「ふぅ~間に合った、多少チビッたけど・・缶コーヒーを飲み過ぎたな」


濡れた手を何気なくズボンで拭い擦りながら、何となくすれ違った男子選手のユニフォームを見た。


「ぶ、武州高校?どっかで聞いた事あるような・・むぅ~分からん、全国優勝ってか、ほぉ~すげーな」


考えながら車に戻り運転席のドアを開けると、車内にコーヒーの良い香りが漂っていた。


「なんだ、お嬢、起きてたんすか」

「起きてたらなんなの!」

「いや、別に・・・やっぱ、寝起きは機嫌が悪い」

「健さん、なんか、言った!」

「いや、なにも」


優華は虚ろな目を擦るとあくびをした。


「ねぇ、健さん、私を置き去りにしてどこに行ってたのよ」

「いや、ちょっと、トイレに・・・緊張しちゃって」

「はぁ~?なんで、あんたが緊張するのよ」

「分からないっすけど、この雰囲気に呑まれちゃって」

「雰囲気って、ここはただの運動場じゃないの」

「だから、人がいっぱいなんすよ」

「そんなに人が居るわけないでしょ、なに、バカな事を言ってるの」


優華は目を細めながら車から降りた。


「雰囲気ってさ、うわっ、凄い人だ!」


優華は目を見開いて周囲を見渡した。


「あれっ~なんでだ?だたの予選大会なのに・・・」

「お嬢、なんか、優勝候補同士の試合があるみたいなんすよ」

「優勝候補って?うちの学校の事かな?」

「いや、まぁ、あの、お嬢、武州高校って知ってます?」

「知ってるよ、増成先生の母校じゃん」

「あ~そうなんすか、それで、なんか聞いた事があると思ったのか、それで、武州高校ってバスケットの去年の全国優勝校って、お嬢、知ってます?」

「知らなーい」

「増成先生はバスケ部じゃなかったんすか?」

「そうなのかな?聞いたような?聞いてないような?忘れた」

「増成先生の影響で、お嬢も始めたんじゃないんすか?」

「ううん、違うよ、何となく、簡単そうだったし」

「そんな理由なんすか・・・」

「悪るかったわね、ちゃんとした理由がないと、バスケットしちゃいけないの!文句ある!」

「なっ、ないっすよ、なんとなく始めるっていいすね、なんでもそんなもすよ」

「なんか、取って付けたような返事ね」

「いや、いや、そんな事ないっすよ」

「健さん、最近、私の事をバカにしてない」

「そ、そんな、お嬢をバカにするなんて!そんな、滅相も無い」

「まぁ、いいわ、さてと、これ、持って」

「うっす」


優華は車から降りると、高倉に荷物を持たせ試合会場の控え室に向かった。

途中で高倉と別れ選手の控え室がある建物へ入りチームメイトと合流し試合開始を待っていた。


「ゆうちゃん、今日も、得意のスリーポイント、お願いね!」


控え室の椅子に座り床をじっと見つめている優華にチームメイトが声を掛けた。


「う、うん」

「ゆうちゃん、緊張しているの?もっと、リラックスしないと!いつもの調子でいけば大丈夫だって」

「う、うん、リラックスね」


優華は手に持っているケースを握り締めた。


「どうしたの?顔色が悪いよ、具合でも悪いの?」

「へへっ、朝から色々あって・・でも、大丈夫だよ」

「そう、ならいいけど、初戦は瑞穂女子だから、楽勝だよ」

「う、うん、そうだね」


優華はチームメイトの顔を見てにこりと笑った。

監督から試合開始を告げられると、チームメイト全員が引き締まり声を合わせた。


「初戦!絶対に勝つよ!」


チームメイト全員、手を合わせ士気を高めると、試合会場の体育館へ向かった。

試合会場の体育館には大勢の父兄や関係者が観戦に訪れていた、その中でも一際目立っていたのが横断幕を掲げている高倉の姿だった。


「うぉ~!お嬢!気合いっす!フレー!フレー!」


高倉の声が体育館に響き渡ると、チームメイトが優華の肩を叩いた。


「ゆうちゃん、あの人、ゆうちゃんの応援団員」

「あいつでしょ、ただの私の運転手、マジで恥ずかしいよ、勝手にあんなの作ってさ」

「えっ、あの人、ゆうちゃんの運転手さんなの?分かんなかった、なんか、本格的だね」

「あのアホ・・なんか、友達から借りてきたんだって」

「凄い友達がいる人なんだね」

「元暴走族だからね」

「うそっ元暴走族って・・・怖くないの?」

「全然、平気、健さんはだたのアホだから、昨日も跳び蹴りを食らわしてやったし、でも、昨日は避けられちゃったけど・・・くっそーあの野郎!」

「そ、そんな、跳び蹴りって、暴走族なんでしょ、ゆうちゃん、仕返しされないの?」

「仕返し?そんな事したら、100倍返しだよ、ストレス発散に丁度良いんだよ」

「なんか、運転手さんが気の毒に思えてきた」

「同情なんてしなくていいの、見てよ、アホでしょ」


優華とチームメイトが高倉の方を見ると、高倉が大きく手を振った。


「お嬢~!頑張って~!それと隣の可愛いお友達も、頑張って~!」

「ゆうちゃん、あの運転手さん、いい人ね」

「もう~騙されちゃダメだって、あいつ、エロなんだから・・・あれっ、先生と水城さんも来てる・・上岡さんが連絡したのかな・・」


水城は増成と組んでいた腕をすっと放すと優華に手を振った。

優華が会釈すると増成はガッツポーズを見せた、その傍らで親友の京子が小さく手を振っていた。


「ゆうちゃん、パス、回していくよ!」


試合前のウォーミングアップが始まり、優華にボールが回ってきた。


「うん!」

「ゆうちゃん、シュート!」


優華がゴールネットに向かってボールを放つと、弧を描きながらボールは吸い込まれるようにリングを通過した。


「ゆうちゃん、ナイスシュート!ばっちりだね!」

「余裕よっ!」


優華から笑みがこぼれた。


「お嬢っ!ナイスシュートっすよ!さすが!お嬢!フレー!フレー!」


高倉の声が体育館に響き渡った。


「もう~いちいち、うるさいなぁ~、まだ、試合、始まってないのに!」


他のチームメイトが優華に寄って来て耳打ちをした。


「ねぇ、あの人、誰?」

「私の運転手」


優華が答えると驚いた顔を見せた。


「えっ、この間、凄い車に乗ってきた」

「そう、もう、恥ずかしいよ」

「いいじゃん、私、あういう熱い人タイプだな~」

「げっ、マジで、あんなのが」

「結構、イケメンじゃない、いいな~私の運転手なんておじいちゃんだよ」

「あの、よぼよぼの人だっけ」

「そう、送迎の途中で死んじゃうじゃないかと毎日ヒヤヒヤしてんだから」

「ぷっ、それはヒドいって」

「マジだって、あ~私も若い運転手さんにして欲しいなぁ~」

「だったら、そう言えばいいじゃん」

「ダメ、ダメ、そんな、ゆうちゃんの家とは違うんだから、専属なんて雇えないって」

「そんな事ないよ、健さんだって、なんか知らないうちに家にいたんだもん」

「マジで~ゆうちゃんの家って広いからマジあり得そうで怖い」

「そんなに広くないって・・・」


ウォーミングアップの時間が終わり、試合開始の合図がかかった。

それぞれ練習用のボールをボールネットに入れ、整列し相手チームを挨拶を交わした。


試合開始のホイッスルが鳴り、審判がボールをトスアップすると、お互いの選手は高々とジャンプしボールをタップした。

宙を舞ったボールはわずかに優華のチームの方へ落ちていき、一瞬早く反応した優華のチームがチャンスボールを奪いボールの主導権を獲った。


「行くよ~!」


チームメイトは優華にボールをパスした。


「オッケー!」


優華はディフェンスを交わしボールを受け取ると、華麗なドリブルとステップで相手チームを翻弄し、シュートエリアに入り確実にゴールを狙える位置でジャンプしボールを放った。


