~第5章~新薬~
~第5章~新薬~
増成と看護師二人は優華の部屋を出て廊下を歩いていた。
「増成先生」
上岡の声に増成は立ち止まり振り返った。
「おっ、上岡、今、そっちへ行こう思っていたところだ」
増成の横にいた看護師の松下が上岡に会釈をした。
「松下師長、今日はありがとう御座いました」
「いいえ、そんな、お嬢様の体調が回復されて、本当に良かったですね」
「ええ、本当に助かりました」
松下の後輩看護師は、物珍しそうにキョロキョロと廊下に置かれた絵画や彫刻などを見ていた。
「水城っ!」
「は、はいっ!」
「キョロキョロしてないで、上岡さんに挨拶しなさい」
看護師の水城は慌てて上岡のところに走ってきた。
「はじめまして~!水城ありさで~す、あの、一応、ナースで~す」
「ここで秘書をしています、上岡です、今日はお疲れ様でした」
「はい、今日は疲れました」
松下が呆れた顔をしているところで、上岡は水城の足元から舐めるように見上げてから、松下に言った。
「松下師長、この子は新人さん?」
「水城は、新人じゃないわよ、もう、3年目よ、まったく、落ち着きがなくて、困っているのよ」
「そう、3年目なの、いや、脚が細くて、スタイルが良くて、それに可愛い顔をしているね、ねっ、ちみ」
水城はそう言われて、自分の顔を指さしながら言った。
「わ、私?そ、そんな~、まぁ、そう、みんなに言れます、なんて、てへっ」
水城の無邪気な笑顔に上岡は好色な顔をしている。
「ははっ、やっぱり、若い子はいいね~」
「もう、上岡さんは若い子を見るとすぐに鼻の下伸ばして、まったく」
「いや、松下師長にもなかなかですよ、成熟されたこのボデーライン、これは、若い子には出せませんからね~」
上岡は手で身体のラインを象っていると、松下は気恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている。
「上岡さん、もう、いい加減にしてくだい!」
「きゃははっ、先輩、顔が真っ赤になってる」
水城はお腹を抱えて笑っている。「水城!コラッ!なにを笑ってるの!」
「ごめんちゃい」
怒られた水城は小っちゃくなって頭を搔いている。
「ほら、もう、病院に戻りますよ」
「はーい、先輩」
「上岡さん、それでは、私達は病院へ戻りますから、失礼します」
「失礼しまーす」
看護師が居なくなると、上岡はすぐに優華の病状について尋ねた。
「それで、先生、お嬢様の頭痛は治るのですか、学校へ行けそうですか?」
増成は落ち着いた声で答えた。
「その件だがな、少し込み入った話になる、時間はまだ大丈夫か?」
「ええ、今日は大丈夫です」
「そうか、それじゃ、お前の部屋で話そう」
「わかりました」
上岡と増成は廊下を歩き、秘書室へ向かった。
秘書室の重厚なドアを閉めると、上岡はすぐに話しを切り出した。
「お嬢様は、どう」
増成は上岡の言葉を遮った。
「まぁ、そんなに、急かすなよ」
増成は秘書室の革張りのソファーに深々と座り上岡の顔を見た。
「まぁ、まずは、大事に至らなくて良かったな」
「それは、先生のお陰です、助かりました」
上岡は増成に頭を下げると、デスクの椅子にゆっくりと座った。
「お嬢様が突然、意識を無くされたので、本当に焦りましたよ、原因はなんですか?先生」
「原因ね」
増成は口元に手を当てながら、考えているようだった。
「それが、原因がハッキリとしないんだ」
「先生、ちょっと、それは困りますよ、原因がハッキリしなのであれば、治療法も分からないのでは、お嬢様にいつまでも学校を休まれると、私が困るんですよ、先生、なんとかしてくださいよ」
「まぁ、そうだろうな」
増成はソファーから身体を起こし、テーブルに頰杖をつくと、一呼吸、間を置いてから話し始めた。
「お前、あの娘が城東女子を受験しないで不登校になった記事をもみ消したそうだな」
