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~第6章~回復~

~第6章~回復~



上岡は新薬を入れた紙袋を見つめていた。


「こんな薬をお嬢様に渡して、本当に良いのだろうか」


上岡は受話器を上げ病院の直通番号をダイヤルした。


『朝香フィナンシャルの上岡です・・・はい・・増成教授をお願いします』


上岡の表情は曇った。


『えっ、そう・・・そうですか、分かりました』


静かに受話器を置くと、机の紙袋を握り締めると、ゆっくりと立ち上がりドアに向かって歩き出した。


「お嬢様が学校へ行けるようになるには、これを使うしかないのか・・・」


上岡はそう自分に言い聞かせると、秘書室のドアを開け優華の部屋に向かった。

ドアの前で息を一つ吐いてからノックした。


「お嬢様、上岡です」

「どうぞ」


上岡はそっとドアを開けると、優華は窓際の椅子に座り本を読んでいた。


「お嬢様、お薬を持ってきました」

「ありがとう」


優華は本を閉じ傍らのテーブルに置くと上岡から紙袋を受け取った。


「お体の具合は如何ですか?」

「うん、少し身体が怠いけど・・・でも、大丈夫よ、上岡さん、心配ばかり掛けてごめんなさい」


上岡は優華の言葉に左右にゆっくりと頭を振ると、優華は小さく頷くと上岡の顔を見て微笑んだ。


「上岡さん、この薬は何錠飲めばいいの?何も書いてないけど」

「あっ、それは、一日一錠です」

「そうなの、ねぇ、今、飲んでもいい?」


優華が薬を手にすると、上岡は顔に手を当て視線を天井へ向けた。


「いいの?」


上岡は視線を優華に戻しコップに水を注いだ。

「ええ、今、お飲みになっても、良いと思います」

「そう、それじゃ」


上岡はテーブルに水をそっと置いた。


「ありがとう」


優華は水を口に含み、水色の錠剤を口の中へ入れ飲み込むと、不安そうな面持ちで上岡に聞いた。


「これ、本当に効くの?」

「ええ、もちろんです、効き目は間違いないと思います」

「そうね、増成先生が学校に行けるようになるって言ってたもんね」


優華は再び笑顔を見せた。

しかし、上岡は表情を変えることなく、優華の顔を見た。


「その通りです、でも、その薬は絶対に飲み過ぎないようにお願いします、一日一錠、それ以上は絶対に服用しないでください、それは必ず守ってください。それと、症状が治まったら、その薬はもう飲まないようにしてください」


「うん、増成先生からもそう言われたけど・・・この薬ってそんなに身体に良くないの?」

「いいえ、そんなお身体に障るようなお薬をお嬢様にお渡ししません、ただ、飲み過ぎると・・・その・・」


「分かったわ、一日一錠ね、私だって子どもじゃないんだから」

「そうですね、もう、お嬢様も高校生ですものね」

「そうよ、私だって、もう、大人なのよ」


優華は話し終えると急に表情を曇らせた。


「お嬢様、どうか、されましたか?」


優華は大きく頭を左右に振り大きく頷いた。


「そう、早く、大人にならないとね」


上岡は少し表情を緩ませ、優華に頷き返した。


「それでは、私はこれで」

「うん、薬、ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」


上岡が部屋から出て行くのを見送った。


「そう、私、大人にならないと・・・」


制服の入っているクローゼットを見つめた。


「私、本当に学校に行けるようになるの・・・」


反射的に視線を顔を背け視線を床に落とすと、手を口に当て身体を丸めた。


「どうして、こんな風になってしまったの?」


手を口元から離しその手を見つめた。


「明日もダメだったら、私・・もう・・・迷惑ばかり・・・」


自然に流れ出した涙で手が少しずつ霞んでいった。


「もう、嫌だ、誰か助けて」


払った手がテーブルのコップに当たり、音を立て床に転げ落ちた。

優華は倒れ込むようにベッドへ入ると静かに目を閉じた。

昨日までは、目を閉じると不安な気持ちが溢れ出し、寝付けなかったが、不思議と今日は心地の良い眠気が訪れ、胸がスーッと楽になっていき、そのまま心地の良い眠りへ入っていった。