「入れっ!」


優華の手から離れたボールは放物線を描きながら吸い込まれるようにリングを通過した。


「ゆうちゃん、ナイスシュート」


チームメイトからの賞賛の声を打ち消す程に、高倉の声が体育館中に響く。


「お嬢、ナイスシュート!日本一!いやっ世界一!」


周囲が一斉に高倉を注目しているが、そんなことお構いなしで応援を続けている。


「ねぇ、ゆうちゃん、あの人だれ?」

「もう、これで3人目、私の運転手」

「あの、運転手さん?」

「そう、アホでしょ」

「声、大きいね」

「そうなの、それが取り柄らしいんだけど、全く役に立たない、むしろ迷惑」

「でも、なんか盛り上がじゃん」

「うっそ、私は盛り下がるわ」

「ゆうちゃん、次はスリーポイント決めちゃってよ!」

「うん、任せて!」


優華は気を取り直し試合に集中した、優華のシュートは次々と決まり点差が開いていった。

優勢のまま第1ピリオドが終わりインターバルに入った。


優華はベンチに座ると、喉を潤しタオルで汗を拭った。


「ゆうちゃん、今日も調子いいじゃん」

「まぁーね」

「それと、応援も凄いね、さっきから」

「あれでしょ、もう、うるさくて逆に気が散るよ」

「シュートが決まるたびに凄いもんね」

「バカの大声」

「ふふっ、一生懸命でいいじゃん、明日、声が出ないんじゃない」

「その方が静かでいいわ」


第2ピリオド開始のホイッスルが鳴った。


「ゆうちゃん、いくよ」

「うん」


優華はコートに立つと、両目を手で擦り瞬きをしてボールを追いかけた。

チームメイトが相手からボールを奪うと、優華にパスを出した。


「あっ、ごめん」


ボールは優華が走り込んだ後ろを転がっていった、床と靴底が擦れ合う高い音が響いた。


「獲らせるかぁ~」


優華は足を踏み込んで身体の向きを変えると、ボールに向かって走り込んだ、サイドラインを割りそうなボールを手にしようとした時、相手チームの選手を接触しバランスを崩した。


「うわっ!」


優華はバランスを崩したまま床に激しく倒れ込んだ。


「お嬢っ!」


高倉は横断幕を放り捨て優華に駆け寄った。


「ちょっと、余計なことしないでよ、試合中なんだから」

「すんません」


優華は立ち上がりコートに戻ると、ホイッスルが鳴り審判が駆け寄ってきた。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫です」


チームメイトも優華に駆け寄り優華の怪我を案じた。


「ゆうちゃん、大丈夫?ごめんね、変なパス出しちゃって」

「いいって、全然、平気だから」


優華は両目を手で擦ると瞬きをした。


「ゆうちゃん、さっきから目を擦ってるけど、どうしたの?」

「う、うん、別に・・何でもないけど・・なんか・・ううん、何でもないよ」

「そうなの?なんでもないならいいけど」


優華は再び目を擦り瞬きをした。


「変だな、ぼやけて見える」


試合再開のホイッスルが鳴ると、相手チームのスローインから始まった。

優華はボールを追いかけ、相手チームの足を止めると、両手を広げて相手のパスを阻止して、自分のボールにするとゴール目がけてドリブルをした。


相手チームのデフェンスを交わそうと、踏み込んだ足に激しい痛みが駆け巡った。

「痛いっ」


ドリブルをしているボールが身体から離れた。


「あっ」


ボールは完全に浮いた状態になっていたが、相手チームのデフェンスはボールを奪取することなく、進路が開けシュートチャンスが生まれた。


「えっ」


体勢を整えサイドライン際からシュートを打った、ボールは弧を描きリングを通過した。


「ゆうちゃん、ナイス!スリーポイント!」

「おーっ!お嬢!お見事!世界一!」


優華はチームメイトとハイタッチをした。


試合は優勢のまま第3、4ピリオドを終え、優華の学校は初勝利を納めた。


「ゆうちゃん、お疲れさま~」


タオルで汗を拭いながらチームメートが優華の肩を叩いた。


「あっ、お疲れさま」


優華は何か考え込むような顔をしていた。


「どうしたの、勝ったのに、元気ないね」

「そんな事ないよ、勝っててよかったね」

「うん!もう、ゆうちゃんのシュートがバンバン決まっちゃうからさ、私の出番が無かったよ」

「ねぇ、私がシュートを打つときだけ、ブロックされなかったような気がするんだけど」

「えっ、そんなの気のせいだよ、というかさ、ゆうちゃんのシュートが完璧だから、ブロックが出来ないんじゃない」

「本当にそうかな?」

「そうだって」

「それならいいけど・・・」


優華は着替えを手にすると、シャワー室へ向かいシャワーを浴びた。


「いててっ、やっぱり、捻挫してたか」


優華はシャワーを浴び終え、Tシャツとジャージに着替えると、医務室に向かった。

捻挫の手当を受けた優華の足首は包帯で巻かれて痛々しい様相になってしまった。


「はい、わかりました、失礼します」


医務室のドアを静かに閉めると、包帯の巻かれた足を庇いながら廊下を歩き進んでいると後ろから声を掛けられた。


「ゆうちゃ~ん!」


チームメイトの黒川が優華の包帯の巻かれた足を見て後ろから駆け寄ってきた。


「クロちゃん、おつかれ」

「あっ!ゆうちゃん、その足、どうしたのっ!」

「へへっ、ちょっと、捻挫しちゃったみたい」

「えっ!マジで大丈夫なの?」

「うん、平気、平気、たいした事ないよ、でも・・・次の試合は、ダメだって、コーチに言われちゃったよ」

「うっそ~次の試合出られないの!あっ、もしかして」

「う、うん、たぶん・・・でも」

「ホント、マジでごめ~ん、私がパスミスしたから、ほんと、ゴメン」


黒川は両手を合わせた。


「そ、そんな、クロちゃん、謝らないでよ、悪いのは私なんだから、無理してボールを追いかけたりしたから、点差があったんだから、無理するんじゃないって、コーチに怒られちゃった、へへっ」


