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33話「大天使」

 濁った光を放つ剣を両の手に携えた堕天使が相対するは、かつて志した理想の形そのもの。


 彼女が剣を握る理由、それは生まれ落ちて十三年という年月をかけて目指した夢を切り捨てる為。


 また、新たな生き方を模索し始める為の大切な第一歩でもある。


「私は、お前が死んでも赦さないわ」


 この言葉はその意思表示とも言えるだろう。


 エルはこの日、この瞬間に天使である事を止めたのだ。


「はぁ、そうですか……」


 そんなエルの言葉を確かに耳にしたはずの天使は、まったく腑に落ちない様子で曖昧な相槌を打つ。


 この天使にはエルという堕天使の決意も、心意もまるで理解出来なかったのであろう。


 しかし、それでこそ天使という存在が成り立っている。この人間離れした感性でこそ天使が天使として在れる要因なのだ。


 そこに疑問を持ってしまったが故に、エルの父親は堕天の一途を辿ってしまったのであろうと、その娘は理解した。


「しかし、アナタがあの少年と知り合いとは驚きましたよ。世間とは存外狭いものですね」


「手を出す相手を間違えたんじゃない? 首輪を取り付けておいて無事ってことはさ、あの吸血鬼に惨めにやり返されたってことよね? ん?」


 エルはわざとらしく天使を煽った。例え低い可能性であってもその挑発に乗って冷静さを欠いてくれれば儲けものであると考えたからだ。


 と、言うのは建前であって、その言の殆どが本心から出たものである。


「否定はしません。私はアナタの言葉全てを受け入れます」


「……ッ!」


 と、天使が台詞の全てを言い終える前に、エルは手に持つ光剣を天使へと振るった。


 まともにやり合って勝てる相手ではない。十中八九負ける……それがエルの見解であった。


 であるから、本人的には癪で仕方がいないが真っ向勝負は避け、絡め手と騙し討ちの手段に打って出たのだ。


 手始めに試みたのは不意打ち。会話の途中で急に切りかかる正々堂々とは反対に位置する戦術である。


 力の差が離れていても、運と間合いが良ければこれで勝敗が付く姑息であり確実な一手。


 なのだが……


「いけませんね、人の話は最後まで聞きなさいと教えられなかったのですか?」


 天使の顔面に突き刺したはずの濁った剣は!易々と摘まむかのように受け止められてしまっていた。


 エルは実感する。敵と自分自身の力の差を。


 しかしそれでもあきらめる訳にはいかないと、エルは心を奮い立たせた。


「それに危ないじゃないですか、棒切れを振り回して……」


「くどい!」


 エルは受け止められた右に持つ剣を手放し、同時に新たな剣を生成する。


 天使に棒切れと評されたが、今の彼女に作ることの出来る最高の武器がこれなのだ。


「その羽、もいでやる……」


 エルは光で出来た剣を握りなおす。発する強気な言葉とは裏腹に、手汗がじっとりと滲んだ。


「反抗するのですね。悲しいです……素直に私の祝福を受け入れればよいのに」


 天使は嘆いた。悲しんだ。憐れんだ。


「人殺しを祝福とか言ってんじゃないわよ、くるくるぱーか?」


「仕方がありません。祝福の前に罰を受けて貰いましょう。大丈夫、心配しないで。我慢出来たらちゃんと救ってあげますからね」


 言っていることはまさに天使、と言ったところであるが……つまりは痛めつけてから殺すという宣言なのだ。


 その事を理解しているエルは、やはり心底気持ちの悪い感情を抱いた。


「呆れた、殺すことが救済で痛みが罰って……意味分かんないわよそれ」


「何とでも言いなさい。やはり堕天使、私の言葉が理解できないのは当然。しかし私は天使でありますから、私の責務を全うするのみです。では、始めましょう」


 と、天使が発言を終えた瞬間の出来事であった。


「あぐッ……!」


 エルの断末魔が廃れた壁に反射し廃墟中に響いた。


 腹に拳をねじ込まれたのだと、エルは数秒してようやく認識出来た。


 内臓が破裂してしまったかと錯覚するほどの威力を叩きこまれたため、エルはその場にうずくまりしばらく動けずにいる。


 酷くせき込み、その度に腹の底が耐え難い鈍痛に見舞われる。


「まだですよ、まだ始まったばかりです。そうですね、一昼夜は続けましょう」


「ふざけ……ごほっ、こはっ」


 しかし、目で追えない程に速かった訳ではない。大丈夫、次は対応出来る。


 そう思った時、エルの顔が上がった。


 うずくまった状態から自分の力で顔を上げたわけではない。髪を掴まれ、無理やりに持ち上げられたのだ。


 エルは痛みにより消えてしまった剣を再び作り出し、天使に斬りつけようとしたが……


「受け入れなさい」


 耳をつんざく痛ましい悲鳴が無人の廃墟に響き渡った。天使は顔を歪ませた。聞くに耐えない騒音だとその悲鳴を嫌った。


 二度目のボディブローを喰らった少女の目には、苦痛を含んだ涙が零れ落ちる。


 髪を掴まれているため、地面に倒れ伏すことも出来ず、逃げる事も出来ず、ただその天使に何度も腹を殴られた。


 三度目には意識が飛びかける。


 目の焦点が合わずに唇と顔色が青白くなった。天使はそれを許さず、平手打ちによって無理やりに意識を覚醒させた。


 四度目にはとうとう断末魔が消えた。


 別に、意識が無くなったとか、声が漏れるのを我慢したとかではない。ただただ声が出なくなったのだ。エルの喉からはカヒュっとした掠れた音しか聞こえない。天使はそれを喜んだ。静かになって良い、と。


