1.大人の皮を被った子供
子供のような大人。大人のような子供。
「大人」とは何か、その線を誰が引いたのだろう。
公園ではママ友が笑いながら他人を刺し、オフィスではスーツを着た少年たちが競い合う。
知恵と欲を覚えただけの子供が、今日も“社会”を動かしている。
世界は、大人の皮を被った子供で満ちていた。
大人の皮を被った子供たちの世界は、日常のあちこちに広がっている。
スーパーやコンビニで店員に偉そうに口を聞くおじさん、ネット上で見も知らぬ人たちの悪口を書く大人、表ではニコニコ、裏ではグチグチと悪口で盛り上がる大人。
この世界でうまくやる方法を知っている人ほど、醜い大人の姿を目の当たりにしている気がする。
皆、最初は純粋無垢な子供だったはずだ。
それでも醜い争いは起こり、小さなものはそこら中で、大きなものは世界規模で戦争として、毎日毎日起きている。
子供の頃に憧れた大人たちは、こんなものだったのかとため息が出る。
承認欲求、自分の得になるものを手に入れるための見栄。子供よりも大人の方が、強く見栄を張る。
知らない何かにただ惹きつけられ、この世の中の不思議をキラキラした目で見つめていた彼らの面影は、いったいどこへいったのだろう。
「個性を大事に」——
この言葉を大人になって何度も使うようになると、もうダメなのだと思う。
個性という言葉を知らない子供の方が、一人一人の違いを尊重し、純粋に当たり前に面白いと感じている。
東京生まれの斉藤茜、十七歳もまた、そんな世界で目を覚ました。
今日も目覚まし時計の音でぼんやりと起きる。
リビングからは母の足音が聞こえ、弟の大輝の声が遠くから響いてくる。
茜は特に珍しいことのない朝だと思いながらも、どこか違和感を覚えた。
リビングに駆けつけると、母がソファの上で膝を抱え、子供のように泣きじゃくっていた。
「え? お母さん……大丈夫?」
茜が声をかけても見向きもせずに、まるで幼児のように泣き続ける。
隣では四歳の弟・大輝が、まるで大人のような冷静な目でその様子を見つめていた。
父親は出勤時間を過ぎても布団の中でグースカ眠っている。
茜はつきっぱなしのニュース番組に目を向ける。
画面の中では、若い男性ニュースキャスターが震える声で告げる。
「全国各地で、大人たちが子供のように泣き叫ぶ現象が報告されています。原因は不明です……」
ニュース画面の背後では、「帰りたーい!」「ママに会いたいよぉ!」とスタッフと思われる大人たちが泣き喚き、それを別のスタッフたちが必死に宥めている声が交錯していた。
目の前の母の姿も、弟の冷静さも、テレビのニュースも——
すべてが、あまりにも現実離れしていた。
茜は泣き喚く母親の背中をそっとさすりながら、「大丈夫だから」と声をかけた。
少しずつ母の泣き声は落ち着き、「ごめん、ごめん」とつぶやきながらうずくまる。
隣では、大輝が黙々とご飯を食べている。
「大輝の幼稚園はどうするの?」茜が聞くが、母は聞く耳を持たず、ソファで膝を抱えてうずくまった。
仕方なく父の寝室へ駆け寄り、「お父さん、仕事はどうするの?」と声をかけるが、父は「んーんー」と言って布団から起きない。
「これは絶対夢だ……」茜は自分の頬を叩く。痛い。
そんな時、頭を抱える茜の肩を小さな手がトントンと叩く。
「一緒に幼稚園行こう、お姉ちゃん」
茜は驚いた。普段の泣き虫大輝と同一人物だとはとても思えなかった。
「なんでそんな冷静なのー」
「これ、学校とか幼稚園とかの問題じゃないよ!」と茜は答える。
「行くよ! お姉ちゃん! 遅刻しちゃう」
大輝はそう言いながら、靴を履き始めた。
「ちょっと待って!」
茜はご飯も食べずに急いで制服に着替えてバッグを持った。
確かに最近おしゃべりになった大輝だが、妙に大人っぽい。現在の家族内では唯一言葉が通じ、冷静な四歳の大輝が一生懸命一人で小さな靴を履いている背中がすごく大きく見えた。
しかし、いつもはお母さんに履かせてもらっている靴。自分で履くのに手こずっているようで支度を終えた茜はずっと玄関先で座って試行錯誤している大輝の小さな足へ手を伸ばし靴を履かせてあげた。
茜は不安そうに「お母さん、お父さん、行ってくるよー」と声をかけ、大輝と家を出た。
まずは大輝の幼稚園へと歩いて向かう。頭の中は不思議な状況でこんがらがっていた。
幼稚園に着くと、20代前半ぽい若い保育士が出迎えてくれた。
しかし、顔は青ざめている。
「おはよう、大輝くん……あの、お姉さんですか?」
「はい、初めまして、大輝の姉の茜です」
保育士はため息をつき、「茜さん、大輝くんちもご両親が大変なことになっていたりします?」と聞いてきた。
「はい。ほかのご家庭もですか?」
「はい……そもそもご連絡がつかないご家庭も多いんです。幼稚園に出向いてくれる保護者の方も、どこかいつもと様子が違う方が多くて、逆に園児たちはすごく冷静なんです。年長さんクラスでは、自分で一人で歩いて幼稚園に来る子や、電話に園児が出ることもあります。保育士も私ともう一人だけで、あとは出勤していないし連絡も取れません……。もうこれ夢ですよね?」
「私も夢だと思います」
茜は保育士に賛同した。
「夢じゃないよー」と下の方から大輝が言った。
「もう夢じゃないとおかしな状況なんだよ」
茜が大輝に向かって言った。その時、
「おはようございます! 佐藤先生!」
後ろから声がした。小さな黄色いバッグと帽子を被った女の子が一人で立っている。
「あ、大輝くんもおはよ!」
「ゆいちゃんおはよ!」
「ゆいちゃん、いつも一緒に来てるお母さんは?」
保育士は疲れた顔で聞く。
「行きたくない、行きたくないって言ってたから一人で来たよ」
「またか…」
保育士は思わずゲンナリとした顔で言った。
「茜さん、高校にこれから行く感じですか?」
茜の制服を見て、保育士は尋ねる。
「はい、そのつもりです。どんな状況かわからないですがお迎えも多分私が来ます」
「よかったら高校はどんな感じだったかもお迎えの時に教えてください。本当に意味がわからなくて……」
「もちろんです。大輝をよろしくお願いします」
「はい。いってらっしゃい」
保育士はそう言いながら大輝とゆいと手を繋いで園内へと歩き始めた。
「お姉ちゃん頑張ってねー」
大輝は振り返りながら満面の笑みで見送る。
「意味わかんない…」
そう嘆きながら茜は高校へと向かった。




