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届かなかった名前を、今、呼ぶ  作者: 朧月 華


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第52話 支配の視線:カフェテリアの境界線

昼休み。

 カフェテリアはいつもよりも騒がしく、グラウンドから戻ってきた野球部の笑い声が波のように広がっていた。

 窓の外には、初夏の光が柔らかく揺れている。

 私のトレーの上のカップスープは、もうすっかり冷めていた。


 ――星野くんがいる。


 視線の先、奥のテーブル。

 部の仲間に囲まれて、彼は笑っていた。

 あの穏やかで少し照れたような笑顔。

 私の知っている、夜の彼とは違う「光の顔」。


 私は、その笑顔を見るだけで、胸の奥が温かくなった。

 彼の隣の空席が、どうしても気になってしまう。

 そこに座って、ただ同じ空気を吸いたい――そんな小さな衝動が、今日だけは止められなかった。


 ここ数日、私たちはほとんど毎晩Lineをしていた。

 朝は「おはよう」、夜は「おやすみ」。

 彼の声が届くたびに、私の世界は柔らかく色づいていった。


 だけど、その「色」はいつも夜にしか現れなかった。

 昼の光の下では、私たちの関係は、まるで存在しないみたいに透き通って消える。


 今日は――少しだけ、それを変えたかった。

 このまま「影」でいるのが怖くなった。


 私は深呼吸をして、立ち上がった。

 膝が震えていた。

 それでも、トレーを持って、彼のテーブルに向かって歩き出した。


 彼が私に気づいたのは、あと数歩というところだった。

 一瞬だけ、彼の笑顔が止まる。

 次の瞬間、仲間たちの視線が私に集まった。


 その中で、彼の目だけが、冷たく沈んでいた。


 「……遥。」


 声は小さく、でも確かに鋭かった。

 その響きに、周囲の笑い声が遠のいていくように感じた。


 私は笑おうとした。

 けれど、唇が震えて、うまく形にならなかった。


「隣、いい?」


 そう言おうとした瞬間――彼の低い声が、それを遮った。


 「今は、やめてくれ。」


 囁きのような、けれど決定的な拒絶だった。

 周囲に聞こえないように抑えた声。

 それなのに、その音だけが、私の全身を貫いた。


 彼の表情は、冷たく見えた。

 でも、ほんの一瞬、その奥に「不安」が見えた気がした。

 焦りと、迷いと、責任の影。


 ――そうだ。

 彼は、チームのエース。

 部の誇りであり、「光」でいなければならない人。


 それを守るために、私を切り離すのだ。

 たとえ、一秒前まで「おやすみ」と囁いた相手でも。


 私は立ち尽くしたまま、どうしていいかわからなかった。

 手の中のスープカップが震え、スプーンが小さく音を立てた。


 その音だけが、妙に大きく響いた。


 「ごめん。後で……話す。」


 彼は短くそう言って、視線をそらした。

 それはまるで、「知らない人」に対する目だった。


 彼の周りの空気が再び動き出し、仲間たちの笑い声が戻ってくる。

 でも私には、もうその世界の音が届かなかった。


 彼の「光」が、私を拒絶するための「支配」になった瞬間だった。

 私は席に戻る途中で、美奈の視線に気づいた。

 彼女は遠くのテーブルから、何も言わずに私を見ていた。

 その目に、哀れみと理解の両方が宿っていた。


 私は何も返せなかった。

 スプーンを握る手の跡が、白く指に残っていた。


 授業が終わる頃になっても、彼からのLineは来なかった。

 夜になっても、スマホは沈黙を続けていた。

 通知音が鳴るたびに、心臓が跳ね、そして落ちる。


 「もう、無理じゃない。」


 あの日、彼が囁いたその言葉。

 私を救った呪文だったはずなのに。


 今は、それが粉々に砕けて足元に散らばっている。


 ――私は、彼の恋人ではない。

 彼の「事業」を邪魔しないための、「秘密」でしかない。


 それを思った瞬間、胸の奥で何かが静かに壊れた。

 冷たく、音もなく、確実に。


 夜の部屋で、私はカーテンの隙間から空を見上げた。

 昼間の太陽が嘘のように、窓の外は深く沈んでいる。

 月の光が、机の上のスマホを照らしていた。


 画面には、まだ何の通知もない。


 ――あの時の彼の目は、光を失い、ただの「警告」だった。


 彼は光の側に戻った。

 私は、影の側に取り残された。


> 「彼の冷たい声が、私的な幸福という名のガラス細工を打ち砕いた。」

> 「曖昧さとは、彼の私への、一方的な支配だった。」

> 「それでも私は、彼を責められない。

>  だって、彼を『光』にしたのは、私の願いだったから。」


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