そのまま朝を迎え、窓から差し込む太陽の明かりで優華は自然に目覚めた。

身体を起こすと両手を挙げて伸びをした。


「あ~っ、よく寝た」


いつになくとても爽快な気分、心が弾むようで身体も軽かった。

ベッドから飛び跳ねるように起きると、クローゼットの前に立った。

扉を恐る恐る開けると、ハンガーに掛けられた制服のブレザーとブラウス、スカートが視線に飛び込んできた。


「うっ」


制服を見tだけで襲いかかる激しい吐き気と頭痛、優華は反射的に口に手を当てた。


「あれっ、平気だ、なんともないよ」


ゆっくりと口元から手を離した。


「どうして?昨日、飲んだ薬が効いたの?」


優華は自分自身が信じられなかった、まるで別人になったかのような気持ちだった。

身体の中から沸々と湧き出てくる幸福感と押さえきれない高揚感に満たされていく。


「これなら、学校に行ける!、絶対に行ける!」


鏡の前でガッツポーズをすると、クローゼットから制服を取り出し身体に当てた。


「嬉しい」


思わず口から言葉がこぼれ、久しぶりに見る制服姿に気持ちがさらに高揚してきた。


「えっ、どうして、どうして!」


昨日までの自分が嘘のようで信じられなかった。


「行けるんだよね、大丈夫なんだよね、学校、学校、学校」


吐き気や頭痛どころか、はやる気持ちを抑えきれずに、制服に着替えると鏡の前でクルッと一回転して鏡に映る姿を見た。


「あれっ?なんか、変だな~」


鏡に映っている制服姿は今までと変わらなかった。


「う~ん、ちょっと、スカート色が地味なのかな~?それと、このリボンも地味なんだよなぁ~」

鏡の前で小首を傾げながら腕を組んだ。


「そうだ!」


手のひらをポンと一つ叩いた。

スキップしながらクローゼットの前に立つと、引き出しを開けた。


「そう、これ、これ、買っておいて良かった~っ!」


着ていた制服を脱ぎ捨てると、淡いピンクのブラウスと赤いチェックのスカートに着替え、赤のチェックのリボンを着けると、大きく頷いた。


「そう、この感じなのよ、私が求めていたのは!でも、ちょっと、スカートの丈が長いなぁ~可愛くない」


膝丈のスカートを膝上までたくし上げた。


「う~ん、この位じゃないと、可愛くないしぃ~困ったなぁ~そうだ!三田さんなら直せるかも!」


制服を脱いで部屋着に着替えると、赤いチェックのスカートを持って部屋を飛び出だした。

階段を勢いよく駆け下りダイニングへ向い、ドアを勢いよく開けた。


「おっはよ~っ!」


ダイニングで朝食を用意していた家政婦は、急に飛び込んできた優華に目を丸くした。


「あっ、お、お嬢様、おはようございます、あっ、あの・・お食事は・・準備がまだ・・・」

「食事なんていいからさぁ、このスカート」


優華は持っていたスカートを家政婦に差し出した。


「丈を短くしてもらいえないかな?」


家政婦は差し出されたスカートを手にした。


「あら、お嬢様、可愛らしいスカートですね」

「うん、それね、学校のスカートなんだけど、穿いたらさぁ、丈が長くて可愛くないの、だから、丈を短くして欲しいの」「

「ええ、丈を詰める位でしたら・・・」


「ホント!さすが三田さん!手先が器用だから出来ると思ったんだよね~うんうん」

「それで、いつまでにお直しすればよろしいのでしょうか?」

「今すぐ」

「えっ、今すぐにですか?」

「ダメ~お願い~、そのスカート、今日、学校に穿いて行きたいの~」

「承知しました」

「そう!その台詞!さすが、三田さん」

「でも、お嬢様、学校のスカートを勝手に短くしては・・その・・学校で・・」

「そんなん、平気、平気、それじゃ~、よろしくね~、バイバ~イ、キャハ」


優華は親指と人差し指で輪を作り頬に当てポーズを作って見せると、ダイニングのドアを勢いよく開けて出て行った。

家政婦は呆気にとられながら、優華がしていたポーズを真似していた。


「お嬢様、本当に、お元気になられた・・・みたい・・・それで、これは、なにかしら・・・」

「三田さん、顔の肉を摘んで何をしているんですか?」


優華と入れ違いでダイニングへ入ってきた上岡がコーヒーをカップに注いでいた。


「あら、上岡さん、いつの間に」

「三田さん、その、赤いスカートは?」

「先ほど、お嬢様が、持ってこられて、今日、学校に穿いていかれると」


上岡はコーヒーカップとデキャンタを持ったまま家政婦に迫った。


「お嬢様が、今日、学校にと、そう、言ったのですか!」

「ええ、それで、丈を詰めて欲しいと・・」

「だから、そのスカートを穿いて学校へ行くと、そう言ったのですね、間違いないですか、三田さん」

「上岡さん、ちょ、ちょっと、落ち着いてくださいよ」

「それ、よく見たら学校のスカートじゃないですか、どうして三田さんが持っているんですか」


上岡はコーヒーカップとデキャンタを持ったまま、家政婦に迫り寄った。


「ちょ、ちょっと、近いです、まず、それを置いてください」

「あっ、失礼」


上岡は家政婦から離れデキャンタをコーヒーメーカーに戻した。


「それで、丈を詰めるって、どうして、そんな事を言っているのですか」

「可愛くないからと・・でも、私が、学校のスカートを勝手に短くしては・・と言ったら」

「言ったら?」

「平気、平気、バイバ~イって、それで、これ、です」


家政婦は優華のポーズを再びして上岡に見せた。


「それ、なんですか?」

「なんでしょうね」

「なんでしょうね、って、お嬢様は意味の無い事はしないはずですよ」

「上岡さんにもわからないのですか」

「さぁ、全く」


二人はそのまましばらく立ち尽くした。


「あの・・上岡さん」

「はい」

「これ、丈を詰めてしまっても大丈夫なのですか・・・」

「ああ、多少なら問題ないでしょう、でも、そのスカートは・・」

「そうなんです、いつも、お召しになっているのと違いますよね」


上岡は腕を組み手を口元に当て、一度天井を眺め視線を戻した。


「その赤いのは、穿きたくないと言っていたような・・記憶が・・・」

「でも、持ってきたのはこれですよ、それでは、きっと、久しぶりの学校ですから、お気分を変えたかったのかもしれませんね」


上岡はしばらく天井を見た後、家政婦の顔を見た。


「そうかもしれませんね」

「それでは、私、ちょっと、失礼して、これを直して参りますので」

