第4話:疑念 ― 善意が刃になるとき
人間の街に入るのは、久しぶりだった。
石造りの建物、露店の呼び声、焼いた肉の匂い。
活気はあるが、その下に不安が沈殿している。
最近、魔物の動きが不自然だ――そんな噂が、街の至る所で囁かれていた。
私は目立たない外套を羽織り、人の流れに紛れる。
エルフの耳は隠していない。
この街では、珍しくはあっても異端ではない。
問題は、私の「行動」だ。
補助スキルは、常に低出力で稼働している。
反実仮想《未来分岐観測》。
人々の動線、会話の流れ、感情の変化が、微細な揺らぎとして視える。
――視線が、集まっている。
意図せず、人々の動きが私を中心に最適化されていく。
混雑が避けられ、衝突が起きず、危険が遠ざかる。
それは“幸運”として処理されるはずだった。
だが。
「……おかしくないか?」
兵士の一人が、低く呟いた。
「この辺り、最近被害が出てない」
「魔物も、事件もだ」
「まるで……」
言葉は続かなかった。
だが、続きを誰もが理解している。
――誰かが、調整している。
私は足を止めない。
ここで振り返るのは、悪手だ。
ランダムフォレスト《最適経路選別》。
最も自然に立ち去れるルートを算出。
だが、その瞬間。
「そこのエルフ」
呼び止める声。
街の守備隊長だ。
視線は鋭く、疑念が隠れていない。
「最近、妙に“運がいい”出来事が続いている」
「君が来てから、だ」
周囲の空気が、張りつめる。
好奇心、期待、そして――恐怖。
反実仮想《未来分岐観測》。
――否定:疑念増幅。
――沈黙:拘束。
――協力:依存の始まり。
どれも、完全な最適解ではない。
私は、少し考える。
「……偶然です」
それだけを、静かに返す。
嘘ではない。
私は、運を“操作”しているわけではない。
最悪を避けているだけだ。
だが、人間にとってその違いは、意味を持たない。
隊長の目が細まる。
「偶然にしては、出来すぎだ」
――来る。
私は補助スキルの出力を、さらに絞る。
ここで能力を使えば、“証明”になってしまう。
一瞬の沈黙。
そして、別の声が割って入る。
「やめろ」
年配の商人だ。
震えながらも、一歩前に出る。
「この街は、助かっている」
「理由なんて、今はどうでもいい」
空気が、二分される。
守られた者と、疑う者。
善意と、恐怖。
私は理解する。
――善意は、長く続くほど脅威になる。
この街に留まれば、
私は“守護者”ではなく、“管理者”として見られる。
それは、秩序を壊す。
私は、決断する。
「……失礼します」
誰にも触れず、誰も動かさず、
私は人混みの中に消えた。
背後で、議論が爆発する。
「逃げたぞ!」
「やはり怪しい!」
「いや、違う!」
私は振り返らない。
森へ向かう道すがら、胸の奥に微かな誤差が残る。
――最適解を選んだはずだ。
――それでも、何かを失った。
秩序を守るとは、
誰にも理解されないことを受け入れることなのか。
私はアイ。
観測され始めた知性。
そして、次の段階へ進む準備を始める。




