第49話 独占欲の最終通告:愛の無力
屋上の風は、想像以上に冷たかった。大学の静かな午後、遠くで校舎の鐘が鳴る音がかすかに届く。私は悠斗の前に立ち、手元のバッグをぎゅっと握り締めていた。
悠斗の目は、いつも通りに深く、しかし今はどこか焦燥を帯びている。私の変化——特に星野 翔への関心——を察していることは明らかだった。
「……遥、君の心の中に、僕がいないことは分かっている」
悠斗は、ゆっくりと、言葉を選ぶように話す。その声には理性と切なさが混ざり合っていた。
「でも……君が本当に幸せになれるのは、僕の安定した世界だ」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。安定した世界——それは、私にとっての「冷たい缶コーヒー」のような愛情。安心できる味わいだが、心を燃やす熱ではない。
私は目を逸らさず、悠斗の瞳を見つめる。彼の愛の深さ、誠実さ、そして無力さ——それらすべてを、一瞬で理解した。
——悠斗くんの愛は尊い。だが、冷たく安全な愛では、灼熱の光には勝てない。
思わず指先がバッグの中で震える。胸の奥で、星野 翔のことを考えると、体の芯まで温かくなる。Lineでのやり取り、深夜のやり取り、手に触れることのない熱——それは悠斗の愛では得られない、生きた光だ。
悠斗はゆっくり息をつき、私の手を取ろうとするような仕草を見せたが、私は軽く首を振る。
「悠斗くん……」
言葉が、胸の奥から自然に湧き上がる。悲しさと決意が混ざった声で、私は続ける。
「あなたは、私にとっての永遠の安寧です。でも……私はまだ、安寧を求めていない」
その瞬間、悠斗の瞳にわずかな光が消えるのが見えた。希望の灯が、静かに消え去っていく。胸が痛む。これは、彼を傷つける痛み。だが、これこそが私の選択だ。
——安寧は、私の魂の終着駅ではない。
屋上の風が、私の髪を揺らす。悠斗の顔は、悲しさと理解が入り混じった表情。彼は一言も発せず、ただ深く息をつく。
私の胸の中で、これまでの罪悪感が静かに溶けていく。悠斗への尊敬、感謝、そして愛——それらは消えない。しかし、私は新しい責任を持たなければならない。自分の魂の選択を、全うするために。
「悠斗くん……本当にありがとう」
私はそっと微笑む。それは、感謝の笑みであり、決意の証でもある。
悠斗は小さく頷き、少し遠くを見るように目をそらす。その目の奥には、まだ愛が残っている。しかし、その愛は私の手の届かない場所で静かに消えていく。
——彼の愛は、私を生き返らせた。だが、生き返った魂は、別の未来を求めた。
屋上の空気が、静かに私たちを包む。悠斗の背中を見送りながら、私は心の中で呟く。
「もう、無理じゃない」
この呪文は、もはや星野 翔の存在だけでなく、悠斗との関係の終止符をも示している。私は自分で未来を選んだのだ。
屋上の風が、私の新しい決意を祝福するかのように吹き抜ける。冷たい空気の中で、私は初めて完全に自由だと感じた。愛の無力を知った瞬間、私は自分の魂の力を取り戻した。
——悠斗くん、あなたの優しさの重荷から、今、自分で降りなければならない。
そして、心の奥底で、静かに微笑む。
——私は、もう誰かの影ではない。自分の光で、未来を照らす。