「朝の忙しい時間に申し訳ありません、宜しくお願いします」


家政婦がダイニングから出て行くと、上岡はダイニングの椅子に座りコーヒーを飲んだ。


「あの新薬の効果は、こんなに早いのか・・・でも、・・・あの赤いスカートを・・・か・・・」


上岡はテーブルにカップを置いた。

すると、ダイニングのドアが激しく開く音と共に優華が飛び込んできた。


「じゃ~ん、あれ~っ?上岡さん、一人?」

「はい、お嬢様、おはようございます」

「おはよ~、ねぇ、三田さんはどこ?」

「あの、お嬢様のスカートを直しに行かれましたが・・・」


優華は訝しげな顔をしながら、ワンピースの裾をヒラヒラと揺らしていた。


「そう、なんだ、あのさぁ~、スカートの丈を膝上にして欲しいって言いうの、忘れちゃったんだよね~」


優華はワンピースの裾を上げたり下げたりした。


「あの、お嬢様、お身体の具合は・・本当に学校へ行けそうなのですか?」

「もう、バッチリよ~、あっ、それじゃ、三田さん、部屋に居るかな?中途半端に直されちゃうと嫌だからさ、じゃーね、バイバ~イ、キャハ」


優華は家政婦に見せたポーズした。


上岡が呆気にとられている間に、優華はダイニングを出て行ってしまった。

優華が階段を掛け上がっていく音がダイニングまで響いている。


「バイバ~イって、それで、これ?」


上岡は優華がしていたポーズを真似した。


「お~っ、おっさん、朝からほっぺたの肉を掴んでよ、なにをやってるんだ」


高倉が上着を肩に引っかけて、缶コーヒーを飲み眉間にシワを寄せながら歩いてきた。


「なんだ、高倉か、何をしに来た」

「何をしに?じゃねーよ、朝っぱらから、階段をドタドタ上り下りする奴がいるからよ、控え室まで響くんだよ、うるさくて仕方がねーからよ、誰だよ、ったく」


高倉は缶コーヒーを飲み干すと缶を握りつぶした。


「高倉!お前は声がでかいんだよ、聞こえるだろ」

「だから、誰なんだよ、朝っぱらからドタドタしやがって」


上岡は高倉のワイシャツの袖を引っ張り、高倉を引き寄せると耳元で言った。


「お嬢様だよ」

「はぁ~、なんだ、お嬢かよ~そんじゃ、文句が言えないな、くそっ、あれ、お嬢、病気は治ったのか」

「すっかり、治ったようだ、けど・・」


高倉は握りつぶした缶をゴミ箱で投げ入れた。


「よっしゃ!ナイスシュート、ホントかよ、そりゃ~良かったな、そんじゃ、学校も行くのか」

「ああ、おそらく、さっき、行くと言っていたからな」


高倉は眉間にしわを寄せた。


「それでよ、なんで、お嬢は、朝からドタバタ騒いでいるんだ」

「知らんよ、我慢しろ、それより、お前の声の方がうるさい」


上岡は耳を掻いた。


「うるさいってよ、地声だから仕方ないだろう」

「いいから、お前、車の準備をちゃんとしておけよ」

「おう、分かったよ」


上岡はコーヒーを一口飲むと、高倉の顔を見た。


「お前、その口の利き方はなんとかならないのか」

「なにがっ、それじゃ、お前のその陰気くさい顔をなんとかしろよ」

「なんだと、お前に顔の事を言われたくないよ、何だ、その黒い顔は、遊び過ぎなんだよ」

「うるせーな、この野郎、やるか~っ!」


高倉はワイシャツの袖をグッと上げると上岡に迫った。


「相変わらずお前は野蛮だな」

「なんだと!この野郎」

上岡と高倉が睨み合っていると、階段を騒々しく駆け下りてくる音が響いた。

間もなく、ダイニングのドアが勢いよく開くと優華が飛び込んできた。


「じゃーん」


上岡を高倉が呆気に取られた。


「あっ、健さん!おはよ~!」

「お、お嬢、お、おはようございます!」


高倉は優華の制服姿に釘付けになっていた。

その傍らで上岡が目を白黒させて、スーツからハンカチを取り出して額に当てていた。


「お嬢、今日はなんか一段と可愛いっすね」

「ふ、ふ~ん、可愛いやろ~、チラッ」


優華はスカートの裾をヒラヒラさせ、ポーズを取って見せた。


「おぉ~マブイっすねぇ~」


高倉が優華のスラッと伸びた脚に見とれていると、上岡が高倉を押しのけて優華の前に立った。


「お嬢様、そんな破廉恥な真似をしないでください」

「はれんち?はれんちって、なーに?」

「お嬢様、破廉恥とはですね・・・」


優華は上岡の話を聞かずに、テーブルに上に置いてあった、フルーツをポンと口にいれた。

上岡は残っていたコーヒーを一気に飲み干した。


「お嬢様、そんな短いスカートは・・・」

「お嬢、いいね~、可愛いよ」

「高倉は黙っていろ!」

「なんだよ、黙ってろって、なっ、真面目オヤジはこれだからな」


高倉が優華と上岡の間に入った。


「さすが、健さん、分かってるね~、うん、出来る子だ、はい、これ、あげる」


優華が高倉の口にフルーツを押し込んでいると、静かにダイニングのドアが少し開いた。

その隙間から家政婦が中の様子を覗き込んでいた。


「三田さん、そんな所で何をしているんですか」


上岡が気がつき家政婦に声を掛けると、身体を縮めながらダイニングに入ってきた。


「か、上岡さん、すみません、あ、あの、お嬢様が、もっと、丈を短くして欲しいと、仰るものですから、こんな風になってしまって・・・」


家政婦がオドオドしながら上岡を見ると、上岡はさらに前に歩み寄った。


「三田さん、節度っていうものがあるでしょ、こんな、破廉恥な格好をお嬢様にさせて、どういうつもりですか!」

「申し訳ありません」


家政婦は上岡に何度も頭を下げ平謝りをしていると、高倉と談笑していた優華が颯爽と歩き出すと、家政婦と上岡の間に割って入り上岡を睨み付けた。


「ちょっと、ハゲ、三田さんをいじめないでよね、私が短くしてってお願いしたんだからね、文句があるなら、私に言いなさいよね!」


家政婦は優華の後ろで上岡に何度も頭を下げていると、優華は振り返って家政婦に言った。


「あんな、真面目ハゲじじいのバカに謝らなくてもいいんだからね」

「そ、そんな、上岡さんは、お嬢様の事を・・・」

「あのハゲは私の事なんて考えてないんだから、いいのよ」

「そ、そんな事、ありませんよ、お嬢様・・・上岡さんはいつもお嬢様の事を・・」

「もう~、三田さん、あんなハゲなんて無視していいの、いい、分かった」

「は、はい、お嬢様、承知しました」


