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34話「告白とお願い」

 ふと、僕の視界に一筋の流れ星みたいなものが映った。


 でも少し妙で、その光は地面から空へと流れていった。


 なんだろうと思い、急いでアリアさんに声をかけて指を刺した。


 するとその人は訝しむように目を光らせて、一言いった。


「あそこにエルちゃんがいる」


 そうして僕はアリアさんに抱き抱えられて、可能な限り速くにとその光の発信地へと向かった。


 行き着いたのは町から少し外れた場所にある廃墟だった。


 僕はその場でアリアさんに言い付けられた事を守り、五歩分ほど離れてついていった。


 そうして、中へと入って行くととある光景が目に飛び込んだ。


 ____血反吐で汚れたエルの姿が。


「エル!!」


 叫んだ。


 その側で神々しくも仰々しく光り輝く存在などには目もくれず、一目散にエルの元へと駆け出した。


 その時にアリアさんが何か僕を引き止めるような事を言っていた気がするけれど、そんなのは僕の耳には入ってこなかった。


 ただ、その眼球に直接突き刺さるような光景に僕の足は勝手に動いていたのだ。


 エルに近づけば近づく程に胃の内容物から放たれる酸性の強い匂いが鼻腔の奥を逆撫でる。


 またその不愉快な匂いに混じって、血液から放たれる錆びた鉄のような独特な匂いが頭を金槌で打ち付けるような衝撃を与えた。


「バカね……帰りなさいって言ったでしょう?」


 エルは困ったような顔を見せつつも、安堵感を示すように眉の根を動かした。


 その顔を見て、僕も体に駆け巡っていた焦りとか、恐怖心だとかが少し和らいだ。


「アリアさんの元へ、でしょ?」


 僕はエルと目線を合わせるために膝をついて言った。


 僕の言葉を聞いたエルは眉をひそめながら僅かに口角を上げてくれた。


 しかし、近くで見ると顔色が悪い。血色というか、まるで血液が全身に行き渡っていないように見える。


「……肩、貸してくれる?」


「うん」


 弱々しく言う彼女のか細い腕を肩に回して、二人で立ち上がった。


 その時に、僕の耳に中性的な声が届く。


「アナタは……」


 そこでようやく、その人と目が合った。厳密に言えば人ではなかったのだが、ともかく目が合った。


 距離で言えば二メートルほどしか離れていない。


 そんな至近距離で僕はその無数の目の付いた羽を広げ、大きな天使の輪を光り輝かせる者と目線を交わした。


 一目で理解する、それが天使である事を。


「目に毒よ。見ない方が良いわ」


 エルが言った。


「天使なんだよね……?」


「そうね。でも、ろくでなしよ」


 僕はその一言で察した。


 エルが立てなくなるほどまでに打ちのめされて、地面に広がる吐瀉物と血反吐を誰が吐かせたのかを。


 あぁ、こいつか。この天使がやったのか。


 心の中が掻きむしられる感覚を覚えた。


「丁度いいですね。二人とも殺してしまいましょう」


 しばらく口を閉じていた天使が、言葉を発した。


 改めて聞くその声は、中性的であり空間によく響く。


 耳になんの抵抗もなくすっぽりと入り込んできて頭蓋の中で乱反射するかのよう。


「私の前でそんな事させるわけがないでしょう」


 アリアさんが僕達の隣に立ち、そう言った。


 この時、僕の肩にもたれかかるエルが小さな声で「邪魔になるわ、離れましょう」と言ったので、それに従うように僕達はこの廃墟の限られた空間の中で天使と離れる。


 その間にもアリアさんと天使の話し声は廃墟の中に響いていた。


「どうでしょう?前回と違って今の私は力を解放している。アナタを避けてそのお二人を殺すなんて容易いとは思いませんか?」


「そうだね。けれどそれは卑怯だと思わない?」


「卑怯も何も、目的が違います。私は絶対悪を始末できればそれで良い」


「子供達の前で戯言を抜かすなよ」


 天使の言っていることはよくわからなかったが、アリアさんの言葉にこれでもかと怒りが込められているのがわかった。


 後ろ姿ではあるがわかる。大激怒だ。


「もしこの子達に手を出してみろ、町の人間全てを殺してみせるぞ」


「へぇ……」


 天使は顎を上げて目線を上から下へと送る。


 あぁ、人を見下す時の姿勢は人間も天使もさほど変わらないんだな……と、僕は言葉に表すのも億劫な気持ちになって、つい自分の足元へと目線を落とした。


「っ……」


 その時だ。


 隣に立つエルから唾を飲み込む音が聞こえてきた。それも大きな音で。


 どうしたんだろうかと不思議に思って、下げた目線と頭を上げる。


 すると目先に、本当に目と鼻の先に天使がいたのだ。


「……はっ」


 唾は飲まなかった。代わりに短く息を吐いた。


 天使がいた事にも驚きだが、なにより僕たち二人は光り輝く剣を突きつけられていたのだ。


 エルは喉元に、僕は目先に、それぞれあと数センチという距離に凶器が存在した。


