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届かなかった名前を、今、呼ぶ  作者: 朧月 華


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第59話 誘いの主導権 ― 光の中の再会

星野翔からのLINEが届いたのは、夜の十一時を少し過ぎたころだった。


『おまえ、明日の昼空いてる? ちょっと話したい。』


 短くて、そっけない文面。

 でも、その「ちょっと」という言葉の裏には、焦燥が滲んでいた。

 夜のグラウンドで、監督の怒声を浴びていたという噂を聞いたばかりだったから、余計にそれがわかった。


 私はそのメッセージを開いたまま、返信せずにスマホを伏せた。

 画面の光が消えると、部屋の空気が少しだけ冷たくなったように感じる。


 ――待たせる。


 そう決めた瞬間、心のどこかが静かに笑った。

 彼の世界では、いつも“彼”が声をかけ、“私”が応じる。それが当然のルールだった。

 でも今は違う。

 この一行の沈黙が、私たちの新しいルールになる。


 翌朝、私は何事もなかったかのようにキャンパスへ向かった。

 秋の風が、銀杏並木を揺らしていた。

 美奈がカフェテリアで手を振っていたので、トレーを持って向かう。


「昨日のレポート、提出した?」

「うん。ギリギリね」

 そんな他愛のない会話を交わしながら、私はスマホを机の端に置いた。

 翔からの未読のLINEが、そこに静かに光っている。


 美奈はそれに気づいたらしく、眉を上げた。

「……星野くん?」

「うん。昨日、連絡来た。でもまだ返してない」

「へぇ……珍しいね。昔のあんたなら、すぐに既読つけてたでしょ」


 私は笑って、ストローを回した。

「今回は、私の番なの。待たせるのが」

 美奈の目がわずかに輝いた。

「それでこそ私の生徒ね」

 彼女は冗談めかして言いながら、コーヒーを一口飲んだ。


 その瞬間、私は確信した。

 ――この沈黙そのものが、支配の鎖を断ち切る音だったのだ。


 午後の講義が終わるころ、スマホを開いた。

 翔からのメッセージはそのまま。既読すらつけていない。

 私は深呼吸をして、ようやく指を動かした。


『ごめん、今はちょっと忙しい。』


 それだけを送って、一度スマホを閉じた。

 たったそれだけの言葉なのに、胸の奥に熱が灯る。

 彼を待たせる静かな時間が、私にとっての最も甘い報復だった。


 夜になって、再びスマホを開く。

 翔からは、すぐに既読がついている。返信はない。

 私はベッドに腰を下ろし、指を再び動かした。


『でも、来週の火曜なら空いてる。〇〇駅前のカフェで話そう。私も、あなたに聞きたいことがあるから。』


 送信ボタンを押したあと、しばらく心臓の音を聞いた。

 この一行が、どんなふうに彼を動かすのか。

 それを思うだけで、静かな快感が広がった。


 “呼び出される”のではなく、“呼び出す”側に立つ。

 その違いが、こんなにも世界の見え方を変えるなんて。


 私はもう、彼の召集に従わない。

 私は、私のスケジュールで彼に会う。


 数分後、返信が来た。


『わかった。』


 その一言の裏に、抑えきれない苛立ちと、認めざるを得ない諦めが混じっていた。

 彼はもう、私を完全に支配することはできない。

 それを理解しながらも、なお“従う”しかない。


 私はスマホを伏せ、深く息を吐いた。

 胸の奥で、静かに何かがほどける音がした。


 翌日、昼休み。

 美奈にその話をした。


「……あの人が『わかった』って? それはつまり、彼のプライドが折れたってことよ」

「そんなに単純じゃないと思うけど……でも、ちょっと気持ちいい」

 美奈は満足そうに頷いた。

「いいの。それで。あんた、ちゃんと“自分の位置”を取り戻したんだから」

 その言葉が、胸に静かに染みた。


 夜、自室の窓から外を見た。

 キャンパスの遠くで、野球部のナイター練習の照明が見える。

 その光の中に、翔がいるのだろう。

 彼の投げるボールは、以前より少しだけ荒れているという。


 私の光が、彼の世界に波紋を広げた。

 でも今度は、その波紋の中心に“私”がいる。


 机の上のメモ帳に、静かに書きつけた。


「支配の連鎖は断ち切られた。

今は、私に主導権がある。」


 書き終えてから、私は小さく笑った。

 “支配される”ことから始まった関係が、今は“駆け引き”に変わっている。

 でも、その駆け引きの中にだけ、本当の私が存在している気がした。


 スマホが震えた。翔からの新しい通知。


『火曜、何時?』


 短く、冷静に見える。でも、その裏には焦燥が隠れている。

 私はわざと、すぐに返信せず、時計を見た。

 午後十一時五分。彼の世界では、もうすぐ日付が変わる。


 私は微笑んで、指をゆっくり動かした。


『午後一時でいい? あなたの予定、私に合わせてね。』


 送信。

 既読がつくまで、三秒。

 返信は――なかった。


 それでいい。

 私の“光”が、彼を揺らしている証だから。


 窓の外の灯りが、夜風に揺れた。

 あの日、彼に支配されたまま泣いていた自分が、もうどこにもいない。

 今ここにいるのは、彼を待たせることを覚えた“私”。


 その静かな勝利が、何よりも甘く、痛かった。


「私は、彼を待たせることで、ようやく彼と対等になれたのだ。」

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