家政婦は肩をすくめ、上岡の顔色を伺っていると、部屋のガラスが震える程の笑い声が響いた。


「ははははっ!よっ、真面目ハゲじじいだとよ、お嬢も言う時は言うんだな~」


高倉が上岡の肩を叩いた。


「お前には関係ない、口出しするな」

「なんだ、その、湿気た顔はよ~」


上岡は優華の言葉にショックを隠しきれていたかった、高倉は面白がって上岡の七三に整えられた髪をいじっていた。


「はははっは、どの辺がハゲてるんだ、知らなかったな~」

「高倉!髪に触るな、乱れるだろ」


上岡は高倉の手を振り払うと髪を手で整えた。


「ちょっと、ハゲ!」


高倉は面白がって上岡を突っついている。


「ほら、お嬢が呼んでるぞ」

「お嬢様、その・・ハゲと呼ぶのは止めてもらえませんかね」

「嫌だよ~、だって、三田さんを苛めるんだもん」

「ははははっっ」


高倉が腹を抱えて笑っているのを上岡が一瞥した。


「高倉!うるさい!笑うな!」


上岡は額の汗をハンカチで拭った。


「ねぇ、ハゲ、今日、電車に乗って学校に行くから、チケットを取っておいてよ」

「えっ?電車ですか?」

「もうぉ~、電車で学校に行きたいの!」

「あの、電車のチケットと仰っても、その・・・急には・・その・・」

「な~んだ、取れないの」

「申し訳ありません」


上岡が頭を下げると、高倉が優華に寄り添った。


「お嬢、このおじさんをあまり苛めたら、可哀想だろ、ほら、こんなに悄気ちゃってるぜ」


高倉は上岡の頭をポンポンと叩きながら話を続けた。


「それに、お嬢の学校に行く電車はチケットなんてないんだよ、あれは、普通の電車だからよ、駅に行ってキップ買ってのるんだよ、それによ、半端なく混んでるぜ」

「え~、マジで~、混んでるの嫌だ!」


優華は上岡の方に向きを変えた。


「だったら、そう言えばいいじゃん」

「お嬢様の仰る通りです、申し訳ありません」


上岡は再び頭を下げた。


「な~に、暗い顔をしてんの!ペンペン」

「顔は元々なので・・・」

「もう~暗いよぉ~ゆうが元気になったんだから、もっと、嬉しそうな顔をしてよ」

「はい、分かりました」


上岡は作り笑いをした。


「もう~硬いよ、ゆうが元気になったのに~」

「それは良かったです、私も嬉しいですよ」

「ホント!だったら、嬉しそうな顔をしてよ」

「わかりました」


上岡は再び作り笑いをした。


「まぁ~いいか、ホントに嬉しいの?」

「はい、もちろんですよ」

「良かった、それじゃ、ゆうが・・」

「お嬢、今日は俺の車で学校まで送っていくよ!」


優華が上岡に何かを言いかけた時に高倉が声を掛けた。


「あっ、そう、うん、健さんの車だったら乗る、乗る!そんじゃ~今日は、びゅ~んと飛ばして行こう!」

「よっしゃ」


優華が話を続きをしようと、上岡を見ると高倉を睨み付けていた。


「おい、高倉!安全運転だからな!」

「そんな怖い顔をするなよ、俺はいつも安全運転だろ」


優華が二人の間に入った。


「そうじゃなくて、あのさ、上岡さん、聞いてよ」

「お嬢様、そんな無理を言わないでください」

「もう~、私の話を聞いてよ~」

「お嬢様、危険な事はダメです」

「だから、違うってば~」

「危険な事は許しませんよ」


上岡は優華の話に聞く耳を持たなかった。


「もう、いいよ」


優華は口を尖らせると、両手を広げてダイニングテーブルの周りをグルグルと回り始めた。

優華の動きにスカートの裾がひらひらと舞って脚の付け根が見え隠れしている。


「びゅ~ん、びゅ~ん」

「お嬢!もっ!もう、ちょっと!」


高倉は優華の制服姿を目で追っている。


「高倉っ!」


上岡は高倉を怒鳴りつけ、唖然としている優華に迫り寄った。


「お嬢様!そんな破廉恥な格好なんて、私がすぐに代わりのスカートを用意しますから、着替えてください」

「いやだよ~チラッと」


優華がスカートの裾を摘みあげて見せると、上岡は顔を背け息を吐いた。


「お嬢様、いい加減にしてください!」


上岡はそのまま部屋から出て行っていまった、高倉と優華は顔を見合わせた。

廊下に出た上岡は秘書室へ向かった。


「あの薬をお嬢様に渡したのは間違いだった」


秘書室のデスクに座わると、頭を抱え天を仰いだ。


「私の責任・・・」


デスクの受話器に手を伸ばすとダイヤルした。


『朝香フィナンシャルの上岡です、増成教授を・・・そんな事は、分かっている、緊急事態だ、増成に、増成教授に、至急連絡を取ってくれ!』


受話器を叩きつけると、感情を顕わにして吐き捨てた。


「こんな時に、海外出張なんて・・・、まったく、なんて無責任なやつなんだ」


両手でテスクを叩くと同時に席を立っと、ソファーを蹴飛ばした。


「まさか、性格まで変わってしまうなんて、あの様な短いスカートを穿いたり、意味の分からない言葉を発したり、あの子はそういう子じゃない、くそっ、新薬にこんな作用があるんて」


スーツの袖を捲り腕時計を見た。


「増成のやつ、なにをしているんだ、暢気に学会なんて」


腕時計を見るとソファーに座わり、すぐに立ち上がった。


内線電話の呼び出し音にデスクに駆け寄ると受話器を上げた。


『はい、秘書室』

『増成からだろ、繋いでくれ』


上岡は保留音の鳴る受話器をグッと握り締め、保留音から外線に切り替わると声を荒げた。


『先生、あの薬は、なんですか!お嬢様の様子がっ!』


上岡は肩で息をしながら、増成からの返答を聞いている。


『そ、それは、確かに元気になりましたけど、だけど、お嬢様の性格が変わってしまったようで』


上岡はスーツからハンカチを取り出し額の汗を拭いながら増成の話を聞いていた。


『ええ、確かにそうでしょうけど・・・ですから、実際に変なんですよ、私はお嬢様が小さい頃から一緒に居るんです、その位は分かりますよ』


上岡は受話器を耳に当てながら上着をデスクに脱ぎ捨てた。


『先生は薬で性格が変わるはずがないと・・ですから、何度も言っているじゃないですか・・・それじゃ、今日のお嬢様の今の様子は普段通りだと言いたいのですか』


上岡は額から溢れ出た汗を拭いた。


『私には責任があるんですよ!そんな、簡単に問題はないなんて、言わないで下さいよ!ですから、お嬢様の様子が変なんですよ!そう、何度も言っているじゃないですか、あっ、ちょと、待ってくだあいよ・・・話がまだ・・』