上岡は顔色を変え勢いよく椅子から立ち上がると増成に迫った。
「せ、先生!どうして、その事を知っているのですかっ!」
増成は上岡の慌てる様子を見て確信を得たのか、意味深な笑みを浮かべていた。
「お前のその慌てようだと、娘の話は本当のようだな」
「お嬢様に・・・聞かれていたなんて・・・」
上岡は物憂げな顔で俯いている。
「その事で、お前に迷惑を掛けていると思っている」
「えっ、お嬢様がそんな風に・・・迷惑だなんて、それが私の仕事なのに・・・」
「お前はそう思っていても、あの娘は自分が学校へ行けない事がストレスになっているみたいだな」
「そうですか・・・でも、お嬢様はなぜ学校へ行けないのでしょうか?」
「学校の事を考えると頭痛と吐き気がするらしい、おそらく精神的に不安定なんだろうな」
「何か良い方法はあるのですか」
増成はソファーから起き上がると、テーブルに両肘を付き指を組んで口元に寄せた、
「あれを使ってみようと思う」
「あれ?って」
「新薬だよ、新薬をあの娘に試してみようと思う」
「ま、まさか、だって、あれは、まだ、認可が下りてない薬です、そ、そんな薬をお嬢様に飲ませるなんて、私には出来ませんよ」
「上岡、大丈夫だ心配はいらない、それに、認可は時間の問題だろう、それに試験薬をもう製造しているのだろう」
「そ、それで、先程、私に新薬の事を聞かれたんですね」
「まぁな、臨床試験も問題なし、そして、試験薬が製造されている、それでなんの問題があるんだ、少し早く使うだけじゃないか」
「しかし、あの新薬には強い依存性がある事を先生が一番ご存じですよね、そんな薬をお嬢様に渡せませんよ」
増成はゆっくりと立ち上がり上岡の背後に回り込むと上岡の両肩に手を置き諭すように話した。
「上岡、あの薬には副作用がないんだよ、例え、その薬に依存性があっても問題はないだろう」
「ですが、先生、未承認の薬を使うなんて」
「承認されるのは時間の問題なんだろ、その為に、大金をばらまいてあるんだろ」
上岡は後ろを向き増成に食い下がった。
「ですから、それは、強い依存性を隠蔽するために」
「そうだろ、俺がその事を黙っていられればいいがな」
「先生、私を脅すつもりですか!」
「上岡、落ち着けよ、俺たちはそうやってお互い様でやってきたんだろ」
「先生、それと、これとは・・・」
上岡は途中で言葉を飲み、両手で顔を覆い俯いた。
「上岡、そう心配するな、依存性には個人差がある、あの娘にも症状が治まったら、飲むのを止める様に言ってある、だから、依存症にはならんよ」
「しかし、先生、それは、可能性として少ないだけで」
増成はなかなか納得しない上岡に業を煮やした。
「上岡、あの娘を学校へ行かせたいんだろう」
「そ、それは、そうですが、しかし」
「下手な薬を飲ませるより安全なんだよ、あの新薬は効き目も早い、そう思わないか、上岡」
上岡は頭を抱えたまま、しばらく黙っていた。
しびれを切らした増成は強い口調で上岡を追い込んでいった。
「上岡、考えることはないだろ、あの娘を学校に行かせたければ、新薬を使うしかないんだよ」
「分かりました、それでは、新薬を手に入れるには・・・」
「よし、それじゃ、俺が新薬の処方箋を後で書いておく、権藤に俺が指示したと言えば、今日中に用意してくれるだろう」
「分かりました」
「上岡、なんだ、その腐った顔は、大丈夫だ、医者の俺が太鼓判を押している薬なんだぞ、心配するな」
「は、はい、でも、本当に大丈夫なのでしょうか?」
「問題ない、俺が保証する」
増成は白衣の袖を軽く捲ると腕時計を見た。
「おっと、医局長会議があったんだっけな」
「先生、車を玄関に廻してあります」
「上岡、いつも悪いな」
「ええ、それが仕事ですから」
上岡はさっと秘書室のドアを開けた、増成はニヤッと不敵な笑みを見せ部屋を出て行った。