「でもさ、その原因って私じゃん、ちょっと、油断してたんだよね・・・ってか、あの時さ、ももちんが変な顔をするから、笑ちゃったんだよね・・」


「ももちんでしょ、あの子って、天然だらかさ、知ってる・・・・」


優華は黒川に耳打ちした。


「うっそ、それ、マジ、ももちんならあり得るかも・・普通さ、それ、やらないでしょ」

「でしょ、私もびっくりしたもん、だからさ、クロちゃんのせいじゃないって!ももちんのせいだよ」

「はははっ、そう、ももちんが悪いんだよ、なんで、あの場面で変顔するのか、不思議」

「って、事でさ、クロちゃん、次の試合、頑張ってね」


優華は黒川の両肩をポンと叩いた。


「そりゃ頑張るけどさぁ~でも、ゆうちゃんが居ないと・・・シューターは?誰がやるの?」

「な~に、大丈夫だって、クロちゃんはマルチなんだから、私の分もじゃんじゃんシュートしちゃってよ、それに、クロちゃんの方が本当はシュート力はあるんだから」

「そ、そんな事ないよ、ゆうちゃんには敵わないって」

「また、またぁ~謙遜しちゃってさぁ~この、このぉ~(ツンツン)」

「きゃっ、ちょっと、ゆうちゃんてばぁ~くすぐったいって、あ~ん~いやぁ~ん」

「ツンツン」

「もう~ゆうちゃん、変なところ突かないでよぉ~えいっ、お返しだぁ」

「きゃぁ、クロちゃん、えっち~ぃ」

「えいっ、えいっ」

「わっ、もうぉ~止めってってばぁ~、えいっ」

「きゃぁ、ははっ」


二人でじゃれ合っていると医務室のドアが開きコーチが顔を覗かせた。


「誰だっ!廊下で騒ぐなっ!」


二人は顔を見合わせた。


「やべっ!コーチだ」


コーチの視線が優華と黒川を捉えた。


「コラッ!黒川と朝香かっ!お前ら!何やってんだ!」

「なんでもないで~す」

「朝香は安静にしてろって言っただろ」

「はぁ~い」


二人は小走りに廊下を進むと顔を見合わせて笑った。


「それじゃ、午後の試合、頑張ってね」

「うん、わかったよ、ゆうちゃんの分も頑張るよ!」


黒川はガッツポーズを見せた。


「そうだ!ゆうちゃん、お昼は?」

「お昼?お弁当を持って来たけど」

「やっぱ、そうかぁ~だよね」

「クロちゃんもお弁当じゃないの?」

「違うよ、焼き肉」

「焼き肉弁当?」

「違うってば、焼き肉屋ごと持って来たの」

「えっ?焼き肉屋ごと?」

「そう、大型バスを改造してさ、焼き肉屋にしたの、そうすれば、いつでも焼き肉が食べられるでしょ」

「それ、マジで?」

「うん、マジで、だから、ゆうちゃんも一緒に食べない?食べ放題だよ」

「うっ、ま、また、今度ね・・・お弁当持ってきちゃったし・・・」

「そっか、残念、また、誘うね」

「クロちゃんさぁ、いくら焼き肉が好きだからって、そこまでやる?」

「まぁね、パパにふざけて言ったら本当に作っちゃたのよ・・宣伝も兼ねてるんだろうけど」

「あー、そっか、クロちゃんのパパって、なんだっけ、『焼き肉のぎゅうくろ』だっけ?」

「そう、正解!そうだ!」


黒川はスポーツバックの中を探り始めた。


「ゆうちゃん、牛黒の割引券あげようか?う~ん、あと、ファミレス黒屋与兵衛のもあるよ・・それと囲炉裏ダイニング黒のドリンク無料券なんかも、うんと~あと・・これは?なんだっけ?あっ、期限が切れてる、まぁ、でも、大丈夫だよ、ゆうちゃんならサービス、サービス」


黒川はサービス券の束を優華に差し出した。


「あの~くろちゃん、私、全部、いらないから・・・ってか、友達なんだから、サービス券なくてもサービスしてよ」

「あー、でも、ほら、どの店舗に来るかわかんないでしょ」

「あのさ、行く時は予約してから行くから」

「そう、そんじゃ、分かった、そん時はドリンクサービスするね」

「あ、ありがとう、意外とケチだね・・ドリンクって」

「はっ?なんか言った?」

「うううん、なにも」

「そっか、ゆうちゃんの家なら店舗ごと買いそうだもんね、ドリンクサービスじゃなびかないか」

「そ、そんな事ないけどさ・・・まぁ、機会があったら食べに行くよ」

「ほんと、そんじゃ、ドリンクとデザートもサービスするよ」

「あ、ありがとう、まぁ、健さんなら喜んで行きそうだな」

「健さんって、あの、運転手さんの事でしょ」

「そう、あいつ、暇だし」

「ホント!あの運転手さんも来るの!」

「だって、私の運転手だし・・・まさか、車で待ってろっていうのもちょっと可哀想だし」

「ゆうちゃんが来る時、私も行っていい?」

「っていうか、来てよ!私が行くんだからさぁ、健さんとふたりっきりっていうのも嫌だよ」

「マジ、あの運転手さんって格好いいよね~」

「げっ、クロちゃん、趣味悪いよ」

「なんでぇ~いいじゃん、なんか、おいっ!俺の後をついて来いっ!って感じじゃない」

「クロちゃん、それは逆だよ、あいつ、ヘタレだよ」

「それは、ゆうちゃんが強すぎるんじゃないの」

「そんな事ないって、私は至ってお淑やかなのよ」


優華がお淑やかポーズを取ると、黒川は口に手を当てた。


「ぷぷっ」

「なんで、そこ、笑うかなぁ~」

「だ、だってさ、ゆうちゃんにその言葉は合わないよ」

「もう、クロちゃんだって、そうでしょ」

「私は別にそんな事は言わないもん、あーでも、ゆうちゃんの運転手さんも来るんだ、お洒落して行かないと・・・ねぇ、あの運転手さんはどんなタイプが好みなのかな~フリフリ系かなそれともさぁ」


黒川は組んだ両手を胸に当てながら遠く天井を見つめていた。


「あの~クロちゃん・・・」

「・・・・アダルトな感じかなぁ~」

「クロちゃんってばぁっ!」

「ふぁん、なに」

「クロちゃん、時間!」

「あ~時間?」

「もう、12時過ぎてるよっ!」


黒川は優華が指さした時計を見て我に返った。


「やばっ、ほんとだ」

「午後の試合、何時から」

「14時30分に集合で15時から試合開始」

「あ~ん、時間ないじゃん、私、ランチはゆっくり食べたいんだから」

「だよね、私も杏仁豆腐とマンゴープリンはゆっくり食べたいの」


お互い顔を見合わせ頷いた。


「急ごう!」

「それじゃ、ゆうちゃん、後でね」

「うん、後で」


優華は黒川がスキップしながら去っていく姿を見送った。


「クロちゃんって・・・若いなぁ、健さんね~そんなに格好いいかね、ただのヘタレじゃん、それにしても、お昼に焼き肉なんて・・・あーなんか、もたれそう、脂っぽいし・・・」


優華は自分自身に苛立ちを感じて足をバタバタさせた。


「って、私だって若いじゃんよ~もぉ~っ!痛っ!」


優華は痛めた足をかばいながら廊下を歩き外に出ると、女の子が目の前に立っていた。


「もぐっ(あっ、発見!)」


その子はフライドポテトを口にしながら、手招きをすると風呂敷包みを抱えた男が遠くから勢いよく駆け寄ってきた。


「はぁ、はぁ、お、お嬢、遅かったじゃないっすか、探しましたよ」


高倉は顔をしかめながら肩で息をしていた。


「あっ、ゴメン、ゴメン、ちょっと、廊下で友達と話し込んじゃったから」

「なんだ、そうだったんすか」


高倉は息を整え優華の姿を見て目を見開いた。


「お、お、お嬢!そ、その足、どうしたんすかっ!そ、その、包帯」

「あ、これ?」


優華は何食わぬ顔で包帯の巻かれた足首を指さした。


「へへっ、ちょっと、捻挫しちゃったみたい、間抜けっしょ」

「ね、捻挫って!そ、そんな、お嬢に怪我をさせるなんて、誰っすか!俺が落とし前をつけさせてやりますよ!」


右往左往する高倉の襟首を引っ張り寄せた。


「ばっかじゃないの、ボケっ、落とし前って、あんた、いつからヤクザになったのよ」

「いや、お嬢に怪我をさせるなんて、総理大臣が許しても俺が許さないっす、誰っすか、犯人は」

「だから、誰でもないの!私の不注意なのよ!まったく、こんなのすぐに治るって」

「いや、しかし、お嬢に怪我を負わせるなんて・・・あっ!あの女っすね、お嬢にタックルしてきた、よーし、俺、ちゃんと顔を覚えてますから、一発ぶちかましてやりますよ!ちょっと、これ、持ってて」

