~第3章~変化~
~第3章~変化~
私の父親は有名な財界人だった。
父親は朝香フィナンシャルグループの代表として色々な事業を展開し、いくつものグループ企業の取締役を務めるだけでなく、政界にも強力なパイプを持ていて、政治にも強い影響力を与えていた。
そんな家に生まれた私は小さい頃から、周りの大人達に「お嬢様」と称美され育ち、何一つ苦労することなく裕福な生活をしていた。
取り巻きの大人達は父親に気に入られようと、私のわがままは何でも聞いてくれた。
私が遊園地や動物園へ行きたいと言えば、私のために一日貸切にしてくれて、乗り物は並ばなくても乗り放題だし、動物園に行った時は特別にパンダに触らせてくれた。
洋服は有名デザイナーがオーダーメイドで作ってくれて、私が気に入るまで何度も作り直してくれた。とにかく私が『欲しい』と言えばどんな物でも手に入った。
誕生日は自宅でパーティーが開かれ、友達だけでなく、有名人や政界や財界から大勢の人がお祝いに来てくれた。
大人の人はみんな知らない人ばかりだったけど、みんなが「お嬢様、お誕生日おめでとう!」と、プレゼントをくれた。
毎年数え切れない程のプレゼントを貰い、毎年プレゼントで部屋が埋め尽くされていた。
常に部屋には、可愛いお人形、ぬいぐるみやおもちゃがいっぱいあって、遊びきれない程だったけど、それでも、新しいのが欲しいと言えば、翌日には家に届けられた。
学校は父親が理事をしている朝香学園へ通い、送迎は私専用のリムジン、クラスメイトも会社の代表や重役の子どもや孫などの令嬢ばかりだった。
でも、私はその中でも朝香フィナンシャルの令嬢として、学校内でも特別に扱われて、クラスのみんなは私を羨ましがっていた。
私は幼稚部から初等部に入学し、中等部へ進んだ、友達もいっぱいいて、本当に毎日が楽しかった。
全ての事が私の思い通りになった、それが当たり前だった。
でも、贅沢が当たり前になってきて、何でも、欲しい物が簡単に手に入ってしまうと、段々と私が本当に欲しい物、私が望んでいる物が、分からなくなってきていた。
そして、私の存在価値、誰の為に生きているのか、私は何をするために生きているのか、そんな事を考え始めるように様になってきていた。
私は、父親の名声のお陰で、お嬢様とちやほやされているだけの何もない人間なのかもしれない。
そんな事を考えながら、私は中等部2年の冬、自分の将来を考えた。
父親がしている事業は継ぎたくないと思った。
父親が実際にどんな仕事をしているのか、まったく分からなかった、だた、父親の影で困っている人達が大勢いるような気がした。
会社が潰れそうだと、大人の人が泣きながら父親に頼んでいる姿を何度も見た事があった。
うちには、お金がいっぱいあるんだから、困っている人がいれば、助けてあげればいいのにと思っていた。
そんな困っている人に対して私の父親は、容赦なくつき返してその後、秘書達と笑っている父親を何度も見てきた。
確かに、私がわがまま放題していられるのも、父親のおかげなのはわかっていたけれど、そんな父親の仕事は好きにはなれなかった。
だから私は将来、困っている人達を助けてあげられるような事がしたいと思い、自分で考えて進路を決めた。
今のまま、高等部へ進学するなら面接だけで良かった、それも形だけで、理事の娘を面接で落とす訳がなかった。
だから、自分で選んだ高校へ進学する事にした。
「東城女子大学付属高等学校」
今の私の学力では、到底合格出来ない名門校、でも、大学には医学部があり、高校から医学の授業があり、医師を目指す人が多い高校だった。
でも、私は医師になりたいという気持ちよりも、目標を高くして私自身に試練を与えたかった。
今まで何も苦労しないで過ごしてきた私が、どれだけ頑張れるのか、自分自身を試したかった。
だから、学校に合格するかどうかはあまり関係なかった、最後に頑張った自分がそこにあれば良かった、それが、私の存在価値になり、私が本当に手に入れたい物ではないかと思った。