「新薬か・・・」
秘書室に戻った上岡はデスクに座ると、一呼吸おいてから受話器を取りダイヤルした。
『朝香フィナンシャルの上岡です、権藤代表に繋いで下さい』
受話器から保留音が流れている、まもなく、製薬会社代表の権藤が電話口に出た。
『増成教授のご指示で、ええ、そうです、それで、あの新薬を少し分けてもらえませんか?』
増成の名前を出すと発売前の門外不出である、新薬が簡単に手に入る事になった。
『ありがとうございます』
上岡は静かに受話器を置くと、天井を見上げため息をついた。
「しかし、お嬢様に未認可の新薬を使うなんて、先生は何を考えているんだろう」
上岡は優華の様子を見に部屋を訪れた。
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
「また、心配を掛けてごめんなさい、もう、平気」
「いいえ、私はお嬢様の心配をするのが仕事ですから」
上岡の白い歯がこぼれた。
「ありがとう、私も早く学校に行けるようにならないと」
「あまり、ご無理をなさらないように」
「でも、私、これ以上、迷惑・・」
上岡は穏やかな口調で言った。
「週刊誌の件、先生から聞きました」
優華は後ろめたそうな顔をした。
「私のせいで・・ごめんな」
上岡は優華の言葉を遮った。
「いいえ、そんな事は、気にしないでください、それも、私の仕事ですから、お嬢様に聞かれてしまったのは私の不注意でした、逆に、ご心労になってしまった様で、申し訳ありません」
「ママの写真を探している時に、偶然聞いちゃったの、ごめんなさい」
「そうでしたか、お母様のお写真を・・・それで、先程、私に聞かれたのですか」
「どうして、一枚もないのかな」
「それは、申し訳ありません、私には、お答えする事が・・・」
「そうよね・・・」
上岡は優華の沈痛な面持ちにやり切れない思いがした。
「あの、お嬢様、これから先生の所に行って薬をもらって来ます」
「ありがとう、私、早く元に戻りたい」
「そうですね、私もお嬢様の元気なお姿を見たいです」
「ありがとう、私・・」
「もう、それ以上言わないで下さい」
優華が静かに瞼を閉じると、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「夜には戻ります」
上岡は静かにそう言うと、ドアの方へ歩いて行った。
「お嬢、俺です!」
突然、勢いよくドアが開き、上岡は仰け反った。
「お前、危ないじゃないか」
「おう、上岡さん、こんなところに、居たのですか」
高倉は上岡に言い捨てるように言うと、優華の所に駆け寄った。
「お嬢!死ぬなよ!」
上岡はスーツを整えながら高倉に言った。
「おい、高倉、お嬢様に縁起でも無いことを言うな、まったく、今、お嬢様は体調を戻されて、お休みされているんだ、相変わらずお前の声は耳に障るな」
「上岡さん、お嬢が倒れたって聞いたから、俺、心配で、飛ばして来たんですよ」
「ばーか」
「おっ、お嬢、なんだよ、俺、心配したんだぜ」
「どこをほっつき歩いていたのよ」
「そんな、ほっつき歩いていたなんて、仕事をしていたんですよ、仕事」
「嘘っぽい」
「嘘じゃないですよ、それに、今から病院にお嬢の薬を取りに行くんですよね」
高倉は上岡を見た。
「あー、そう、だけど・・あの、吉田さんは居ないのか」
「吉田のじじい、今日は腰が痛いとか言って休みなんですよ」
「それじゃ、お前しか居ないのか」
「そうよ、だから、迎えに来たのに、いねーから、探していたんだよ」
「そうか、それじゃ、私の車で行ってくるよ」
「なんだよ、早く言ってくれよ、俺、急いで戻ってきたのに」
二人のやり取りを見て、優華がクスクスと笑っている。
「お嬢、なにが可笑しいんですか」
「上岡さんは、あんたの車には乗りたくないんだよ」
「なんで」
「決まっているでしょ、運転が荒いから」