「あん」


高倉はポテトっ子に風呂敷包みを持たせ、腕まくりを始めると同時に優華の拳が標準を定め体勢が整っていた。


「ったく、だからさぁ~パ~ンチ」


高倉の身体がくの字に曲がり前のめりに崩れた。


「うっ」

「さっきから、下らないことを言ってるからよ」

「お、おじょう・・・お、おれが・・なにか・・・息が出来ないっす」


高倉はお腹を抱えたまま優華の顔を見た。


「そんなの、知るかぁ~男のくせに大げさなんだよ、まったく、もう一発欲しいの?」

「い、いらないっす、死んじゃいますよ」

「元、族のくせにだらしないなぁ~」

「お嬢、誰でも不意にみぞおちに食らったらこうなりますよ」

「健さん、それよりさ、このポテトっ子だれ?」


風呂敷包みを持ちながら、器用にポテトを口に運んでいる。


「もぐっ!(なにっ!ポテトっ子って失礼な女だ)」


高倉はお腹を押さえたまま優華の指さす子を見た。


「この子っすか、あれっ、お嬢、知らないんすか」

「知らないよ、だれ?ポテト食べ過ぎじゃん、見てるだけで胃がムカムカしてきた」

「もぐっ!(まだ、3袋しか食べてないよっ!)」

「お友達の劔持さんの妹さんっすよ」

「もぐっ!(そうそう)」

「え~っ、けっけの妹なの!、マジで、うっそ、全然、似てない」

「もぐっ!(似てなくて悪かったね)」


ポテトっ子がずっと自分を睨みつけているのに気がついた。


「ねぇ、健さん、このポテトっ子、『もぐっ』しか言わないけど、私、何か悪いこと言ったかな?なんか睨まれてるけど・・・ホントにけっけの妹なの」

「その、ポテトっ子っていうのが良くないじゃないっすか」

「だって、名前を知らないんだもん」

「ぼっきゅんは・・・」

「あっ、しゃべった」


ポテトっ子はポテトを口にほおばった。


「もぐぅ~(・・・・)」

「ゆうちゃ~ん」


ポテトっ子とは対照的にほっそりした子が手を振りながら遠くから駆け寄ってきた。


「はぁ、はぁ・・・ゆうちゃん、どこに居たのよ」

「ゴメン、けっけ、なんか捜されちゃったみたいね、ごめち、ちょっと、クロちゃんと話してた」

「なんだぁ、黒川さんと話してたの、ゆうちゃん、お昼は誰より早く食べに行くのに、どこにも居ないから、どうしたのかと思ったよ」

「ごめち、ごめち」

「あっ!ゆうちゃん、その足、どうしたの?捻挫?」

「へへっ、そう、捻挫しちゃったみたい・・」

「えーっ、大丈夫なの」

「うん、平気、もう、痛くないし、ほら、この通り」


包帯の巻かれた足を地面に突いた。


「痛てっ」

「ちょ、ちょっと、全然、大丈夫じゃないじゃん」

「へへっ、まぁ、普通にしてれば大丈夫だから」

「もう~ゆうちゃんはいつもそうなんだから」

「だって、心配されたくないからさぁ~」

「だから、ゆうちゃんはいつも無茶するから心配になるんじゃん」

「そっかな~そんな無茶してないと思うけどなぁ」

「もぐ、もぐぅ~!」


ポテトっ子が雄叫びを上げた。


「えっ、お腹が空いたって、もう、珠江さぁ、ポテト食べてるのに、どうしてお腹が空くのよ」

「げっ、このポテトっ子、今、そう言ったの?私には『もぐ』にしか聞こえなかったけ」

「もう、この子ったらさ、ポテトを口に入れながら話すから聞こえづらいのよ」

「もぐぅ~」

「今はなんて言ったの?」

「ごめんなさい、だって」

「マジで!さすが血の繋がった姉妹だ!」

「もう~珠江、お昼なんだから、ポテト食べるの止めなさい!」

「もぐぅ~」

「ねぇ、今のは、『分かった』って言ったの?」

「違うよ、『この袋を食べたら止めにする』って言ったの」

「マジ~そんな長い言葉が『もぐ』の二言に込められてるなんて!ウソっぽい」

「確かにね・・・何となく表情を見てれば、言いたいことが分かるの」

「だよね、私の耳が変な訳じゃないよね」


ポテトっ子は風呂敷包みを持ったまま身体を左右に振っていた。


「珠枝、どうしたの?」

「京子たん、お腹空いたよ(ぐぅ~)」

「あっ、ホントだ!ちゃんとしゃべれるんだ」

「まぁ、そうよ、ポテトさえ食べてなければ・・・それより珠江、それ、何を持ってるの」

「あん」


珠枝は蹲っている高倉を指さした。


「あっ、けっけ、それね、私のお弁当なの・・・さっき、こいつが持たせたの、色々と事情があって・・・」

「京子たん、これ、美味しい匂いがする」

「そうでしょうね、お弁当なんだから」

「うっそ、匂う?」


優華は蹲っている高倉を睨みつけた。


「あんたさ、お弁当、落としたりしてないでしょうね」


高倉はお腹に当てた手を片手だけ離し左右に振った。


「落としてないっすよ」

「それじゃ、なんで、匂いが漏れてるのよ!」

「マジで落としてないっす」


高倉と優華の間に京子が割って入った。


「あのね、ゆうちゃん、珠枝ね、食べ物の匂いだけは100m先の匂いも嗅ぎ分けられるの、だから、たぶん、ほんとに落としたりはしてないと思うよ」

「でも、だってさ、このお弁当箱は完全に密閉されてるのよ、匂いなんて漏れるはずないじゃん」


京子は珠枝が持っている風呂敷包みに顔を近づけた。


「うん、普通の人にはわかんない」

「うっそ、どれどれ・・・ホントだ・・食べ物の匂いなんてしないじゃん」

「ぼっきゅんは分かるもん」


優華は京子の顔をマジマジと見た。


「あの、ポテトっ子、凄い嗅覚だね」

「ポテトっ子って、もしかしなくても、珠枝の事だよね」

「そうとも言うのか」

「ゆうちゃん、確かにポテトを良く食べてるけど、珠枝って言うの」

「ぐぅ~」

「けっけ、ポテトっ子、今、なんて言ったの?」

「今のは珠枝のお腹が鳴っただけ、だから、ポテトっ子じゃないってばぁ~」

「まぁ、いいや、あ~ん、もう~、時間がないんだったよ、そんで、健さん、どこで食べるの」

「お、応接室で・・」

「つーか、健さん、いつまで痛がってるのよ、さっさと、応接室に案内してよっ!」

「はいっ!」

「それから、お弁当、いつまでポテトっ子に持たせてるつもりなの」

「あっ、はい、すんません」

「あん、ほぃ」


高倉は玉枝から風呂敷包みを受け取ると、応接室に向かって歩き出した。


「けっけの分もるから、一緒に食べようね!」

「うん、ゆうちゃん、いつも、ありがとう、でも、玉枝が一緒だから」

「あー、ポテトっ子の分も十分あるから、心配しなくても大丈夫だよ」

「だから、ポテトっ子じゃなくて・・・」

「玉枝ちゃんでしょ、分かってるって」


優華は高倉の後を歩き始めた。


「だったら・・・珠江って・・」


優華は後ろを振り返り京子を見た。


「はぁ~けっけ、なに?」

「いや、なんでも、ないけど・・・」

「もぐぅ」

「そういえばさぁ、けっけって妹がいたんだね~知らなかったよ、初等部?中等部?どっち?」

「あのね、玉枝は別の学校なの」

「そーなの、一緒じゃないんだ、なんで?」

「なんでって・・・そのぉ・・・学費が・・・」

「あー分かった!ポテトが売ってないからだ!そっか、う~ん、今度、あのじじいに言っておくかぁ」

「そ、そんな、別に・・・そうじゃなくて・・・」

「そうだ、あの、ハゲ校長に言うか、でもなぁ~あいつ、使えないからなぁ~」

「ゆうちゃん、そこまでしなくても、いいから・・・」

「そう!じゃ、やめとこ、ルンルン、ランチ、ランチ、ねぇ、健さん、まだ、着かないの?」

「あっ、いや、あと、ちょっとっす」

「もぅ~ちょっとって、私、足、怪我しているんだからね!」

「お嬢、それじゃ、はい」

「なに?」

「おんぶしてあげますよ」

「はっ?あっ!エロ~ス、どさくさに紛れて、私のお尻を触ろうとしてるでしょ」

「違いますよ!お嬢が足が痛いって言うから」

「私、痛いなんて言ってないし、いいよ、あとちょっとなら歩くから、ほら、さっさと、歩く、歩く!」

「はい、はい、分かりました」


高倉は再び歩き始め、体育館の隣にある建物の中へ入っていった。


「お嬢、ここっす」

「もぉ~全然、ちょっとじゃないじゃんよぉ~ったく」


優華は革張りのソファーに腰を下ろした。


「あ~ちかれた、けっけとえっと・・・何だっけ?ポテトちゃんも座って、座って」

「むぎゅー」

「ゆうちゃん、ポテトちゃんじゃなくて、玉枝」

「そうそう、玉枝ちゃんも、でも、いいな~、妹って、羨ましい」


珠枝のショートカットの髪を撫でていると、京子が両手を振りながら顔をしかめた。


「そんな~羨ましいなんて、ないって、もう、おやつは私の分まで食べちゃうしさ、いたずらはするし、毎日、喧嘩ばっかだよ、一人っ子の方がいいって」


優華は珠枝の頬を指で押して感触を楽しんでいた。


「わぁ~プニュプニュしてる、そうかな~、一人は寂しいもんだよ、一人じゃ喧嘩も出来ないし」


珠枝は身体のあちこち触わられ身悶えしている。


「くすぐったい」

「それじゃ、ゆうちゃん、玉枝、あげようっか」

「えっ、ホント!欲しい、欲しい、珠枝ちゃん、コロコロして可愛いもん、よし、よし」


珠枝は表情を変えスッと京子の顔を見た。


「優華のお姉ちゃんが、珠枝を欲しいんだって、あの、お姉ちゃんのお家の子になる?」


珠枝はじっと京子の顔を見たまま口をへの字に曲げた。


「優華のお姉ちゃんの家はねぇ~おやつも食べ放題だし、お家もすごーく大きいんだよ」


優華は珠江の隣に座ると頭を撫でた。


「そう、そう、おやつはケーキでしょ、それに、クッキーにチョコレート、アイスクリーム、お腹いっぱい食べてもいいよ!それに、部屋も余ってるし、おもちゃもいっぱいあるよ!いいでしょ!」


