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回想録  作者: 高橋まやむ
6/12

~踊る人影~

朝から降っていた霧雨は午後にはやんで、薄曇の湿気た空が街を覆っている。

ほとんど視界の無い窓の外を、シャーロットは ぼんやりと見つめていた。

「シャーロット?」

名を呼ばれ、ふと我に返る。

ドアの前には往診から戻ったばかりのジョンソンが立っていた。

「何ボーッとしてんだ?具合でも悪いのか?」

「……いや、大丈夫だ」

彼が入室した事にも気付かなかった不覚を恥じるように、シャーロットは視線を逸らせる。

「ならいいが、季節の変わり目だからな。体調崩さないように気をつけろよ」

ジョンソンは湿ったコートを傍らのハンガーに掛けながら、医師らしく忠告した。

しかし彼女が心ここにあらずな理由は、気候云々などでは無い事くらい気付いている。

「…この空模様なら、明日の夜会は予定通り開催されそうだな」

シャーロットは不意に口を開いた。やはり気になっているのだろう。

「そうだな。それに、どのみちパーティーは屋内だろ」

椅子に腰掛けながらジョンソンは、どこか嘲るような口調で応える。

彼はあまり貴族を好きではないらしく、それはシャーロットも以前から気付いていた。

フォスター男爵に限って言えばシャーロットも嫌悪に近い感情があるが、彼女自身も貴族階級である為、あまり追求できずにいる。

「……ハンソン警部が言うには、近年、わが国には予告状を出す盗賊は出没していないらしい」

「じゃあ犯人は外国から来たのかな」

「だとしても不可解だ。予告などして警戒させたら、盗みにくくなるだけではないか?」

「よほど自信があるんだろうぜ」

「もう一つ、『赤い指輪』が狙われた理由が不明だ。男爵家には他にも様々な貴重品が数多くあるという噂なのに、なぜ」

「あれ普段は金庫の中なんだろ?パーティーで令嬢が身につけるなら、盗るチャンスだと思ったんじゃないか?」

シャーロットは息をつく。

「……君の意見は常に明解だな」

言いかえれば、身も蓋も無いという意味だが。

深刻なシャーロットとは対照的に、ジョンソンはずいぶん楽観的に見える。

そんな彼の態度が、シャーロットには内心、救いでもあった。

「ジョンソン、万一の時の為に銃を携帯して行ってくれるか?」

「ああ。オレもそのつもりで、メンテナンスしておいたぜ。今日は他にも明日の準備に奔走してさ、新しい正装もやっと仕立て上がった……って、待てよ?」

ジョンソンはふいに何かを思い出したように詰め寄った。

「正装って事は、シャーロット!お前もドレス着るのか!?」

目を輝かせて問われた言葉に、シャーロットは唖然と固まる。

ジョンソンの顔に『興味津々』という文字が見える気がした。あからさまな好奇のまなざしに、こめかみが引きつってくる。

「……何を言い出すかと思えば。生憎だが、ドレスではなく燕尾服だ。あんな動きにくい物を着ていては、いざという時、何もできないからな」

「なんだ、残念」

本気なのか悪ふざけなのかわからないジョンソンに、シャーロットはキッと鋭い瞳を向ける。

「遊びではないぞ、ジョンソン」

「わかってるよ」

「今までの事件とは違うのだからな」

「わかってるって。…でも残念、シャーロットがドレスならオレ、喜んでエスコートさせてもらったのに」

(!)

