第55話 影からの招待状:罪悪感の新しい形
大学の廊下を風が抜けた。
教室からこぼれる笑い声、ペンの音、段ボールを運ぶ学生たちの足音。
――もうすぐ学園祭。
その空気の中で、私は息を吸い込み、まぶたの裏に美奈ちゃんの言葉を浮かべた。
> 「光の中で、あなた自身の光をぶつけなさい。」
あの日、彼女に言われたその一言が、私の行動を変えた。
私はもう、影で怯えているだけの私じゃない。
笑顔をつくり、人の前に立ち、声を出す。
“春日遥”という名前を、堂々と人の記憶に刻みつける。
翔くんが見ているかどうかなんて、もう関係ない――そう言い聞かせながらも、
私の心は、いつだって彼の視線を探していた。
実行委員会室。
机の上には未完成のポスター、散らかった資料。
私はペンを手にして、美奈ちゃんと一緒にレイアウトを考えていた。
「ねぇ、遥。あの壁のデザイン、もう少し温かい色を入れてみない?」
「うん、そうだね。人が立ち止まりやすい色の方がいいかも。」
自然に言葉が出て、自分でも少し驚いた。
ここにいる私は、以前よりずっと明るい。
“支配の影”の中ではなく、“挑戦の光”の中にいる。
――けれど、その光の強さに、胸のどこかが痛む。
昼休みの終わり、美奈ちゃんが少し席を外した時、
私はスマホを取り出して、連絡先一覧を眺めた。
「……藤井悠斗」
指が、勝手に動いた。
“光の戦略”の中で、彼の存在は必要だと感じた。
――彼がいれば、私は倒れない。
彼の静けさは、私の光を安定させてくれる。
そう、自分に言い訳しながら、メッセージを送った。
> 『ねぇ、悠斗くん。学園祭の準備、少し手伝ってくれない?
ポスターの搬入とか、力仕事も多くて……』
送信ボタンを押す瞬間、胸の奥が少しだけ冷えた。
それでも、“必要”だと信じた。
放課後、校舎裏のベンチで悠斗くんが待っていた。
手には温かい缶のお茶。
それは、あの日図書館で受け取ったのと同じブランドだった。
「……久しぶりだね。」
私が笑うと、彼はゆっくりと頷いた。
「うん。元気そうで、よかった。」
その声は優しかった。
でも、どこか距離を置いていた。
私は、用意していた言葉を胸の中で整理した。
「ねぇ、悠斗くん。
実行委員でね、力仕事が多くて……もしよかったら、少し手伝ってくれない?」
彼は少しだけ目を伏せた。
その沈黙の時間が、異様に長く感じられた。
「……ごめん、遥。」
顔を上げた彼の目は、いつになく真っ直ぐで、優しさよりも痛みがあった。
「今回は、手伝えそうにない。」
その一言が、胸に刺さった。
「どうして?」
思わず声が震えた。
「忙しいの?」
彼は小さく首を振った。
「違う。……君が、今、何をしようとしてるのか、分かるから。」
その瞬間、息が止まった。
「翔のこと、でしょ。」
名前を出されることが、これほど痛いとは思わなかった。
でも、彼は続けた。
「君が光の中に出ていくことを、俺は止められない。
でも……その光の中に、俺は必要ないと思う。」
「悠斗くん……」
「俺は、君の“避難場所”でいたかっただけ。
戦うための盾には、なれない。」
その声は静かで、あまりにも真っ直ぐだった。
だからこそ、残酷だった。
沈黙が落ちる。
風が二人の間をすり抜けて、落ち葉を転がしていった。
私は、何も言えなかった。
言葉を探そうとするたび、喉の奥が固まる。
――私は、また彼を利用しようとしていた。
“翔くんへの挑戦”という名の炎の前で、
彼の優しさを、冷たい盾のように扱っていた。
悠斗くんの拒絶は、私が放つ光の代償だった。
それは、予想していたはずなのに、痛みは想像以上だった。
彼は立ち上がり、静かに言った。
「遥。……君の笑顔、変わったね。」
「え?」
「前より強くなった。でも、その分、少し寂しそうだ。」
その言葉の意味を理解する前に、彼は背を向けた。
残されたお茶缶が、ベンチの上でゆっくり冷えていく。
私は、その金属の冷たさに指を触れた。
胸の奥に、罪悪感がひろがる。
> 「私は、悠斗くんの安寧を、星野翔への挑戦のために捨てた。」
自分の心の中で、そう呟いた瞬間、
背筋を走る寒気と同時に、どこかで小さな快感を覚えた。
――そう、これが“光”の代償。
安寧を失ってでも、私は翔くんの世界を揺るがせたい。
だけどその夜、鏡の中で笑ってみても、
どんな表情も「勝利」には見えなかった。
喧噪の中に立つほど、孤独は濃くなる。
私の光は、確かに眩しくなった。
けれど、その光が照らす先に、誰もいなかった。
> 「彼は私の挑戦の盾にはならない。
彼の愛は、私を裏切りの痛みから守ってくれない。」
それを痛感した夜、私はもう一度、
美奈ちゃんの言葉を思い出していた。
> 「光は、時に人を壊す。でも、それでも進むの。」
――進むしか、ない。
それが、私の選んだ“孤独な光”の道だから。