玉枝は口を開けたまま、優華をじっと見つめ呆然としていた。


「ねっ、うちなんかより、優華お姉ちゃんの妹になった方がいいでしょ、珠江の好きなものがいっぱいだってよ」


玉枝は開いた口をゆっくり閉じると京子の顔を見た。


「珠江、ゆうちゃんの家に行く?」


突然、珠江は京子の腕にしがみつくと顔を胸に埋めた。


「た、珠江、急にどうしたのよ、そんなに掴んだら痛いから」

「あだっ!」

「えっ、なんて言ったの、聞こえないよ、ちょ、ちょっと、痛いってば」


珠枝が顔を上げると、京子は言葉を詰まらせた。


「・・・・」

「嫌だよ~、ぼっきゅんは京子たんがいい」

「そ、そんな・・・珠江ってば・・じ、冗談だって」


玉枝の丸い瞳には落ちそうな程に涙が溜まっていた。


「もう、珠江ったら、泣かなくてもいいでしょ・・そんな、冗談に決まってるでしょ」


玉枝は腕で涙を拭い京子の顔をじっと見つめた。


「ほんと?」

「もうぉ、本当に決まってるでしょ、さっきからお姉ちゃんの言うことを聞かないから、ちょっと意地悪しただけなんだから、そんな、本気にして、バカじゃないの」

「だって・・・」

「あっ、お父さんの事・・・バカだね、珠江はそんな心配しなくていいの」

「けっけ、お父さんがどうかしたの?」

「ううん、何でもないって、お父さんの会社の事だから・・・」

「あ、そっ、そうなの・・・もしかして、また、あのくそじじいがお父さんの会社に何かしたの?」

「ち、違うって、もう、全然、ゆうちゃんのお父さんにいつも助けられてもらってるだから、なに、言ってるのよ、ほらっ、ランチの時間が無くなっちゃうよ!」

「わっ、そうだ!食べよう、食べよう」


テーブルの上には食べきれないほどの料理が並んだ。


京子は珠枝の頭を撫でた。


「ほらっ、珠江、食べて良いってよ、もう、重いから、降りてよ」

「嫌だ、ここがいい」


珠枝は京子に抱きつくようにしがみついた。


「珠枝、なに、甘えてるの、ホントに重いからどいてってばぁ、もうぉ~、暑苦しい」


京子は珠枝を力尽くで引き離なした。


「はぁ~、なんで、こんなに重たいの」

「もぐ、もぐ」

「こらっ、食べる前に『いただきます』をしなさい!」

「もぐぅ~、もぐぅ~」

「珠江っ!口に食べ物入れたまま、話さないのっ!」

「いったらき、もぐ、もぐ」

「もう~嫌だ~全然、言うこと聞かないんだもん~やっぱり、珠江、連れてこなければ良かった~ゆうちゃん、ごめんね」


京子は頭を下げながら両手を合わせた。


「ふふっ、やっぱり、妹って、いいね、なんか、毎日、楽しそう」

「そんな、全然、楽しくないって、いっつも、こんな感じなんだよ、ホントに疲れるから、なんなら、珠江、本当にあげようっか」

「ホント!ちょうだい、ちょうだい」


珠江は手を止めると二人の顔を交互に見た。


「もぐ?もぐもぐ」

「けっけ、2度目はダメみたいね」

「珠江にも学習能力はあるみたい」

「さーて、食べよう」

「うん、いただきます!」

「いただきます!」

「あ~やっと、食べられる、いただきっす!」

「あっ、これは、食べちゃダメっ!」


優華はおにぎりが入れられた容器をテーブルから取り上げて隣のソファーの上に置いた。


「お嬢、それ、なんすか?」

「これは、私のなの!誰にもあげな~い」

「そう言われると食べたくなるのが人間ってもんすね」


高倉が手を伸ばすと優華の目つきが変わった。


「マジで食べたら、殺す!」

「お、お嬢、そんな怖い目で見ないでくださいよ・・たかが、おにぎりじゃないっすか」

「殺されたいのっ!」

「いや、いや、おにぎり一個で殺されたくないっすけど・・・中身が気になるっす・・・」

「ふ~ん、教えないよぉ~、これは、私のなの」

「そうっすか、別に、おにぎり、いっぱいあるからいいっすけど・・・そんじゃ、これっ!」


高倉はテーブルにあるおにぎりを手にして頬張った。


「うっま~い、なんじゃ、こりゃ、食った事がねぇ~ぞ、ほらっ、お嬢のお友達もじゃんじゃん食って、マジでうまいから、どうぞ、どうぞ」

「どうぞ、どうぞって、あんたが作ったんじゃないでしょ」

「それは、そうっすけど、マジでうまいんすもん、はぁ~三田さんって料理がうまいんだな~よっし、もう、一個っと、これもっと」


高倉は両手におにぎりを持って交互に食べている。


「うめえ~な~」

「ふふっ、ゆうちゃんの運転手さんって面白いね」

「違う、違う、バカなだけ、けっけも食べてよ」

「うん、それじゃ」


京子は綺麗に切り揃えてある玉子焼きを箸で摘んで口に運んだ。


「ほんと、美味しいね」

「三田さん、玉子焼きは得意みたい、私も食べよっと」

「お嬢、これ、なんすか?」


高倉は細い繊維状の塊を箸で掴みながらしげしげと眺めている。


「はーぁ、なに?それ、フカヒレでしょ」

「えっ、マジで、こんなに大きいんすか?フカヒレって高いんですよね」

「別に高くないんじゃない、学校のランチでよく出てくるよね、ねっ、けっけ」

「う、うん、そう・・・だね」

「が、学校のランチって、給食にっすか!お嬢の学校って、フカヒレが出るんすかっ!」

「うん、そうだけど、それが、どうかしたの?」

「これ、食べていいっすか?」

「食べれば、ってか、箸で掴んだの戻さないでよね」


高倉は大きく口を開きフカヒレを頬張った。


「・・・・う、ま、い」

「ねぇ、けっけ」

「なに?」

「さっきの話さ、本当に大丈夫なの?」

「えっ、あの、お父さんの事?」

「そう」


優華が表情を強ばらせ、京子は硬い表情をしながらも笑ってみせた。


「なに、大丈夫だって、本当になんでもないから」

「本当に、大丈夫なの、なんか、私、嫌な予感がしたの」

「大丈夫だって、もう、ゆうちゃん、いつからそんな心配性になったの」


横から高倉がカップに入ったスープの具を箸で摘んで見せた。


「あの、お嬢、これは・・・」

「もう~うるさいな~今、大事な話をしているんだから、ウミツバメの巣でしょ、見れば分かるでしょ」

「あの~ツバメの巣って食べられるんですか・・・実家の軒裏にあっんすけど」

「はい、はい、そうなの、良かったね」


高倉は黄金色に輝いているウミツバメの巣を口に運んだ。


「・・・?うまいのか?ツバメの巣だからなぁ~これも高いのか?」


高倉はクビを傾げながら、スープを口にしている。


「お嬢、これも高いんすか?」

「はぁん、知らないよ、もう、黙って食べなさいよ、今、けっけと大事な話をしてるのっ!」


優華は高倉に一喝すると真顔で話した。


「ねぇ、けっけ、本当に大丈夫なの、何か相談があったらすぐに私にしてよ」

「うん、ありがとう、本当に大丈夫だよ」


京子は笑みを浮かべながら高倉の顔を気の毒そうに見直した。


「これ、ツバメの巣ですよ、このスープ、美味いんすよ、お嬢のお友達も飲んで下さいよ、あんな巣から良いダシが出るんすね」

「巣からダシ・・」


京子は笑いを堪えながらスープを口にした。


「どうっすか?美味いでしょ」

「うん、美味しいですね」

「そうでしょ、美味いんすよ、やっぱり、こいつからダシが出てるんだな」


高倉はスープの中のツバメの巣を箸で摘んで口に入れた。


「いゃ~実家のお袋に言ってあげよう、これって、どうやって調理するんすかね、実家の巣ってなんか泥みたいな色をしているんすけど」

「取って適当に煮てみれば」

「そうっすか、醤油で煮たら、こんな色になりますかね」

「なるんじゃないの」

「いやぁ~あんなのが食えるんだな~お袋もビックリするだろうなぁ~」


京子は口に手を当てながら、二人のやり取りを見ていた。


「ぷっ、もう、ゆうちゃん、運転手さん、本当に食べちゃうかもよ」

「いや、お嬢の友達、俺、絶対に実家で食べますよ、味噌汁に入れても良いかもしれないな、お袋は料理が得意っすから」


高倉の真剣な顔を見て京子は吹き出した。


「ぷっははっ、ゆうちゃんの運転手さんって天然なの?」

「こいつ、天然のアホ、珍しいでしょ、そのうち、国から指定されるよ」

「お嬢、俺、なにか、変な事を言ってますか?」


京子は必死に笑いを堪えながらゆっくりと話しだした。


「あのね、今、食べてるのは海の近くに棲んでるツバメの巣なのね、きっと、運転手さんが言っているのは山とかに棲んでいるツバメの事だと思うの」


高倉は京子に大きく頷いた。


「そうっす、海と山ではツバメが違うんすか?」

「あのね、巣を作る材料が山と海では違うの、だから、運転手さんの実家の軒先にある巣は食べられないと思うよ」

「そうなんすか」


高倉は真顔のまま優華を見た。


「お嬢、そうらしいっすよ、お嬢のお友達は物知りっすね」

「そうね」

「お嬢、もしかして、食べられないの知ってたんすか?」

「当たり前でしょ、でも、食べてみたら美味しいかもよ」

「そうっすね」

「運転手さん、ダメ、ダメ、絶対に美味しくないから、食べちゃダメだよ、泥の塊なんだから」

「そうなんすか、それじゃ、これは、なんすか?」

「それは、海草なの」

「海草って、ワカメとかっすか?」

「ワカメかどうか、そこまでは知らないけど・・でも、海草は食べられるでしょ」

「へぇーそうなんすか、いや、物知りっすね、お嬢もそこまで知らないっすよね、さすがっす」


高倉はニヤニヤしながら優華の顔を見た。


「あのね、海草って言われるけど、それは、ウソ、全部、アマツバメの唾液で作られてるの、海の近くにいるから海草を食べてるかもしれないけど、その巣は唾液で作るから海草の成分は入ってないの、多くの巣は空中の浮遊物を集めて作るんだけど、一番いいのはその不純物がないもの、唾液の成分はムチンっていうヌルヌルしている物質が主、それが固まって寒天状になったもの、それは、不純物が全くない、一部の地域でしか採取されないアマツバメ巣なの、だから、本当はウミツバメの巣でなくて、アマツバメの巣っていうのが、正しい言い方なの、美容とか滋養強壮に効果があるとか、ないとか」


