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届かなかった名前を、今、呼ぶ  作者: 朧月 華


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第57話 支配者の動揺:夜のキャンパスの誘い

夜の空気は、昼の喧騒を洗い流したように澄んでいた。

 学園祭が終わって数日。キャンパスは人影もまばらで、風に舞う落ち葉の音がやけに響く。

 その静けさの中、私のスマホが震えた。


 《少し話せる?》

 ――送り主は、星野翔。


 短いメッセージなのに、そこには焦りが滲んでいた。

 打ち消せない動揺と、支配を失った男のざらついた声が透けて見えるようだった。


 私はしばらく画面を見つめた。心臓の奥が、ゆっくりと痛む。

 それでも、返信した。


 《……いいよ。キャンパスの噴水前で。》


 今の私には、逃げる理由がなかった。

 あの夜、私を拒んだのは彼。

 そして学園祭の光の中で、私を再び見つめたのも彼。


 夜の呼び出しは、支配者が失った領域を取り戻すための号令だった。


 キャンパスの噴水は、ライトに照らされて淡く光っていた。

 私はその縁に腰を下ろし、風を受けながら待った。

 遠くから足音が近づいてくる。靴音のリズムだけで、彼だとわかった。


 「……来てくれたんだな。」


 息を少し乱した星野 翔が立っていた。

 普段の落ち着いた表情が崩れ、どこか不安げな目をしている。

 私は微笑んで応えた。


 「どうしたの?こんな時間に。」


 彼は視線を逸らし、少し間を置いてから、低い声で言った。


 「……この前の学園祭、見た。」


 その言葉に、私は小さく笑った。

 「そう。見られてたんだね。」


 「変わったな、遥。」

 星野 翔は、まるで吐き出すように言った。

 「ステージでのあの顔、前の君とは違った。みんなの前で、堂々としてて……正直、驚いた。」


 彼の目が、まっすぐ私を射抜く。

 その奥には、賞賛と苛立ちと、混乱が混ざっていた。


 「でも……なんで、あんなふうに変わった? 誰かに言われたのか?」

 彼の声が、少し強くなった。

 「まさか――悠斗とか?」


 私は静かに息を吐いた。

 「違うよ。私が変わりたかったから、変わったの。」


 その答えに、星野 翔の眉がわずかに動いた。


 「……俺が、あのとき拒んだから?」


 「違う。」

 即答した。

 夜風が頬を撫で、沈黙が二人の間を裂いた。


 私はゆっくりと彼を見つめた。

 「あなたが拒んだことは、私を壊した。でもね、同時に気づかせてくれたの。

  “誰かの影で生きること”が、どれほど自分を失うことなのかを。」


 星野 翔の唇が動く。だが、言葉にならない。

 その代わり、彼は一歩、私の前に進み出た。


 「……目立つのは、もうやめたほうがいい。」

 低く、押し殺した声。

 「お前がああやって笑うと、周りの男どもが……うるさい。」


 私は思わず苦笑した。

 それはまさしく、支配者の言葉だった。

 「それって、私を守りたいから? それとも、私を縛りたいから?」


 「……俺は、お前が誰かの目に触れるのが嫌なんだよ。」

 星野 翔の拳が震えていた。

 「ずっと俺の中にいたくせに、勝手に外に出ていくな。」


 その一言に、胸の奥が痛んだ。

 懐かしい響きだった。高校時代、あの夜の校舎裏で、彼が私の髪を撫でながら言った言葉。

 “お前は俺のものだ。”


 ――でも、今は違う。


 私はそっと息を吸い、彼の目をまっすぐ見つめ返した。


 「翔くん。私はもう、あなたの“夜の影”じゃない。」

 「……は?」

 「私は昼の光の中で、自分の足で立ってる。あなたの許可なんて、いらない。」


 星野 翔の瞳がわずかに揺れる。

 その瞬間、私の胸に奇妙な静けさが広がった。


 「あなたの光を追うのはやめた。私は、私の光であなたを愛する。」

 言葉を吐き出した瞬間、心が震えた。


 星野 翔の顔に、抑えきれない動揺が走る。

 「……それ、どういう意味だよ。」


 「あなたの視線の中でしか生きられない恋は、もういらないってこと。」

 私は静かに答えた。

 「あなたの隣に立つために、私は自分を失いたくない。」


 沈黙が落ちた。

 風が噴水の水面を撫で、細かい波紋を作る。

 星野 翔は拳を握ったまま、何度か呼吸を整えようとした。


 「……お前、強くなったな。」

 その声には、怒りでもなく、哀しみでもなく、どこか諦めに似た響きがあった。


 私は小さく笑った。

 「そう見えるなら、少しは報われるかな。」


 「俺が……お前をそうさせたのか?」


 「そうかもしれない。でも、だからって、もう戻らない。」


 星野 翔は俯き、しばらく何も言わなかった。

 その背中から、支配を失った男の静かな苦しみが伝わってきた。


 ――彼の嫉妬は、私にとって最も甘い毒だ。

 けれど、その毒に酔えば、また私は壊れる。


 帰り際、私は小さく頭を下げた。

 「ありがとう、翔くん。呼んでくれて。」


 彼が顔を上げたとき、街灯の光が彼の横顔を照らした。

 あの頃と同じ優しさが、一瞬だけ戻る。

 けれど、その奥にはもう、私を縛る鎖はなかった。


 「私は誰にも支配されない。私の光は、私のものだ。」


 そう心の中で呟き、背を向けた。

 夜風が髪を揺らす。遠ざかる足音の中で、私は初めて“自由な痛み”を感じていた。


 それは、失恋よりも深く、でも確かに――解放の痛みだった。

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