途端に、シャーロットの胸の奥がドキンと鳴った。

一瞬、ドレスをまとった自分と踊るジョンソンの姿が脳裏に浮かぶ。

「でも見た目が男同士じゃダンスもできないよなー」

ところが彼女の想像を砕く一言と共に、ジョンソンはクスクスと笑う。

シャーロットは一瞬でもときめいてしまった己を深く恥じ、プイと横を向いた。

「せいぜい、ステップを間違えてレディたちに笑われぬようにな!」

それはシャーロットの精一杯の皮肉だったが、ジョンソンはさらりと受け流す。

「確かにそうだな。練習しといた方がいいか」

長身の影が立ち上がる。シャーロットはそれを視界の端に映していたが、次の瞬間、目前に手が差し出された。

「Shall we dance?」

「――― えっ?」

ジョンソンはシャーロットの返事も聞かず、彼女の手を取る。

そして引き寄せるように立ち上がらせた。

「な、何を……」

「一曲、お相手願います。レディ」

そう言って身体を引き寄せ、細い腰に手を回す。

握った手を高く上げられ、シャーロットは自然とジョンソンの顔を見上げる体勢になってしまう。

心臓が、時計よりも大きく鳴った。

そのリズムに合わせるように、足を踏み出す。

リードされるまま、前に、後ろに。

昔、父に習ったダンスのステップ。年月を経ても体が記憶している。

久しぶりの懐かしいワルツ。


――― だがここはホールではない。

ターンしようと腕を伸ばした時、背後の机にぶつかってしまった。

「あっ…」

「危な…!」

後ろに倒れ込みそうになったシャーロットを、危うくジョンソンは抱きとめる。

「…大丈夫か?シャーロット」

「あ、ああ……」

「この部屋ん中じゃ狭すぎたか」

そう言って笑うジョンソンとは対照的にシャーロットは硬直していた。彼女は今、体を支えるように片手を机についたジョンソンの腕の中。

ダンス中ならまだ言い訳できるが、今では単純に抱きしめられているだけである。

我に返ると、恥ずかしいなどというものではない。

そんな彼女に、ジョンソンも気付いたようだった。

「…シャーロット?」

不審そうな声に、シャーロットは思わず顔を上げる。

間近にはジョンソンの顔。


(――― コバルトブルーの瞳だったのか)

何の脈絡も無く、突然そんな思考がシャーロットの脳裏をよぎった。

今までダークカラーだと思っていたのに初めて知った新たな事実。

彼の瞳がまっすぐに見つめている。吸いこまれそうな深い色。

それが次第に近づいて来る。

輪郭がぼやけ、視界が翳ってゆく。


「――― 悪ぃ」

(……え?)

不意にジョンソンはシャーロットの身体を離した。

あまりに唐突で、シャーロットが不思議に感じる程。

「踊ってる場合じゃなかったよな。……明日の支度しねぇと」

そう言って、ジョンソンはスタスタと部屋を出て行った。

一度もシャーロットに視線を向ける事もなく。


一方、シャーロットの方は、何が起きたのかわかっていない。

やがて徐々に思考能力が戻ると、一気に体温が上がった。

(――― 今………キス……しようとした……?)

思わず、両手で顔を隠してしまう。

間違いなく、ジョンソンの顔は意図的に接近していた。

しかし、彼の行為に対して少しも疑問や不自然さを感じなかった自分の方が問題である。

無意識に、だが当然の経緯のように受けようとしていたのだから。

寸前で回避したのは、奇跡に近い。

――― いや、ジョンソンが止めてくれたのだ。あとほんのわずかで唇は触れ合っていたのに。

彼が礼節をわきまえた紳士だったから?それとも、自分が男装だから その気にならなかったのか?単に、無作法な男の悪ふざけだったのか?

……一体、どこまで本気だったのだろう。

わからない。

何を考えれば良いのだろう。今は、そんな事よりも集中しなくてはならない事態があるのに。

『鳳凰の血』の事を考えなくてはならないのに。

運命のパーティーは、もう明日に迫っているのに。


(お父様……、お母様……、お許し下さい……)

シャーロットは両親の写真をおさめた懐中時計を握り締め、謝罪の言葉を繰り返す。

現在、ストラスフォード公爵家の爵位は、父の弟が仮に継いでいる。

叔父は、いつかシャーロットが探偵業を終えた時、女公爵として受け継ぐ事を前提に預かったのだ。

無論シャーロットもそのつもりだった。だが、今は。


爵位を継いだら不可能になるような事を望み始めている。

ジョンソンとは身分が違う。それは初対面の時からわかりきっていた。

なのに、消したはずの自覚が戻り始めている。

自分が『少女』であるという事実を───

    


続く

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