淡々と話す優華を高倉と京子はじっと見ていた。


「はぁ~ゆうちゃんって、凄いね」

「はぁ~なんか話の内容は分からないっすけど、凄いっすね」

「ふんっ、常識よ」


高倉と京子はお互いに顔を見合わせると顔を寄せ耳元で囁きあった。


「ちょっと、むかつきますね」

「うん、ちょっとね」

「二人とも、何か言った?」


高倉と京子は顔を見合わせ頷き合うと声を合わせた。


「いいえ、何も」

「なんか、むかつくとか聞こえたんだけど!もう、健さんはのり弁を食べてればいいのよ」

「・・・・」


高倉が目を丸くてテーブルと珠枝を交互に見ている。


「どしたの」

「いや、あの小さい身体によく入るなと思って」


優華がテーブル目を移すと珠枝の前に並べられた料理は殆ど無かった。


「もしかして・・・珠枝ちゃん、一人で食べたの?」

「モグっ!」

「いつの間に・・・」


珠枝が手で摘んだ鶏の唐揚げを口に入れる横で京子は頭を何度も下げた。


「ゆうちゃん、ほんと、ゴメン、話している間に・・・こんなに食べちゃって・・」

「いや、いいけどさ・・・ほんとに・・・よく食べるね」

「そうなの、でも、今日はいつもより食べてるかも・・・もう、恥ずかしいよ」

「いいって、いいって、いつも、残しちゃうからさ、完食してくれたら、三田さん、きっと喜ぶよ、だから、遠慮しないで食べていいよ」


珠枝は口をモグモグさせながら満面の笑みをこぼした。


「だけど・・・ゆうちゃんがまだ食べてないのに」

「いいって、いいって、もう、珠枝ちゃんを見てるだけで、お腹がいっぱいになってきたよ」


優華はパンパンに膨らんだ珠枝のお腹を見ながら自分のお腹に手を当てた。


「そうだ、でも、これは食べないと」


椅子に置いた重箱からおにぎりを取り、口に運ぶと間もなく顔にしわを寄せた。


「すっぱ~い!」


食べたおにぎりの梅干しをじっと見ながら口を動かした。


「パンチのある梅やなぁ~」


さらに一口食べると頷いた。


「すっぱ、なるほどね、あの南高梅にはこのパンチがないんだ、だからなんか物足りない感じがしたのか、う~ん、なるほどね~」


優華が食べているおにぎりを珠枝が凝視していた。


「ダメ、これはあげないよ」


優華は重箱を抱え込んだ。


「お嬢、そんなにいっぱいあるのに、一つくらいあげれば・・・」

「ダメ」

「どうせ残すのにな~」

「ダメなものはダメなの」


高倉は物欲しげな玉枝に言った。


「ただの梅干しのおにぎりっすよ」

「むぎゅ~」


玉枝はテーブルの上にある、おにぎりを取ってパクリと口に入れた。


「珠枝、まだ、食べられるの?」

「もぐ、もぐぅ~!」

「あとで、お腹が痛いとか言わないでよね」

「むぎゅ~」


優華は梅干し入りのおにぎりを食べ終わると、手を丁寧におしぼりで拭いた。


「うん、確かに、この梅干しはおにぎりに合うわ、さすが、三田さんやなぁ~、はい、これ」


優華は高倉におにぎりが入った重箱を差し出した。


「えっ、もう、いらないんすか?」

「うん、腹いっぱいだから、いらない、あげる」

「そうっすか、それじゃ」


高倉はおにぎりを手で摘み上げると、おにぎりを何となく眺めて口に入れた。


「ほぉ~すっぺ~、なんじゃ、こりゃ」

「でも、なんか、美味しいでしょ」

「はぁ、酸っぱいけど、また、食べたくなりますね」

「でしょ、酸っぱさが丁度良いっていうか、パンチがあるのよ、味にインパクトがあるっていう感じ」

「お~すっぱ」

「からのぉ~」

「うまい」

「からの~」

「いや、ないっす」

「ったく、あんたは、笑いのセンスもないの」

「ええ、運転手っすから」


急に、京子が吹き出した。


「ぷっ、ははっ!」

「けっけ、どうしたの」

「だ、だって、運転手さん、面白すぎ!」

「俺、そんなに面白いっすか?」

「ははっ、だってさ、さっきから、ツバメの巣だって、本気にしているんだもん」

「俺、人を疑ったりしないっすから」

「ゆうちゃんの運転手さんって本当に人がいいんだね」

「違うって、ただアホなだけ」

「お嬢、俺、そんなにアホっすかね」

「もう、それを聞くのが、アホなのよ」

「そうっすか・・・それじゃ、俺、どうすりゃいいんすかね」

「ぷっ」


高倉が本気で困っている様子に京子が吹き出しそうになるのを抑えた。


「さーて、デザート食べようっと、健さん、出して」

「あっ、はい、あの、俺、アホっすか」

「早くぅ~」

「はい」


高倉がデザートが入っているボックスを開け優華の顔を見た。


「あの~俺って」

「なにっ!早く出してよ!」

「ゆうちゃん、怖いよ」

「だって、こいつ、くどいんだもん」

「運転手さんはとてもいい人よ、きっと、ゆうちゃんもそう思っているから、大丈夫よ」

「そ、そうっすか!いや、俺、褒められると伸びるタイプなんで、お嬢の友達もいい人っすね、ねっ、お嬢」

「もう、いいから、早くっ!出してよ!」

「へいっ!」

「ごくっ!」

「珠枝、どうしたの?お腹が痛いの?」

「ごくっ」


珠枝は一点を見つめたまま動かなくなっていた。


「デザート」

「はっ、もしかして、待ってるの?」

「うん」

「なによ~大人しいと思ったら、呆れた、はぁ」


ため息をつく京子の横で大きく頷き目を輝かせていた。


「ゆうちゃん、デザート、珠枝の分もある?もし、無かったら私の分があれば・・あげて」

「珠枝ちゃんの分もあるんじゃない、いつも、余分に入ってるから、ねっ、健さん」


高倉はデザートの個数を目で数えた。


「アイスとプチケーキが5個入ってますね」

「ぼっきゅん、両方!」


一層目の輝きを増した珠枝を京子が制止した。


「珠枝、ダメよ、どっちかにしなさい」

「むぎゅ~」


珠枝は指をくわえて京子に哀願した。


「珠枝、どっちかを選んで食べるの、両方なんて、お姉ちゃんが恥ずかしいでしょ」

「しゅん(>_<)」


目の輝きは一瞬で失われ俯いた。

優華がアイスとプチケーキをお皿に取ると珠枝の前に置いた。


「いいよ、両方食べな」