もちろん、医師を目指したのには理由はあった。
小さい頃、あまり身体が丈夫でなかった私に、いつも主治医の増成先生は私にやさしくしてくれた。
私は父親に構って貰えなかった分、先生に甘えてわがままもいっぱい言っていたけど、先生だけは私のわがままに、時には怒ったり、時には一緒に楽しんだりしてくれた。
自分の父親が先生だったら良かったのにと何度も思った事があった。
そんな先生に憧れて、私も病気で困っている人を助けて、そして、病気を治すだけでなくて、人にも優しく出来る先生になれたらいいなと思って学校を選んだ。
自分で考えて、父親の力でなく、自分の力で何かを手に入れたいという気持ちと、目標をもって生きることで、今、私が生きている価値、意味を見出したかった。
受験する東城女子大学付属高等学校は最難関校、とにかく結果はどうでも、頑張れるだけ頑張ってみようと毎日勉強した、時々辛い時もあったけど、自分で選んだ道に進むんだ、と思うと頑張る事が出来たし、目標を持つことの喜びの方が辛さよりも大きかった。
始めは全然ダメだった模試も段々と合格圏内に入ってきて、自分が頑張れば結果も付いてくるのだと、それがとても嬉しくてたまらなかった。
今まで、何でも欲しい物は手に入ったけれど、その嬉しさとは全く違う嬉しさがあった。
これが、自分の力で手に入れる事の喜びなのかもしれないと、頑張れば頑張る程その嬉しさが増していくようなそんな思いで、毎日、毎日、夜遅くまで勉強をした、秘書に頼んで、専属の家庭教師も呼んでもらった。
目標を持つ事、それに向かって頑張る事、それが、私が生きている意味であり、存在価値なのだと、そして、苦労して手に入れた物が、私の自信になり糧になっていくのだということを実感した。
結果はどうであれ、頑張った事を私は私に褒めてあげようと思った。
そして、何もかも順調に進み、受験日の1週間前、部屋で受験勉強のまとめをしていた。
「お嬢様、上岡です、ちょっと、いいですか?」
部屋のドアの向こうで声がした、父親の秘書をしている上岡の声だった。
上岡は父親が忙しくて私を構ってくれない分、小さい頃から私の面倒を見てくれている、父親代わりのような人だった。
「どうぞ!」
こんな夜中だというのに、いつものように折れ目ひとつない、きりっとしたスーツに、きっちりと髪を整え、どこかに出かけるような格好をしているが、秘書はそういう仕事なんですよと上岡さんは言っていた。
24時間いつでも、どんな事が起こっても対処できるように、備えておくのが秘書の仕事らしい、大変な仕事なんだと感心してはいるが、最近、ちょっと、私に馴れ馴れしいのが気に食わなかった。
「お嬢様、お勉強は順調ですか?」
「ええ、完璧よ、私、絶対に合格するんだから!(ちょ、ちょっと、顔が近いって!)」
私の意気込みに、上岡さんは少し驚いた様な表情を浮かばせたが、すぐに、いつものクールな表情へ戻っていった。
「そうですか、それは良かった、でも、念には念を入れておいた方が、よろしいかと思いましてね」
「もちろんよ、油断は禁物、私は、最後まで手は抜かないつもりよ」
「そうですか、さすがですね、お嬢様、お父様と同じで、詰めの一手まで、手を抜かないと」
「そうよ、絶対に合格するんだから(てか、何しに来たの?)」
「ええ、詰めの一手は、とても大切ですからね、たいていの凡人はそこで手を抜くから、結果、足元を掬われて失敗するんですよ、フフッ」
秘書の上岡は不気味な笑みをこぼした。
「(だからなんなの?私、忙しいのよ)上岡さん、それで、用事は?」
「あっ、すみません、余計な話をしてしまいました、用事は、これです」
持っていた書類封筒を机に置いた。
「なにこれ?」
「お父様が、お嬢様には、東城女子に是非、合格して欲しいと、仰っておられましたよ」
「えっ、そんな事、本当に言ってたの、だって、反対してたじゃない」
「そう言っても、お父様は、お嬢様の事を心配されているんですよ、何しろ、東城女子は、超難関校ですからね」
