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届かなかった名前を、今、呼ぶ  作者: 朧月 華


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第60話 裸の心:エースの重荷と光の共感

火曜日の午後、駅前のカフェの窓際に座る私の視線は、通りを行き交う人々の影にちらつく光を追っていた。カフェの中は程よい喧騒があり、誰かの笑い声やカップが置かれる音が柔らかく混ざり合っている。そのすべてが、今日の私たちの空間を守るバリアのように感じられた。


私は、自分の姿を鏡越しに確認する。肩にかかるブラウンのコートを脱ぎ、柔らかいベージュのワンピースに包まれた自分。髪は軽く巻かれ、口紅は控えめだが唇に温かみを与える色。胸の奥にある戦意を隠すことなく、外見だけでも自信を纏う。


Lineでの約束どおり、彼は現れるはず。けれど、心のどこかで私は、あの時のカフェの喧騒の中で見せた彼の眼差しを思い出していた。学園祭の日、私が公然と光を放ったことで、初めて彼の支配の揺らぎを感じた。その瞬間の、わずかに焦った表情と抑えきれない嫉妬。それを、私はまだ忘れられない。


「……来た。」


少し遅れて現れた彼は、制服の上着を肩に掛け、背筋を伸ばして歩いてきた。野球部の練習で疲れているはずなのに、その歩き方には緊張が混ざっていた。目が合った瞬間、私は彼の顔に浮かぶ微かな疲労と不安を、見逃さずに感じ取った。


「遅れてごめん」

彼の声は普段よりも低く、どこか迷いがあった。私は、席の向かいに彼を招き入れた。カフェの外の光が、窓越しに彼の顔を柔らかく照らす。


「大丈夫。ここなら、誰も邪魔しないよ」

私は微笑む。言葉に力はなくとも、視線と微かな手のジェスチャーで、今日のこの空間は私たちだけのものだと伝える。


彼はため息をつき、椅子に深く腰かける。その仕草から、普段の自信に満ちたエースの顔が少しずつ剥がれていくのが分かる。私はその剥がれ落ちる部分を、初めて間近で見ることになるのだった。


「遥……学園祭、すごかったな。お前、変わったな」

彼の言葉には褒め言葉が含まれている。けれど、同時に、その背後にある焦りと迷いも隠せてはいなかった。


「変わった、というか……自分のやり方で動いただけ」

私は静かに答える。公の場では輝くことを学んだが、今日は私的な光を差し向ける時。彼の心に、私の存在を強く意識させる準備でもあった。


彼は目を伏せ、掌で額を軽く押さえる。野球部でのプレッシャー、コーチからの無言の期待、将来への不安……そのすべてが彼の表情に現れていた。


「正直……集中できてないんだ。練習も、試合も、なんか上の空で。俺、本当にプロになりたいのか、自分でも分からなくなる」

その告白に、私の心は瞬時に緊張した。しかし、同時に冷静さを保つこともできた。これまでの七年間、彼の光に飲み込まれていた私が、今は彼の影に触れる立場にいる。


「翔……そう思うのは当然だよ。だって、あなたは自分だけで背負いすぎてる」

私は、静かに、しかし確実に彼の目を見つめる。彼の心の揺らぎを理解するのに、言葉は必要ない。私は共感を示すことで、彼の心の隙間に入り込む。


「俺……どうしてこんなに苦しいんだろう」

彼は少し震える声で呟く。私は手を伸ばし、無理に握らず、ただ隣に置いた。掌が触れる距離だけで、十分に安心を与えられる。


「翔……私は、あなたの迷いを責めたりしない。だから、安心して」

私の言葉は、彼の疲れた肩にそっと届くように、穏やかで知性的な響きを持たせる。彼はその声に、初めて自分の弱さを曝け出せると感じたのだろう。目を閉じ、短く息をつく。


「遥……君の隣にいると、心が楽になる」

その一言に、私は静かに胸を打たれた。七年間、手に入れられなかった彼の心の一部を、今、私は手にしている。光で支配するのではなく、共感で受け止めることで、精神的な主導権を確立した瞬間だ。


「もう、無理じゃない」

その言葉は、私の口から自然に漏れた。以前の自己鼓舞ではなく、今は彼の心に届く、愛の言葉としての呟き。私は、彼の支配を拒否した。しかし、今は彼の弱さに触れることで、より深い領域の支配を手に入れた。


カフェの外には夕暮れの光が差し込む。窓に映る二人の姿は、誰にも邪魔されず、交錯する光と影で包まれていた。私はその光景を静かに受け止める。彼の心の重荷を共有し、彼が誰にも見せない心を曝け出すことを許された。それが、私にとって最も価値のある勝利だった。


「遥……ありがとう」

彼の言葉には、疲労だけでなく、初めて私に依存してもいいという安心感が滲んでいた。私は微笑むだけで答える。これ以上の言葉は、必要ない。


今日、私は確信した。私は彼の夜の影ではない。昼の光の中で、彼の心を照らす存在となった。孤独な光であっても、それは誰にも奪えない。彼の弱さを知ることで、私は、彼を愛する最も深い場所に立ったのだ。


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