35話「再び日常へ」
私は思考する。
自身が何者で、これからどのような生き様を歩んで行くのかを__考える。
そのために私は思い出す。
まず最初は……やっぱりあの過保護の言葉からが良いかしらね?
__君は堕天使の娘だ。
アリアからその事実を聞いた時、言葉で言い表すのも面倒なほどの喪失感を味わった。
なんというか、すっぽりと心に穴が開いてしまったようで……しばらくは何をするにも手が付かなかった。
人生においての設計図というか、心の地図というか、そういった物を急に取り上げられたのだから仕方が無いとも思った。
けれど、食欲すらも失せて祖父母に心配させてしまって、それだけは内心今でも引っかかる。反省反省……
とまぁ……十全な活力を失っていた訳だけど、今までの習慣だったので大天使になる為の鍛錬だけは毎日続けた。それもほぼ惰性のようなものだったけど。
……それも唐突に窓から不法侵入してきた吸血鬼に無駄だと一蹴されたけどね。あれは結構堪えた。
まだちょっとした希望があったのだ。「頑張れば、ひょっとして!」ってね。それすらも真正面から否定されちゃったわけだから、かなり落ち込んだ。
で、落ち込む私にその憎たらしい吸血鬼が言った。
__堕天使としての生き方を探せばいいんじゃない?
簡単に言ってくれるじゃない!! っとまぁ内心穏やかじゃなかった。
だって、それはつまりあれよ?
「アナタの人間としての人生はこれで終わり、今から虫として生きてもらいます」
みたいな? ちょっと大げさだけれど、私にとってはそれと同じくらいの衝撃。
そんなわけで、一体全体どうすればいいんだ? っと困惑して疑問を返す私にあの過保護吸血鬼は一つの解答を返してきた。
湊音の様に事実を受け入れて抗って答えを見つけるべきだと言い放ったのだ。
どんだけ湊音の事好きなのよ、って今思うと笑っちゃうわね。
でも確かに……あの子は自分自身の性というか、業というか、それを良く思わず振り払おうとしている節はある。
それは日々の会話を聞いていても分かった。
曖昧な返事、どっちつかずな会話、些細な嘘を混ぜながらの無難な対応。
人に嫌われず人に好かれず、人を嫌わず人を好かず。
その場その場で即席の隠れ蓑を作って隠れやり過ごすような生き方。
去年から同じクラスではあったけれど、どうして湊音がそんな訳の分からない処世術を身に付けたのかは知らない。
が、今あの子はその悪癖を改善しようとしている。芯にまで染みついたその生き方を変えようとしている。
証拠に私に対してはかなり改善の兆しが見えている。
無難な返事を避け、少し踏み込んだ解答をしたこともあった。
私に対してちょっとした軽口を叩くこともある。
後は……あぁそうだ、思い出した。
大きな声で「またね」と言ってくれたこともあったわね。あれは、ふふ。ちょっと面白かったわね。
と、まとめてみても確かに湊音は抗っている。自分自身の生き様に。
……密かに私は、そんな彼に元気を貰っていたのかもしれない。一緒に勉強したりするのも楽しかったしね。
だからこそ、アリアは私に言うのだ。
湊音の様に現実を受け入れ新しい道を模索するべきだと。
前を向き再び走り出すべきだと。
__大丈夫、君なら出来るよ。
何の根拠が合ってこの言葉を言ったのかは分からないけれど、何故だかあの吸血鬼の言葉には重みと説得力がある。
……年の功という奴だろうか?
そうして、私は何とか新しい道を探すべく歩き出した。
のだが……まずは湊音に私が堕天使であることを言わなければならない。
ずっと天使だと嘘をついていたわけだから、流石の私も少々後ろめたい気持ちがあるし、伝えないのも不義理だと思ったからだ。
少し前に渡したお守りを回収しなきゃと思いながらも、湊音に自身が堕天使であることを告げようとした。
のだけれど……あんなタイミングで吸血鬼が現れるなんて思いもしなかったし、更には本物の天使にも出くわしてもうびっくり仰天とはこの事かと。
大天使という存在に未練が残っていた私はそれはもう喜んだ。まさか私のかつての目標が目の前に! っと、一瞬は尊敬の眼差しを向けたわ。
けれども現実は非常なり。
大天使様は、頭のネジがぶっ飛んでいた。というか元々ネジなんて締まってないような奴だった。
まぁ、うん、この辺は割愛しても大丈夫よね。鮮明に思い出したくないし。
一言で言えば、正義に溺れる狂人ってとこかしら?
というかアイツ、私のお腹ぼこすか殴りがって……すっごい痛かったのよ、あれ。しばらく夢に見るわね、何が罰よ、最悪よ最悪。
変に戦いなんか挑むんじゃなかったわホント。けれど仕方が無いわよね、天使が湊音に手を掛けてたって確信を得て妙に腹が立っちゃたんだもの。
でも殴られっぱなしで終わらないのが私。一か八かアリアを呼ぶための目印を撃ってみたら意外と上手くいったのよね。
いやぁ助かった。流石に死んだと思ったわ。
アリアと湊音が助けに来てくれて九死に一生を得たって感じね。
しかし……天使を追い払う時の彼女、中々カッコよかったわね。認めたくないけれど湊音が惚れるのも分かるわ。
さて、本題はここから。
ここまで思い出すのに随分とかかってしまったわ。
天使を追い払った後、私が湊音に重大なカミングアウトをする場面。
__堕天使なのよ、私。ごめんなさい。
キッツイ。このセリフを言った瞬間胸がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えたわ。
何でかしらね……言う直前までは「むむ、少し申し訳ないな」くらいの気持ちだったのに、いざ声に出してみれば奥歯がガタガタよ。
多分、怖かったのね……私。
湊音って子に幻滅されるかもしれないって少しでも頭によぎって凄く怖くなった。
なんでかなぁ……私の中で湊音はそんなに大きな存在になっていたって事なのかしら?