 五度目には胃の中の内容物をあたりにまき散らした。


 朝に食べた祖母の手料理であっただろう物がびちゃびちゃと音を立てる。天使はそれを気持ち悪がったが、それを我慢し、罰を与える事の出来る自分を褒めて称えた。


 六度目には血反吐を吐いた。


 やはり内臓の損傷は深刻だったようだ。普段は可憐で綺麗な姿である金髪美少女が、今では涙を浮かべ血液交じりの鼻水を垂らし、口からは同じく赤い吐瀉物をまき散らしている。天使はやっと、エルの髪の毛を手放した。


「少し休憩しましょう、三分後に再開します」


 この休憩は断じて慈悲などではない。


 天使にとってこの暴力は罰であり救済ではない。で、あるならば殺してしまう訳にはいかない。


 この休息はつまり殺さない為の時間。一度時間をおいてエルの身体の回復を待つ時間なのだ。


 その間にエルは考える。何か、何か策を講じねばと。


 やがてその三分はあっという間に訪れた。


「時間ですね。再開しましょう」


 天使は尻もちをつくエルに近づく。その暴力が正義であると疑わない足取りで。


「いや、いやよ……もうやめて……」


 エルは惨めに鳴き声を上げた。もう勘弁してくれと、もう許してくれと懇願するように。


 地面に背中と尻をつけながらも、天使から離れようと身体を引きずった。少しでも離れようと惨めに……


「いいえ、いいえ、駄目です。これは罰なのです」


「うあぁ、ごめんなさい……ごめん、なさい……」


 と、再び天使がエルの金髪を鷲掴みにしようとした時、その刹那だった。


「ぐッ……!」


 エルの指先から一筋の光線が放たれた。


 その線は天使の心臓に向けて放たれたが、流石はにっくき天使と言ったところだろうか、寸前の所で回避したのだ。


 そしてその光線は廃墟の脆い天井を突き破り、空へと消えていってしまった。


 しかし、あまりに近い距離と、完全な不意を突かれた天使は、その光線を完全に避けきる事は叶わなかったようで、その胸部には焼焦げた衣装と出血が確認できた。


「女優の素質あるわね、私」


 と、先ほどまで流していた涙を既に引っ込めたエルがそう言った。


 それと同時に、今のが避けられたんじゃ仕方が無いわね……と内心でため息も吐き捨てていた。


 ま、やることはやったか……とも思っていた。


「ゆ、許しませんよ……アナタはこの私にこんな、こんな傷を__ゆゆゆゆ許せない……あぁああああぁ」


 天使は激怒した。嘆くこと止め、悲しみを覚えず、憐れみを忘れ、ただ激怒した。


 整った顔が歪み長く薄い金髪が逆立つ。


「罰を重くしましょう、そうしましょう。先ほどの吸血鬼のように、貼り付けにし存分に痛みを心身に刻んでから救ってあげましょう」


「正義を都合よく憂さ晴らしの理由にしてんじゃないわよ」


 って聞いちゃいないわね……とエルは身体の力が抜けていくのを実感した。


 先ほどの攻撃を最後に身体の感覚が薄い。今もズタボロである筈の腹の痛みすらもあまり感じない。


 足は動かず、大声も出せず、剣一本を作り出す事すら敵わない。


 もはや絶体絶命というやつである。


「感謝しなさい、薄汚い堕天使よ。今から見せるのは天使の到達点、完成形なのですから。謹んで静観するように」


 そういって天使は両の腕を組み合わせた。


 エルは身構えた。先刻、隠れて見ていたあの圧倒的な姿を想像した。


 天使は祈る。そして言葉を紡ぐ。


「その罪を赦そう。私は正義の執行者。悪に罰と救いを与える。人々に愛し人々に愛される存在」


 堕天使は地べたに座り込みながらその光景を目にした。先ほどとはまるで違う何かに恐れを抱きながら。


「我が名は大天使アズイール、死を持って悪に祝福を与える救世主」


 その大天使の偉大な羽に大粒の光の粒が集まっていく。


 祈り組む両の手が淡々と光り輝く。


 天使の輪が点滅する。


「今ここで貴方を救おう。権能解放」


 大天使アズイールはその本来の姿をこの町はずれの廃墟という、なんとも不相応な場所で顕現させた。


 エルは目を疑った。


 先ほどまででも輝かしい光を放っていた天使の輪は、より大きく巨大化している。


 また、羽も同じく巨大であったが、なんとそこには無数の目がある。


 その全てがエルを見ている。眼球一つ一つが憐れみ、怒り、悲しみ、楽しみと様々な感情を孕んでいるように見えて身の毛がよだった。


 異様な光景だった。


 堕天使は言葉を失い、ただ見上げる事しか出来なかった。


「さぁ、続きを……死ぬことは許しません。存分に罰を与えてから出ないとですから」


「流石に、想定外ね……」


 アズイールは足を動かす。再び、罰と称したただの暴力を再開するために。


 エルは歯を食いしばり、睨みつける。抵抗にならない抵抗を続ける。


 策は講じた、やれることはやった。でももう流石に駄目かな……そう思った。


 けれど、寸前の所で間に合ったのだ。


「その子に触れるな」


 天使の歩みが止まった。


 廃墟に声が響いた。怒気を孕んだ低くも力強い声が聞こえたのだ。


「エル!!」


 声のする方向へと目を向けると、見知った顔の吸血鬼と知人の姿があった。


 あぁ、良かった……間に合った。


「悪いわね大天使様……アンタに救われるのは今じゃないみたいよ」


「この堕天使風情が……ぁあ!!」


 アズイールは天使の風格を損なうほどに顔を歪ませた。

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