その瞬間、珠枝のつぶらな瞳に輝きが戻り、感嘆の声を上げた。


「やった~!ヾ(^v^)k、お姉ちゃんだ~いすきぃ~!」

「いいの?」

「だって、5個もあるんだから、いいよ、けっけも両方食べたい」

「あっ、でも、いいよ、私は」

「だって、残しても仕方ないから、結局、健さんが全部食べちゃうんだから」

「それじゃ、お言葉に甘えて」

高倉はプチケーキとアイスを皿に盛りつけると京子の前に置いた。


「あっ、すみません」

「どうぞ、どうぞ、お代わりもあるっすよ」

「お代わりぃ~!」


珠枝の前に、何も残っていない皿があった。


「いつの間に・・・ってか、早い」

「珠枝っ!いい加減にしてよぉ~」

「むぎゅ~」

「食べる?」

「うん!」

「ゆうちゃん、もう、いいって、この子、あげた分だけ食べちゃうから」

「でも、なんか、可哀想、あと、一セット余ってるから、いいじゃん」

「だって、でも、ゆうちゃんがそう言うならいいけど・・・」

「食べるのはいいけど、お腹壊したりしないかな」

「それは平気だと思う・・けど・・また、肥える」

「まぁ、それは、仕方ないと思う・・・」


高倉が珠枝の皿にデザートを盛りつけた。


「あんがと、おじさん」

「俺、おじさん?」


高倉は肩を落とした、その横で優華が足をバタバタさせている。


「健さん、ぷっ、おじさんとか言われてんの」

「俺、まだ、一応、20代っすよ」

「もうすぐ、30だけどね」

「えっ、ゆうちゃんの運転手さんって、まだ、20代なんですか」


京子が驚いた顔をした。


「そうだよ、老けてるでしょ、40位に見えるでしょ」

「いや、そこまでは・・・だけど・・・30は過ぎてると思った」


京子は言った後に、急いで口を塞いだ。


「あっ、ごめんなさい」

「別にいいすよ、昔から老け顔だって言われてましたから」

「あ、あ、で、でも」

「お嬢のお友達さん、俺、そんなに気にしてないっすから」

「あ、あの、ごめんなさい」

「いいっすよ」


優華がニヤニヤしながら高倉を見ていた。


「健さん、なに、格好をつけてんのよ!」

「いや、俺、格好なんてつけてないっすよ」

「ゆうちゃんの運転手さんって本当に面白いね」

「つまんない奴だったらクビだよ」

「お、お嬢、それ、マジっすか!」

「ぷっ、すぐに本気にするでしょ」

「ふふっ、本当に純真なのね」

「俺、『じゅんしん』っすか、それって、褒められているんすか」

「ふふっ、そう、褒めてるの」

「お嬢の友達って、本当にいい人っすね」

「あんたは単純で良いわね、私の所をクビになったら、けっけの所の運転手になれば」

「そうっすね、お友達さん、宜しくお願いします」

「そんな、私の所は」

「へぇ~そんなに私の運転手が嫌なの」

「あっ、いや、そんな事ないっす!俺はお嬢の所が一番っす!」

「いいのよ、いつでも、他に行ってもらって」

「お嬢、俺を見捨てないで下さいよぉ~」

「ばっかじゃないの、いいから、テーブルを片付けて」


高倉はテーブルを片付け始めた。


「あんがと、お兄たん」

「そう、いい子だ」


高倉が玉枝の頭を撫でると満面の笑みで見上げた。


「お腹、いっぱいになったかい?」

「うん、パンパン!」

「すげ~な、お腹がパンパンだ」


京子は申し訳なさそうに身体を縮めた。


「お嬢のお友達も」

「はい、ごちそうさまでした」

「いや、いや、どういたしまして」

「健さん、なに、ニヤニヤしてんのよ」

「してないっすよ」

「けっけ、こいつ、エロスだから、気を付けてね」

「うん」

「ちょ、ちょっと、変な事を言わないで下さいよ」

「こいつね、きゃばくら好きだから」

「おっ、お嬢、な、なにを」


高倉は持っていたお皿をテーブルに落とした。


「あっ、すんません」

「キャバクラ好きなんですか?」


京子は怪訝な顔で高倉を見た。


「お、お、お嬢、ひ、昼間から、なにを言っているんすか!」

「エロじじい」

「ち、違いますよ、友達に変な事を言わないでくださよ、誤解されるじゃないっすか」

「珠枝、あのおじさんの顔を見ちゃダメよ」


京子は珠枝の目を手で覆った。


「あん、暗いよ」

「だから、違いますよ、あの、その、だから」

「さーて、私は一応、ウォーミングアップしておかないと・・健さん、あと、よろしくね」


優華は席を立つと部屋のドアに向った。


「けっけ、後でね、あと、珠枝ちゃんもね」

「うん、後でね、ゆうちゃん、ごちそうさま」

「ごっとーたま」

「あの、お嬢、俺、マジで行ってないっすよ」

「けっけに手を出したら、殺すからねっ!」

「そんな、俺は、真面目なんすよ」

「はい、はい、分かった、分かった」


午後の試合はベンチから声援を送っていた。


「クロちゃん!頑張って~!」

「おぅ!」


しかし、黒川が放つシュートはリングに嫌われ、フラストレーションが溜まっていった。


「ちょっと!ももちん、シュートする時に変な顔をしないでよねっ!」

「ふぇ~ん、変な顔なんてしてないよぉ~」

「そんじゃ、元々、変な顔なの」

「そんなぁ~クロちゃん、酷いよぉ~私、何もしてないのに・・・え~ん」

「ウソ泣きすんなよっ!ったく、ちゃんと、やってよね」

「え~ん、クロちゃん、怖いよぉ~」


シューターの黒川に次々とパスを出すが、相手チームにカットをされてしまいパスが黒川に廻らない。


「うっ、ったく、また、カットされたじゃん、ももちん、しっかりしてよ!」

「え~ん、クロちゃんにまた怒られたぁ~」

「泣くなっ!」

「え~ん、怖いよぉ~くすん、え~ん、」


黒川はベンチに居る優華に視線を送った。


「クロちゃん、ドンマイ!大丈夫、落ち着いて、ボールの動きをよく見て!」


黒川は大きく頷いて深呼吸をして落ち着かせた。


「ももちん、早いパス出していいから」

「ぐすん、わかった」


黒川のシュートが決まり出すと、他のチームメイトのシュートも決まるようになり、点差が少しずつなくなっていった、第3ピリオドが終了して、黒川はベンチに座り汗をを拭っていた。