だからつい、目を逸らしてしまったのよ。
後ろめたさは勿論、私を見つめる目の色が変わってしまう事が怖くて。
それに謝罪の言葉も自然と声に出てたわ。これは……何でかしらね?
天使と嘘を吐いていたわけだから、勿論その事に対しての言葉ではあるのだけれどもっと他に、別の何か……
うーん、多分この思い出し作業中には答えは出なさそうね。やめやめ。
さて、次ね。湊音の台詞よ。
__僕とお友達になってください。
胸を弾かれたと思ったわ。いやね? だってびっくりしちゃって、私的にはもう友達だと思っていたから。
でもきっと、違うのね。
湊音の言うお友達とは、成り行きで自然と形成される関係では無く、両者の合意の元に成り立つ関係性のことを差すのでしょう。
そんな事は、意外とすぐに理解できたわ。彼との関係はまだまだ短いけれど、それでも決して薄くない時間を過ごしたのだから。
重要なのは、湊音がその瞬間に言った事。なにしろ堕天使の少女にこの台詞を言っているわけだからね。
あの子は私が天使じゃなくても受け入れてくれた。それどころか関係性の進展まで同時に提案してきたことになる。
その事実に気が付いた時の私の心境ときたら……いや、恥ずかしいわね。止めておきましょう。
……凄く嬉しかったとだけ。
さて、ここで少し話が変わるわ。
私にとって、天使という生き物は絶対正義の象徴だった。
人を助け、手を差し伸べ、全ての人を平等に愛する。
これは大まかには合っている。けれど、絶対的に違う部分があった。
本当の天使は……全ての人を平等に愛する__しかし例外アリ。
そしてその例外というのが、湊音である。
何故湊音が人間の守護者である天使の庇護対象に入っていないのかは分からないけれど、それが私には受け入れ難い。
しかし、それがあの天使という生き物なのだと理解できた。
でもここで疑問が浮かぶ。
天使の反転者とも言える堕天使はどういった生き物なのだろう?
ここで、これまでを振り返り私は一つの答えを出してみた。
天使が「全ての人間を愛する」なら、堕天使は「すべての人間を愛さない」
天使が「一人の例外を愛さない」なら、堕天使は「一人の例外を愛す」
つまりこれからの人生は……
私の生きる指針がようやく固まった。
ふふ、大天使を目指すよりよほど楽しい人生になりそうだわ。
「アリア、良いわよ。あの子は私に任せておきなさい」
さてと……そろそろ起きる時間かしらね。
しかしまぁ、心に決めてしまったせいで次に会うのが妙に小恥ずかしい。
私ってばなんだか恋する乙女みたいね? 笑っちゃうわ。別に恋愛感情とかじゃないのだけれどね。
……本当よ? 私が湊音を好きになるなんてあり得ない、今のとこはね。
さて、せっかく夢の中なんだし、挨拶の練習くらいしておきましょうか。
えーと、しっかりと相手の目を見て、いつもの様にハッキリと聞こえる声で……
ーーーーー
「おはよう、湊音」
テスト最終日から土日を跨いだ月曜日。
自身の席にいる僕に、エルはいつものように朝の挨拶を交わす。
「おはよう、その……もうお腹は大丈夫?」
いつものように……とは言うが、僕たちはつい最近まで非日常に晒されていた。
あの胃の内容物が飛び散るあの惨状は、出来ればすぐにでも忘れたい。いや、ホントに。思い出すだけで憂鬱になる。
「ぶっちゃけまだ痛むけど平気よ」
軽い笑顔を飛ばしながら彼女は言う。
なんだろう、いつもより表情に明かりが灯っているような……?
「痛むんだ……無理しないでね?」
僕は心からの心配を言葉にして伝えた。
「大丈夫よ。それより今日でしょう? テストの返却日」
「だね、緊張するなぁ」
今日にテストの全教科が一斉に帰ってくる。うう、良い点数取れてるといいなぁ……
いや! きっと取れてるはず! 多分!
「"お友達"である私が教えた英語くらいは良い点数とれてないとね」
エルがその単語を強調して、僕の顔を生意気に覗き込む。
「あの」
「どうかした?"お友達"の湊音くん」
「恥ずかしいからやめてください……」
何故だか僕のお友達宣言をイジってくる。
酷いよぉ……あれでも勇気出して言ったのにぃ……
「ふふん、まぁいいわ。それじゃまた後でね」
そろそろ朝礼の時間であることを察したエルは自由な鳥のように席へと戻って行った。
なんだか、先日よりも随分と機嫌が良いように感じる。お腹はまだ痛いだろうに、どうしてだろうか。
自身が堕天使であることを僕に言ったので気持ちがスッキリしたのだろうか?
なんにせよ、彼女に元気が戻って何よりである。
僕も嬉しい気持ちになる。
「よーしお前ら席につけー」
担任教師の坂口先生が教室に入ると同時に言い放ち、それを聞いた生徒は徐々に静まり、次の言葉を待った。
「知ってると思うが今日はテスト返却の日だ。しっかりと点数を記録して復習するようにな」
先生の話も程々で朝礼が終わり、一限目を知らせるチャイムが鳴る。
そうして始まるのだ、新しい日常が。
返却されるテストの点数に胸を躍らせながら、肩を落としながら、平凡な日々がまた再び。