「くっそ、あの野郎、切りやがった」


受話器を握り締めると、電話機に叩きつけた、電話機から外れた受話器はデスクからぶら下がっていた。


「確かに、薬で性格が変わるとは思えないが・・・しかし、それにしても・・あれが、本当のお嬢様だというのか!」


ぶら下がったままの受話器から内線の発信音が聞こえていたが、上岡は構わずネクタイを緩めると、デスク上に放り投げた。


「あんなのは、お嬢様じゃない」


上岡はデスクを拳で力一杯叩いた。


「どうすればいいんだ、しかし、あの薬がなければ、また、学校に行けなくなってしまうかもしれない」


再び頭を抱えた。


優華は上岡が出ていった後に、一人で食事を済ませると、秘書室に向かった。


「おっ、お嬢、何してんの?」


高倉が優華の肩を軽く叩いた。


「ねぇ、健さん、上岡さん、居ないのかな?」


優華は再びドアのノックした。


「そのドア、ノックしても、中には聞こえないぜ、防音になってるからさ」

「うん、知ってるけど・・でも、内線も繋がらないし・・中に居るのかなと思って」

「繋がらないなら、いねーじゃないか」

「違うの、さっきから、ずっと通話中なの」

「内線でそんな長電話するか?」

「うん、そうだよね」


高倉は腕まくりをした。


「よっしゃ、お嬢、離れて」

「なにするの?」


高倉はドアから少し離れ助走を取ると、秘書室のドアを蹴飛ばした。


「こらっ、出て来いよ」

「健さん、ドアが壊れちゃうよぉ~」


高倉はさらに勢いを付けてドアを蹴飛ばすと、鈍い爆音が廊下中に響いた。


「おっさん、いねーんじゃないか?」

「そうかなぁ~?だって・・内線のランプが点いてるから・・」


優華は訝しげに頭を傾げていると、急に高倉が優華の手を取った。


「えっ、なに?」

「やべぇ~お嬢、逃げるぞ!」

「えっ、どうしたの?」


異変に気がついた警備員が駆けつけているのを高倉はいち早く察知し、高倉は優華の手を引っ張りガレージまで走り続けた。


「よっし、ここまで来ればもう大丈夫だな」


優華は手を両膝に付き肩で息をしていた。


「いや~やばかったな~俺、警察、嫌いなんだよ」


優華は下から冷めた目で高倉を見た。


「あの人達、うちの警備員だよ、別に逃げなくてもいいじゃん」

「いや、そうなんだけどよ、なんか、あいつらの制服ってよ、なんか警察の制服に似てないか」

「だって、警備員って、そういう制服じゃん、それにさぁ、健さんも知っている人達でしょ、逃げなくてもいいじゃん」

「そりゃ、知っているけど、その、なんていうかな、本能的に逃げちゃうんだよな」

「なにそれ、バカじゃないの、それって、昔、警察に追いかけ回されたからでしょ」


高倉は顔を一瞬歪ませると、両手を左右に小さく振った。


「そ、そんな、追いかけ回されるなんて・・そうじゃなくてさ・・・なんとなく・・・俺を捕まえようとしているじゃないかと」

「なんでよ、悪い事をしてなかったら、捕まらないでしょ」


高倉はワイシャツの袖を伸ばしたり捲ったりを繰り返している。


「分かってるけどさ・・・それで、お嬢、上岡のおっさんに何か用事でもあったのか?」


優華は下を向いて、転がっていた石ころを蹴飛ばした。


「うん、さっき、ふざけ過ぎちゃって・・・上岡さんを怒らせちゃったみたいだから・・・謝ろうと思って・・・」

「ははははっ、な、なんだ、そんな事かよ、お嬢が気にすることないって、平気、平気、上岡のおっさんは別に怒ってないよ、大体、あいつは真面目過ぎるんだよ」


優華はそっと高倉の顔を見た。


「そうかな~?でもさ、いつも、朝ご飯は一緒に食べるのに・・・今日は一緒に食べてくれなかったんだよ」

「たまたま、急用でも入ったんじゃないか」

「そうならいいけど・・・上岡さんに、元気になった所を見せて、安心してもらおうと思ったの、でも・・・やり過ぎちゃったみたい」


高倉は俯いている優華の両肩に手を当てた。


「そうなのか・・お嬢は相変わらす優しいな、それなら、お嬢の気持ちは通じているよ」

「でも、私・・・上岡さんに心配を掛けてばっかり」

「そんな事、気にしなくていいって、上岡のおっさんは、お嬢のために居るんだから」

「でも・・・」


高倉は優華の肩をポンと叩いた。


「お嬢、そんなに気にするなって」


優華は高倉の顔を見てニコッと笑った。


「そうだね、健さん、ありがとう、それじゃ、学校に行こう!」

「よっしゃ、ちょっと、待ってな、車を廻してくるから」


高倉は車のキーを空中に投げると、片手でキャッチした。


「早くしてよ!」

「おっ、その調子!」


小走りにガレージに向かうと、すぐにエンジン音がガレージに響いた、ガレージの中から、磨き上げられ黒光りしたリムジンが出て来た、高倉は、車の前から回り込むと後部座席のドアを開けた。


「お嬢、どうぞ、今日は完璧に掃除しておきましたよ」


優華は車に乗らずに頬を膨らませて不満げな顔をしていた。


「ダメ、ダメ、今日は、ぶっ飛ばして行くの!びゅーんって」

「え~まぁ~怒られない程度に・・飛ばして行きますけど・・・乗らないっすか?」

「だ・か・ら・!飛ばしていくのに、こんな車じゃダメでしょ、って、言ってんの~!」

「こ、こんな車って、だって、これ、お嬢の車・・だけど・・」

「だ・か・ら!さっき、健さんの車で送っていくって言ったじゃ~ん」


高倉は意味も無く左右を見てから、自分の顔を指さした。


「俺の車って、えっ、俺の?」

「そう、正解!」

「いや、この車だって、本気で走らせたら速いっすよ」

「嫌だ、嫌だ、こんな無駄に長い車、健さんの車がいい、めっちゃめちゃ速いし」


優華は地団駄を踏んだ。


「いやぁ~、お嬢、それはまずいっすよ、俺の車にお嬢を乗せたら、俺が怒られますよ」


優華は腕組みをすると、高倉を睨み付けて迫り寄った。


「誰によ?」

「だ、誰って、その、吉田のおっさんかな?」

「な~んだ、そうか~ふぅ~ん」


優華の納得したような素振りに、高倉は胸を撫で下ろした。


「お嬢、それじゃ」


優華は突然飛び上がった。


「吉田のハゲなんて、即刻、クビ!クビ、クビ、クビ~ッ!ハゲ~ッ!」


高倉は優華の予測不能な動きに後ろへ仰け反った。


「って言う事で、分かったでしょ、これで、怒られないでしょ」

「わ、わかりましたよ、次は俺がクビになりそうだ」

「そっ、よ~く分かってんじゃん、出来る子だね~」

「まったく、お嬢には、敵わないよ」

「なんか言った!」

「はい、何も言ってません、ちょっと待っててくださいね」


高倉がリムジンをバックさせガレージへ戻すと、ガレージからジェット機のエンジンのような爆音が唸りを上げて聞こえた。


愛車のホンダNSXへ乗り込んだ高倉は完璧にボアアップされたエンジン音に浸っていた。


「いやぁ~、このV6 DOHC VTECのエンジはいつ聞いても心地いいなぁ~」


高倉は軽くアクセルを踏み、エンジンを吹かした、回転の上がったエンジンは低音から高音に唸りをあげ変わっていった。


「この吹き上がり、完璧だな、この間、マフラーにバナナを入れられていたからな~どうも調子が悪いと思っていたんだよな~、誰だよ、まったく、でも、スゲー美味かったんだよなぁ~、バナナってみんな同じだと思ってたけど、味が違うんだな~」