「そ、そんな事はないっすよね」
高倉が上岡を見ると、上岡が頷いていた。
「だって、そんな、上岡さん、俺、運転下手じゃないでしょ」
「いや、今日は、私の車で行ってくるから、高倉くんは、ここで待機していてくれ」
「そ、そうですか・・・それなら、それで、別に、俺は良いですけど・・」
高倉は不満そうな顔をして歯切れの悪い返事をした。
「ねぇ、健さん」
「なんすか、お嬢」
「アイス食べたい、買ってきて」
「アイスっすか?俺、ぱしりじゃないんだから、アイスなんて、ここの馬鹿でかい冷凍庫のどっかにあるんじゃなの」
「ゆうはパピコが食べたいの、ここのは、味がしつこいから今は食べたくないの、買ってきて、どうせ、暇なんでしょ」
「わかったよ、仕方ねえな、買ってくるよ、味は?」
「白いやつ」
「ホワイトサワーな」
「へぇー、白いのって、ホワイトサワーって言うんだ、健さん、良く知っているね」
「俺も、好きだからよ」
「ふふっ、健さんとパピコ、合わない」
「合うとか合わないで食べるものじゃないだろう、そんじゃ、買ってくるよ」
高倉は頭を掻きながら部屋から出て行った。
「お嬢様、パピコって何ですか?お好きなようなら、常備するように言っておきますが」
「上岡さん、真面目過ぎ、健さんを少し見習えば、たまに食べたくなるだけだから、自分で買ってくる」
「そうですか、いや、私はあの運転手のような横暴な人間にはなれません、お嬢様もよくあの男をお許しになっていると・・」
「健さんはいい人だよ、バカだけど面白いし、上岡さんは健さんの事を嫌いなの?」
「嫌いもなにも、ただの運転手ですから」
「それじゃ、どうして、今日、健さんの車に乗らないの」
上岡は上着からハンカチを出して額の汗を拭った。
「いや、今日は、その、別に、たまには運転しても、良いかと・・」
「運転が荒いからじゃなくて」
「そ、それも、ありますね、はい」
「やっぱり、嫌いなんだ、あのじじいの車なら乗るでしょ」
「いや、まぁ、そうかもしれませんが・・・」
上岡は額の汗を拭うと、スーツの袖を捲り腕時計を見た。
「あっ、こんな時間、急いで行かないと、お嬢様、夕方までには戻ってまいります」
上岡は急ぎ足でドアを開け廊下に出た。
「山岡さん、まだ、こんな所にいたの、早く行かないと、病院の薬局が閉まっちゃうよ」
「高倉くん、それが、パピコという物か」
「そうだよ、これがそんなに珍しいか」
「どこで売っているんだ」
「どこでって、この家の前のコンビ二でも売っているよ、そんな事も知らないのかよ」
「パピコと言うんだな」
上岡は手帳にメモをしている。
「これ、メモするようなものか、早くしないと溶けちゃうから」
高倉は優華の部屋に入って行った。
「お嬢、買ってきたよ」
「健さん、早いっ」
「おう、アイスはスピードが重要なんだよ、もたもたしていると、溶けちゃうからな、一緒に食おうぜ」
「うん、冷た~い」
上岡は開けっ放しのドアをそっと閉めた。
「少し早いが、薬を取りに行くか」
上岡は自分の車で、製薬会社の製造工場へ向かった。
新薬の詳細は上岡も知らなかった。
新薬は他の向精神薬より副作用が劇的に少ない事が売りだった、しかし、高い依存性がある事が課題となっていて認可が下りなかった。
その課題となっていた依存性は増成の論文により大半は隠蔽され、製薬会社から莫大な金が増成に動いた。
その事実が外部へ流出するのを防ぐために、朝香フィナンシャルが買収した製薬会社を使って製造し、朝香フィナンシャルにも莫大なバックマネーが入ってくる事になっていた。
しかし、薬を飲み続けた場合の臨床結果は隠蔽され、その副作用は誰にも分からなかった。
「お嬢様に万が一の事があった時は、私はどうすればいいのか」
上岡は手に入れた新薬を箱から出し、別の紙袋に数日分を入れ、残りは秘書室の金庫に入れた。