「私も、そう言われると、合格出来るか不安だけど、でも、結果はどうあれ、私は、やるだけの事はやったんだから、それでいいのよ、それで、これ、なんですか」
机の上に置いてある書類封筒を手にして、封をしている紐を解いた。
「それは、お父様からのプレゼントですよ、お嬢様、詰めの一手はこれで決まりでしょうね」
私は封筒の中身を取り出した。
「さすがのお父様も、これを手に入れるのは、相当苦労したみたいですよ、いやね、私も正直、驚きましたよ・・・まさかね・・・こんなものまで」
秘書の上岡が話している声が途切れ途切れにしか、私の耳に入らなくなっていった。
私はその現実から目を反らせたかった。
中にはコピーされた受験科目の問題用紙が入っている、私はそれが、志望校の試験問題である事に、気がつくには時間はいらなかった。
さらに、今、私が手にしているのは、過去の試験問題ではなく、私が1週間後にしか目にすることが出来ないはずの試験問題が目の前にあった。
手が小刻みに震えた、そして、今まで感じたことのない怒りが、身体の中から込み上げ、手にてしていた試験問題を握り潰していた。
力の入った手は大きく震え、込み上げた行き場のない怒りが言葉となって出て行った。
「ふざけないでよ!こんな事、誰が頼んだの!ねぇ、聞いてるの!ねぇ、私を馬鹿にしてるの!どうせ、合格なんて出来やしないって!私は、私は、自分の力で合格するって言ったでしょ、どうして、こんな余計な事をするよ!どうしてよっ!」
握り締めていた試験用紙を真っ二つに切り裂き、秘書に向かって投げつけた。
常に冷静な上岡が私の予想外の行動に、戸惑った表情を浮かべ、投げつけられた試験用紙を呆然と見ているだけだった。
「お嬢様、これは・・・」
瞳から溢れ出した涙が頬を伝わり、机に広げてあったノートにぎっしりと書かれた文字を滲ませていった。
確かに、誰だって志望校に合格したい思っている。
でも、私はそれだけじゃないの。
私は頑張ったねって自分を褒めたかった・・・。
「これじゃ、私は頑張っても頑張らなくても一緒じゃない!」
机の上のノートを秘書に投げつけた。
「お、お嬢様、どうなされたのですか、これがあれば、合格は間違いないのですよ」
「うるさい!黙ってよ!もう、用事が済んだんでしょう、もう、出て行ってよ、もう、二度と部屋に入ってこないで!」
「でも、城東女子に・・・」
「うるさい!出ていて!」
秘書の上岡は床の落ちた試験問題を拾い集めていた。
「早く、出て行ってよ、こんなの、不正入学じゃない、私は自分の力で合格したかったの、こんなのいらない!」
秘書が机の上に置いた試験問題を手で払いのけた。
「だから、いらないって言っているでしょ、そんなもの、持って帰ってよ、早く、部屋から出て行ってよ」
「お嬢さま・・・分かりました」
上岡は黙って部屋を出て行った。
一人になると、怒りが悔しさ、悲しさに変わっていき、虚しさに変わっていった。
机の上にあるノートも、参考書を全て破り部屋中に投げ捨てた。
今まで積み上げてきた物が、音を立て崩れ去っていった、やり場の無い虚しさが身体の中から込み上げてくる。
「どうして、私の気持ち、分かってくれないの、私が、こんなの貰って喜ぶと思ったの」
床に真っ二つに切り裂かれた問題用紙、そこに印刷された「東城女子大学付属高等学校 問題用紙」の文字が滲んで見える。
「あーっ!なんで、どうして、こんな物が、ここにあるのよ!私は、こ、こんな物、欲しいなんて、言った!言ってないでしょ、もう、余計なことしないでよ」
泣き叫びながら問題用紙を何度も何度も引き裂いた。
「そうよ、今の私の学力で合格するかどうか分からない、でも、こんな不正をして合格しても少しも嬉しくない、私は、不合格でも構わないの、誰からも褒められな くてもいいの、自分で自分を褒めたかった。
『よく、頑張ったね』って、だから、だから、今日まで頑張ってこれたの、それを、どうして、分かってもらえな いの、だから、こんな、こんな物、いらないって言っているでしょ」