高倉は独り言を言い終わると、クラッチをきりギアをローに入れると、アクセルを踏み込んだ。


「お嬢、お待たせしました」


高倉が車から降りると、優華は耳を塞いで立っていた。


「おそーい!」

「いや、エンジンを温めないと、この車はダメなんすよ」

「てか、うるせー車だな、つってー!」

「そんな~、うるせー車だなんて、いい音じゃないっすか」

「だって、うるせーんだもん、(えいっ)」


優華が助手席のドアを蹴飛ばすと、すぐに高倉は庇うように車に近寄った。


「ちょ、ちょっと、お嬢、俺の車、蹴らないで下さいよぉ」


高倉は手で蹴られた部分を撫でている。


「ったく、お嬢、悪いけど後ろにはシートがないんで、助手席に乗ってもらいますよ」

「ふーん、ねぇ、健さん、後ろのシート買うお金が無かったの?(可哀想にねぇ~、えぃ!キック)」


高倉は身を挺して車を優華の蹴りから守ろうとしたが、優華の蹴りはバンパーに的中した。


「(あっ、また、蹴った、もう、止めてくれ~)確かに、俺はお金は無いですけど・・」

「まっ、しゃ~ない、前の方が景色がよく見えるし」


車高の低い車に頭を屈めながら乗り込んだ。


「よいしょっと、せめぇー車だな~つってー」


深い座席のバケットシートでスカートの裾が捲れ上がり、色白な太ももが露わになっていた。


「やっぱ、ちょっと、短すぎたかな、よいしょっと、まぁ、いいや」


優華は捲り上がったスカートの裾を引っ張り整えた。


「お嬢、出発してもいいっすか?」


高倉は四点式のシートベルトを手早く掛けると横目で優華を見た。


「あの、お嬢、シートベルトを」

「なに?」

「ベルトですよ」


優華はシートから垂れ下がっているシートベルトを取り上げた。


「これ?縛られるの嫌だ、邪魔!(ポィ)」


そのまま、ベルトを後ろに放り投げた。


「まぁ~いいか」


高倉は頭を軽く掻くとハンドルを握り返した。


「びゅーんと行って」

「はい、はい、びゅーんとですね、それじゃ、高速を使って行きますか」

「うん、なんでもいいから、びぁーんって行くの」

「今度は、びぁーんですか」

「ううん、違うよ、びゅーんって」

「それじゃ、びゅーんと」

「違うの、びぁーんと行くの」

「それじゃ、びゅーんとびぁーんでどうだ!」

「そう!レッツゴー!出発~!」

「それじゃ、行きますよ~」


高倉はギアをローに入れると、アクセルを踏み込んだ、エンジンの爆音と同時にタイヤが地面と擦れ車は一気に加速した。

優華の身体は後ろに引き寄せられ、頭がバケットシートにぶつかって跳ね返った。


「わっ、いてっ」


高倉は優華がぶつけた頭を撫でている様子を横目に見た。


「お嬢、大丈夫っすか?(だからベルトしろって言ったのに)」

「平気、平気、楽し~い、もっと、もっと、スピード出してよ!」


車は高速道路に入るとさらにスピードを増し、エンジン音が車内に響いた。

優華は前を走る車にあっという間に追いつき、追い抜いていく様子を食い入るように見ていた。


「えーい、みんな抜いちゃえー!、なんだ、あの車、おっせー車だな、つってー!」


優華は一頻り見終えると、シートにもたれ掛かり高倉の方を見た。


「ねぇ、健さん」

「何ですか」


高倉はアクセルを少し緩めると横目で優華を見た。


「なんで、レーサー、辞めちゃったの?」

「なんでって、俺も、もう、歳だからさぁ~」

「ふぅ~ん、そうなの」


優華はスカートの裾を整えた。


「それに、最後の方は成績も悪かったし、続けて行く自信もなくて」

「うちがスポンサーを降りたからじゃないの?」

「違いますよ、俺がもう引退させてくれと言ったから」

「そう、それなら良いけど・・・」


高倉はギアを落した、エンジンの回転が上がり車はゆっくり減速した。


「俺がレースで大クラッシュしたの憶えてます?」

「うん、まぁ、なんとなく・・・」

「まだ、お嬢が小学生だったからな、そうかぁ、俺、あの時から、次は死ぬんじゃないかと思うようになってしまったんですよ」


優華は黙ったまま、流れる景色を見ていた。


「そうなっちゃうと、どうしても、攻めきれなくて、やっぱり、プロは常に死ぬつもりでレースに望まないと、良い成績なんて出ないから・・」


優華は高倉の方を向いた。


「死ぬのって、健さんでも怖いの?」

「それは、俺だって怖いっすよ、お嬢も死ぬのは怖いでしょ」

「ううん、怖くないよ、だって、死んだら楽になるんでしょ」

「そうか・・楽になるか・・・」


高倉は缶コーヒーを一口飲んだ。


「私はいつ死んでもいいと思っているんだ、だって悲しむ人なんていないし」

「そんな事はないっすよ、少なくとも俺は悲しいっすよ」

「わがままな娘の相手をしなくて済むと思えば嬉しいでしょ」

「お嬢、それは、マジでないっすよ」


優華は俯いた。


「私は死ぬよりひとりぼっちの方が怖いの」


高倉はアクセルを緩めた。


「なるほど、俺、お嬢の言いたい事、よく分かりますよ」


優華は高倉の言葉を聞いて、顔を上げ高倉を見た。


「ほんと、分かるの、私の気持ち」

「昔は俺も同じ気持ちだったからさ」

「でも、健さん、昔、暴走族だったんでしょ」

「暴走族か~そうですね~あれは気晴らしっていうか、独りになりたくなかったからでしょうね」


高倉はギアをトップに入れると、アクセルを踏みんだ、エンジン音が高らかに響き、車の再び抜き去っていった。


「いいな、健さんは、なんか自由で」

「そうっすか、俺は好き放題、バカをやってきただけですけどね」

「健さんが羨ましい」

「えっ、そうっすか、俺はお嬢の方が羨ましいですよ、お金持ちで、何でも好きなもの買ってもらえるし、俺の家なんか貧乏だったから、何にも買ってもらえなかったですよ」

「何でも買ってもらえる・・か・・・ねぇ、それって、そんなに羨ましい事なの」

「そうじゃないんすか?だって、欲しい物が何でも手に入るって嬉しいじゃないっすか」


優華は下を向いてスカートの裾をいじった。


「私は、嬉しくないよ・・・私が欲しいものなんて一つも手に入らないんだもん」

「そんな、お嬢の欲しい物ってなんなんすか?ジェット機とか、プライベートビーチとかすか?」

「バカ」

「バカって、それじゃ、何が欲しいんすか?」

「わかんない、でも、物じゃないの」

「なるほどね、お金では買えないものが欲しいのか」

「そう」

「それは、お嬢が頑張らないと手に入らないな」

「ねぇ、健さん、私はどうすればいいの、教えて」

「それは、教えられないよ」

「そう・・だよね」


優華が制服からハンカチを取り出すと目に当てた。


「お、お嬢、お、俺、別に、その、意地悪とか、じゃなくて、さ」

「うん、分かっている」

「だ、だから、さ、そ、その」

「なに?」

「泣かないでくれよぉ~」

「なに、言ってるの?泣いてないけど」

「だって、お嬢だって、それ」


高倉は優華が手にしているハンカチを指さした。