「クロちゃん、いい感じじゃん、次で逆転!頑張ってね」

「う、うん」

「どうしたの?」


黒川の様子がいつもと違っていた。


「お腹が痛くて・・」

「大丈夫なの」

「焼き肉食べ過ぎた・・・」

「もうぉ~なにやってんのよぉ~どんだけ食べたの!」

「えっと、タン塩とネギタン塩それとカルビにハラミ、黒毛和牛でしょ、ユッケとテグタンクッパに冷麺とマンゴープリン」

「食い過ぎ~ぃ!」

「でもさ、ももちんだって、おなじ様に食べたんだよ、なのにさぁ、見て」

「げっ、バナナ食ってる・・・しかも、両手に・・・フードファイターか」

「そんでさぁ、ももちんがガンガン頼むから、私もつられて・・・」

「また、ももちんか・・・でもなぁ~ちょっと怒ると泣いちゃうしなぁ~」

「だいたいはウソ泣きだけどね、え~ん、ももちんをイジメないでぇ~」

「でもさぁ、たまにマジで泣いちゃう時があるから加減が難しいんだよね」

「そう、厄介な子だよね」

「でも、憎めないんだよね、なんか、可愛いから」


両手にバナナを持って優華に近寄ってきた。


「ママぁ~バナナ食べる?」

「うっ、あっ、いいよ、ももちん、ありがとう」

「そんじゃ、クロちゃんは?」

「ももちんさぁ、よく食べられるね、それに試合中だよ」

「だって、お腹が空いたんだも~ん」

「あんだけ、食べて、もう、お腹が空いたの?」

「うん、はいっ、ママ、口開けて、あ~ん」


優華は大きく口を開けた。


「あ~ん、モグモグ」


優華は口に入れられたバナナを飲み込んだ。


「やばっ、ももちんワールドに引き込まれてしまった」

「はーい、クロちゃんもあーん」

「いらねーって言ってんだろ!」

「え~ん、クロちゃん、怖いよ~ママぁ~助けて~」


ももちんは優華の膝の上に顔を埋めた。


「よし、よし、泣かないの」

「うん、ももちんは強いのだぁ~」


片手を揚げ立ち上がったももちんに黒川が飛びかかった。


「ふざけんなっ!」

「え~ん、クロちゃんがいじめるよ~ママぁ~」

「よし、よし」


コーチが呆れた顔で近寄ってきた。


「おまえ達、3人で何をやってるんだ・・もう試合、始まるぞ」

「はぁ~い、ももちん、行きま~す!はいっ、コーチ、バナナあげる」

「あ、あっ、どうも・・じゃなくて、桃地、もう少し、パスを丁寧に出してやれよ、黒川が大変だろ」

「コーチ、了解で~す」

「黒川、顔色が悪いけど、具合が悪いんじゃないのか、大丈夫か」

「ちょっと、お腹が痛くて・・・でも、大丈夫です、ももちんを見てたらアホらしくて、お腹が痛いのが治ったみたい」

「そうか、頑張れよ、あと、9点で同点だ、落ち着いてシュートを打てば、お前なら大丈夫だ」

「はい、コーチ」

「クロちゃん、頑張って!」

「うん、ゆうちゃんの分も頑張ってくる!」


最終ピリオド開始のホイッスルが鳴り試合が始まった、黒川のロングシュートが決まり点差は徐々に縮まっていった。


「クロちゃん、ナイスシュート!」


黒川は優華に大きく手を振って答えた。


「そのまま、逆転だよ~!あと、ワンシュート!」


優華はスコアボードの残り時間を見た。


「あっ、増成先生だ・・・隣の男子・・誰」


増成とユニフォーム姿の男子は観覧席の上段に座り親しげに話しをしている様子だった、その様子を優華はしばらく見ていると、増成は軽く手を揚げ再び男子と親しげに話し込んでいた。


「誰だろう、あいつ、先生の患者かな?」


体育館にホイッスルが鳴り響き、コートに視線を移すと桃地が体育館の床に倒れたいた、黒川がすぐに駆け寄り手を差し伸べていた。


「ももちん、大丈夫か」

「クロちゃん、痛いよぉ~え~ん」


審判はファールをコールして、優華のチームにフリースローを与えた。


「ももちん、やるね~わざとコケたな」


相手チームのコーチは審判に駆け寄り抗議をしていたが、認められず桃地に2回のフリースローが与えられた。


「でも、桃地って、シュート苦手なんだよな」


桃地が立ち上がると審判がボールを渡しホイッスルが鳴った。


「ももちん、落ち着いて!絶対に入るから!」

「ママぁ~無理だって、入らないよ~え~ん」


桃地コールが体育館中に響いている、優華は心の中で祈った。


「入って!お願い!」

「え~い」


桃地が放ったボールはリングの周りを回りながら徐々にネットに近寄っていた、チーム全員が立ちだして固唾を呑んで見守った。


「入れっ!」

「あ~ん、お願い」


桃地は床に座り込んで祈っていた。


「やった!入った~!クロちゃん、入ったよ~!」


桃地は黒川に抱きついた。


「ももちん、あと、一本入れないと」

「えーっ、もう、奇跡は起こらないって、クロちゃん、代わりにやって」

「無理に決まってるでしょ、ったく」

「だって~クスン、あっ、ママに交代すれば?」

「だから、ゆうちゃんは怪我しているんだから、無理に決まっているでしょ」


審判は桃地に近づきシュートを打つように促した。


「もう~無理だって~助けてよ~」

「大丈夫、外したら、私がリバウンド、絶対に取るから」

「うん、クロちゃん、分かったよ」


桃地はシュート体勢に入りボールを力一杯に放った。


ボールの奇跡はリングの上を通過してボードに当たり跳ね返った。


「あ~ん、やっちゃった、くすん」

「焼き肉パワーっ」


黒川はゴール前に駆け込むとそのままジャンプし相手チームの選手と交錯した。


「クロちゃ~ん、ダイレクトシュート!」

「うりゃー焼き肉牛クロをなめんなよぉ~」


黒川は手の中に入ったボールをゴール目がけて放つと、静まりかえる体育館に桃地の悲鳴のような黄色い声が体育館に響いた。


「入ってぇ~お願い~」


ボールがリングを通過し床に落ちると同時に試合終了のホイッスルが鳴った。


「やったー!クロちゃ~ん、大好き~」


桃地は黒川の元に走り抱きついた。


「ナイス、ももちん」

「???」

「あれっ、私がリバウンドを取りやすいようにわざと外してシュートしたんじゃないの?」

「そんなワザ、ももちんにないよ~ん」

「んじゃ、適当にシュートしたの?」

「うん、そうだよ」

「そうだよ、じゃねーよ、勝ったからいいけど」

「てへへっ、でしょ、でしょ、あっ、ママ・・・」


試合会場全体が騒然としていた。


「ゆうちゃん・・・」


ベンチからずれ落ち床に倒れたまま動かない優華の周りをチームメイトが取り囲んでいた。


「え~ん、ママぁ~どうしちゃったのぉ~」

「ちょっと、マジ・・・かよ」

「お嬢!どうしたんすかぁ!」

「ゆうちゃん、しっかりして」

「朝香さんの主治医だ、開けてくれ!」


取り囲んだ人をかき分けながら優華の傍らに着くと腕を取り指を当てた。


「高倉くん、車、入り口に回してくれ」

「はい、先生、お嬢は」

「大丈夫、気を失っているだけだ、念のため、病院で検査する」

「分かりました、先生!」


高倉は上着を放りだし体育館の出口に向かった。


「みんな、朝香くんは大丈夫、後は私に任せて」


増成は優華を抱きかかえると出口に向かって歩き出した。


「え~ん、ママ~」

「大丈夫だって、先生が言っているんだから、泣かないの!」


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