粉々 に破き捨てられ床に散乱したただの紙切れになった問題用紙、その上に零れ落ちていく涙は、悔しい涙、悲しい涙、そして、虚しい涙、溢れ出てくる涙が、紙 切れになった問題用紙を濡らしていく、涙のように全てが私の手の中からこぼれ落ちていく、もう、何もする気が起こらない、何もしたくない、何も考えたくな い。
私は床から力なく立ち上がり、そのままベッドの上で横になった。
「も う、誰とも会いたくない、誰も、私の気持ちなんて、分かってくれないんだ、そうなんだ、私、頑張っても意味がないんだ、何もしない方がいいんだ、うん、そ うか、頑張った私がバカなんだ、もう、何もしなくていいんだ、だた、生きていればいいんだ、うん、そうなんだね、私なんて」
心の中でそう言い聞かせながら、自分を落ち着かせようとしていたが、深い寂寥感に落ちていった。
翌日、目が覚めても何もしたくない、ほかの高校も受験する気にはなれなかった。
その翌日も、一日中、部屋の窓から寒々とした景色をただ眺めていた。
その翌日も・・・何もしないまま、日にちだけが過ぎていった。
部屋に閉じこもったまま出てこない私を心配して、秘書が何度か部屋へ来たけれど話すことはなかった。
でも、上岡さんが悪い訳ではないことは分かっていた。
父親がどんな手を使って試験問題を手に入れたか分からないけれど、どちらにしてもお金をばら撒いて手に入れたに違いない。
私が試験問題なんて貰って嬉しがると思ったの?
私は何もしなくてもいいの、父親の言うとおりにしていれば、苦労をすることはないのだから。
心の中には、空しさだけが残っている。
部屋で一人、時間だけが過ぎていった・・・。
入試試験の日、その日も私は部屋の中にいた。
受検しなくても、そのまま、中等部から高等部へスライド出来る。
試験は後日の面接だけ、それも形だけの面接、、ただ、そこに居ればいい、居なくても、私は理事の娘だから、不合格になるはずがない。
何も考えなくてもいい、考えるだけ無駄だから。
高等部に入ってからも、何もする気が起こらなかった。
勉強もしたくない、ずっと続けていたクラブ活動のバスケットも辞めた、友達との会話すらも嫌になって、独りでいる方が気楽で良かった。
友達が心配して私に話し掛けてくれるけれど、その優しさが私には苦痛だった。
世の中の全ての事が、つまらなく感じて、面倒になって、何もかもが信じられなくなっていた。
夜は、眠れない日が続いた、目をつぶると不安な気持ちがいっぱいになり、自分がこのままどうにかなってしまうのではないかと怖くなった。
睡眠薬を貰って飲んでも、眠れない日もあった、そんな日が続いいていった。
自分の中では、しっかりしないといけないって、いつまでもこんなんじゃダメなんだって、どうしてだろう、分かっているのに出来ない。
「誰か、私を助けて!」
そう叫びたくても、助けて欲しいのに、言えない・・・私。
「しっかりしなくちゃ、いつまでも、殻に閉じこもってても仕方ないの」
そして、ある朝。
学校の制服に着替えようとした時、私は身体に異変を感じた。
激しい吐き気と頭痛・・・制服のブラウスを着たくても、手の震えでボタンが留められない。
「く・・苦しい、痛い・・」
吐き気と頭痛がより激しくなっていった、私はそのまま床に倒れ込んだ。
その日は、学校を休んだ、しばらくすると吐き気も頭痛も治まった。
でも、翌日も同じだった、学校の制服を見るだけで、吐き気と頭痛がして制服に着替えられなかった。
「私、どうしちゃったの」
壁に掛けてあった学校の制服をクローゼットの奥にいれ、目に付かないようにした。
「私、学校にも行かれなくなっちゃった」
どうしたら良いのかも分からないまま、部屋のベッドで横になったまま、一日、一日が終わっていく。
不安な気持ちがいっぱいになり、自分自身が嫌になっていく、全てを終わりにしてしまいたくなる。
そして、私も終わりにしたい。
机の引き出しにあった睡眠薬を全て手のひらに載せた。
「これで、楽になれるのかな」
私が目を閉じると、優しい声が聞こえた。
「だれ?」