「はぁ~、私が泣くわけないじゃん、コンタクトを直してただけだよ!ば~か!」


優華の拳が高倉の腕にヒットした。


「痛っ、何するんすか」

「腕パ~ンチ」

「えっ、何で?」

「そういう気分だから」


高倉は頭を傾げた。


「お嬢、今日、お迎えの時間は」

「そうね~流れがあるから、適当な時間に来てちょうだい」

「適当と言われても」

「だから、私が帰りたくなった時に迎えに来ればいいのよ」

「そうですね、わかりました」


高倉は校門の手前まで来ると、ハザードランプを点灯させ車を路肩に寄せた。


「どしたの?こんな変な所で駐めないでよ」

「お嬢、いつものリムジンじゃないんで、学校の中に入れない雰囲気が漂っているんですよ」


守衛達の耳を襲う威圧的なエンジン音に厳戒態勢が引かれていた。


「何が、別にいいじゃん」

「お嬢、あれ、見えます?」

「守衛さんでしょ、それがどうしたの?」

「いつもより、多いですよね」

「それは、私が久しぶりに学校に来たから歓迎してくれているんじゃない」

「お嬢、本当にそう見えますか?」

「うん、そう見える、だから、早く、出してよ、ここで停まっていても仕方ないでしょ」


学校中の守衛が車に向かって駆け寄ってきている光景がフロントガラス越しに見えている。


「いや、まずいっすよ、守衛がマジで、こっちを睨んでますよ」

「だから何よ、いいから、健さん、この窓、どうやって開けるの、ボタンがないよ」

「あっ、窓、そこのレバーをグルグル回せば開きますよ」

「これっ、を、回すの?」

「そう、グルグルって」

「わかんない、何、グルグルって」

「だから、こうやって」


高倉は優華に覆い被さりレバーを回した。


「ちょ、ちょっと、何すんのよ、エッチ、運転席のボタンで開かないの」

「開くならそうしますよ」


車を取り囲んだ守衛達はガラス越しに見える光景に唖然としている中、開いた窓から優華は頭を出した。


「おはよう、守衛さん、どうしたの?」


守衛達は全員敬礼した。


「お、お嬢様、お、おはようございます、き、今日はいつものお車でなかったのもで、大変失礼しました!」

「今日は気分的に車を変えたの、この車で学校に入っていいでしょ」


守衛達はしどろもどろになっている。


「そ、それは、も、もちろんで、ございます」

「ほら、健さん、大丈夫だったでしょ」

「そ、そうですね」


守衛達は耳を塞ぎながら、学校の中にある車留めまで誘導した、その光景を学校中の生徒達が教室の窓から見守っていた。


「お嬢、騒ぎになっているみたいですね」


高倉は手の汗をズボンで拭った。


「なにが?ねぇ、健さん、水、ちょうだい」

「水っすか、これじゃ、ダメですか」


高倉は飲みかけの缶コーヒーを差し出した。


「それ、飲みかけじゃん」

「だって、これしかないっすよ、いつもの車じゃないんすから」

「しゃーねーな」


優華は鞄から取り出した水色の錠剤を口に含むと、コーヒーを一気に飲み干した。


「お嬢、まだ、病気が治ってないんすか」

「あっ、これ?違うよ、これを飲むと元気になるんだよ」

「そうなんすか、俺にもそれ下さいよ、最近、元気が無くて」


高倉が股間に目線を移した瞬間、左腕に激痛が走った、優華の右拳が高倉の腕を捉えていた。


「バカじゃないの」


高倉は返す言葉もなく左腕を擦りながら車を走らせ、校舎の玄関で車を駐めた。

すぐにエンジンを切ると、車を降り助手席のドアを開けた。


「ピョン、健さん、どうもね~」


学校の生徒達は見慣れない車に遠目に見ている。


「お嬢」

「な~に」

「あの・・・お迎えはリムジンで良いですよね・・・」

「うん、いいよ、もう、うるせー車は飽きたから」

「そうっすか、良かった~」


高倉は胸を撫で下ろした。


「俺の車、そんなに、うるせーかな?そうかなぁ~?C32B型 3.2L V6 DOHC VTEC(改)のエンジン音の良さが分からないかな~」

「なにを独りでブツブツ言ってるの!私、行くからね」

「は、はい、お嬢、行ってらっしゃい」


高倉は優華に手を振りながら、車内を見ると学校の鞄がシートの上に載ったままだった。


「あっ、お嬢、忘れ物っす!、カバン、学校のカバン、忘れてますよ!」


何事かと集まった生徒達の注目をよそに、優華は両手を振って悠然と歩いていた。


「あっ、そうか、何か足りないような気がしたんだ、エヘヘッ」


舌を出して、ほっぺに指でたこ焼きみたいのを作ってポーズを付けた。

高倉は優華のポーズに疑問を感じつつ鞄を手渡した。


「サンキュー!」

「お嬢、さっきのって、何か意味があるんですか?」

「これ?」


優華は同じポーズを取った。


「そう、今朝、同じ事を上岡のおっさんもしてたから・・・」

「意味なんてないよ、可愛いでしょ、キャハ」


優華は頬を膨らませると、少し舌を出してポーズを取った。


「あ、あっ、それじゃ、俺、この辺で、戻りますから」


高倉は女子高生の一斉注目に耐えきれずにそそくさと逃げ帰った。

優華は広い校舎の中をキョロキョロを見渡していた。


「あれ~?教室ってどこだったけな~、てか、この学校は広すぎるんだよ」


優華はキョロキョロを廻りを見渡した。


「あっ、丁度良いのがいた」


優華の方へ歩いてくる男性に声を掛けた。


「あの~私の教室、どこだっけ?知らない?」

「教室?が、どこ?って、あの、朝香さん、忘れちゃったんですか?」

「忘れちゃったから聞いているんでしょ、使えない奴だな~つって~!」

「あの、私・・もでしょうか?」

「はぁ~?そんなのどうでも良いからさぁ、私の教室がどこか聞いてんの!」


男は戸惑っている様子だった。


「朝香さん、あの・・・担任の」

「担任?そうだっけ?」


優華は頸を傾げた。


「う~ん、確かに・・・見たこともあるような?ないような?」

「朝香さん、本当に忘れちゃったんですかぁ」

「あっ、思い出した!」

「ホント!」

「えっと、ハゲ、じゃなくて、えっと~何だけな~えっと~ハゲ田、ハゲ村、ハゲ山・・・山・・・月・・ハゲ月」

「あの、朝香さん、もう、いいですよ、なんで、ハゲなの?」

「分かった!、ハゲ月、じゃなくて、望月だ!でしょ!」

「そうだけど・・・その思い出し方って」


担任の望月は肩を落とした。


「そう?それじゃ、教室まで案内してよ!私、方向音痴なんだよね~」

「それじゃ、私のあとに付いてきてくださいね」

「よろ~」


担任の望月は肩をガックリ下げながら教室へ優華を案内した。


「ここだよ」

「なるほどね、確かに、サンキュ~、どうもね~」

「それじゃ、私は職員会議があるから」


担任の望月は来た廊下を戻って行った、優華は一呼吸してから教室のドアを開けた。

クラスメイト達は優華の姿を見ると一斉に騒ぎ始めた。


「ねぇ、あれ、彼氏の車なの?」


優華はクラス全員にあっという間に取り囲まれた。


「彼氏って、暴走族なの?それとも、ヤクザ?」