 死という人間なら一番の恐怖の対象である概念が、今、すぐそばに迫っている。


 以前に出会った黒い吸血鬼のそれとは全く別の異質さが、僕の背筋を縮み上がらせた。


 しかしそんな態度を見せる僕たちと同じように、天使もまた冷汗を垂らし困惑に近い恐怖心のようなものを、作り物のように精巧な顔に滲ませていた。


「……本気ですか、アナタ」


 天使は言った。その言葉はきっとアリアさんに対してだろう。


「……」


 天使の問いかけに対し、アリアさんはピクリとも動かずに沈黙を貫いた。


 振り向かず、見向きもしない。


 僕達が散々なところで殺されそうな場面で、アリアさんは動かない。


 でも分かる。それは動かまいと必死に我慢していることに。


 だって首元の三匹のコウモリの温度が氷みたいに冷たくなっていくのだから。


「……やはり、理解しがたい」


 天使は武器を収めた。同じように無数の目の付いた羽も、天使であることを象徴する巨大な輪も収めた。


 周囲に漂っていた光の粒子は次第に少なくなり、たちまち無くなった。


「分かったらさっさと帰ることだね」


「ええ、言われなくとも失礼します」


 そうして天使は、先程とは違う控えめな羽をその背中に広げ、軽く地面を蹴り上げた。


 美しく羽ばたく様子は、やはりその男が天使である事を証明しているようで、なんとも言えない複雑な気持ちになった。


「その少年に手は出しません。ですが、アナタはまた、後の機会があれば必ず……」


 天使はエルの事を指さしながら、廃墟の割れた窓の隙間を潜って消えていった。


 その光景をエルは、何をいう訳でも無く、ただただ静かに見ていた。


「エル……」


 僕はつい、彼女の名前を呼んだ。特に意味は無いが、つい言葉にしてしまったのだ。


「はぁ~……」


「エル……??」


 エルのそんな大きなため息を聞いたのは初めてで、ついびっくりしてしまった。


 そんな中で、彼女は両の手を頬にあててわしゃわしゃと動かす。と、どうやら気持ちの整理とかが付いた様子で顔を上げた。


「アリア、少し二人にしてくれないかしら」


「……ん」


 その神妙な顔を見たアリアさんは、分からない程度に、ほんの少し顔を綻ばせた。


 言葉に従ったアリアさんは「外で待ってるよ、日陰でね」と言って出て行った。


 天気は曇りで、そもそも日陰しかないのでは? と疑問に思った。


 が、そこで日陰でと言ったのは、時間がかかっても大丈夫だよと暗に伝えているのだと理解し、腑に落ちた。


 その後、三十秒ほどの沈黙が続いた。エルが作り出した沈黙、それを破ったのもエルだった。


「話の続きをしましょうか」


「……うん」


 そこで僕は、吸血鬼の襲来によって打ち切られてしまった話であると察した。


 エルが思い悩んでいたこと、その中身。


 僕は静かに、けれど深めに息を吸った。


「さっきのが天使ってことは、大体分かるわね?」


「うん。けど、エルの事を……」


「そう、私は殺されかけた」


「どうして?同じ天使なのに……」


 と、言ったところで僕は言葉に詰まった。


 もしかして?と予想をしてしまったからである。


「堕天使なのよ、私。ごめんなさい」


 その言葉を言った瞬間、エルが視線を僕の目から逸らした。


 いつも真っすぐに、話す相手の目を見つづける彼女が今、僕の前で無く後ろめたそうに廃墟の廃れた床を見ている。


 まず、そのことに驚いた。


 そして次に思ったのが、どうして謝るんだろう……だ。


 別に彼女が天使じゃなくたって……と、思った僕はあのお守りの事を思い出した。


 自信に満ち溢れた顔で、僕を助けるために渡してくれたあのお守りのことを。そして繋がる。


 あぁ、そうか。


 多分彼女は、自分が天使である事を誇りに思うと同時に……責任も感じていたのだ。


 天使であるが故に僕に手を差し伸べたし、天使であるが故に自信を持ち続けられた。


 相手の目を逸らすことなく見続けられた。


 けれど、それが揺らいだ今、その天使であったが故の責任感が所在を無くし、果ては罪悪感へと変化しているのだ。


 天使でもないのにごめんなさい、と。


 彼女の告白と謝罪の言葉を聞いた僕は、何を言えばいいか分からなくなった。


 堕天使でもいいじゃん! 謝らないで! とは、言えなかった。


 だって、その言葉が酷く軽いように思えてたのだ。だからそんな言葉はとても吐けなかった。


 それでも、それでもどうかエルが元気になって欲しいと僕は願った。


 彼女がまた前を向けるようにと。


 自信を持って目を見て話してくれるようにと。


 天使じゃない自分にも誇りを持てるようにと。


 堕天使である自身を愛せるようにと。


 願った。


 そして僕は喉を震わせた。数々の思いを乗せて、声を出した。


 今まで言えてなかったその言葉を、その堕天使にへと送った。


「僕とお友達になってください」


 再び、彼女と視線が交差する。

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