クラスメイト達は少し危険な香りがする高倉に興味津々で優華に質問を投げかけた。


「ゆうちゃん、風邪は治ったの?」

「ねぇ、ゆうちゃん、彼氏は何歳なの?、どこで、知り合ったの?」


優華は取り囲むクラスメイトをかき分け教壇に立った。


「はーい!皆さん聞いてください~!」


教壇の優華に注目が集まった。


「えーと、質問に答えます!まず、あの人は彼氏ではありません、てか、あんなアホとは付き合いません!」

「えー、うそだー!うそだー!」

「うそじゃありません、ただの運転手です」

「運転手さんなら、あんな暴走族が乗るみたいな車で、学校に来ないじゃん」

「族車じゃないよ、あれ、運転手の自家用車」

「どうして、運転手さんの自家用車で来たの?」

「そういう気分だったからと、速いから」


さらにクラス中がガヤガヤと騒ぎ始める、その時、担任がドアを開け入ってきた。


「皆さん~席に座ってさ~い!」


優華は息を一つ吐いた。


「あの・・朝香さんも、その・・席に着いてもらえますか」

「あれ?席、どこだっけ?」

「ゆうちゃん、ここだよ~!」

「あっ、そうだ、思い出した、サンキュー、けっけ」


優華が席に着くと、幼稚部から一緒だった京子が心配そうな顔で優華を見た。


「もう、病気は大丈夫なの?」

「うん、もう、治ったよ」

「それならいいけど、なんか、無理しているみたいだったから」

「なにが?無理なんてしてないよ」

「だって、今日、ゆうちゃんらしくないよ」

「そうかな~」

「それと・・スカート短くない?」

「えっ、そんなに短いかな~?でも、この位の方が、可愛いと思わない」

「うん、まぁ、ゆうちゃんは脚が細いし長いから、似合ってるけど、やっぱり、ゆうちゃんらしくないというか・・・」

「私らしくないって、今の私、変かな」

「変っていうか・・・いつものゆうちゃんじゃないような」

「私って、いつもどんな感じだっけ?」

「そ、それは、えっと、う~ん、どんな感じって言われても・・・」

「まぁ、細かいことは気にしない、ワカチコワカチコ~!」

「ふふふっ、ゆうちゃん、面白い」

「でしょ、でしょ」


教室が静まりかえる中、二人はお構いなしに盛り上がっていた、見かねた教員が優華に恐る恐る話し掛けた。


「あの~、朝香さん、授業を始めても・・・」

「どうぞ、始めれば」


教員は教壇に戻り、教科書を開いた。


「はい!、それでは、授業を始めます、教科書56ページから・・・」


優華は教科書すら机に出さずに頬杖をつき窓の外を眺めていた。


「はぁ~、教室に入る時は、少し緊張したけれど、クラスのみんなが私が学校へ来たことを喜んでくれているように思えた?かな?まぁ、とにかく何をしてても楽しいしから、良かった、良かった」


教員は優華の方をチラチラと見ながら、注意しようかしまいか迷いながら授業を進めていた。


「そうだ!」


優華の声にクラス中が注目した。


「今日のランチは何にしようかな~フレンチ?う~ん中華?たまに和食もいいね~」


腕組みをしながら思案していると、机に両手を着いた。


「そうだ、メニュー見てこよ~っと」

椅子から急に立ち出だすと、スキップをしながら、教室の外に出て行ってしまった。

クラス全員が唖然とした、授業を始めたばかりの教員は呆気にとられながらも、ドアを開け廊下を見ると、廊下をスキップしている優華の姿があった。


「あ、あの、お嬢さん、あの、どちらへ、行かれるのでしょうか~ぁ?あの、授業中なんですけどぉ~」


教員の声がむなしく廊下にこだましている。

そんな、教員の声などまったく気にせず、というか、聞こえてない優華はカフェテリアの前で、ランチメニューを見ながら一人で呟いていた。


「うんと、何々、フレンチのメインはフォアグラか~、美味しいんだけど、カロリーが高いからな~、そんで、中華は何だって、フカヒレかぁ~う~ん、デザートがイマイチだな~」


優華の様子をしばらく眺めていたが全く気がつかない。


「朝香さん、ここで何をしているのかな?」

「あっ、禿げ、じゃなくて、校長せんせー、今日のランチメニューなんかイマイチじゃない?」

「あのね~ランチはまだでしょ、授業はどうしたのかな?」

「そんなね~授業どころじゃないのよ、久々に学校に来たのよ、ランチが気になるでしょ、それにね、私にとって、ランチはとても重要なのよ、分かっているでしょ」


校長が頸を傾げていると優華は校長に迫った。


「何しろ、私に足りないのは、ランチの時間なの、この重要性は授業なんてどうでも良いレベルなの、分かるでしょ、私から、ランチを抜いたら何も残らないのよ」


優華の勢いに校長は押されていった。


「でも、まだ、お昼には、早いよね、まだ、一時間目の授業中だからね、早く、教室に戻らないと、先生が困っているから」

「早いってね、こういう事は準備をしておいて、準備をし過ぎたって事はないのよ、分かるでしょ」

「いや、だから・・授業を・・」


優華は校長の話を全く聞いていない様子で、ランチメニューを見ながら腕組みをしていた。


「ねぇ、禿げはどれが良いと思う?和食、中華、フレンチってあるじゃん」


優華はメニューを一つ一つ指さしながら、校長の方を見た。


「あの、お嬢さん、今、完全に校長の私に向かって禿げって言ったよね」

「ルルルン、ルンルン~ねぇ、どれにすんのよ」

「まぁ、私はいつも和食を食べてますが・・・」

「そうかぁ~、やっぱ、年寄りは和食かぁ~、うん、確かに、ヘルシーなんだよね、うん~と、お刺身に煮付けかぁ~デザートは抹茶アイス、うん、無難な線だね、ただね~今日の私の気分的には、ちょっと無難過ぎて、物足りない部分があるんだよね~」


優華は腕組みをみながら頷いた。


「あの、だから、あの、お嬢さん、教室に戻って欲しいんだけど・・・それと、年寄りって、私の事ですか」

「う~ん、なんか、考えるの疲れた、うん、そん時の流れだな、疲れたからコーチィーでも飲みに行くか」

「禿げ、カフェはどっちだっけ?」

「あっち、だけど・・・いや、そうじゃなくて、また、禿げって言ったでしょ」

「あんがと~」

「は、どうも、じゃなくて、コラッ!待ちなさい!」


校長の声がむなしく響く中、優華の姿はすでに小さくなっていた。


「朝香さん、って、あんなに破天荒な子でしたっけ?スカートも短いような・・・ね、教頭」

「はぁ~理事長の娘さんには我々雇われ人は逆らえませんよ、校長」

「そうですな、教頭」


校長と教頭は顔を見合わせ肩を落とした。


「そう言えば、教頭はいつからここに」

「さっきから、居ましたけど・・・」

「それは、気づきませんでした、それで、教頭は、何を食べます」

「和食にしたい所ですが・・今日はフレンチで」

「もたれますよ」

「それでは、和食で」

「我々は、無難が一番ですよ」

「そのようで」

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